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エステル記5章1―8節
5:1三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。王は王宮の玉座に座して王宮の入口にむかっていたが、 5:2王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。 5:3王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。 5:4エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。 5:5そこで王は「ハマンを速く連れてきて、エステルの言うようにせよ」と言い、やがて王とハマンはエステルの設けた酒宴に臨んだ。 5:6酒の時、王はエステルに言った、「あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。 5:7エステルは答えて言った、「わたしの求め、わたしの願いはこれです。 5:8もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしわたしの求めを許し、わたしの願いを聞きとどけるのをよしとされるならば、ハマンとご一緒に、あすまた、わたしが設けようとする酒宴に、お臨みください。わたしはあす王のお言葉どおりにいたしましょう」。
笏をのばし
三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。
エステル記5章1節
ここでエステルは「王妃の服を着」と書かれています。ここからも、エステルと侍女たちの断食がモルデカイと同じように、荒布をまとって行われたことがわかります(エステル書4章16節)。
こうして、霊的な備えをしたエステルは荒布から王妃の服へと着替え、王の前に出ていくのでした。
エステル記外典には、エステルが恐怖のあまり、王の前に出たときに倒れてしまう場面が描かれていますが、エステルの行動を見ると実際にそのようなことが起こっていたとしてもおかしくない状況であったことがわかります。
ある歴史家によれば、非公式なかたちでペルシャ王の前に出ることは無条件に禁じられていたわけではありません。もしそのような方法で王に近づくことが法に反する行為であったなら、その者は護衛の手で即座に処刑されていたことでしょう。しかし実際には、王が玉座に座しているときに限り、彼は王に謁見する事ができたというのです。すべては王の好意を得る事ができるかどうかにかかっていました。……、もし招かれざる客が入ってくると、護衛たちはやりを下げて、王の後方に整列します。王が暗殺される危険が絶えずあったので、王とその護衛たちはいつも警戒していなければなりませんでした。もし王が自分に近づいてくる招かれざる客に不快の意を示すなら、侵入者は護衛によって処刑されるのでした[1]。
2節でエステルは「王妃」と呼ばれていますが、王の怒りひとつで前王妃ワシュティ(ワシテ)は廃妃となり、またエステルの後にも女性たちが集められていることから、他の側室がいたことは大いに予想ができます(エステル書2章19節)。
エステルの地位は、あまりにも脆いものだったのです。加えて、暗殺未遂事件も起こったことから王の身辺警護は非常に緊迫したものであったことでしょう(エステル記2章21)。
そのような恐怖を持って近づいたエステルに対して、王は笏をのばし、エステルはその笏の頭に触っていきます。この行為は、王の権威を認めるものだったと考えられます。
国の半ばでも
「国の半ばでも」と言う言葉は東洋のていねいな誇張法の一つであって、額面通りのことを意味するものではありませんが、クセルクセス王の特徴を表していました[2]。
ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』115ページ
クセルクセル王(アハシュエロス)は欲しいものをすべて与えようと見栄を張ることがあったと、ヘロドトスは記述しています[3]。
この「国の半ばでも」という言葉は3回繰り返され、王のエステルに対する好意のあらわれが表現されています。
慎重なエステル
エステルは慎重に物事を進めていきます。彼女はまず酒宴の席に王を招待しましたが、これは異例なことでした。
このような招待は少し異例であったに違いありません。通常、王と王妃は別々に食事を取ります。しかし、それ以上に王妃が王のほかにもう一人、男性の客を招くのは異例中の異例で、招待を受けた者にとっては、高貴な好意に思えました[4]。
Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 479). Review and Herald Publishing Association.
もしかしたら、クセルクセス王はワシュティが自分の宴会への出席を拒んだことを覚えていたのかもしれません。そうだとしたら、このエステルの招待は異例さに加え、しかも直接エステルの口から招待されたために、王を驚かせ、興味をそそらせ、好意を抱かせたのではないでしょうか。
この王の関心の高さは、「ハマンを早く連れてきて、エステルの言うようにせよ」という命令からも見ることができます(エステル記5章5節)。王は国事に関わっているハマンに対して、このエステルとの酒宴を最優先にするようにと命じていくのです。
王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。
エステル記5章2節
「恵みを示し」と訳されている言葉は、原語では受動的な表現ではなく、「好意を勝ち取った」と言う能動的な表現が使われています[5]。
ここからも、エステルが衝動的に無計画に動いたのではなく、意図的に行動していったことがわかります。
さらなる慎重さ
エステルは慎重に慎重を重ねて計画を進めていきました。
王はエステルの思惑を感じ取っており、祝宴への招待は一種の社交辞令であり、エステルから何かしらの請願があることを悟っています(エステル記5章6節、7章2節)。
ところが、エステルは2回めに王から「欲しいものを与えよう」と言われた時も、もう一度酒宴に誘うのでした。
ある学者はエステルがこのような状況で自分の要求を遅らせることは「心理学的に最もあり得ない」ことであるとしています[6]。
しかし、結果として、エステルがもう1日遅らせて自分の要求を伝えたことは、王の心に訴えかけるのに最適な方法でした。
もしかすると、これによってクセルクセス王は、エステルの訴えがある日突然出てきた感情的なものではなく、熟慮された訴えであることを認めたのかもしれません。
あるいは、これらのエステルの不可解な行動は王の関心を高め、さらにはエステルから重大な訴えがくることを悟らせ、王の心を備えさせる効果があったのかもしれません。
まとめ
エステルが当面して危機は、真剣な努力を急速にする必要があった。しかしエステルもモルデカイとともに、神が彼らのために大いなる働きをして下さるのでなければ、彼ら自身の努力は無益なことを知っていた。そこでエステルは、力の源であられる神と交わる時間をとったのである[7]。
エレン・ホワイト『国と指導者』下巻、206ページ
こうして、エステルは神と交わった後、計画を熟考し、行動に出たのでした。わたしたちはエステルのような思慮深さを持って行動しているでしょうか? それとも、感情的に性急な決断をしてしまっているでしょうか?
参考文献
[1] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』114ページ
[2] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』115ページ
[3] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』115ページ
[4] Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 3, p. 479). Review and Herald Publishing Association.
[5] Bush, F. W. (1996). Ruth, Esther (Vol. 9, p. 404). Dallas: Word, Incorporated.
[6] Bush, F. W. (1996). Ruth, Esther (Vol. 9, p. 405). Dallas: Word, Incorporated.
[7] エレン・ホワイト『国と指導者』下巻、206ページ