【エズラ記とネヘミヤ記】歴史を理解する─ゼルバベルとエズラ【解説】#1

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神はエレミヤが書いた物の中で、御自分の民がバビロンで70年間捕囚となったのち、故郷に帰還する、と約束しておられました。キュロス王は、この帰還を認めるための神の器でした。神によって油を注がれたキュロス(イザ45:1)は、紀元前538年頃、神の民が祖国に戻って神殿を再建できるよう、彼らを解放する命令を出しました。

「エルサレムについては、『ふたたび建てられる』と言い、神殿については、『あなたの基がすえられる』」(イザ44:28、口語訳)と言われたのは神であって、キュロスではありません。エルサレムが再建されることの保証人は神であり、神殿建設の許可を出すようにキュロスの心を動かされたのも神でした。

神の民が主の行動に前向きに応答する姿を見るのは、常に励ましになります―「そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした」(エズ1:5)。

私たちはここに、神の力強く恵み深い行動に前向きな応答をした民の実例を見ます。私たちの最善の行動は、神がどのようなお方であり、何を成し遂げてくださったのかを自覚することと、神が御自分の民のためにいかに愛情をもって介入してくださるのかを知ることによってもたらされるのです。

捕囚の民の第一次帰還

問1

エレミヤ25:11、12、29:10とダニエル9:1、2を読んでください。捕囚の民の第一次帰還は、いつなされましたか。どの預言が帰還の成就でしたか。

主はキュロスの心を動かし、エレミヤの70年の預言の成就として第一次帰還を認めさせました。エレミヤはすでに、ユダの地はバビロンの支配下で70年の間荒廃する(これは紀元前606/605年~同537/536年に起きた)が、やがて神が捕囚の民の帰還の道を開いてくださるであろう、と書き記していました。ダニエルは、エレミヤの書いた物を研究したとき、約束されたこの帰還の時がやって来たと悟ったのです。

ダニエル9章の中で、ダニエルは取り乱しています。なぜなら、明らかな変化もなく、この70年がほとんど終わりかけており、しかも新しいペルシア帝国が権力を握ったばかりだったからです。彼は嘆いて神に頼り、憐れみと御約束の成就を嘆願しました。神はその同じ章の中(ダニ9:24~27)で、御自分がすべてを見守り、計画された未来をお持ちであること、またその未来において、解放者が人間の罪を贖うために死に、義をもたらし、犠牲制度を完成するであろうことをダニエルに保証なさいました。実質的に神は、「ダニエルよ、心配するな。真の解放者(イエス)が必ずやって来るから、私は今、あなたのためにも解放者を送ろう」と言っておられたのです。その後まもなく、神はペルシア王キュロスの心を動かし、捕囚の民を解放する命令を出すようにされました。神は御自分の約束をいつも守られるのです(故郷において御自分の民の繁栄を確保するために、神がいかに介入されたかについては、ダニ10章を参照)。

エズラ1章は、イスラエルの民が自由にエルサレムへ帰還し、主の家を建てることができるというキュロス王の布告を記録しています。この命令は、紀元前539年から537年の間に発せられました。キュロスはまた、彼らをただ帰らせるだけでなく、(ネブカドネツァルによって神殿から盗まれた器を含む)贈り物や献げ物を持って帰還できるようにしました。この出来事は、昔、イスラエルの人々がエジプトを出たときのことを思い出させます。あの時も神はエジプト人の心を動かして、イスラエルの人々に餞別を贈るようにされました。ユダに帰還した第一陣は、およそ5万人で構成されており、どうやらほかの地域からの女性や子どもたちも含まれていたようです。

王たちと出来事の概観

帰還者の第一陣は、神の神殿を再建するという任務を与えられていました。あとの課の中で、私たちは神殿建築への反対について学びます。ここでは、長期にわたる神殿建設とエルサレムの再建期間中におけるペルシアの王たちの継承について説明しましょう。エズラとネヘミヤの物語の背後にある歴史を知ることは重要です。なぜなら、それによって、彼らのメッセージに対するより深い洞察が得られるからです。

問2

エズラ4:1~7を読んでください。神殿建設への反対が起こったのは、どの王たちが治めていた間のことでしたか。

ペルシア王が以下に年代順で列挙されており、彼らはエズラ記とネヘミヤ記に関係しています。このリストは、ペルシア帝国を興し、紀元前539年にバビロンを征服したキュロスから始まります。

キュロスⅡ世「大王」(紀元前559~530年)、カンビュセスⅡ世(紀元前530~522年)、ダレイオスⅠ世(紀元前522~486年)、クセルクセスⅠ世<エステル記において、アハシュエロスの別名でも知られている>(紀元前486~465年)、アルタクセルクセスⅠ世(紀元前465~424年)。

私たちがエズラ記とネヘミヤ記を研究するとき、これらの王がエズラ記において年代順に登場していないことを知っておくことはとても重要です。例えば、エズラ4:6~24は5章の前に挿入されていますが、5章は神殿建設への反対の物語の続きです。結果として、エズラ4章に記されているクセルクセスⅠ世(アハシュエロス)とアルタクセルクセスⅠ世に関する手紙は、5章と6章に記録されている(ダレイオスⅠ世を扱った)出来事のあとに起きました。この配列は、読者にとってややこしく思えるかもしれませんし、長年にわたって人々がこの書に対して抱いてきた困惑の原因なのかもしれません。今期の研究を重ねるにつれ、出来事の順序を知ることが、エズラ記とネヘミヤ記のメッセージを理解するうえで私たちの助けとなるでしょう。

捕囚の民の第二次帰還

エズラ7:1~10と8:1~14において、アルタクセルクセスⅠ世は、エズラがエルサレムに帰ること(紀元前457年)、また帰還を望む人を一緒に連れて行くことを許可しています。王とエズラの関係について、あるいはエズラが宮廷で働いていたかどうかについては、よくわかりません。エズラ8章には、帰還した家族の長が列挙されており、そのリストは祭司の帰還者から始まり、王族が続き、一般のユダヤ人で終わっています。12の家族の名前が具体的に挙げられており、このリストがイスラエルの十二部族を意図的に思い出させるものであるという印象を受けます。

この箇所には、およそ1500人の男性が列挙されており、女性や子どもを数に入れれば、合計で5000人から6000人になったことでしょう。これは、ゼルバベルやイエシュアと一緒に戻った最初の集団よりはずっと小さな集団でした。

問3

エズラ7:1~10を読んでください。エズラについて、どのようなことがわかりますか。

エズラは祭司の系統を引く書記官です。彼は祭司として、モーセの兄弟であり、イスラエルの民の初代祭司であったアロンの子孫なのです。エズラ記にある記事によれば、またユダヤ人の伝統においても、エズラの名前は今日もなお有名です。エズラが書記官としてアルタクセルクセス王の宮廷で働いていたかどうかはわかりません。それゆえ、書記官というエズラの呼称は、彼の以前の仕事か、あるいはユダの地に到着したあとに彼が用い始めた能力を指しています。しかしエズラは、遠征旅行の長としてアルタクセルクセスから送り出されるほど親しい立場でこの王のために働いていたに違いありません。

エズラ7:6、10においてエズラは、「詳しい」書記官であり、掟と法を教えることに「専念した」とあります。「詳しい」という言葉の文字どおりの意味は「素早い」で、理解や情報の扱いが速い人を含意しています。エズラは頭の回転が速かったのです。彼は、神の律法に関する知識と精神的明敏さで知られていました。さらに、ユダへ向かうイスラエル人の集団を率いるように王がエズラを選んだという事実は、エズラの勇気と指導能力のあかしです。

アルタクセルクセスの命令

問4

エズラ7:11~28を読んでください。王の命令の内容は、どのようなものですか。これらの命令は、なぜイスラエルの人々にとって重要だったのですか。

アルタクセルクセスの命令は、キュロスの最初の命令と似ています。王は望む者すべてに、とりわけ祭司の家系の者たちにエルサレムへ行くように勧告します。ムラシュ家の歴史的文書*によれば、(エステルの物語が示しているように)ユダヤ人の大半は結局ペルシアに残りましたが、先祖のいた祖国で新しい生活を始める機会を待ち望んでいた人たちもいたのです。王の命令の言葉のほとんどは、ユーフラテス西方の財務官たちに向けられています。財務官たちは、エズラが町の修復と「神殿を栄えあるものとする」(エズ7:27)ために必要とするものは何でも提供しなければなりませんでした。結局のところ、王は司法上の制度を設けることによって、神の律法だけでなく、国法をも適正に順守させる権限をエズラに与えたのです。このような命令が生み出す秩序や組織は、どのような社会にとっても重要な側面です。さらに王は、エズラやイスラエルの人々が祖国を回復しやすいようにしました。

王がエルサレムや神殿の再建を気遣っているのは、彼がエズラの神を信じていたことの証拠でしょうか。アルタクセルクセスは神を、「エルサレムに住まいを定められたイスラエルの神」(エズ7:15)と呼んでいます。イスラエルの神について王が用いている言葉は、彼が主を、贈り物によってなだめる必要のある地方の神の一つと捉えていたことを暗示しています。王は、このような地方の神が彼や彼の子孫に怒りを下さないように望んでいました(同7:23)。加えて、紀元前457年は、エジプト人がペルシア政府に反乱を起こした年であることにも注目すべきです。それゆえ、王の快い行動は、ユダ州の忠誠を得ることを意図したものであった可能性があります。

王はエズラともネヘミヤとも交流がありましたが、残念なことに、それによって神の信者にはなりませんでした。少なくとも、聖句の中には、彼が信者になったことを示すものはありません。それは、主が地上において御自分の御旨を行うために、改心していない人さえお用いになるということを意味します。

*古代メソポタミアの都市ニップール跡で(19世紀に)見つかったムラシュ家の粘土板文書のこと。

教育の重要性

問5

エズラ7:6、10を読んでください。適切な宗教教育の重要性について、これらの聖句はどのようなことを教えていますか。

心から神に献身し、神の言葉を研究し、実行し、教えようと決心したことによって(エズ7:6、10)、エズラはイスラエルにおける大きな働きの備えをしました。聖句は、彼が主の律法の研究と実行と教えることに専念した、と文字どおり述べています。

エレン・G・ホワイトは重要な洞察を与えています。「エズラはアロンの家系の者であったので、祭司としての訓練を与えられていた。それに加えて、彼は魔術士や占星術士やメド・ペルシャ国内の賢者たちの書物に精通していた。しかし彼は、自分の霊的状態に満足していなかった。彼は神と完全に一致することを熱望したのである。彼は神のみこころを実行に移す知恵を熱望したのである。エズラは『心をこめて主の律法を調べ、これを行』おうとした(エズラ7:10)。そのために彼は、預言者と王の書物の中に記された、神の民の歴史を熱心に研究するようになった。彼は聖書の歴史的部分と詩的部分とを調べ、なぜ神は、エルサレムが破壊され、神の民が異教の地に連れ去られるのを許されたのかを知ろうとした」(『希望への光』612ページ、『国と指導者』下巻211ページ)。

「聖書研究熱を復興しようとするエズラの努力は、聖書を保存し増加させようとする骨の折れる、彼の生涯の事業として永続的なものとなった。彼は集め得るすべての律法の書を集め、それらを写して配布したのである。こうして増加されて多くの人々の手に渡された純粋な言葉は、計り知れない価値のある知識を与えたのである」(同上、同上下巻212ページ)。

注目していただきたいのは、エズラが異教の方法をいろいろ知っていたにもかかわらず、それらは正しくない、と考えた点です。それゆえ、彼は真理の資料から真理を知ろうとしました。その資料が神の言葉であり、「主の律法」だったのです。彼は世俗の大学で学んだ多くのことを捨て去らねばなりませんでした。なぜなら間違いなく、そこで教えられたことの多くは誤りだったからです。結局のところ、「魔術士や占星術士……たちの書物」は、どれほど彼の役に立ったのでしょうか。

さらなる研究

参考資料として、『国と指導者』第50章「学者エズラに導かれた改革」を読んでください。

エズラの勤勉な研究について考えてください。

「エズラは神の代弁者となって、周りの人々に天を支配している原則を教えた。彼の残りの生涯は、メド・ペルシャの王宮の近くにあってもエルサレムにおいても、その主な働きは教師としての仕事であった。彼は自分が学んだ真理を他の人々に伝えた時に、その働きの能力が増大した。彼は敬神深い熱の人となった。彼は聖書の真理には、人々の日常生活を高貴にする力があることを世にあかしする証人となった」(『希望への光』612ページ、『国と指導者』下巻212ページ)。

「今日推進されるべき改革の働きにおいて、エズラやネヘミヤのように、罪の軽減も、言い訳もせず、恐れずに神の栄誉を擁護する人々が必要である。この働きの重責を担う人々は、悪が行われる時に沈黙したり、偽りの慈善という衣で、罪悪を覆ったりはしないのである。

彼らは神が公平なかたであることを思い出し、数名を厳格に処罰することは、多くの人々を救うことを思い出す。そしてまた彼らは、悪を譴責する者は、常にキリストの精神をあらわすべきであることを忘れないのである」(『希望への光』635ページ、『国と指導者』下巻275ページ)

*本記事は、安息日学校ガイド2019年4期『エズラ記とネヘミヤ記─忠実な指導者を通して神がなしうること』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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