サタンの終末時代の惑わし【終末時代への備え】#9

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今回の記事のテーマ

サタンは天においても、追放される前に天使たちを惑わすために働きました。「ルシファーは、神のみ座のすぐ近くにある自分の座を離れて、天使たちの間に不満の精神をひろめるために出て行った。彼は神秘的な秘密をもって働き、一時は神に対する尊敬をよそおって自分の真意をかくし、天の住民を支配している律法によって不必要な束縛が加えられているとほのめかしながら、律法に対する不満の念を引き起こそうと努力した」(『希望への光』1837ページ、『各時代の大争闘』下巻231ページ)。

エデンにおいて、サタンは蛇に変装し、エバに対して策略を用いました。今日に至るまで、そして千年期以後でさえ(黙20:8)、歴史を通じてずっと、彼は自分の目的を達成するために惑わしを用いるのです。

残念ながら、彼は私たちのだれよりも賢く、力強く、狡猾であり、それゆえに私たちは、彼の策略から自分の身を守るためにイエスと御言葉に寄りすがる必要があります。「あなたたちの神、主につき従ったあなたたちは皆、今日も生きている」(申4:4)。ここで支持されている原則は、確かに今日でも当てはまります。

私たちは今回、悪魔の最も効果的な惑わしのいくつかと、どうしたら私たちはそれから守られうるのかということに目を向けます。

最大の惑わし

今期の第1課では、残念なことに、宇宙を超えて地球にまで及んだ宇宙規模の争いを話題にしました。

しかし問題は、クリスチャンを含む多くの人がこの大争闘を信じていないことです。彼らはサタンの存在を信じていないからです。彼らにとって、サタンや悪魔について述べている聖書の言葉は、この世の悪や苦しみを説明するための非科学的な文化の表現にすぎません。あまりにも多くの人にとって、人類に対して邪悪な計画を持つ超自然的な文字どおりの存在というのは、映画『スターウォーズ』で有名なダース・ベイダーのような、空想科学小説に出てくるものなのです。

問1 
黙示録の次の聖句を読んでください(黙2:13、24、12:3、7〜9、12、17、13:2、20:2、7、10)。サタンの存在について、特に終末の諸事件における彼の役割について、これらの聖句はどのようなことを教えていますか。

黙示録は、終わりの時にサタンがこの世の多くの住人をどれほど思いどおりに操り、彼らを救いから引き離すだけでなく、彼らを用いてイエスに忠実である者たちを迫害させるかも示しています。

サタンのあらゆる「やり口」(IIコリ2:11)—「心、精神」に相当するギリシア語「ノエーマタ」の訳語—の中でも、恐らく最大の惑わしは、彼が存在しないと人々に信じ込ませることです。詰まるところ、存在すると思っていない強力な敵から、だれが逃れようと思うでしょうか。多くの人がクリスチャンであると自称しながらも、文字どおりの悪魔という考えを真剣に受け止めていないというのは、驚くべきことです。しかし彼らがそのような立場を取るのは、(とりわけ時の終わりが近づく)この世におけるサタンの働きや策略を明らかにしている聖書の中の多くの言葉を無視するか、あるいは根本的に解釈し直すことによってです。これほど確かな聖書の証拠にもかかわらず、多くの人がサタンの文字どおりの存在を認めようとしていません。このことは私たちにとり、聖書が真に教えることを理解することがいかに重要であるかの強力な暗示です。

二つの重大な誤り

問2 
次の聖句を読んでください。サタンの惑わしの力について、どのようなことを教えていますか。

 ・IIコリント11:13〜15
 ・IIテサロニケ2:9、10
 ・黙示録12:9
 ・黙示録20:10

先の課で述べたように、イエスは弟子たちに終末時代の惑わしについて警告なさっておられました。その中でも特に彼が警告されたのは、「多くの人を惑わす」(マタ24:5)だろう偽キリストや偽預言者でした。

しかし、私たちが知っていなければならない終末時代の惑わしは、偽キリストや偽預言者だけではありません。大争闘における私たちの敵には、惑わしうるすべての人を惑わすために考案された多くの策略があります。クリスチャンとして、私たちはそれらの策略を知る必要があります。そしてそれは、聖書を知り、聖書の教えることに従うことによってのみ可能なのです。

エレン・G・ホワイトは、そのような大いなる惑わしのうちの二つが何であるかを説明しています。「サタンは、霊魂不滅と日曜日の神聖化という2つの重大な誤りを通して、人々を彼の欺瞞のもとに引き入れる。前者は心霊術の基礎を置き、後者はローマとの親交のきずなを作り出す。合衆国の新教徒は、率先して、心霊術と手を結ぶために淵を越えて手を差しのべる。彼らはまた、ローマの権力と握手するために深淵を越えて手を差し出す。この三重の結合による勢力下に、アメリカはローマの例にならって良心の権利をふみにじるのである」(『希望への光』1885ページ、『各時代の大争闘』下巻350ページ)。

彼女がこれらの言葉を書いてから多くの年月が過ぎ去ったにもかかわらず、「2つの重大な誤り」がキリスト教世界の中ではびこり続けているのを目にするというのは、なんと信じがたいことでしょう。

霊魂の不滅

問3 
次の聖句は「死者の状態」についてどのようなことを教えていますか(コヘ9:5、6、10、詩編115:17、146:4、Iコリ15:16〜18、ダニ12:2)。「2つの重大な誤り」の内の一つに対して、これらの聖句はいかに私たちをしっかり守ってくれますか。

ここ数十年にわたって、(心拍も呼吸も停止して)「死んだ」のに生き延び、意識を取り戻した人たちに関する話が、大いに注目を集めてきました。多くの場合、彼らは「死んだ」と思われたあとにも意識が存在したという、信じがたい体験を語るのです。自分が空中を漂い、上から自分自身の体を眼下に見た、と言う人もいれば、自分の体から漂い出て、光とぬくもりを持ったすばらしい存在と会い、その人が優しさと愛についての真理を擁護した、と報告する人もいます。亡くなった親戚と会って話をした、と語る人たちもいます。

この現象は、「臨死体験」という学術名がつけられるほど、おなじみになりました。「臨死体験」は、依然として意見が分かれているものの、多くのクリスチャンが、それを霊魂の不滅の証拠や、魂が死に際して意識の存在するもう一つの領域に向かうという考えの証拠として用いてきました。

しかし言うまでもなく、臨死体験というのは、「2つの重大な誤り」の一つが別のあらわれ方をしたものです。どのような形にせよ、死に際しても魂が生き続けると信じる限り、その人は、大抵のオカルトや心霊術の惑わし、つまり私たちはイエスを必要としないという考えを(あからさまに、または、それとなく)容易に助長しうる惑わしにさらされます。実際、臨死体験をした人のほとんどが、彼らの会った霊的存在や死んだ親戚は、愛、平和、善について励ましの言葉を口にしたものの、(聖書の最も基本的な考えである)キリストによる救い、罪、裁きが来ることについては語らなかった、と言いました。ある人は、たぶん彼らはキリスト教の来世を体験すると同時に、キリスト教の最も基本的な教えも味わったに違いない、と思うでしょう。しかし、彼らが言われたことは、しばしばニューエイジの教義によく似ており、そのことは、この人たちの多くが、「死ぬ」体験をする前よりもキリスト教に傾倒せず、離れて行く理由を説明しています。

安息日と進化論

サタンは、魂の不滅に関してこの世を大いに惑わしてきましたが、もしかするとそれ以上に、日曜日のために聖書の安息日を侵害することに成功し(第6課と第8課参照)、キリスト教史のほとんどの時代においてそうしてきました。

近年、悪魔は人々の心の中における第七日安息日の影響力を減らす別の惑わしを考え出しました。進化論です。

創世記1:1〜2:3を読んでください。これらの聖句を大雑把に読んだとしても、聖書の天地創造物語に関して二つの点が明らかです。第一に、すべては計画され、計算されていました。思いつきのもの、気まぐれなもの、偶然のものは、何一つありませんでした。聖書は、天地創造の過程において少しの偶然の余地も残していません。

第二に、これらの聖句は、それぞれの被造物がその種に従って造られたことを明確に示しています。つまり、それぞれがほかのものとは区別され、異なるように造られたということです。聖書は、地球上のすべての命に共通する自然の祖先(例えば、太古の単純細胞)について何も教えていません。

直解主義者でない人の創世記解釈からしても、これら二つの点は明らかです。天地創造の行為において偶然のものは何もなく、あらゆる種に共通する自然の祖先はありませんでした。

さて、そこで登場するのがダーウィンの進化論で、それはさまざまな形で二つのこと(偶然性とすべての種に共通する自然の祖先)を教えています。

では、なぜ多くの人は、最も基本的なレベルで創世記に反する理論のレンズを通して、創世記を解釈するのでしょうか。確かに、進化論という誤りは、無数の世俗の人々の心を奪ってきただけでなく、クリスチャンと自称する多くの人が、今述べたばかりの明らかな矛盾にもかかわらず、進化論とキリスト教信仰を調和させることができると信じてもいるのです。

しかし、終末の諸事件との関連における進化論の隠された意味は、その惑わしの危険性を一層明らかにします。どうして一つの日、つまり第七日安息日を6日間の創造の記念日ではなく、およそ30億年(生命が地上に初めて発生したとされている最も遅い年代)かかった創造の記念日として、真剣に受け止められるでしょうか。進化論は第七日から本当の重要性をはぎ取ります。なぜなら、進化論は天地創造の6日間を、〔古代ローマ建国の双子〕ロムルスとレムスが狼によって育てられたというようなただの神話にしてしまうからです。それに、創造に要したのが6日間ではなく、数十億年だと信じる人たちが、日曜日に対立するものとして、安息日を支持し迫害や死の危険を実際に冒すでしょうか。

偽の三位一体

神の三位一体の御性質という概念は、聖書の至る所に見られます。しかしヨハネの黙示録は、終末時代の惑わしと迫害との関連において、竜、海の獣、陸の獣から成る「偽の三位一体」を明らかにしています(黙13章参照)。

黙示録12:17、13:1、2を読んでください。ここでの竜は、父なる神の偽物だとみなされてきました。明らかに彼が主導権を握っているからです。竜はまた、力と王座と権威を海の獣、つまりキリストのふりをする者に与えています。なぜこの第二の権力は、偽キリストだとみなされるのでしょうか。

問4 
黙示録13:2〜5を読んでください。この海の獣の特徴は何ですか。

この獣は、イエスが父なる神から権能を授けられたことについて語られたことを思い出させるように(マタ28:18参照)、竜から権威を受け取るとともに、イエスと同様、死に直面し、やがて復活しました(黙13:3参照)。またこの獣は、自分の権威を(1日が1年に相当するという原則に基づいて)「四十二か月」(3年半)の間、つまりキリストの文字どおり3年半の公生涯とそっくり同じ預言的期間、行使したと記されています。

問5 
黙示録13:11〜17を読んでください。陸の獣は、ここでどのように描かれていますか。

この陸の獣は、聖霊が御自分にではなく、イエスに栄光をお与えになったように(ヨハ16:13、14)、海の獣に対する関心が増すような働きをします。また、聖霊が天から「火」を降らせるという力強い業をなさったように(使徒2:3)、陸の獣も似たようなことをします(黙13:13参照)。

「最後に、陸の獣は偽の五旬祭を演じる。その目的は何だろうか。この世に対して、偽の三位一体が真の神であると証明するためである」(ジョン・ポーリーン『終末時代について聖書が記していること』111ページ、英文)。

さらなる研究

終末の諸事件との関連で、とりわけ安息日の役割に関して、進化論の隠された意味についてさらにじっくり考えましょう。この理論の生みの親であるチャールズ・ダーウィンが進化論を促進した一つの理由は、(大争闘を理解せずに)彼が悪や苦しみと、慈悲や愛情にあふれた創造主という考えに折り合いをつけられなかったことでした。この思い違いのゆえに、彼は答えを求めて別の方向を見ました。ダーウィンが進化論を修正し、改訂していた19世紀半ばから後半に、神が一つの運動、つまり(ダーウィンの理論が支持するあらゆることに反対の立場を取る)セブンスデー・アドベンチスト教会を興されたことは、偶然の一致ではありません。創造論者の基礎となるものがその名前に明示されているアドベンチスト教会が、ダーウィンの理論が成長し、広まり始めたのとほぼ時を同じくして成長し、広まり始めたというのは、なんと興味深いことでしょう。

もしダーウィンが、エレン・G・ホワイトの次の短い文章を読んで信じていたなら、この世は、天動説や自然発生説以降、思想上の最も重大なしくじりを免れていたかもしれません。「地は罪ののろいにそこなわれたとはいうものの、自然はなお人類の教科書となるべきであった。自然はもう恩恵だけを表すことはできなくなった。いたるところに悪が存在し、地も海も空気もそのけがれた手にふれて毒されている。かつては神のご品性、すなわち善の知識だけが書かれていたところに、今はそれと共にサタンの品性である悪の知識が書きしるされている。いまや善と悪の知識を表している自然から、人は、罪の結果に対する警告を絶えず受けなければならなかった」(『教育』17ページ)。

実のところ、ダーウィンが進化という推論を考案したのは、神の御性質、御品性、私たちが住む堕落した世界などに対する誤解に基づいてのことでした。残念ながら、彼の理論の隠された意味は、とりわけ終末の危機の中で、人々をサタンの惑わしの犠牲者にすることでしょう。

*本記事は、『終末時代への備え』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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