【イザヤ書】厳しい道【7ー8章解説】#4

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「ニューヨークのハーレムの燃えさかるビルの4階の窓に、盲目の少女が取り残され座っています。消防隊員にとって、状況は絶望的でした。ビルの間は狭く、はしご車は入れません。救助用のネットを張っても、少女が飛び降りるのは無理でしょう。見えないのですから。

少女の父親がようやく到着し、下にはネットがあるから合図をしたら飛び降りなさいと拡声器を使って叫びました。少女は飛び降りました。四階の高さから。しかも、彼女は完全にゆだね、力を抜いていたので、骨1本折れず、捻挫さえなかったのでした。彼女は父親を完全に信頼し、父親の言うことは最善だと信じていたので、飛び降りることができたのでした」(マイケル・P・グリーン編『説教のための1500の例話』135ページ、英文)。

同じように、神はご自分の子らに、主がお望みになることが最善であることがわかるように、明白な証拠をお与えになりました。しかし、彼らは、最初の流れるような優しい神の声を拒みました。そこで神は代わりに、大水のとどろきと洪水のような声をもって、彼らにお語りになったのでした。

今日、私たちは、彼らの失敗から何を学ぶことができるでしょうか。

実現した預言(イザ7:14~16)

イザヤ7:14~16で、このしるし、「インマヌエル」は、アハズ王が抱えていたジレンマと関係があります(イザ7:16)。これは、シリアと北イスラエルの領土と王たちを指し(同1、2、4~9節)、彼らの権力が間もなく消滅するという神の約束を繰り返しています。

問1

イザヤはなぜ、幼子が食べる「凝乳と蜂蜜」に言及しているのでしょうか(イザ7:15)。

ユダの農作物と畑は、アッシリア人によって荒らされます(イザ7:23~25)。そこで、人々と旧約聖書の「インマヌエル」は(同14、15節)、遊牧民の食事に戻ることになります(同21、22節)。しかし、貧しくても生き延びるに十分な食事が与えられます。

問2

シリアと北イスラエルについてのこの預言は、いつ成就しましたか(王下15:29、30、16:7~9、代上5:6、26)。

この預言が、紀元前734年頃イザヤに与えられました。ティグラト・ピレセル3世は、アハズ王の賄賂に応えて、かねてからの計画を実行します。彼は北の連合軍を破り、ガリラヤと北イスラエルのヨルダン川東岸地方を征服し、住民の一部を国外に退去させ、征服した領土をアッシリアの属州にします(前734~733)。ホシェアがペカ王を暗殺し、降伏して貢ぎ物を納めたので、イスラエルの残りの民は生き延びました。ティグラト・ピレセル3世は、紀元前733年と732年にシリアの首都ダマスコを征服します。その後、彼はシリアをアッシリアの属州にします。このように、イザヤの預言から約2年後の紀元前732年までに、シリアとイスラエルは決定的敗北を喫し、アハズを脅かした2人の王の時代は完全に終わります。

アッシリアは、紀元前722年にサマリアの首都を占領し、何千人ものイスラエル人をメソポタミアとメディアに追放します。そこで彼らは、最終的に地域住民に吸収され、そのアイデンティティー(独自性)を失います(イザ7:8参照―65年たてばエフライムの民は消滅する)。

予見された結果(イザ7:17~25)

問3

イザヤ7:17~25を読んでください。ここでは、主はユダの地に何が起こると言われていますか。なぜこのような出来事は、当然と言えるのでしょうか。

「招きの声が次から次へと誤りに陥ったイスラエルに送られて、主に忠誠をつくすように訴えた。預言者たちは、慈悲深く人々に訴えた。彼らが、人々の前に立って、熱心に悔い改めと改革を勧告した時に、彼らの言葉は実を結んで神の栄光をあらわしたのである」(『希望への光』512ページ、『国と指導者』上巻289ページ)。

こうして、信仰よりも恐れが先立つアハズ王にとって、神が預言されたことのうち、シリアとイスラエルが滅びるということは、彼にとって良い知らせでした。しかし、同盟を組むために「友」として選んだアッシリアが、シリアやイスラエルよりもはるかに危険な敵になるだろうということは、悪い知らせでした。神が無償で提供された救いを拒んだ時、アハズ王の敗北は確かなものとなりました。自分の国が傾き始めたとアハズ王が感じた時、事態はすでにひどいものでした。

「君侯に頼らず、主を避けどころとしよう」(詩118:9)。アハズ王は、ティグラト・ピレセル3世が、北の国々だけを取って、ユダをそのままにしておくと考えたのでしょうか。アッシリア王の年代記などの記録を見ると、アッシリアの王たちの権力への飽くなき欲望が証言されています。

問4

列王記下16:10~18と歴代誌下28:20~25を読んでください。アハズ王の身に何が起こりましたか。そこに、どんな霊的原則を見ることができますか。彼の行為は、なぜ当然の結果と言えるのでしょうか。

歴代誌下28:20~23には、アハズ王が主に頼らずアッシリアに助けを求めた結果を如実に記録しています。

名前の意味するもの(イザ8:1~10)

イザヤの2番目の息子と野球をしていると想像してみてください。彼の名前があまりにも長いので、「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ、こっちにボールを投げてくれ!」と言っている間に、相手に点を取られてしまいそうです。しかし、それ以上に長いのがその名前の意味です。「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」

問5

この名前は、明らかに迅速な征服を意味していますが、だれが攻めてくるのでしょうか(イザ8:4)。

イザヤ8:1~10は、7章の内容を補強しています。子どもが物心つく前に、シリアの首都と北イスラエルからの戦利品がアッシリアに運び去られます。さらに、神の保証のメッセージを拒んだユダは、アッシリアの大軍という激流にのみ込まれます。

アハズがアッシリアに頼ったために、北イスラエル同様、ユダについて予告するイザヤの息子たちの名前は、「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」、しかし「残りの者は帰る」と告げるのです。なぜ希望があったのでしょうか。それは、アッシリアの激流がインマヌエルの地にあふれたとしても(イザ8:8)、彼らには、「神が我らと共におられる」(同10節)という約束があったからです。これこそが、イザヤ書全体を貫くテーマです。ユダとその他の国々において、神の敵に裁きが下ることがあってもなお、戦禍や苦難、そして捕囚から彼らを救い出し、主は忠実な残りの民と共におられ、彼らに故国を回復してくださるのです。

問6

イザヤはなぜ、彼の子どもの名を正式に記録したことや、「女預言者」との関係についてまで、私たちに語っているのでしょうか(イザ8:1~3)。

この息子にかかわる時間の流れは、しるしとして重要な意味を持っていました。「インマヌエル」としてのしるしと同様、彼が母の胎に宿り、そして生まれた時から、アッシリアがシリアとイスラエルを打ち破るまでの期間は、この子がお父さん、お母さんと呼ぶまでの期間よりも短いというのです(イザ8:4)。イザヤが息子の名前を、その懐妊よりも前に正式に記録したのは、その子とその名前が人々の前に明らかにされ、引き続き起こる出来事によって、その名前の持つ預言的な意味が公に確認されるためでした。

神を畏れる者に恐れはない(イザ8:11~15)

アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトは、その就任演説の中で、大恐慌に打ちひしがれていた国民に向かって、次のように語りました。「我々が恐れねばならない唯一のもの、それは、恐れそのものです」(1933年3月4日国会議事堂にて)。意気消沈した民に語られたイザヤのメッセージは、「神ご自身を畏れるとき、私たちには何一つ恐れるものはない」と似たものでした。

神はイザヤに、民が恐れるものを恐れるのではなく、主を畏れるように警告されました(イザ8:12、13)。これは、聖書の重要なテーマです。たとえば、黙示録14:6~12では、3人の天使が全世界に向かって「黙示録13章に描かれた地上の獣の力をたたえ、恐れるのではなく、神を畏れ、その栄光をたたえなさい」と告げています。

問7

神を「畏れる」とは、どんなことでしょうか。神を愛しなさいとの戒めに照らして考えるとき、それは何を意味しますか(マタ22:37)。

神を畏れるとは、宇宙を支配される最終的権威として、神を認めることです。真の畏れは、他のどんな恐れにも打ち勝ちます。それがあなたのためであるなら、神の許しなしには、だれ1人あなたに触れることはできません。しかし、あなたが神に逆らい続け、ひとたび神があなたの敵になるなら、どんなに逃げても神から隠れることはできません。

問8

神を畏れなさいとの考えは、1ヨハネ4:18と矛盾するものでしょうか。

恐れには種類があります。畏怖するほどの権力を持った人があなたの友人で深い信頼関係があるなら、あなたを傷つける相手としてその人に恐れを感じたりはしないでしょう。しかし、あなたがその人との信頼関係に不安を感じているとすれば、その人物への敬意は、ある種の恐れに変わるかもしれません。

忘恩の民(イザ8:16~22)

問9

イザヤ8:16~22を読んでください。アハズ王について、どんなことを語っているでしょうか。

アハズ王は、異教の宗教と深くかかわっていました(王下16:3、4、10~15、代下28:2~4、23~25)。そして、これら異教の宗教は、神秘主義(オカルト)と非常に深く関わっていました(申32:17「彼らは神ならぬ悪霊に犠牲をささげ」、1コリ10:20と比較)。現代の多種多様な魔術は、聖書以外の古い文書からも明らかなように、古代中近東の習慣と驚くほどよく似ています。事実、今日のニューエイジ運動(新時代主義)の多くは、こうした古代の神秘主義的慣習の現代版とも言えるものです。

イザヤがここに描写している、主に頼らず、他の霊たちに頼ることの絶望的な結果は(イザ8:21、22)、まさにアハズ王に当てはまります(代下28:22、23と比較)。イザヤは、民は憤り、自分たちの王を呪ったと記しています(イザ8:21)。このことは、アハズ王が民を神秘主義に導いたことへの警告となったことでしょう。事実、アハズ王が死んだ時、その埋葬に際して、「その遺体はイスラエルの王の墓には入れられ」ず(代下28:27)、王にふさわしい敬意は払われなかったのでした。

問10

次の聖句は、神秘主義についてどのように命じていますか(レビ20:27、申18:9~14)。

神秘主義から離れることは、主に忠誠を尽くすことです。歴代誌上10:13、14は、この原則をサウル王の行いに適用しています。「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された」

さらなる研究

参考資料として、『各時代の大争闘』第34章「心霊術の正体」を読んでください。

「ヘブル人の時代にも、今日の心霊術者と同様に、死者と交通すると主張するある種の人々がいた。しかし、他の世界から来たといわれている『口よせの霊』が、聖書には『悪鬼の霊』と断言されている(民数記25:1~3、詩篇106:28、1コリント10:20、黙示録16:14と比較)。口よせの霊を呼ぶことは神が忌みきらわれるものと明言され、死の刑罰をもって厳しく禁じられていた(レビ19:31、20:27参照)。口よせという名称そのものは、今日では軽べつされている。人が悪霊と交わることができるという主張は、暗黒時代の作り話と考えられている。しかし心霊術は、幾十万、いや幾百万の信者をもち、科学者たちの仲間にも入り込み、諸教会に侵入し、議会の好意を得、王室にまでも侵入している。この巨大な欺瞞は、昔罪とされ、禁じられていた口よせが、新しく変装して復活したものにすぎないのである」(『希望への光』1869ページ、『各時代の大争闘』下巻310、311ページ)。

まとめ

神は、イザヤの言葉だけでなく、彼の行動や家族を通して、警告と希望のメッセージを強くお示しになりました。唯一の安全な道は、すべてをご承知の上で、人の歩みに介入しておられる神に頼ることです。神は、私たちを愛し、守り、導く力をお持ちであり、神のために用いる用意のある者たちには、その力をお与えになります。この力以外の力に頼るとき、そこには失望、落胆があるのみです。

*本記事は、安息日学校ガイド2004年2期『イザヤ わが民を慰めよ』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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