【テサロニケの信徒への手紙1・2】和合して生きる【解説】#10

目次

パウロの最大の関心

テサロニケ人への二通の手紙において学んできた教理的、預言的教えは、若いテサロニケ教会に対するパウロの教えの中で重要な意味を持っています。しかしながら、テサロニケ人に対する彼の最も大切な教えは実際的な信仰に関するものです。この思いは第1および第2の手紙全体に共通して見られるものです。パウロがとくに重視しているのは教会員同士の人間関係、つまりお互いにどのように接し合うかということです。この意味において、今日のクリスチャンも同じ勧告を必要としていると言えます。

アウトライン

1 . 働く信仰( I テサ1 : 3 ) 

2. 平和を求める( I テサ4 : 9 、1 0 、5: 1 3 )

3. 平和への道(Iテサ4 : 11、12) 

4.自制の必要(Iテサ5 : 15、22) 

5. 秩序と調和の模範( I テサ2: 11、4 : 9 ) 

パウロが人間関係を重視した理由

どの時代の教会についても言えることですが、テサロニケの教会においてはお互いの人間関係が真の弟子であるか否かの最大のテストとなりました。パウロは、テサロニケ人の人間関係がキリスト者の恵みについての最大の証拠となることを知っていました。彼はまた、テサロニケ人の人間関係が彼らのうちに聖霊が働いておられるか否かの証拠となることも知っていました。

正しい人間関係は今日、最も必要とされているそれは小さな教会において必要です。そのような教会では、数人の人が主導権を握り、結果としてねたみや争いが起こりがちだからです。それは大きな教会において必要です。そのような教会では没個性化と派閥的なグループが生まれがちだからです。それは大きな都市において必要です。大きな都市の人々は小さな町の人々を見くびり、小さな町の人々は大きな都市の人々を利己的、世俗的と非難しがちだからです。それはまた、私たちのさまざまな機関において必要です。そのような機関では、無遠慮な振舞いや競争心から対立やうわさ、疑いや頑迷さ、さらには醜いかけひきなどが生じ、調和のとれた人間関係をそこなうことがあるからです。

働く信仰(Iテサ1 :3) 

質問1 
パウロはテサロニケ教会の霊的特質として何をあげていますか。1テサ1:3、1:8、3:6、2テサ1:4

ここにあげられた霊的特質の中には、何回か言及されているものがあります。しかし、パウロが最も多く言及しているのは信仰です。

質問2
パウロがテモテをテサロニケにつかわしたのはどんな目的からでしたか。Iテサ3:5 

パウロの最大の望みは教会員が互いに愛し合うこと信仰のおもなしるしの一つは愛です(ガラ5:6)。信仰は愛に先だつものです。信仰はキリスト者の成長における第1段階です。この信仰の上に、徳、知識、節制、忍耐、信心、兄弟愛、愛が加えられます(Ⅱペテ1:5〜7)。

平和を求める( I テサ4 : 9 、 1 0 、 5 : 1 3 ) 

質問3 
テサロニケ人が愛によってどんな特質を養うように、パウロは望んでいますか。Iテサ1:1、2、5:13 

すべての信者の望みつねに平和を強調しているために、パウロは平和の使徒と呼ばれてもよいくらいです。彼が平和に言及していない手紙はひとつもありません。もちろん、新約聖書記者の中で平和を説いているのはパウロだけではありません。テトス、ヤコブ、ペテロ、ユダ、それに啓示者ヨハネもクリスチャンの人間関係における平和の重要性について教えています。ヨハネの第1の手紙を除いて、新約聖書のすべての手紙に、その冒頭か結びにおいて平和に関する勧告が記されています。

パウロの時代から数百年後、アウグスチヌスは平和に対する初代教会の望みを強調して、次のように記しています。「このようなわけで、永遠のいのちと同様に、平和についても、それが私たちの善行の目的であると言うことができる。詩篇作者も次のように言っている。……「エルサレムよ、主をほめたたえよ。シオンよ、あなたの神をほめたたえよ。主はあなたの門の貫の木を堅くし、あなたのうちにいる子らを祝福されるからである。主はあなたの国境を安らかにし』。……平和はそれほど大いなる善行であるので、この地上の、死すべき人生にはこれ以上に喜ばしい言葉はないし、これ以上に熱意をもって求めるもの、あるいはこれ以上に満足を与えるものはないのである」(「神の都』686ページ)。

質問4
平和の反対は何ですか。1コリ14: 33 

神は私たちの信仰の導き手です。この信仰は愛によって働き、平和をつくり出します。一方、サタンは混乱の創始者であって、神の教会が不和、憎悪、誤解、うわさ話、敵意によって分裂するのを見て大いに喜びます。教会の力はその平和の程度に比例します。ペンテコステのとき、信じる者たちは互いに平和を保ち、心を一つにして集まっていました(使徒2:1参照)。

質問5
キリスト者の愛をもって行動することの大切さについて、パウロは何と教えていますか。ガラ6:10、1テサ4:9―10 、1テサ3:12 

平和への道(Iテサ4 : 11、 12) 

質問6
パウロは平和な生活を送るために必要などんな勧告を与えていますか。Iテサ4:11 

おせっかいな人に対する勧告平和な生活を送るために必要なこれら三つの勧告は、みな同じように重要なものです。新国際訳では、最初の勧告が、「落ち着いた生活をすることをあなたの志としなさい」となっています( I テサ4 : 1 1 ) 。私たちは、うわさ話、試練失望の嵐に動かされることなく、落ち着いた生活を送るように勧められています。「自分の仕事に身を入れ」とは、他人の私生活に不必要な関心を抱いてはならないということです。私たちは自分の兄弟の助け手であっても、彼の忠告者、相談役であるとは限りません。ましてや彼の審判者、告発者ではなく、神の前に彼よりすぐれているわけでもありません。パウロの勧告は他人に干渉することを戒めるものです。「手ずから働きなさい」という勧告は労働の尊さを教えています。それはまた、自分で働く機会と能力があるにもかかわらず、人に頼って生活することの恥について教えています。

質問7 
このような生き方は平和のほかにどんな効果を教会にもたらしますか。Iテサ4:12 

質問8
教会によくありがちなどんな行動が平和を乱すもととなりますか。筬26 :20〜22、ヤコ3:2〜6 

教会内の不和の原因

「むだ話、うわさ話をする人は近隣や教会にとって恐るべき災いである。教会の問題の3分の2はこれによって生じる」(「教会へのあかし』第2巻466ページ)。

「あらゆる不和、差別、あらさがしは、悪口や中傷と同様、取り除かれなければならない。そして、お互いに親切心、愛、同情をあらわすべきである。それは、ご自分が父と一つであるように弟子たちも一つになるようにというキリストの祈りにこたえるためである。教会の調和と一致は、教会がイエスの神の御子であることを世に示す証明となる。真心からの回心は、イエスに対する真の愛、また彼が死んでくださった人々に対する真の愛をもたらすのである」(「教会へのあかし』第5巻279ページ)。

自制の必要(Iテサ5 : 15、 22) 

質問9 
イエスの教えられたどんな平和の原則を、パウロも強調していますか。マタ5:38〜42、 1テサ5:15 

怒りを和らげる

「復讐をしてはならない。できる限り、あらゆる誤解の原因を取り除き、悪い外見を避けなさい。原則を犠牲にしないかぎり、全力を尽して人と融和しなさい。……短気な言葉をかけられても、決して同じ精神で答えてはならない。『柔らかい答は憤りをとどめ』ることを覚えなさい(箴言15:1)。沈黙には驚くほどの力がある。おこっている人に答える言葉が、ますますその人をおこらせることがあるが、やさしい忍耐の精神をもって沈黙を守れば、たちまち消えてしまう」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング」470ページ)。

復讐ではなく、ゆるし

ある社会心理学者によれば、復譽は最も先天的、本能的な悪です。その真偽は別としても、確かに復譽は一般的で、かついやしがたいものです。しかし、キリスト者の生き方は復讐ではなく、ゆるしです。みことばの説教にひいでたある牧師が、「イエスの最も偉大であられたとき」という題で説教したことがありました。彼はその中で、イエスが最も偉大であられたのは、嵐の海を静められたときでも、悪鬼を追い出されたときでもなく、また病人をいやされたときでも、水をぶどう酒に変えられたときでもなく、むしろ、十字架の上で「父よ、彼らをおゆるしください」と叫ばれたときであると語ったそうです。

質問10
ともすれば軽視されがちなどんな美徳を、パウロは厳粛に勧めていますか( I テサ5 : 2 2 ) 。この勧告はどんな視点から理解する必要がありますか。

「共同責任」の考え方が必要団体に与えられた責任を負わないで行動することは問題をつくり出すもとです。教会員であることには特権と同時に責任がともないます。それには全体の調和と理解を深めるように語り、行動することが含まれます。個人の自由と利益が全体の利益に優先するという考えにもとづいて行動する人は、教会の平和的な関係を乱すことになります。

質問11 
平和をつくり出すためのどんな態度に対して、イエスは警告されましたか。マタ10 :34〜38 

妥協による平和

「イエスこ自身、決して妥協によって安全をお求めにならなかった。イエスの心は全人類に対する愛であふれていたが、イエスは、彼らの罪を決して甘やかされなかった。イエスは、人々が自分の魂―イエスがご自分の血で買われた魂を滅ぼす道を歩むのを彼らの友としてだまって見ていることがおできにならなかった。イエスは、人が自分自身に忠実であるように、自分のもっと高い永遠の利害に忠実であるように、ほねおられた。キリストのしもべたちは同じ働きに召されているのであって、彼らは、不和を防ごうとして、真理を放棄するようなことがないように気をつけねばならない。彼らは『平和に役立つこと……を、追い求め」るのであるが、真の平和は決して主義を妥協させることによって確保することはできない(ローマ14:19)。だれでも主義に忠実であれば、必ず反対がひき起される。霊的であるキリスト教は、不従順の子らによって反対されるであろう。しかしイエスは、弟子たちに、「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな』とお命じになった(マタイ10:28)。神に忠実な者たちは、人間の権力やサタンの敵意を恐れるにおよばない。キリストのうちに彼らの永遠のいのちが確保されているのである。彼らのただ一つの恐れは、真理を放棄するようなことはないか、そうすることによって神からの名誉ある信任を裏切るようなことはないかということでなければならない」(『各時代の希望』中巻89、90ページ)。

秩序と調和の模範(1テサ2:11、4:9)

質問12
パウロは社会のどんな制度を用いて教会の人間関係を説明していますか。I テサ2 : 11、4 : 9、 エペ3 : 15 

兄弟姉妹は互いに支え合う教会は聖書の中でいろいろなものにたとえられています。その代表的なものをあげると、家(イザ56:7)、都(詩48、マタ5:14)、女(黙示12:1)、国、祭司(Iペテ2:9)、軍勢(雅6:6)などです。しかし、クリスチャンに最もよく知られているたとえは家族のたとえです。神は父親、イエスは長兄です。この両者によって、私たちはみな養子となり、子供また相続人となったのです。

しかし、私たちはただ子供であるだけではありません。同時に、兄弟・姉妹でもあります。パウロはテサロニケ人への二通の手紙において26回、兄弟関係にある者として信者に語りかけています。私たちの人間関係が家族の人間関係にたとえられていることには、はっきりした理由があります。私たちは神のもとにある一つの統合体であって、兄弟姉妹と同じようにお互いに保護し、励まし、助け、ゆるし、愛し合うように勧められています。この愛のきずなは死よりも強いものです。

質問13 
パウロはほかにどんな意味深いたとえを用いて、教会の調和と協力を説明していますか。Iコリ12:12〜14、エペ4:16 

きよめられ、調和のとれた統合体

「パウロは、教会を人間の体と比較することによって、キリストの教会のすべてのメンバーの間における密接で調和した関係を、適切に説明した」(『患難から栄光へ』上巻341ページ)。

「人体のあらゆる部分が一つとなって全体を形成しているように、またそれぞれが全体を支配する知能に従って働いているように、キリストの教会の会員も一つの調和のとれた団体に統合され、全体を統合するきよめられた知能に従うべきである」(『教会へのあかし』第4巻16ページ)。

質問14 
パウロはのちに望ましい人間関係をどのように要約していますか。Iコリ14:40 

天の模範

「御使いたちは調和ある働きをしている。彼らの働きには完全な秩序がある。私たちが御使いたちの調和と秩序を見習うならそれだけ、私たちのための彼らの働きは効果あるものとなる。もし私たちが調和ある行動の必要を認めず、無秩序な、規律の乱れた、統制を失った行動をとるなら、完全な組織のもとに完全な秩序をもって働いている御使いたちは、私たちのために効果的な働きをすることができない。彼らは悲しみのうちに立ち去る。なぜなら、彼らは混乱、当惑、無秩序を祝福する権限を与えられていないからである」(『牧師へのあかし』28ページ)。

まとめ

教会の働きを最も確実に弱めるのは教会員のうちに起こる不和と争いです。反対に、教会の教えを最も力強くあかしするのはキリストの教えに従う者たちのうちにある愛と調和に満ちた人間関係です。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年3期『再臨に備えて生きる』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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