【ヨシュア記】二人のヨシュア【4章解説】#2

目次

中心思想

ヨシュアは、霊的イスラエルに勝利と安息を与えられる新約のヨシュア、イエス・キリストの予型です。

アウトライン

  1. 名前の意味(民数13: 16、マタ1 :21、ヘブ4:8)
  2. 第2のモーセ(ヨシ1:2~5,3:7,申命18: 15~17,34:10~12)
  3. 新しいヨシュア(イザ49 : 10)
  4. 神の安息に入る(ヘブ3,4章、12:2,22、エペ2:6)
  5. 予型また対型としてのヨシュア

予型としてのヨシュア

ヨシュアの経験は従うべき模範的な生活以上のものです。今回は、聖書がどのようにヨシュアを新しいヨシュアであるキリストの予型として提示しているかを学びます。ヨシュアはカナンを征服し、イスラエルを約束の地における安息に導きましたが、これはイエスが悪の勢力を個人的に征服されることの予型です。ヨシュアの働きは、キリストがご自分を信じる者たちに与えられる霊的勝利と安息、またクリスチャンが最終的に征服し、永遠に受け継ぐ約束の地である天国を予示していました。ヨシュア記はまさに、私たちがいかにしたら新しいヨシュアの指導の下で約束の地を手に入れ、いかにしたらヨシュアの精神によって勝利することができるかを教える旧約聖書の予型にほかなりません。

名前の意味(民数13: 16、マタ1:21、ヘブ4:8)

質問1 

ヨシュアの名前が変わったことにはどんな意味がありますか(民数13:8,16)。これを名前が変わった他の人物と比較してください。創世17:1~8,15~19,32:22~32

ヨシュアの元の名前であるホセアは「救い」を意味します。モーセは神の指示に従ってホセアという名前を、「主[ヤーウェ]は救いである」を意味するヨシュアに変えました。この名前は個人の名前の中に神のみ名[ヤーウェ]を含む最初の名前です。神のみ名がヨシュアに与えられたのは単なる偶然でしょうか。それとも、それは人間と神とを結ぶ名前を持つ者に与えられた特別な使命を表しているのでしょうか。

たとえばアブラムがアブラハムに、サライがサラに、ヤコブがイスラエルに変えられているように、聖書においては、救いの歴史の重要な転換点で名前が神によって変えられています。このような変化は個人の品性を強調すると同時に、その人を神の特別な働きに任命するものです。

「人間自身が名前に与える重要性を考盧して、神は人々の名前がその過去や将来の経験に調和したものとするために彼らの名前を変更された」( 『SDA聖書注解』第1巻321ページ)。

質問2

 ヨシュアの名前が変わったことによって、人々は自分たちの新しい指導者をどのように見るようになりますか。

質問3

 ヨシュアの名前の持つ意味についてよく考えてください。マタイ1:21にあるメシヤについての約束を、「イエス」を「ヨシュア」に変えて読んでください。世の救い主に「ヨシュア」という名前がつけられたのはなぜでしょうか。使徒行伝7:45をヘブル4:8と比較してください。

(へブル語でエホシュアまたはエシュアと言われる)ヨシュアという名前は、ギリシア語ではイエスース(イエス)です。つまり、イエスとヨシュアは同じ名前なのです。預言者モーセが神の霊感によって、神が永遠の昔からメシヤのために用意しておられた名前をつけたことは単なる偶然の一致でしょうか。今回は、この問題についてもう少し詳しく学んでみましょう。

第2のモーセ (ヨシ1:2―5,3:7,申命18:15―17、34: 10~12)

質問4

聖書はモーセの生涯と働きをヨシュアのそれとどのように比較していますか。ヨシ1:2~5,3:7,4:14

質問5 

モーセがその預言の中で述べている自分のような預言者とはだれのことですか。ヨシュアはそれにふさわしい人物ですか。申命18:15~19,34:10~12、ヨハ1:21、使徒3:22~26

モーセとヨシュアについての記録を読むと、ヨシュアが来るべきモーセのような預言者に見えます。しかし、申命記34:10~12を読むと、ヨシュアがモーセの後継者ではあっても、完全な意味で来るべき「モーセのような預言者」ではないことがはっきりします。ヨシュアは部分的にしか預言を成就していません。むしろ、最終的な成就はメシヤなるイエスにおいてなされています。ヨシュアとモーセの生涯は来るべきメシヤを予示していました。

質問6

聖書の予型論とはどのようなものですか。予型または模範についての次の聖句を読み、予型論について説明してください。ロマ5:14、Iコリ10:1~13、Iペテ3:18~22、ヘブ8:5,9:23

予型論とは、神がイエスとイエスによって明らかにされた福音を予示するために用いられる人物、出来事、あるいは制度についての研究です。予型は将来のことを示しているので、本質的には預言的なものです(しかし、それは預言と違って明示されることがありません)。次は、ヨシュアがどのような意味でキリストの予型なのかを学びます。

新しいヨシュア(イザ49 : 10)

旧約聖書は予型論を理解する鍵

予型論に関してよく見落とされることは、旧約聖書そのものが聖書の予型を理解する鍵であるという事実です。聖書は私たちに人物や事物についての予型を作り出させるものではなく、むしろ神が私たちにどんな人物や事物を予型として用いるように意図しておられるかを示すものです。次の表はいくつかの実例について示したものですが、真ん中の欄には神が予型として計画された人物、出来事、制度に関する旧約聖書の指標があげられています。

旧約の予型(人物、出来事、制度)旧約の予型論に関する言語指標新約の体型表示
出エジプト(出エジプト記、ホセア11:1など)新しい出エジプト(ホセ2:14,15、12:9,13、13:4,5、エレ6:14,15、31:32、イザヤ42:14―16、43:1―3、14―21、48:20,21)対型的出エジプト(マタ1―5章、ルカ9:31など)
聖所(出エ25―40章など)天の聖所(出エ25:40、詩11:4、68:35、96:6、150:1、イザ6:1―5、ヨナ2:7、ミカ1:2)天の聖所(ヘブ8:5、9:24、黙示8:5、11:19、16:1など)
ダビデ(詩篇22篇など)新しいダビデ(エレ23:5、イザ9:6、11:1―5など)対型的ダビデ(ヨハ19:24など)
エリヤ(列王上17―19章)新しいエリヤ(マラ4:5,6)対型的エリヤ(マタ11:14、マル9:11、ルカ1:17)
モーセ(創世、出エ、レビ、民数、申命)新しいモーセ(申命18:15―19)対型的モーセ(ヨハ1:21、6:14、8:40など)

質問7

 これまで見てきた特徴(モーセのように同じ名前、同じ働き)のほかに、旧約聖書はどんな点でヨシュアをメシヤの予型として示していますか。イザ49:8(申命1:38,3:28,31:7、ヨシ1:6比較)

ヨシュアに与えられた特別な働きは土地をイスラエルに分配することでした。メシヤもこれと同じ働きをされると、イザヤは言っています。イザヤによれば、メシヤはヨシュアの対型であって、イエスはその生涯においてヌンの子ヨシュアの働きを、彼よりもずっと大きな規模でされるのでした。

神の安息に入る(ヘブ3,4章、12: 2,22、エペ2:6)

質問8

新約聖書はヨシュアがキリストの予型であることをどのように証明していますか。ヘブ3:7~4:11(特に4:1~3,8に注意)

英語欽定訳では、へブル4:8が「イエス」となっています。ギリシア語では、イエスもヨシュアも同じ「イエスウス」だからです。文脈からすると、この聖句は明らかに「旧約のイエス」、つまりヨシュアについて述べています。(新欽定訳を含む)大部分の現代訳は混乱を避けるために、このイエスウスを「イエス」ではなく「ヨシュア」と訳しています。

へブル3,4章のヨシュアとイエスを比較対照してみると、イエスがヨシュアの対型であって、予型においては決して完全に成就されなかったことを対型において達成されるお方であることがわかります。

質問9 

ヨシュア記の予型論においては、約束の地における安息に入ることは何を予示していますか。ヘブ4:1~11(ヘブ12:2,22をエペ2:6と比較)

私たちはよく、イスラエルが約束の地に入ることは私たちが再臨において天のカナンに入ることの予型であると考えます。それは間違いではありません。しかし、昔のイスラエルがカナンに入った時、征服の戦いは始まったばかりでした。民は約束の地に入ってはいましたが、彼らはなお信仰によって、神の約束によってすでに自分たちのものとなっていたものを征服し、獲得する必要がありました。

対型においても予型と同じことが言えます。へブル3,4章によれば、対型としてのカナンは勝利に満ちた霊的な「恵みの安息」の地であって、信じる者はみな、今、それを受けることができます(エレン・G・ホワイト『SDA聖書注解』第2巻928ページ[原稿42, 1901年]参照)。私たちの新しいヨシュアはすでに私たちを信仰によって天のカナンに導いてくださいました。私たちはすでにイエス(ヨシュア)と共に「天上に」いるのです。信仰によって、私たちはすでにシオンの山、天のエルサレムに来ています。私たちはクリスチャンになる時、約束された祝福の地に入ります。しかし、前方には勝利すべき戦いがあります。一見、勝利できそうにない敵に対して勝利しなければなりません。永遠の遺産を受け、最終的に天の安息に入る前に、数々の巨人を倒さなければなりません。

へブル4章には、これらの聖書予型論における「すでに」と「まだ」の側面が含まれています。3節では、安息が現在のものとなっていますが(「わたしたち信じている者は、安息にはいることができる」)、11節では、まだ将来のものとなっています(「したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか」)。

予型また対型としてのヨシュア

聖書の予型は新約聖書において一つの成就を見ますが、同時に三つの異なった側面を持ちます。(1)その基本的な成就は初臨におけるイエスにあります。 (2)「イエスにある」者(教会)はみな、この成就にあずかります。(3)最後の成就はキリストの再臨とそれ以後に実現します。これらの側面のいくつかを表にまとめてみましょう。

予型論

旧約聖書の予型新約聖書の対型新約聖書の対型新約聖書の対型
人、出来事、制度キリスト(キリスト論)教会(教会論)最後の出来事(終末論)
出エジプトキリストの出エジプト(マタイ1―5章、ルカ9:31)霊的出エジプト(ヘブ4章、2コリント6:17)終末論的出エジプト(黙示録15:1―3)
聖所、神殿神殿としてのキリスト(ヨハネ1:14、2:21、マタイ12:6)神殿としての教会(1コリ3:16,17、2コリ6:16)天の神殿、究極の神殿(黙示録3:12、7:15、11:19、21:3、22)

ヨシュアに関する三重の予型論

旧約聖書のヨシュアイエス教会終末
40年後、イスラエルをカナンに導く(ヨシ1―5章)40日後、天のカナンに昇られた(使徒1:3、9―11、ヘブ1,2章)信仰によってシオンの山へ(ヘブ12:22―24)千年期後、地上の約束の地に入る(黙示録20:9、21:2,3)
イスラエルの敵を征服する(ヨシ6―12章)イスラエルの敵を征服する—もろもろの支配と権威(コロ2:15)霊的戦い神の敵に対する最後の戦い
イスラエルを神の安息に導く(ヨシ1:13―15、14:15、21:44、22:4、23:1) 霊的恵みの安息(ヘブ4章) 
遺産の分配(ヨシ1:6、13―21章) (ヘブ1:4、9:15)霊的遺産を受ける(使徒20:32、エペ1:11、14、18) 

まとめ

ヨシュア記は「勝利の生活」と「恵みの安息」を経験するための予型を提供しています。霊的な敵に勝利するための準備と戦略、力と成功の源、失敗の原因、神のいやし、霊的遺産の分配、「自分の領地を得る」経験一これらがみな、この書に記されています。ヨシュア記は、まさに天のカナンに入ろうとしている時にふさわしい基本的な「王国生活」の原則について述べています。この書には、私たちがどうしたら「勝ち得て余りがある」(ロマ8:37)者となることができるかが例示されています。

*本記事は、安息日学校ガイド1995年2期『神の安息に入る ヨシュア記』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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