【エステル記】お金を積んで【3章解説】

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3:8そしてハマンはアハシュエロス王に言った、「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他のすべての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。 3:9もし王がよしとされるならば、彼らを滅ぼせと詔をお書きください。そうすればわたしは王の事をつかさどる者たちの手に銀一万タラントを量りわたして、王の金庫に入れさせましょう」。 3:10そこで王は手から指輪をはずし、アガグびとハンメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにわたした。 3:11そして王はハマンに言った、「その銀はあなたに与える。その民もまたあなたに与えるから、よいと思うようにしなさい」。3:12そこで正月の十三日に王の書記官が召し集められ、王の総督、各州の知事および諸民のつかさたちにハマンが命じたことをことごとく書きしるした。すなわち各州に送るものにはその文字を用い、諸民に送るものにはその言語を用い、おのおのアハシュエロス王の名をもってそれを書き、王の指輪をもってそれに印を押した。 3:13そして急使をもってその書を王の諸州に送り、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちにすべてのユダヤ人を、若い者、老いた者、子供、女の別なく、ことごとく滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取れと命じた。 3:14この文書の写しを詔として各州に伝え、すべての民に公示して、その日のために備えさせようとした。 3:15急使は王の命令により急いで出ていった。この詔は首都スサで発布された。時に王とハマンは座して酒を飲んでいたが、スサの都はあわて惑った。エステル3:8―14(口語訳)

目次

取るに足らない民

ハマンはクセルクセス王(アハシュエロス)に「一つの民」がいることを告げました。

この「一つの民」は、単に一民族を指しているかもしれませんが、「取るに足らない民」というニュアンスを持つ言葉がここでは用いられています[1]

ハマンはさらに「王の法律を守りません」と主張を続けていきますが、この当時のユダヤ人は自分たちの信仰と良心に反しない限りは、ペルシャの法律を守っていたので、この主張は事実無根でした(エレミヤ28:4―7)。

加えて、ペルシャは他民族に対して寛容な政策を取っていたため、この主張には無理が生じていたのです。

ペルシャの王はほかの文化や宗教に対して寛大でした。自分たちが征服したさまざまな民族の忠誠を得るために、彼らは被征服民の神殿再建と宗教儀式のための資金を提供しました。宗教的寛容はペルシャ政府のおもな政策でした[2]

しかし、取るに足らない民であり、王のためにならないからという曖昧な理由で、ハマンはユダヤ人の虐殺を進言するのでした。

銀一万タラント

クセルクセス王がハマンの進言を賄賂で耳を傾けたというのは、驚くべきことです。賄賂になびいた理由の一つとしては、対ギリシャ戦争で激しい経済的ダメージを受けていたことが考えられます。

ヘロドトスによれば、クセルクセス(アハシュエロス)はかつて臣下の一人からそのような申し出を断ったといいます。先のギリシア戦争で王室の国庫が大きく消耗したのは間違いないが、賄賂を受け取るのは王の威厳に反することだったでしょう[3]

このとき、ハマンが提案した一万タラントという額は、ペルシャ帝国の年間税収の約3分の2に相当する額でした[4]

敗戦を喫したクセルクセス王にとって、「取るに足らない民」と「国の泰平」を秤にかけたときに、ハマンの申し出を受け入れたとしても、なんら不思議ではありません。

またこの申し出を受け入れたもう一つの理由として、自らの地位への脅威を感じていたクセルクセス王にとって、ユダヤ人は一定の脅威であったということです。

このときは、エルサレムの再建のために動いているユダヤ人たちを阻害する勢力が暗躍していたため、王の印象が悪くなっていたとしても不思議ではありません。

アハスエロスの治世、すなわちその治世の初めに、彼らはユダとエルサレムの住民を訴える告訴状を書いた。エズラ4:6

さらに、過去にさかのぼれば、ユダヤ人が脅威となる行動を起こしたことがあったのも事実だったのです。

「アルタシャスタ王へ、……あなたのもとから、わたしたちの所に上って来たユダヤ人らはエルサレムに来て、かのそむいた悪い町を建て直し……ています。……もしこの町を建て、城壁を築きあげるなら、彼らはみつぎ、関税、税金を納めなくなります。……歴代の記録をお調べください。その記録の書において、この町はそむいた町で、諸王と諸州に害を及ぼしたものであることを見、その中に古来、むほんの行われたことを知られるでしょう。……」。

王は返書を送って言った、「わたしは命令を下して調査させたところ、この町は古来、諸王にそむいた事、その中に反乱、むほんのあったことを見いだした。……どうして損害を増して、王に害を及ぼしてよかろうか」。エズラ4:11―19

エズラの時代に、反対勢力が王に直訴したところ、実際に昔の反乱の記録が見つかり、建設計画が大きく遅れてしまったことがありました。

これら二つの理由から、クセルクセス王はユダヤ人虐殺の提案を受け入れた可能性があります。

よいと思うようにしなさい

3:10そこで王は手から指輪をはずし、アガグびとハンメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにわたした。 3:11そして王はハマンに言った、「その銀はあなたに与える。その民もまたあなたに与えるから、よいと思うようにしなさい」。エステル3:10―11

クセルクセス王は「銀はあなたに与える」と、ハマンに告げます。前述したとおり、賄賂を受け取ることは王の尊厳を大きく損なうことであり、断った前例もあることから、ここでもクセルクセス王は賄賂を断ったとしている学者もいます[5]

しかしこの後、モルデカイもエステルも、金銭的なやり取りがあったことを匂わせていきます。

モルデカイは自分の身に起ったすべての事を彼に告げ、かつハマンがユダヤ人を滅ぼすことのために王の金庫に量り入れると約束した銀の正確な額を告げた。エステル4:7

わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。……エステル7:4

もちろん、モルデカイが受け取った情報が不正確であり、賄賂のやり取りがあったと勘違いした可能性もあります。

ただ、王が指輪をハマンに渡し、全権を委ねたことから、「その銀はあなたに与える」というのは国庫に入ったハマンのお金を好きなように使うようにという命令とも取ることができます。

王家の印章を手にしたハマンは、どんな勅令でも出すことができました。なぜなら、王家の印章があれば、全権が与えられるからです[6]

いずれにしても、王はハマンの提案をのみ、全権を委ねてしまうのでした。

ワシテ(ワシュティ)のときに、女性をよいと思うように支配するために、法律を変えるように臣下の者に言われたときと同じ過ちを犯すのです。

クセルクセス王もハマンも、自分のよいと思うように物事を支配しようとしました。そして、ハマンは神の民の迫害へと乗り出すのです。

急いで出て行った

急使は王の命令により急いで出ていった。この詔は首都スサで発布された。エステル3:15

この当時のアケメネス朝ペルシャは、優れた駅伝制度を組み上げており、王の命令を主要都市に早急に伝えることができました。

帝国の最も離れた場所でも1ヶ月、長くても2ヶ月で到着することができました。したがって、急ぐ必要はありませんでした[7]

しかし、ハマンはこの命令を急がせていきます。ここに彼自身のなんとしてもユダヤ人を滅ぼしたいという思いが見え隠れしていきます。

まとめ

自分のよいと思うように物事を進めようとするとき、人はかたくなになり、良心を殺し、他人を支配しようとしてしまうのかもしれません。

終わりの時代はバビロンと呼ばれる勢力が同じことを行っていきます(黙示録13:15―18)。

まさに、自分中心に動いていくのか、神を中心にするのかという二つの価値観と勢力の戦いがあるのです。

参考文献

[1] Bush, F. W. (1996). Ruth, Esther (Vol. 9, p. 381). Dallas: Word, Incorporated.

[2] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』98ページ

[3] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 473). Review and Herald Publishing Association.

[4] Reid, D. (2008). Esther: An Introduction and Commentary (Vol. 13, pp. 93–94). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

[5] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 473). Review and Herald Publishing Association.

[6] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 473). Review and Herald Publishing Association.

[7] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, pp. 475). Review and Herald Publishing Association.

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