【アモス書】預言者でない預言者【1章解説】#1

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この記事のテーマ

アモスとは誰か。どんな訓練を受けたか。この信徒説教者に宗教、政治の指導者を非難する権限を与えたのは誰か。彼の時代、対決した指導者はどう語ったか。なぜ神は彼に使命を託したのか、などを学びましょう。

アモスは神の言葉を語り、多くの反対と批判に遭遇しました。神のために働く大祭司アマツヤの強い攻撃を受けましたが、彼は敢然としてメッセージを語り続けました。これが預言者の生き方です。使命を伝えるために主によって召されたのに、同じ主のために働く人たちの反対に遭う――アモスは預言者であるよりセールスマンの方が楽だと思ったかもしれません。彼の働きは決して容易なものではありませんでした。その背景を理解するときに、私たちは「重荷を負う者」という彼の名の意味を理解することができます。

預言者でない預言者(アモ1:1、7:14)

家畜を飼い、いちじく桑を栽培することから、一国の政治的、宗教的指導者の前に立って、その罪を非難し、神の裁きについて警告することは大きな人生の変化でした。この任務をさらに困難にしたのは、アモスが国家的な豊かさと繁栄の中にあったことです。そんな時に悲観的な預言者の不吉な言葉を聞きたいと思う人はだれもいません。しかしこれが「テコアの牧者」アモスのしたことでした(アモ1:1)。既成の体制にあえて異議を唱えた、この卑しい、無学な若者とはどのような人物だったのでしょうか。これほどの力と権威をもって語る権利を彼に与えたものは何だったのでしょうか。

問1

アモス1:1は彼の召し、職務という序言ではなく、直ちに「アモスの言葉」とあり、警告の使命が続きます。この辺の事情は1:3、6、9、11、13、2:1、6に見つけることができますが、彼の召命、権限はどこから来ていますか。

アモス書には、アモス自身のことはほとんど記されていません。7章でも、基本的には、彼が1章1節で述べていること、つまり彼が牧者また「いちじく桑を栽培する者」(アモ 7:14)であることが繰り返されているだけです。しかしながら、彼はここで自らの任務を正当化し、主が「わが民イスラエルに預言せよ」(15節)と言われた、と述べています。それ以上に何が必要だったでしょうか。神が彼を召された――重要なのはそれだけでした。

アモスは、「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない」(アモ7:14)と言っています。「預言者の弟子」とは、サムエルによって始められた預言者の学校で教育を受けた人たちを指します。つまり、アモスは「プロの預言者」ではありませんでした。しかし、そのようなことはアモスにとっては問題外でした。アモスを使徒パウロと比較してください。パウロ書簡の冒頭の数行を読んでみてください(ロマ1:1、2、ガラ1:1、Iコリ1:1参照)

現代と似た時代

「彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ/悩む者の道を曲げている。/父も子も同じ女のもとに通い/わたしの聖なる名を汚している」(アモ2:7)。

アモスが生きたのは平和と繁栄と快楽に満ちた時代でした。イスラエルはヤロブアム2世のもとで権力の絶頂にありました。ぜいたくと放縦に満ちた生活をする裕福な人々がかつてないほどに増えました。安楽と浪費に満ちた彼らの生活は貧しい人々の苦しみとみじめさとは対照的でした。田舎が見捨てられ、都市は急速に発展し、裁きは不正に満ち、政治は堕落し、正義は笑いものとなっていました。強奪、犯罪、憎しみが至るところに見られ、女性たちは気ままに生活し、高価な着物を着ていました。飲酒がはやり、犯罪と不法が増加し、不道徳、近親相姦が普通になり、強盗や殺人がひんぱんに起こりました。人は信心深いように見えながら、実際には神を否定した生き方をしていました。さまざまな宗教の中で最大のものは自己崇拝でした。切迫した破滅の前兆がありましたが、脅威は去ったかのように見えました。

問1

アモスの時代は現代と同じ下記の問題を抱えていました。こうしたことに悩む人々に聖書やキリストはどのような解決、いやしを与えることができるでしょうか。

  • 快楽と堕落に導く繁栄
  • 利己心,悪にふける
  • 不正
  • 犯罪と不道徳

国家も個人も、試練と騒乱の中にあるときほど福音に心を開きやすいことがわかります。福音を受け入れないのは、むしろ人生が順調、資産が豊富、経済が好調なときです。

政治的背景(列王上12:25~33)

アモスはヤロブアム2世がイスラエルを統治した紀元前 760年ごろに働きました。彼は大地震が現地を襲った 2年ほど前に働きを開始しました。地震の規模はおそらく1906年のサンフランシスコ大地震、1999年のトルコ大地震に匹敵するものであったでしょう。人々はその地震から何年目というように年代を数えたのですから、よほどの大きな災害だったことがわかります。

「ヤロブアム2世の統治期、イスラエルはその絶頂に達していました。……ヤロブアムはシリアを破り、北王朝は最初の統一時代の最北端国境まで領土を拡張していました。……ユダに関して言えば、ウジヤ王はエドム人とペリシテ人を征服し、アンモン人を屈服させ、農業と国内産業を奨励し、大規模で強力な軍隊を組織し、エルサレムを要塞(ようさい) 化しました。……

外見上、イスラエルは外敵からは安全、内部的には強力だったので、全く危険や滅びを予期していませんでした。確かに新興アッシリアは注目を引く存在でしたが、アッシリアがイスラエルを攻撃することはありそうに見えませんでした。繁栄にありがちな高慢、ぜいたく、利己心、圧制の実が、どちらの王国にも完全に熟しつつありました。しかしながら、状況はイスラエルにおいては、初代の王ヤロブアム1世の制定した子牛礼拝のゆえに、いっそう悪化していました(列王上12:25~33参照)。アモスとホセアが特に北王国に対して預言するように命令されたのは、明らかにこの子牛礼拝のためでした」(『SDA聖書注解』第 4巻953,954ページ)。

問1

アモスだけが政治、宗教の堕落時代に預言者としての働きをしたのではありません。彼のような立場に立った他の預言者を挙げてください。彼らはどんな罪を指摘したでしょうか。

アモスの見た幻(アモ8:1)

アモスは羊飼いが軽蔑の目で見られていた時代に羊飼いをしていました。彼はまた「いちじく桑を栽培する者」でした(アモ7:14)。彼は荒れ野の近くに住んでいました。そこの住民はすぐ北の地方の恵みにあずかることができませんでした。いちじく桑の「実」は貧しい人々の食糧でした。それを「手入れ」するために、アモスはナイフを持って木に登り、実の一つ一つに切れ目を入れました。切れ目を入れることによって、昆虫が実の中に入りやすくなると考えられていました。昆虫が実の中で卵を産むと、実の熟成が早まり、おいしくなるのです。アモスは荒れ野で育った田舎者でしたが、自分の経験に基づいて、人々の過ちをはっきりとした言葉で描写しました。

問1

次の聖句を読んで下さい。どのような象徴や例示を挙げていますか。3:124:95:196:12

アモスはなぜこのような例を挙げたのでしょうか。福音伝達においてこうした例示はどのような役目をするでしょうか。自分に与えられたメッセージをこうした象徴や例示を用いた人がいますか。

言葉は力強い道具です。人間は言葉で考え、言葉で意思を伝え、言葉で周囲の世界を理解します。箴言によれば、私たちの言葉は人を生かし、また殺します。ヨハネがイエスを「言((ことば) ロゴス)」と表現したことには理由がありました(ヨハ1:1、14)。アモスは自分の語る言葉の重要性をよく知っていました。もし彼が正しく言葉を選ばなければ、魂が滅びるかもしれないのです。とすれば、伝えるべきメッセージを持つ私たちは自分の用いる言葉に十分注意する必要があります。

「定められたこと」を示される主

「まことに、主なる神はその定められたことを/僕なる預言者に示さずには/何事もなされない」(アモ3:7)。

何と素晴らしい約束でしょう。ヘブライ語で読むと次のようになります。「主なる神はその定められたことを僕なる預言者に示さずには一つの事もなされない」。神は、(アモスの場合のように)特に裁きに関連して、人々にメッセージを伝えるべき預言者に「その定められたこと」を示すまでは「一つの事」もなされない、と約束しておられます。

問1

現代とは違うアモス時代の特殊な背景の中で、神はこの聖句を通して何を語ろうとしたのでしょうか。

キリスト教は啓示された宗教です。言い換えるなら、神は私たちの本当に知る必要のある事柄を啓示してくださるということです。神は私たちが自分でそれを探し出すままにはされません。神は私たちの知る必要のあることを教えてくださいます。神が伝えようとしておられることは、私たちが自分で理論づけするにはあまりにも重要すぎるからでしょう。アモスのメッセージに関して言えば、主はまず人々に警告を与えることによって、裁きを逃れないまでも、その備えをする機会を与えてからでなければ、これらの恐ろしい裁きを人々に下されませんでした。

問2

歴史の中で神は来るべき裁きと滅びから人々を救うために特別な預言者を選び、特別なメッセージをお語りになりました。厳しい、鋭い、恐ろしい言葉と内容の中で、罪人への愛はどのように伝えられたのでしょうか。

まとめ

“「重荷を負うもの」アモス”は人々が負うことを望まないようなメッセージを伝えました。彼は神に召され、とにかくそれを伝えました。世の信任もなく、地上の支持もなく、彼はどんなに苦痛であろうと、感謝されまいと、言うべきことを語ったのでした

「イスラエルが、アッスリヤに捕囚になる前の50年間の罪悪は、ノアの時代、またその他、人々が神を拒否して、全く悪行にふけってしまった各時代の状態とよく似ていた。自然の神よりも自然をあがめ、創造者の代わりに造られたものを礼拝することは、常に最も卑しい罪悪に人間を陥れた。こうして、イスラエルの民は、バアルとアシタロテを礼拝して、自然の力に最高の敬意を払い、人間を向上させて、高尚にするあらゆるものから関係を絶ち切って、やすやすと誘惑のえじきになってしまった。誤った礼拝に陥った人々は、心の防備がくずれ去って、罪に対する防壁を失い、人間の心の邪悪な欲望に負けてしまったのである」(『国と指導者』上巻 249ページ)。

ミニガイド【預言者アモス】

アモスという名前には「荷物を持つ、担う、運ぶ」という意味があります。そこで彼は「重荷を担うもの」と呼ばれています。エルサレムの南、死海が見える小さな村テコアで、彼は羊飼いをしていた貧しい牧童で、季節によってはいちじくなどの栽培もしていたようです。神の召しがどのようにあったのかは聖書にありませんが、専門的な教育も訓練も受けたことのない一人の信徒が召されて、ユダの地から北の国イスラエルに行き、そこで神の重大な警告の使命を伝えるように命を受けたのでした。

「神の憐れみの警告を受けるとすぐにアモスはユダを離れてイスラエルに行き、子牛を祭った主要な神殿と王の夏宮殿のあったベテルに働きの拠点を置いたと思われます。彼はそこで子牛礼拝を非難しました。彼は偶像をあがめる大祭司アマツヤの反対に遭い、“危険な謀反(むほん) 人”として王の前で攻撃されたのでした」(『SDA聖書注解』第 4巻 953ページ)。

ミニガイド【時代背景】

ヤロブアム2世(1世は王国分裂時のイスラエル初代の王)の時代は領土が拡大した隆盛最高期で、繁栄と贅沢が(ぜいたく) 特徴です。しかし、ひるがえせばそれは道徳的な腐敗の絶頂を意味し、強盗、不義、圧迫、略奪、姦淫(かんいん) 、殺人といった犯罪がみなぎり、とくにアモスが活躍の拠点としたベテルは子牛礼拝(列王上12:25~33)が盛んで、この他にバアル崇拝など、憎むべきカナンの悪習も行われていました。神は先にイスラエルに預言者エリヤ、エリシャを送り、またヨナを遣わしましたが、悔い改めることをせず、国は滅亡に向けて突進している状態でした。神は破滅への道を止めるべくさらに二人の預言者を送りました。アモスは神の正義をテーマに、そしてホセアは神の愛をテーマに、「神に帰れ」とのメッセージを伝えたのでした。ところがこうした働きも無視される状態で、アモスのあとにイザヤ、ミカがイスラエルに遣わされます。

紀元前722年、イスラエルはついに警告の預言通り、アッシリア帝国の残忍な王シャルマナサル、そしてサルゴン2世の攻撃を受けて悲劇的な滅亡を迎え、イスラエルの最後の王ホシェアは捕囚となりました。アモスの時代から約30年後のことです。(列王下 17章参照)

*本記事は、安息日学校ガイド2001年4期『アモス書 主を求めて、生きよ』からの抜粋です。

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