【出エジプト記・民数記】荒野における反逆【解説】#11

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中心思想

高慢と清められていない野心は巧みに改革の精神を装うことがあります。現代の霊的指導者についても言えることですが、モーセもアロンも完全な人間ではありませんでした。彼らも失敗をおかし、ときには誤った決定を下しました。その罪はみわざを傷つけました。しかし、彼らは神によって選ばれた指導者だったので、彼らに対する反逆は神に対する反逆となるのでした。

序言

カナン国境における事態の急変に失望したイスラエル人は、あきらめ切れない気持ちで荒野に引き返します。彼らは自らの不信仰と背信に対して宣告された神の刑罰を仕方なく受け入れ続けてきました。その不満が表面下でくすぶり、だれかが新たな反逆を企てるのを待っていました。その人が現れました-モーセの親戚であるコラはカナン国境における敗北以前から神の指導者たちに対して不満を抱いていました。コラは高慢心から嫉妬に燃えるようになりました。彼は自分の地位に満足しないで、モーセの占めていた最高位を望み、その目的を達成するために虚偽(きよぎ) 、中傷 へつらいに満ちた活動を展開します。人々の不満、一部の指導者たちの野望につけ込むことによって、コラは巧みに不満の炭火を反逆の炎へとあおりました。

計画された陰謀(民数記16:1―3)

質問1 
コラとモーセはどんな親戚関係にありましたか。このことから、コラは指導者の任命に関してどんな不満を抱いていたと思われますか。民数記16:1、出エジプト記6:16―21

レビ族の出身であり、またレビの子コハテの子孫であったコラは、聖所のさまざまな器具の管理を任されていました。これには契約の箱をはじめとするさまざまな聖所の備品が含まれていました。しかしながら、コラと二百五十人の仲間は共謀して祭司職を手に入れようとしました。エリザパンがコハテー族の長に任命されていたために、自分が正当な地位を与えられていないというコラの不満はさらに強まります。エリザパンの父はコハテの四番目の子でしたが、コラの父はコハテの二番目の子でした(民数記3 :30参照)。

モーセとアロンが手を組んでほかのレビ人をさしおいて自分たちだけ高い地位を独占している、とコラは考えました。彼はこれらの取り決めが神の指示によってなされたものであることを忘れていました。彼はまた、モーセが祭司職に関する神の命令を伝えるとき自分自身と自分の子孫を除外している事実を見過ごしていました。

質問2 
コラはどんな論法によって自分の利己的野心を隠し、イスラエル人の支持を集めることによって神の指導者たちを攻撃していますか。民数記16:3

解 説

「コラの滅亡の根底に横たわっていた同じ悪が、なお、存在しているのではなかろうか。誇りと野心は広く人の心を支配している。そして、この精神は、ねたみと、最高の地位を求める心を起こさせる。魂は神から離れ去って、無意識のうちにサタンの側に引かれるのである。多くの者、また、キリストの従者であると公言する者でさえ、自分を高めるために熱心に考え、計画し、努力している。そして、人々の共鳴と支持を得るためには、あえて事実をもまげ、主のしもべたちを偽って悪く言い、自己の心のいやしい利己的動機を、彼らの動機であるかのように非難するのである。……神が任命された人々に対する民の信頼を失わせようとしていながら、自分たちは善事を行い、真に神に奉仕していると思い込むのである」(「人類のあけぼの』上巻488ページ)。

質問3
コラとともに反逆を指導したのはだれでしたか。その動機は何でしたか。民数記16:1,12,13

オンの名前がふたたびここに出てこないことから、注解者のなかには、彼が考えを改めて自分のいのちを救ったと推測する人々がいます。この陰謀は二つの集団によって企てられたように思われます。一つは、祭司職と宗教指導者の地位を求めるコラとその追従者の集団、もう一つはイスラエルの一般統治者としてのモーセの地位をねたむダタンとアビラムの集団です。

質問4
レビ族はどんな出来事によってイスラエルの霊的指導者に任じられていましたか。出エジプト記32:26―29

宿営の取り決めによって.ルベン族はレビ族のコラの家族同様、幕屋の南側に位置していました(民数記2:10.11、 3:29参照)。陰謀がこれらの家族のあいだで起こったのは、両荷が近くにいたためと考えられます。コラは初めのうちはひそかに計画を推進し・モーセとアロンに対き疑惑と不信を広めていました。ヨセフスによれば、コラは裕福で弁舌にひいでた人物でした。十分な支持を得たと考えると、彼は二百五十人の追従者の先頭に立ってモーセとアロンのもとにきて、二人が民の上に不当な権力をほしいままにしていると非難しました(民数記16:3参照)。

告発された陰謀者たち(民数記16:4―19)

質問5
自分と自分の仲間も祭司として奉仕する資格を持つというコラの主張をためすために、モーセはどんな提案をしますか。民数記16:5―7コラとその追従者たちはモーセの挑戦にひるむことがありませんでした。

「人類のあけぼの」上巻479ページには、陰謀者たちがそのねたみ深い策略に深入りするあまり、ついには自分たちの偽りを心から信じるようになったと書かれています。彼らは自分たちが主のための熱意から行動していると信じていました。そのとき以来、神の任命された指導者を攻撃する教会内外の人たちも、自分たちの反逆が正しいことであり、その批判が神に対する熱意から出ているのだと信じるようになりました(ヨハネ16:1―3)。 しかし、彼らか繰り返し神に背くことによって真理に目を閉ざすなら、どんな熱意もその言い訳にはなりません(2テサロニケ2:9―12参照)。

質問6
ユダはコラの反逆を通して新約時代のクリスチャンに何を教えていますか。ユダ11(2ペテロ2:10参照)

私たちは権威を疑い、指導者の動機を疑問視しがちな世に生きています。教会のなかにもそのような態度が見られます。私たちは指導者の善意すら疑い、神から与えられた彼らの権威を軽視するような冷淡な態度に気をつける必要があります。

解説

「教会が栄えるためには、教会員の内に愛という尊い植物を大切に育てる熱心な努力が必要である。あらゆる機会に心に受を育てるようにしよう。真のクリスチャンはみな、自分の生活にこの神の壹の特徴を発達させる。彼は寛容と慈善の精神をあらわし、ねたみとしっとを捨てる。……彼は誤った動機や不正な意図を人のせいにすることなく、キリストの弟子のうちに見い出された罪を深くあわれむ」(「教会へのあかし」第5巻123ページ)。

質問7 
コラは身近におこった出来事から、神の定められた指導者に背くことがいかに罪深く無益なことであるかを学んでいるべきでしたか。民数記12:1―16

神から選ばれた指導荷は自分の犯した過ちに対してどのような責任を問われますか。次の聖句において、指導省の罪と誤りがどのようなかたちで非難されているか調べてください。

・サムエル記上26:1―25

・サムエル記下12: 1―13

・マタイ26:69―75、ヨハネ21:15―17
・ガラテヤ2:11―14

質問8
モーセは共謀者のダタンとアビラムにどう対処しましたか。民数記16:12

モーセがルベン族出身のこれらの反逆者たちを召喚したとき、彼らは答えて言いました—「わたしたちは参りません」(民数記16:12)。 彼らはモーセの合法的権威を否定し、その申し立てを拒みました。

敗北した陰謀者たち(民数記16 :20―35)

解 説 

「翌日、二百五十人のつかさたちはコラを先頭に、火皿を持ってやって来た。彼らは幕屋の中庭に導き入れられたが、人々は外に集まって成り行きを見守っていた。コラとその仲間の敗北を見せるため会衆を集めたのはモーセではなかった。反逆者たちがその盲目の推測によって、自分たちの勝利を見せるために彼らを呼び集めたのであった。会衆の大部分は、アロンに対して言い分を通すことに熱心なコラに公然と味方していた。……コラはダタンとアビラムに合流するために会衆を離れた。モーセは七十人の長老をともなって、自分の所に来ることを拒んだ者たちに最後の警告を与えるために下って行った。群衆も彼に従った。モーセはその警告を与える前に神の導きによって民にこう告げた。『どうぞ、あなたがたはこれらの悪い人々の天幕を離れてください。彼らのものには何にも触れてはいけない彼らのもろもろの罪によって、あなたがたも滅ぼされてはいけないから』。彼らはこの警告に従った。すべての者にさばきが臨むのを感じ取ったからである。主だった反逆者たちは自分たちがだましてきた者たちからも見捨てられたが、その強情さはゆるがなかった。彼らはあたかも神の警告を無視するかのように、家族と共にその天幕の入り口に立った」(エレン・G・ホワイト『レビュー・アンド・ヘラルド』1903年11月12日576ページ)

質問9 
二百五十人の追従者は火によって滅ぼされたのに、なぜ反逆を指導したコラ、ダタン、アビラムだけは地にのみ込まれたのでしようか。

神はあわれみのうちに、この二百五十人に悔い改める機会をお与えになりました。彼らはコラとその仲間たちによって背信に導かれたのでした。二百五十人の人たちはコラたちに臨んだ神の明らかなさばきを見て、自分たちの過ちを認め、その罪を悔い改めることもできたはずです。コラ、ダタン、アビラムは特別に神の臨在を見るためにモーセと共にシナイ山に登っていました(出エジプト記24:1、9、10参照)。霊的指導者と思われている人々、教会のなかで重要な地位を占めている人々を用いるなら、神と教会に対する反逆は成功するということを、サタンは知っています。

長びく陰謀(民数記16:35―50)

質問10 
イスラエルの子らは翌日、モーセとアロンに対してどんな驚くべき非難をあびせますか。民数記16:41

彼らの態度は二つの点で仰天させられるものです。一点は、前日にコラとその共謀者たちの運命を目の当たりに見ていながら、なおもかたくなに神の指導者たちに逆らったということ。もう一点は、なおも反逆者たちを「主の民」と、そしてモーセとアロンを殺人者とみなしている点です。「この『あなたがた』という語はヘブル語で強調形になっている。彼らは明らかに二百五十人のつかさたちの死を火皿の薫香をささげるように提案したモーセとアロンのせいにしている。彼らはまた、モーセとアロンがつかさたちの上にさばきを求めるより、彼らのゆるしを神にとりなすべきであったと考えたことであろう」( 「SDA聖書注解』第1 巻878ページ)。

解説

「神の栄えを求める心からの熱意と思えることであっても、魂を敵の誘惑にさらし、心をゆがんだ感覚を植えつける危険にさらすことになる場合が多々ある。この終わりの時代において、これと全くことが起こりうる。サタンがイスラエルの会衆におけると同様に、今日も忙しく働いているからである。……私たちはここに、人間の心を光としるしからそらそうとする実例を見ることができる。私たちはここに根深い反逆の力と、それに打ち勝つことの困難さを見ることができる」(「教会へのあかし』第3巻353、357ページ)。

質問11 
会衆のうちに尾を引いていた陰謀の結果、どれだけの人々が死にましたか。民数記16:49

「コラ、ダタン、アビラムの背信に同情した者たちは、自らの上に災いと死を招いた。この終末時代においても同じことが起こるであろう。真理の光を知り、その祝福にあずかっていながら、それから離れた者たちは、神の御霊に逆らうであろう」(エレン・G・ホワイト「レビュー.アンド・ヘラルド』1898年5月24日571ページ)。

支持されたアロン(民数記17:1―13)

質問12 
神の定められた祭司職についての疑問をはらすために、神はさらにどんな提案をされますか。民数記17:1―5

まとめ

コラの陰謀は虚偽の危険性を例示しています。神の導きが私たち自身の欲望や信条に反するとき、自分自身の性質について、また神の明らかな導きに逆らおうとする私たちの傾向について正しい判断を下すことは困難になります。権威に逆らいがちな現代にあってはとくに、神が教会に一致をもたらすためにご自分の定められた方法で働かれるということを覚える必要があります(1コリント12:4―31参照)。

*本記事は、安息日学校ガイド1998年1期『約束の地をめざして』からの抜粋です。

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