【アモス書】隣国の罪【1章解説】#2

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アモスはなぜイスラエルの近隣諸国への警告を持って働きを始めたのか。多民族の特異な罪、“書かれた律法”を持たない異教徒への刑罰の基準などを学びます。

アモスは宣教師となって南王国ユダから北王国のベテルへ旅し、イスラエルの民に神の譴責(けんせき) の言葉を伝えました。彼はヤロブアムの神殿を、偶像崇拝を、イスラエルの表面的な宗教を強く、あからさまに攻撃しました。普通ならイスラエルの祭司、支配者たちは次のように答えたことでしょう。「ユダ人よ、帰れ!お前は自分の国の問題だけを考えていろ。なぜここまで来て、われわれを煩わすのか」。

アモスは興味深い、機転のきいた方法で神から与えられたメッセージを伝えました。ある聖書注解者によると、アモスがベテルに現れたのは宗教的な祭りの日で、大声で周辺諸国の罪を非難することによって群衆の関心を引きつけたというのです。シリヤ(ダマスコ)、ペリシテ(ガザ)、フェニキア(ティルス)、エドム、アンモン、モアブを責め、ユダの罪を列挙します。裁きを宣告するアモスに対して、「アモスよ、彼らにそのように告げよ!」と叫ぶ群衆の叫び声が今にも聞こえてくるようです。しかしイスラエルの罪が指摘されて自分たちに向けられると、歓迎の声がやみます。今も昔も同じです。

ベテルの騒動(アモ1:3、6、9、11、13、2:1、4、6)

世の中で一番だましやすいのは自分自身です。他人の失敗に対して寛大、正直、公正であることはそれほど難しくありませんが、自分自身の問題となると、事はそれほど簡単ではありません。人間は自分自身をだます能力に長(た) けています。私たちは自分をいつも身近に見ているので、自分をありのままに見ることが難しいのかもしれません。いずれにしても、自分と正直に対峙(たいじ) すること、特に自分の失敗をありのままに受け入れることはいつも苦痛を伴います。アモスがすぐにイスラエル人と対決しなかったのはそのためでしょう。むしろ、彼はイスラエルの周辺諸国の罪を列挙し、彼らに下る裁きについて警告しました。偶像崇拝の中にありながらも、人々はアモスの語ることに耳を傾け、理解しました。それどころか、彼らは異教徒に対するアモスの警告に声援を送ったことでしょう。しかし、そうすることによって、彼らは結局、自分自身の罪を認めたのでした。

問1

ダビデ王の罪を告発した預言者ナタンの物語とアモスとの共通点を考えてみましょう(サム下 12章)。

詳しいことは書かれていませんが、自分たちの罪が攻撃され始めると、人々はアモスを称賛するのをやめました。「イスラエルの三つの罪、四つの罪のゆえに/わたしは決して赦さ(ゆる) ない」(アモ2:6)。

アモスは力強く、率直に、イスラエルの不正、残忍、近親相姦、ぜいたく、偶像崇拝、貧しい人々に対する搾取を(さくしゅ) 告発しました。これらの罪をいっそう重くしたのは、近隣諸国とは異なり、彼らの中に豊かに光と真理を与えられた人たちがいたことでした。

契約履行に関する訴訟(アモ1:3~2:16)

イスラエルとその周辺諸国の罪を告発するこれらの長い詩文体の聖句は「契約訴訟における申し立ての形式を取っている」(T・E・マコミスキー『小預言書注解―アモス書』第1巻318,319ページ)と思われます。第 1章と第 2章に見られる契約訴訟は次の各要素によって構成されています。

  • 原告と裁判官の紹介
  • 被告の紹介
  • 告訴状
  • 判決

アモスが周辺諸国に「主は言われる。……の三つの罪、四つの罪のゆえに……赦さない」と繰り返して語る言葉に契約履行に関する訴訟が表されています。

構成を見ると、神がイスラエルと同様、他の諸国民とも契約を交わしておられたことがわかります。主の言葉はすべての時代の、すべての人に当てはまります。神は初め被造物全体と契約を交わし、その後、ノアと再創造の契約を交わされましたが、それはすべての民に受け継がれてきました。モーセの時代、主はイスラエル人と特別な契約を交わしました。やがてそのイスラエルの民が神の契約の祭司・仲介者としての役目を諸国民に果たしたのです。

今日、キリストは人種・国籍にかかわりなく彼を受け入れるすべての人に新しい契約の祭司・仲保者としての役目を果たしておられます。アモス書1、2章を見ると、神が故意に悪を行うことに関してすべての国民にその責任を問われることがわかります。

周辺諸国に対する告発(アモ1:3~15)

「わたしはハザエル(ダマスコ王家)の宮殿に火を放つ」(アモ1:4)。罪のゆえに神に罰せられることになっていた最初の三つの国民は、イスラエルと近接していたシリアとペリシテとフェニキア(ティルス)でした。これらの国民は神の怒りを招くようなどんなことを行ったのでしょうか。ダマスコは隣国の一つに対して暴虐を行ったゆえに(3節)、またガザとティルスはある種の奴隷貿易のゆえに断罪されています(6、9節)。

彼らが処罰されたのは偶像崇拝や偽りの神への礼拝、あるいは貧しい人々への不敬、とういうことでない点です。彼らの断罪は、最も基本的な人権を踏みにじったことによります。

問1

聖書によれば罪は律法によって知ると教えています(ロマ3:20)。十戒を与えられなかった他国民は彼らの罪に責任があるでしょうか。ローマ 2:12~16を読みながら考えてください。

十戒を与えられたのは古代イスラエルだけですが、善悪に関する同じ原則を信じていた国民の例は古代世界にいくつも認められます。たとえば、十戒を聞いたことのないはずのアリストテレスは『倫理学』という書を著し、その中で盗み、姦淫、殺人に加え、「ねたみ」、「悪意」、「恥知らず」を罪悪と見なしています(山上の説教と似ています)。聖書そのものにも、ある程度、基本的な道徳原則を理解していた異教徒の例があげられています(創世12:10~20)。また、もしソドムとゴモラの住民が善悪についての知識を持っていなかったら、神は彼らを正しく裁くことがおできにならなかったはずです。

イスラエルの身内に対する告発

「彼らが剣で兄弟を追い/憐れみの情を捨て」(アモ1:11)。

ダマスコ、ガザ、ティルスに加えて、エドム、アンモン、モアブ、ユダも断罪されています。その違いは、後者がみなイスラエルの身内であることです。エドム人はエサウの子孫であり、アンモンとモアブはロトと二人の娘たちとの近親相姦による子孫です。ユダはかつてイスラエルと一つの間柄でした。

彼らが断罪されている理由にもう一度注目してください。エドムは「剣で兄弟を追い/憐れみの情を捨て」(11節)、アンモンは「ギレアドの妊婦を引き裂き」ました(13節)。モアブはエドムの王を冒涜(ぼうとく)するような行為を犯しました(2:1)。

問1

アモス2:4、5を読み、ユダの民が断罪された特殊な罪を挙げてください。

ユダの隣国が罰せられたのは、妊婦の腹を引き裂き、人々を奴隷として売り渡し、剣をもって人々を撃ち殺したためでした。しかし、ユダが罰せられたのは、神の律法を軽んじ、戒めに背き、偽りに従ったためでした。

このことは何を意味するのでしょうか。ユダの罪が周辺諸国のそれと全く異なっていたのはなぜでしょうか。イエスは「多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(ルカ 12:48―ヨハ 19:11参照)と言われましたが、知らない方が得なのではありません。責任を伴うことを教えられたのでした。

イスラエルへの勧告(アモ2:6~16)

「彼らが正しい者を金(かね) で……売ったからだ」(アモ2:6)。アモスは周辺諸国から始めて、次に遠くの身内、それから近くの身内、最後にイスラエル自身の罪を糾弾(きゅうだん) しました。

問1

アモス 2:6~8を読み、イスラエルの罪を列記してみましょう。

正義が金によって曲げられ(6節)、貧しい人々が抑圧され、性ぼうとくがゆがめられ、宗教が冒されていました(8節)。

「預言者たちは、その時代のはなはだしい圧迫、悪評高い不正、異常なまでの華美(かび) とぜいたく、恥を忘れた宴楽と酔酒、野卑な放蕩と(ほうとう) 堕落に対して、その声をあげたのであるが、彼らの抗議も、彼らの罪の告発も、その効果がなかった。『彼らは門にいて戒める者を憎み、真実を語る者を忌(い) みきらう』。『あなたがたは正しい者をしえたげ、まいないを取り、門で貧しい者を退ける』とアモスは言った(アモス書 5:10、12)」(『国と指導者』上巻249,250ページ)。

豊かに光を与えられていたイスラエルの民は、なぜこれほどまでに堕落したのでしょう。その答えを見いだすことは必ずしも容易ではありません。彼らは創造主との日ごとの歩みを捨てました。その結果、創造主の代わりに被造物を拝むようになりました(ロマ1:25)。彼らの道徳観は堕落し始めました。人間は自分の拝む神々以上のものにはなり得ないからです。子牛を拝んでいる限り、道徳的高みに到達することは期待できません。

まとめ

アモスは鋭いメッセージを、機知をもって伝えました。まず近隣諸国の罪から始めて、イスラエルへの警告の門を開いたのでした。アモスは、すべての国民は裁かれると言いましたが、それぞれ与えられた光に応じて裁かれる点を訴えたのでした。特権には責任がともないます。このことは私たちアドベンチストとして決して忘れてはならない教訓です。

「主は、世々にわたって、かたくなな神の民を耐え忍んでこられた。そして、今でさえ、大胆不敵な反逆にもかかわらず、喜んで彼らを救おうとする神としてご自身をあらわすことを好まれたのである。……国中に広がった罪悪は、どうにもできなくなった。そして、イスラエルには、恐るべき宣告が下された。『エフライムは偶像に結びつらなった。そのなすにまかせよ』(ホセア書4:17)。イスラエルの十部族は、今や、ベテルとダンに別の神のための祭壇を築いたことから起こった背信の実を刈り取らなければならなかった」(『国と指導者』上巻252,253ページ)。

ミニガイド【預言者】

預言者は超自然的な方で神に召され、神のために語るスポークスマンとしての責任を果たす職務を帯びています。祭司は民の代表として神に語り、儀礼、儀式をつかさどり、仲保の仕事をする世襲の宗教家です。預言者は義の教師であって霊的な教えに徹し、道徳的事物を指導し、教訓、勧告、警告などの使命、また将来に関する預言を語る宗教改革者的な存在です。ただしモーセも預言者と呼ばれましたが(申命34:10、18:15)、ほとんど将来について語ることはせず、出エジプトのリーダーとしての働きをしました。「預言者」を構成するヘブライ語には「見る」「語る」という語幹があり、前者は明らかに未来を語る預言者、後者には神に召されて発言する運動や団体の指導者を表すと考えられています。預言者は異なった背景から神に直接召されますが、エレミヤ、エゼキエルは祭司であり、イザヤ、ダニエル、ゼファニアは王族出身、そしてアモスは羊飼いでした。

旧約の小預言者たちは分裂したイスラエルとユダ王国に対して働きました。彼らの使信は次の点を主題にしていました。(1)民族を偶像礼拝と悪より救うために警告を伝える(2)悔い改めなければ、民族滅亡という危機を宣言する(3)神は残りの民を救いたもう(4)滅びのメッセージだけに終わらず、つねに栄光を未来の幻に示す、というものでした。

*本記事は、安息日学校ガイド2001年4期『アモス書 主を求めて、生きよ』からの抜粋です。

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