バビロンと最後の戦い【終末時代への備え】#12

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今回の記事のテーマ

すでに述べたように、ヨハネの黙示録は、旧約聖書からそのまま採られた象徴や言葉であふれています。例えば、バビロンという名前は黙示録の中に6回登場しますが、それは、何百年も前に世界史から消え去ったネブカドネツァル王の古代の王国のことではありません。そうではなく、ヨハネは真理を表現するために旧約聖書の比喩を用いていたのです。この場合、バビロン(神の民を抑圧した巨大な政治的かつ宗教的な勢力)は、終わりの時に同じことをしようとする巨大な宗教的かつ政治的諸勢力をあらわしています。

同様のことが「ハルマゲドン」という言葉にも言えます。この言葉は黙示録の中にしか登場しませんが、「メギドの山」を意味すると思われるヘブライ語句に基づいており、その山は古代イスラエルのある場所を指します。ハルマゲドンに関しては非常に多くの推測が存在しており、多くの人が、この世の終わり近くにメギドのそこで激しい戦闘が起こると予想しています。

私たちは今回、バビロンとハルマゲドンに目を向け、聖書がこれらの象徴を用いて述べていることを学びます。

「怒りのぶどう酒」

問1 
ヨハネの黙示録の中でバビロンに言及している次の六つの聖句を読んでください(黙14:8、16:19、17:5、18:2、10、21)。旧約聖書に登場したバビロンの物語を心に留めるとき、これらの聖句は、終末の諸事件との関連で登場するバビロンについて、どのようなことを教えていますか。

聖書は二つの町、エルサレムとバビロンの物語だ、と言われてきました。エルサレムが、神と(聖書全体を通じての)神の契約の民の町をあらわす一方(詩編102:22〔口語訳102:23〕、イザ52:9、65:19、黙3:12)、バビロンは、抑圧、暴力、偽りの宗教、神に対するあからさまな反逆をあらわしてきました。

例えば、バベルの塔を考えてみてください(創11:9)。「バベル」に相当するヘブライ語は、王国の「バビロン」と同じ言葉です。Iペトロ5:13において、ペトロは「バビロン」の教会から挨拶を送っていますが、それは、現代のイラクにあった古代の王国の遺跡からという意味ではなく、間もなく教会の迫害者となるはずのローマからだと一般に理解されています。ヨハネの黙示録とその中に示されているローマの役割を踏まえると、それは興味深い呼称です。

問2 
黙示録14:8と18:3を読んでください。これらの聖句は、この世と神の民に対するバビロンの悪影響について、どんなことを明らかにしていますか。

ヨハネの黙示録の中で描かれているように、バビロンに代表される権力が、程度の差こそあれ、世界中に及ぶ腐敗させる影響力を持ち、非常に堕落していることは、疑いの余地がありません。「怒りを招くみだらな行いのぶどう酒」(黙14:8)という言葉は、偽りの教理、偽りの教え、堕落した習慣、そしてそれらからもたらされる最終結果を明らかに指しています。バビロンは、「すべての国の民」(黙18:3)に悪を広めてきた力です。それゆえすべての人は、自分が堕落しないように用心しなければなりません。

バビロンは倒れた

この世におけるバビロンの影響力が、どれほど腐敗しており、どれほど広範囲に及んでいようと、ヨハネの黙示録は、いつの日かそれが終わると教えています。

黙示録18:1〜10を読んでください。この聖句は「大バビロン」について教えています。バビロンが倒れることに関する第二天使のメッセージ(黙14:8)は、黙示録18:2において繰り返されています。それは、この存在がいかに堕落したかを表現しています。

「聖書は、主の再臨の前に、サタンが『あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを』もって働き、『自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれ』ない者は、『偽りを信じるように、迷わす力』を受けるに至る、と言っている(IIテサロニケ2:9〜11)。こうした状態になって、教会と世俗との結合がキリスト教国全体において完全に行われる時に、初めてバビロンの堕落は完全なものとなる。この変化は徐々に行われる。黙示録14:8の全面的成就は、まだ将来のことである」(『希望への光』1783ページ、『各時代の大争闘』下巻92ページ)。

「全面的成就」が今や果たされたのかどうかは、神にしかわかりません。しかし私たちにも、先の聖句によれば、霊的バビロンが自身の大いなる悪のゆえにいつの日か神の裁きを受けるということはわかります。「彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである」(黙18:5)。この表現は、古代バビロンに関する旧約聖書の言葉を反映しており(エレ51:9参照)、裁きの時が必ずやって来ることを意味します。

言うまでもなく、このような裁きがやって来ることは、驚くに当たりません。何しろ、古代のバビロンも裁きを受けたのですから……(ダニ5章参照)。聖書は多くの箇所で、バビロンを含むすべての人が、いつの日か自らの行為の釈明をしなければならなくなるだろう、とはっきり述べています。私たちクリスチャンには、その裁きにおいて味方になってくださる弁護者がいますが(Iヨハ2:1、ダニ7:22)、そのことを知っているのはなんと心強いことでしょう。さもなければ、私たちの運命は、バビロンの運命とさして変わらないかもしれません。

ハルマゲドン

多くのクリスチャンを含むたいていの人は、ヨハネの黙示録をよく知りませんが、黙示録の中の一つの象徴(あるいは、言葉)だけは、大衆文化の域に達しています。それが「ハルマゲドン」(黙16:16)です。世俗文化の中においてさえ、この言葉は、地球の運命がかかっている最後の戦いを象徴するようになりました。ハリウッドは、地球に衝突しようとしている巨大な小惑星についての映画『ハルマゲドン』を製作しました。ある程度、世界の終わりという考えは、世俗の人々の頭の中にもあるのです。

黙示録をよく知り、それを信じている多くのクリスチャンは、ハルマゲドンの戦いを、この世の終わり間近の中東における文字どおりの軍事衝突だとみなしています。一説によれば、2億人の軍隊がアジアから北イスラエルに侵攻するといいます。ほかの説は、世界のその地域におけるさまざまな軍事的、政治的衝突にこだわっており、それらの説の解釈によれば、こういった衝突がメギド周辺でのハルマゲドンという最終戦闘のお膳立てをするというのです。

しかし、聖書はまったく異なる描写をしています。聖書はハルマゲドンを、小競り合いをする国家間の最終的クライマックスではなく、宇宙規模の戦いの両陣営の最終的クライマックスとして描いているのです。それは宗教的争いであって、どれほど経済的、政治的な要素が関係するとしても、経済的争いや政治的争いではありません。

ハルマゲドンについて黙示録16:12〜16を読んでください。まず、ここでの言葉がいかに象徴的であるかに注目してください。竜の口、獣の口、偽預言者の口から出てくる蛙のような三つの霊(黙示録13章の諸勢力への言及です。ここでの「偽預言者」は、黙示録13:11の陸の獣を指しているに違いありません)……。「悪霊どもの霊」(黙16:14)が「全能者である神の大いなる日の戦い」(同)に出て行くとあるように、ここでも大争闘が見られます。どのような形でハルマゲドンが繰り広げられるにしても、それはキリストの勢力とサタンの勢力との世界的規模の紛争です。それは、黙示録のバビロンが現代のイラクの片隅での出来事について述べていないように、メギド周辺の地域紛争ではありません。

ハルマゲドンとカルメル山(その1)

それにしも、このハルマゲドンの大いなる戦いとは何でしょうか。第一に、この名前は「メギドの山」を意味しているようです。ただし、メギドとして知られる地域には山がありません。ところが、カルメル山がこの近くにあり、学者たちは、「メギドの山」という言葉がカルメル山を指しているとみなしてきました。

より端的に言えば、聖書の研究者たちは、カルメル山におけるエリヤとバアルの偽預言者たちとの物語を、黙示録13章で起きようとしていることの象徴、予型であると、これまでみなしてきたのです。

きのう触れたように、竜、獣、偽預言者に言及している黙示録16:13は、黙示録13章の諸事件(第9課で見た偽の三位一体)を指し示しています。

黙示録13章における問題は、13節、14節で山場を迎え始めるのですが、その時、第二の獣は超自然的な行為を行い、「人々の前で天から地上へ火を降らせ」(黙13:13)さえします。やがてこれらの出来事は、神とサタン、真の神を拝む者たちと「獣の像」(黙13:14)を拝む者たちとの間に、直接的な衝突を引き起こします。

問3 
列王記上18:1〜18を読んでください。ヨハネの黙示録で見られるように、終末の諸事件の中で明らかになる問題のいくつかを反映するどんなことが、この物語の中で起きていますか。

いろいろな意味で、私たちがここに見るのは、大争闘のありのままの描写です。エリヤは列王記上18:18で、その問題をとても簡潔に述べています。「〔人々は〕主の戒めを捨て、バアル〔偽の神々〕に従っている」。歴史を通じて、この悪は数えきれない形や方法であらわれましが、問題は常にこのことだったのではないでしょうか。私たちは、「天と地、海と水の源を創造した方」(黙14:7)を拝んでいるか、さもなければ、何かほかの人や物を拝んでいるのです。黙示録13章の状況とそこで繰り広げられている諸事件の中で、人々は主を拝む代わりに、獣とその像を拝んでいます。中立の立場はありません。私たちは神の側か、サタンの側か、いずれかにいます。そういうわけで、争点であるこの問題は、現在、またとりわけハルマゲドンの戦いにおいて重要です。その戦いでは、私たちがカルメル山上の物語で見るように、明確に区別されるからです。

ハルマゲドンとカルメル山(その2)

列王記上18:18〜40を読んでください。この物語は、大争闘が最終時代に山場を迎えるときに起きることを反映しています。カルメル山上の戦いは、神の預言者エリヤと450人のバアルの預言者との間の戦いでした(いかに悪人が善人よりも数で勝っていたかに注目してください)。それは、だれが真の神であるか—天と地を創造された神か、それとも「竜」(黙12:9)のもう一つのあらわれであり、竜がこの世を惑わすためのもう一つの手段にすぎないバアルか—を明らかにするテストでした。

バアルの預言者たちはバアルに、火を送って彼らの雄牛のいけにえを焼き尽くすようにと祈りました。彼らは朝から昼まで叫びました。「大声で呼ぶがいい。バアルは……恐らく眠ってい(る)……のだろう」(王上18:27)と、エリヤはからかいました。バアルの預言者たちは狂乱状態になり、剣で自分の体を切り、血を流すまでに至ります。こうして疲労困憊した彼らは、夕方の犠牲をささげる時刻にあきらめました。

エリヤのいけにえは水を三度かけられ、祭壇の周りの溝には水があふれました。彼は単純な祈りを神にささげました。すると神は、石の祭壇やその下の土も含めて、すべてをたちまち焼き尽くされたのです。バアルとは対照的な真の神の力が、今や明らかでした。

問4 
黙示録16:13、19:20、21を読み、これら三つの聖句をバアルの偽預言者たちの運命と比較してください。私たちはここに何を見ますか。

ハルマゲドンについてわからないことが残るとしても、私たちは今、少なくともその結果を知っています。神の敵は滅ぼされ、神と神の聖なる者たちは正当性を立証されるのです。

さらなる研究

「ハルマゲドンの戦いに関する物語のところどころで、恐ろしい生き物や醜い出来事が、しばしの間、後ろ舞台に引き下がり、より個人的な真理が垣間見られる。すでに触れたように、その一つが黙示録16:15である。『見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである』。この聖句は、実際にハルマゲドンという名前が出てくる聖書の中の唯一の箇所の真ん中に登場しており、イエスの再臨と終末の諸事件への個人的備えに関する新約聖書の多くの箇所と同じことを述べている。

もう一つのそのような聖句が黙示録17:14である。『この者たちは小羊と戦うが、小羊は彼らに勝つだろう。なぜなら、小羊は主の主、王の王であり、彼とともにいる者たちは、召され、選ばれた忠実な者たちだからである』(著者の私訳)。ここで終末の大戦争に参加するのは、武器で相手を滅ぼすことを第一の目的とした人々の軍隊ではなく、神の召しと選びに忠実であることを第一の目的とした人々の軍隊である。これは、国と反乱軍が戦うような戦争とは異なる種類の戦争なのである。私が繰り返し述べてきたように、ハルマゲドンの戦いとは、精神をめぐる戦いなのだ。それはまた、殺された小羊に対する心からの忠誠を求める召し(黙5:9、10、12、13:8)、つまり心をめぐる戦いでもある」(ジョン・ポーリーン『戸口に迫るハルマゲドン』193ページ、英文)。

*本記事は、『終末時代への備え』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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