主イエスこそは最大の御方(ヨハネによる福音書1章1節〜18節)
今まで、教会の中でコオロギとか、他の昆虫を見たことがありますか。そして彼らの世界観はどんなものかを考えたことがありますか。彼らはこの世界をどんなふうに考えているのでしょうか。教会に生息しているコオロギに限って言えば、彼らの全世界といえば教会堂ということになるのでしょうか。夜になってから自分の娘を連れ出して天井を見上げながら、ごらんと語っている彼を想像できるでしょうか。その背中を羽で優しくなでながら嘆息します。「ああ、何という大きな傘の下で私達は生活していることだろう」。コオロギは彼の見上げた天井が世界のほんの一部であることを認識しているでしょうか。
コオロギはまた、恐らく、その望みも夢もごく限られたものしか持ち得ていないのだと思います。彼の最大の夢と言えばパンの一切れを見つけ出すことかもしれません。パイのかけらやそのジャムの滴りの中に囲まれているような夢です。コオロギ界の英雄と言えば、その素早さで知られ、目にもとまらぬ速さで部屋を横切れるコオロギ。バプテスマ糟の奥地まで探検してきた冒険家のコオロギ。巨大なキャビネットの縁歩きに挑戦し、また絶壁の窓枠や敷居の縁を飛び跳ねて行く勇気ある者たちなどです。
コオロギたちは一体どのような存在を礼拝しているのでしょうか。建築家などという者は存在しないと考えるのでしょうか。あるいはあるコオロギはその知能が進歩して、次のような思索的な質問をしてみるかもしれません。「この教会堂を超えた世界があるかもしれない。そして、そこには何か特別な生命体なるものがあるのだろうか」と。あるコオロギは命ある何者かが、この構造体を造ったに違いないと考えるのです。もしそうでなかったらあの電灯はどうやって灯るのだろうか。吹き出し口からの空気はどうやって吹くことになるのだろうか。この会堂一杯を満たす音楽はどうであろうか。コオロギたちが、その観察から感じ取った驚嘆すべきもろもろの事実からして、彼らにとっては、見ることも説明することもできないがその偉大な存在と考えられるものを、畏敬の念をもって礼拝するのです。
一方、他のコオロギはこの考えに同意しません。彼らは言います。「光は電気なるものの故に灯るのであり、空気の吹き出しは空調の故、そして音楽はステレオとスピーカーの故である」。また「この教会堂を超えた世界などはないのだ」などとも断言します。「私達がしなければならないことといえば、それは今見えている現実世界でどうしたら全てがうまく行くかを考えねばならないということなのだ」と。
これらのコオロギたちと同様、私たち人間も、誰であっても自分が見たり感じたりする五感で体験できる限界を超えた世界を想像することは困難です。私たちの誰もが、この世界を創造されたその御手を直接には見ておりませんので、今ここで見ている世界を超えて別な世界があり、また別な生命体があるなどと考えることは困難です。私共の現実世界を超えてあるべき目的などというものはないし、永遠の存在とか神といった要素もないのだとも考えることができます。建築家の存在を認めなかったコオロギのように私共も創造主を認めることを拒絶し得るのです。
これまでの考えに照らして見る時、ヨハネによる福音書の第一章はまさに驚嘆すべき内容を告げております。それはあたかも教会堂の建設者がコオロギになり、そのコオロギたちに、自分たちの限界内でしか捉え得ていなかったものより、真実は遥かに優って偉大なものであることを理解させようとしたということに似ています。本福音書の序論で、私達は自分たちの限界の部屋を超えた世界を一瞥させられ、創造主と共に、言わば万物の原点に触れさせられるのです。驚嘆すべきもろもろの事柄の中の、更なる驚き! 実に創造主御自身が天から降りてこられ、私共の間を歩まれ、私共の言語を学ばれ、そして神とはどのような御方かを人間の言葉でもって私たちに示してくださったのであるというのです。
ヨハネによる福音書の序論から
ヨハネによる福音書の序論の最初の部分(一ノ一~五)は、人間と共に住まれるために天から下って来られた御方の、その御性質と先在性とに焦点を合わせております。使徒ヨハネが本福音書を書いた時に用いた言語であるギリシア語では、この部分のメッセージは、真に判然としております。天地創造以前から、「言」(ギリシア語では「ロゴス」。主イエスを指す。訳者注)なる御方は既に存在しておられました。そしてこの御方は、十全の御神であられ、しかも父なる御神とは別な御存在であられます。そして、この「言」こそは創造の神であられ、どんな存在もこの御方を経ずして存在に至るものはなかったという使信なのです。
この序論の中の序文は、この地球上で生きられ、汗みどろになり疲れ切りもし渇きを覚えられた御方、ナザレ人イエスなる歴史上の人物こそ、実に、この世の始まる以前から御父と共にあられた御神であられたことを、私たちに気付かせる備えとなっております。人類の一員となり、人間の限界に従うようになられたとはいえこの御方こそが人類を創造し、またその住まいとなっているこの地球を造られた御方であったのです。
序論の真ん中の部分(一ノ九~一三)では、神であり、創造主なる「言」が天から下って来られてこの世界に入られたことを告げております。ほとんどの人間は、この御方を救い主としては受け入れませんでした。しかし、この御方を信じた者たちには神の子供となる力が与えられたのです! 超自然の創造の御力を持つ「言」なる御神が、新しい創造の働きをしてくださることにより、人間の努力とかその他いかなる人的計らいにもよらず、人には全く及びもつかない「新生」を伴った神の子となる経験が与えられていくのです。それ故、御神の子供になるということは、初めの創造の御業(一ノ一~三)と全く同様、奇跡の御業の結果なのです。従って、初めから終わりまで、クリスチャン人生は御神からの賜物なのです。
序論は更に、一四~一八節に見られるように、感動的な結論へと進みます。「言」なる御神は、過去も継続的に、永遠の昔からずうっと存在し続けておられたとはいえ(一節の「あった」の原語は過去の継続を表す動詞の時制。訳者注)、この御方が「肉と『なって』……」と一四節は言っております。原語のギリシア語では、この「なる」は、一章の三節や、創世記一章の創造の御業が成ることに関して用いられている用語と同じ言葉です(旧約聖書のギリシア語訳の七十人訳聖書では創世記一ノ一一、一五、三〇の「そのようになった」の「なった」が同じギリシア語である。訳者注)。「言」なる御神は「神と共に」あったことから、「わたしたちの間に」宿られることとなられました(一ノ一、二、一四)。この御方は「神であった」(一節)にもかかわらず、「肉となって」(一四節)くださったのです。このように言語を操作しながら使徒ヨハネは、「言」である御神は、神であられると同時に人間であられることを示しております。すなわち、私共を救うためには、主イエス・キリストは、両方の性質を持たねばならなかったに違いないのです。ヨハネによる福音書一章一四~一六節では、主イエスが、旧約聖書の聖所や、バプテスマのヨハネ、並びにモーセと比較されております。「わたしたちの間に宿られた」(一四節)は、ギリシア語の「天幕を張る」の意の原語の意訳であり、この表現は荒野におけるイスラエルの神殿であった幕屋を想起させます(出エジプト記二五ノ八、九)。主の弟子たちが見た主イエスの栄光は、幕屋の至聖所に輝いていたシカイナの栄光(出エジプト記四〇ノ三四、三五)を思い起こさせます。旧約聖書の幕屋の隠喩の可能性を考えますと、「恵みの上に、更に恵みを受けた」(一六節)の意味が判然といたします(言語的には「恵みの場所における恵み」とも訳せます。恵みの場所すなわち、恵みの御座、贖罪所における恵み。サイヤーのギリシア語辞典四九ページの2bを参照のこと。訳者注)。旧約聖書の聖所は、驚くべき恵みと祝福の源泉でありました。しかし、主の御存在はあの幕屋以上に御神の優った啓示なのです。なぜなら、主の内に御神が直接、人間の肉体をとって宿っておられたからであり、かつては幕屋の垂れ幕で隠されていたものが、主において、見えるようにされたのであるからです。
主イエスの優越性が、この序論の一五節で宣言されております。ここでは洗礼者ヨハネが主と比較されております。ヨハネは言いました、『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』と。主の偉大さは、いつ来られたかという時の問題に基づくのではありません。そうではなく、主が来られるに至る前、主とは一体どのような御方であられたのかという点に依拠しております。
一七節及び一八節は、主イエスをモーセと比較しております。確かに旧約聖書においてモーセは御神のことにつき、とてつもない啓示をいたしましたが、それにもかかわらず主は、このモーセ以上に遥かに優れた御神の啓示者であられるのです。「律法」はモーセを通して与えられましたが、救いの恵みと真理はイエス・キリストを通して「現れた」からです(この「現れた」は、三節、一四節同様、「創造された」とも訳し得るギリシア語原語の訳。三節の「万物は言によって成った」の「成った」と一四節の「言は肉となって」の「なって」がそれです。傍線は訳者注)。使徒ヨハネは更に断言いたします。「いまだかつて、神を見た者はいない」。しかし実際には、モーセは御神に拝謁したと聖書には記録されております(出エジプト記三三ノ一八~二三、三四ノ四~七)。しかしながら、モーセに比し、主は「父のふところに」います御存在です。もっと正確には、御神と顔と顔とを合わせて永遠から継続的に存在し得た御方です。この御方はまさにかつて「神と共にあった」(一ノ一、二)御方であり、今や再び「神のふところ」にいます御方なのです。このような御方が肉となって私共の間に宿られたのです(四節)。なんという啓示、そして実に、主イエスこそは最大の御方なのです。
このように、ヨハネによる福音書の序論は、永遠という視点に立って、この福音書の中で起こる全てを解説しようとしております。第一世紀のユダヤ人の多くは、バプテスマのヨハネとモーセの二人を最大の人物として崇め、特にモーセはイスラエルの偉大な解放者であり律法の付与者として崇敬されておりました。しかし、主イエスは、当時の人々に偉大とされていたこれらの人物たちより遙かに優って偉大な御存在でした。この御方こそは、人間をして神とは一体どのような御方であるかを知り得るようになさった最大の啓示者なのです!
主イエスは何をなされたのか?
ヨハネによる福音書の序論を通し、主イエスとは永遠の昔から一体どのような御方であられたかということにつき、私たちは、おぼろげに感じ取ることができました。またその人間性と「自分の民」からの拒絶をも垣間見ました。しかし、主イエスのご生涯の中でこの福音書が取り上げていない一つの側面があります。それは、主の御生誕とその子供時代の生い立ちについてです。マタイによる福音書、並びにルカによる福音書は共に、主の御生誕について言及している一方、ルカはそしてルカだけが主の子供時代に触れております(ルカ二ノ四〇~五一)。ルカ二章の五二節は次のように言っております。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と。この短い聖句から、私共は、主イエスは十代の年月を経て、肉体的にも精神面でもまた霊的にも成長され、若者となっていかれ、そして多くの人々がこの御方を愛するようになったことを知ることができます。
共観福音書は、主として、主イエスの三年半の公生涯、すなわち、その死と葬りと復活、そしてその昇天をも含む主の奉仕者としての姿を描いていると言えましょう。言い換えると、これらの福音書の中に主が残された実例は、奉仕の生活において、人はどのように歩むべきかに関わる内容です。そういうわけで、新しくクリスチャンになった人々の多くは、その技量や受けている賜物、はたまたその気質のいかんにかかわらず、すぐにも教会の奉仕に携わろうとするのは、驚くには及びません。主の実例は、日常生活よりも宣教などの奉仕活動に適用するほうがたやすいように思われます。
しかし、日常茶飯事の一般の生活では、主は一体どのような生き方をなされたのでしょうか。説教や教えや癒しではなく、家を建てたり家具を整えたりのありふれた生活の場合、一体主はどのように生きられ、どのように人々と関わられたのでしょうか。会堂でのパトラックではどのように振舞われたのでしょうか。他の子供たちと遊んでいた時、十代の子供として主はどのように振る舞われたのでしょうか。隣人たちとは、どんな歩みの相違があったのでしょうか。主イエスのこの時代の生き方について、福音書記者たちがもっと情報を提供していてくれたならありがたいのだがと、私は何度か思いました。日常の平凡な事柄から来るストレスの中で、主がそれらにどのように対処されたのかを、もしもっと知ることができたなら、この世での大工もバスの運転手も料理人も、また工場や事務所で働く人たちも、科学者たちや掃除人たちも皆どんなにか喜び感謝することでしょう。しかし、知ってのとおり、聖書にはほんのわずかの記述しか見当たりません。
しかしながら、エレン・ホワイトの『各時代の希望』の中の「戦いの日々」の章で、彼女は、ルカによる福音書二章の中に見るわずかな内容を増幅して描いて見せてくれております。十代の主を描いたくだりは、特に興味深いものです。そこには、もし主が今日、日常生活の中におられた場合、主は一体どのように人々に関わられるのかを見ることができます。そこで、主が公生涯に入られる以前から、常に主の御生涯を支配していたと考えられる規範を、ホワイトの記述の中から抽出して、五つにまとめてみることにしたいと思います。
一、主は原則に基づいて自立の精神で生きられた。
主は青年時代には、単に人間が考え出した規則に盲従するという生き方はせず、原則に根ざして歩まれました。主は決して当時の指導者たちの生き方を攻撃することはなさらなかったのですが、ただ日常のすべての決定において聖書の教える諸原則・原理に従われたのです。
ですから、指導者たちによって規則になぜ従わないのかと責められる時には、いつでも聖書の御言葉を示されたのです。同様に、キリスト者の青少年たちも、既成の型にはまるように強制されるべきではありません。彼らにも、日常生活の中に、彼らの信じる聖書の御言葉を適応する自由を与え、霊的な創造性をもって生きることができるようにしてあげるべきです。
二、主イエスは他の人々を喜ばせようとされた。
しかし、主の自立性は、決して争いを好む反抗的な独立独歩の生き方ではありませんでした。主は決して他者と異なる者であろうとして違う生き方をされたのではありません。御言葉への服従が要求されていると考えた時にのみ、一般慣習とは異なる生き方をされたのです。優しくかつおとなしい振る舞いで、主は御自分が出会った全ての人々を喜ばせようと努力されました。主はまた機知に富んでおられました。苦しんでいる者たちには、いつも同情的でした。そして、その重荷を乗り越えてゆけるように、肉体的にも精神的にも助けられたのです。主は、全ての人々に対し親切をもって接しられました。このように主は、触れ合う全ての人々と平和に過ごせるようあらゆる努力をなされたのです。
三、主イエスは真正面から反対に立ち向かい対峙された。
主の優しさと慎み深さはしかしながら、威嚇によって揺らぐような、踏みつけられっぱなしの玄関マットのような御性質であることを意味しません。御自分に同意しない人々にも親切である一方、御言葉の教える原則に忠実であり続けました。この不動の生き方は、しばしば時の指導者たち並びに家族との間でも問題を引き起こしました。主は特に兄弟たちに苦しめられました。頑固でかつ先祖伝来の信仰に背く者であるとして非難されました。兄弟たちは、主イエスは御自分を彼らよりもまた宗教の教師たちよりさえも優っているかのような、お高くとまった態度を示しているとして非難しました。彼らは主を脅し怒らせようとしました。彼らはねたみ、しかも蔑みました。
主の母マリアも、主の兄弟たちや宗教指導者たちによって圧力をかけられて、しばしば主と面談し、当時の一般の人々の生き方に倣うようにすすめなければなりませんでした。彼女は主を深く愛しておりましたが、主が世の慣わしに従うことを拒まれると困惑を覚えたようです。家の内外における不協和音は、彼女の生活を複雑なものにしました。しかし一方、主の採られた御言葉の諸原則は、簡単にはどんな解決をも赦さない状況でした。主に従うということは平穏で何の問題もないような快適な生活をもたらすと、決して私達は期待すべきではありません。
四、主イエスはどんな人をも受け入れられた。
主は、ことのほか伝統的な排他性を無視されました。主は人々の宗教的背景やその生活のいかんを問うことなく、どんな人々とも、心を開いて交わられました。たとえその人がどんな人であろうとも、主は必要下にある人を御助けし、それを喜びとしました。御自分より困っているように見える人々のためには、しばしば御自分の食事を抜くことさえ致しました。あらゆる背景下にある人々に示された、主の輝くばかりの無限包摂の御姿は、福音とは一体何であるかを顕著に示す生きた実例でした。
宗教的排他性のもろもろの障壁に挑戦して、主はしばしば主流の人々というよりも、社会の片隅に追いやられている人々の家族と共におられました。底辺に生活していたこれらの人々は主が共におられることを喜びとしました。いつも明るく親切で、助け手ともなり、また興味を喚起する御存在でもありました。社会から見捨てられていた人々に主は、彼らにも尊い諸能力が御神から付与されていること、そして、それを正しく用いるなら、世にあって、驚くべき変化、すなわち永遠の富が得られることになるのだということを教えられました。主イエスはどんな人をも無価値な者として見過ごすようなことは決してなさいませんでした。
しかし、下層階級の人々の中に在ってさえ、主の歩みは容易ではありませんでした。言葉においても、態度においても、主は、決して堪忍袋の緒を切るということはありませんでしたが、しかし人々の罪や不当ないじめに対しては、苦痛なしではそれを見ることはできませんでしたし、その心の痛みを隠すことは不可能でした。人々は、主は余りにも狭量で、また余りにも厳格に過ぎると言って非難しました。主は宗教的な人々に対しては「超独立の自由人であり、非宗教の人々にとっては、超堅物に見えました。その生き方が人々の悪を責める結果となりましたので、多くの人々は主の生まれについて軽蔑したりして仕返しをいたしました。
五、主イエスは御神の内に力を見いだしておられた。
これらの困難と闘ってこれを克服するため、主はかなりの時間を割いて人々から離れて自然界の中に出て行かれ、祈りの時を過ごされました。そこにて主は、御言葉を繙き、御神との語らいをなされました。そうした後、力を得て生活の場に戻って来られ、その日にたとえどんなことが起ころうとも、それに対処できる備えとしたのです。もし、主イエスが人生の戦いのため、このような御神との関係構築が必要であったのなら、私共にはいか程それが必要なことでしょうか。それを考えてみてください!
なぜ私共は、主の御生涯に特別な注目を払わねばならないのでしょうか。それはヨハネによる福音書の序論が指摘しておりますように、第一世紀初頭に、ガリラヤ人として生活されたあのナザレの「子供」は、神殿よりも、モーセよりも、バプテスマのヨハネよりも遥かに抜きん出て偉大な御存在であったからです。この御方こそが御神の御品性を人間生活の中で表され、その生きた模範となられたのであるからです。主イエスの内にあって、私たちは初めて、自分たち人間の限界を超えて、永遠をはっきりと捉え得るようにされたのです。もし御神が私共の間で実際に生活されるとしたら、一体それはいかなる生き方となられるかを真に示し得るのは、主イエス・キリストと呼ばれるべき、唯この御方だけであったからなのです。