イザヤ書における神と救い【イザヤ書解説ー悲しみの人#1】

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第一章 「天よ聞け」

イザヤ書は、ユダとイスラエルという二つの王国に対する警告とさばきのメッセージを徐々に強めていくのでなく、初めから預言者の厳しい宣告で始まります。「天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる」(イザヤ一ノ二、申命記三二ノ一、ミカ六ノ一、二も参照)。

神は、イザヤを通してご自分の民に正式の法廷審理を宣言されます。1預言者は、衝撃的な告発の場に、天と地を召還し、訴訟手続きの証人としての役割を果たすように訴えます。聖書は、イザヤが実際にエルサレムの人々を招集して彼のメッセージを告げたのか、あるいは、彼の友人たちや弟子たちに告げたのか、明らかにしていません。もし彼が人々を招集したとすれば、神殿の庭でそれを告知したのでしょうか。祭壇からゆっくりと立ちのぼる香の煙が、集まった人々の頭上に影を写したでしょうか。イザヤが主から与えられた託宣を伝えた時に、祭司たちやレビ人たちは、イザヤにつき従っていたのでしょうか。犠牲の動物たちの鳴き声は、預言者の説教を中断させたでしょうか。

古代の非イスラエル国家は、彼らの種々の神々に、重要な行事への参加を要請しました。しかし、ここでは、イスラエルの神が、――実際には、この神以外の他のどんな神々も存在しないのですが――自然宇宙界に、ご自身の反逆の民に対する告発のいわば象徴的な証人としての役割を果たすように呼びかけておられるのです。幾世紀も前に、主は比喩的に天と地を呼び出し、イスラエルが偶像を礼拝することによって神が彼らとの間に結ばれた契約を破る時に、どんなことが起こるかについての証人となるよう求められました(申命記四ノ二五、二六)。そこで語られた状況が、今、現実のものとなったので、神は彼らの背教の審理に立ち会うように、ご自分の被造物に呼びかけられます。

「わたしは子らを育てて大きくした。

しかし、彼らはわたしに背いた」(一ノ二)

預言者は、イスラエルに対して、神との親密な関係にある神の子供として、彼らに語りかけています。しかし、彼らが背信の子らであるとは、何と衝撃的な思想でしょう。「古代世界のほとんどすべての国々でそうであったように、イスラエルにおいても、父親は自分の子供の生死を支配する権力を持っていた。子供の義務は父親を尊敬することであり(出エジプト二〇ノ一二)、言葉であれ行為においてであれ、そむくことは死をもたらした(同、二一ノ一五、一七)」。2彼らにとって、神を父としてとらえる考え方は、慣れ親しんだ概念でした。異教徒たちでさえ、彼らの神々を父と考えました。3不幸にも、イスラエルの神の子らは、彼らの父である神を拒んだのです。

農耕動物は、ユダ王国――イザヤ書では通常イスラエルと呼ばれている――よりも、もっと大きな敬意を示しました。そのような卑しい生き物でさえ、自分の飼い主を知り、なすべきことをわきまえていました。

「牛は飼い主を知り

ろばは主人の飼い葉桶を知っている。

しかし、イスラエルは知らず

わたしの民は見分けない」(一ノ三)

「イスラエルの神理解は、最も愚かな家畜にも劣るものであった」。4神の民は、罪深く堕落した国民で、神を離れただけでなく、実際に神をないがしろにしたのです(四節)。万物の創造主であられる神の苦しみは、ご自分のお造りになった被造物が『イスラエルの聖なる方』を拒んだ事実にあります(これはイザヤが好んで用いた神の名称です)。

古代の人々は、体罰によって子供をしつけることができると信じていました。エジプトには、男の子の耳は背中にある、という古いことわざがあります。子供が先生の言うことに聞き従うのは、木製のムチで打たれる時だけという意味です。しかし、神は手荒なしつけによって教育することを望んでおられません。主は落胆と悲しみの思いをもってお尋ねになります。「なぜ、お前たちは……なおも打たれようとするのか」(一ノ五)と。しかし、彼らは体中が傷だらけになるまで、自分に苦しみを加え続ける決心をしているようです(五、六節)。

イスラエルは罪深い国家であり、神から拒絶されて当然でした。これは、彼らの隣国の異教徒たちさえ理解できる概念でした。八世紀のエラとイシュムの神話は、神々がどのように町々を滅ぼしたかを描写しています。住民たちは正義を鼻であしらい、様々な残虐な行為を働き、あらゆる種類の邪悪な陰謀にかかわったのでした。悲しいことに、イスラエルはこれらの異教の隣国とたいして変わりませんでした。

イザヤは、アッシリア帝国が眠りからさめて、古代近東世界に猛威を振るった時代に預言者の働きにつきました。何者も、アッシリアの進撃を止めることはできません。アッシリアでは、抵抗する者をおびえさせるための心理的な武器として組織的な暴力と残虐行為が用いられました。アッシリアは、古代のテロリスト国家でした。その軍隊がある国に侵攻すると、彼らはすべてを破壊しつくしました。昔の戦争は、一切を焼き払うことでした。

整った道路が数少なく、家畜や小さな荷車や荷馬車が唯一の輸送手段だった時代に長距離を行軍する軍隊に食糧を供給するために、侵略軍はその地方の農夫たちから略奪したもので自分たちを養わなければなりませんでした。兵士たちは、敵地を行きめぐりながらその国の人々に頼らなければならなかったのです。異国民が、文字通りイスラエルの地を食い尽くしたのです(七節)。

人々は、収穫から次の収穫までをかろうじて生き延びました。もし彼らが略奪する兵士たちに収穫物を取上げられたら、飢えか、もしくは衰弱から来る病気のために死んでしまったことでしょう。侵略軍は、抵抗を弱めるために、収穫前の畑や備蓄の穀物を焼き払ってしまうかもしれません。その地方の住民たちは、敵が食糧不足のために退却を余儀なくされるとの絶望的な期待のうちに、自分たちの収穫物や蓄えた食糧を処分するかもしれません。どちらの場合でも、イスラエルは自らを過酷な状況に置くことになったでしょう。このような侵略は、敵が町々に火を放ったために、その地を荒れ果てたものにしました。アッシリア王セナケリブは、学者たちによってテーラー・プリズムと名づけられた楔形文書の中で、四六の要塞の町々と数え切れない村落を壊滅したと述べています。彼の軍隊は、二〇万一五〇人の人々と多くの家畜を殺しました。

たび重なる侵略は、神の「娘シオン」を「ぶどう畑の仮小屋のように、きゅうり畑の見張り小屋のように」荒廃させました(八節)。エルサレムは、ここでは象徴的にシオン(本来はシオンは山の名前でそこに町が立っている)と呼ばれていますが、毎年農夫たちが収穫するまでの間住むために建て、収穫後に遺棄する仮小屋のように荒れ果てていました。もし神が離散したわずかな生存者を残されなかったら、ユダは古代のソドムやゴモラのように完全に地上から消滅していたことでしょう(九節)。

偽りの礼拝

その堕落と腐敗のゆえに、神が滅ぼされた邪悪な二つの町への言及は、イザヤの説教の中で新しい思想への引き金となっています。神に代わって民に語りかける預言者の譴責の言葉が響き渡ります。「お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか」(一一節)。主は、彼らのささげものに飽き飽きしておられ、それらを「喜ば」れないことを、代弁者に告げられたのです(同)〔イザヤ書は後の章において「喜び」を鍵の言葉として用いています〕。

誰がお前たちにこれらのものを求めたか。去れ、私の神殿の庭を踏み荒らすことをやめよ、と主は言われます(一二節)。

古代世界において人々は神殿を聖なる場所とみなしていたので、そこに近づくことには細心の注意を払いました。礼拝以外の他の目的のために聖なる場所を用いることは、神を冒涜することでした。このように神殿の庭を踏み荒らすことは、その神聖さを故意に汚すことでした。神の民は、彼ら自身の目的を果たすために、神をあやつろうとしました。そのような動機は彼らの儀式を、汚れた行為のために神殿を使用するのと同じくらい冒涜的なものとしました。

神は、香の煙を忌み嫌うと言われました。香は、犠牲の悪臭を消すばかりでなく、神々の怒りをなだめ、喜ばせるためだと考えられていました。しかし、エルサレム神殿で祭司たちがささげた香は、イスラエルの背信と反逆という悪臭を隠すことはできませんでした。

主は彼らが遵守する新月祭や安息日やその他の宗教的な集会に耐えられないと言われます(一三節)。実際、主はそれらを憎まれました。それらのものは、主をうみ疲れさせました(一四節)。新月祭その他の宗教的祭を定められたのは神ご自身でした。主は、それらの祝祭が、人々を神とお互いに近づけるよう意図されました。しかし、犠牲とささげものの場合のように、イスラエルとユダは、彼ら自身の邪悪な目的によってそれらをゆがめてしまいました。彼らの宗教行事は、神の名によって神と人々をあやつるもう一つの手段となっていました。

人々が祈りの時に両手を差し伸べる時でさえ、彼らは神に罪を犯しました。両手を天に向かって上げることは、古代近東において祈りのシンボルとなりました。考古学者たちは、その姿が石や他の事物に刻まれたものを発見しています。人が天に向かって両手をあげた彫刻や彫像を神殿や礼拝の場所に置くことは、絶えざるとりなしの祈りを象徴していました。しかしイスラエルの人々が祈りの時に手を上げるとき、神がご覧になったのは、彼らの宗教的な偽善と、国力を弱める社会的・経済的な不正に血まみれた手でした。主は、彼らに背を向け、彼らの祈りを聞くことを拒まれました(一四、一五節)。彼らの絶え間ない祈りは、主の神経にさわりました。

イザヤのメッセージは、人々に衝撃を与えたに違いありません。結局、そのような宗教儀式を制定し命じたのは神でした。「わたしの顔を仰ぎ見に来る」(一二節)という言い回しはどんな形の礼拝にも当てはまります。5

主はかつてご自分の民にお求めになったすべてを拒んでおられるのでしょうか。ある注解者たちは、これこそ神がしようとしておられることだと述べています。彼らは自分たちの主張を支持する聖句としてアモス五ノ二二~二七とエレミヤ七ノ二一~二三をあげます。しかし、それはここでは的外れです。イザヤのメッセージは、新しいものではありません。幾世紀も前に、サムエルは語っています。「主が喜ばれるのは 焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか」(サムエル記上一五ノ二二)。イスラエルの神は、ご自分の民が「いかに」礼拝するのかよりも、「なぜ」礼拝するのかということにより大きな関心を寄せておられます。たとえば、犠牲をささげる習慣について考えてみてください。

古代近東の人々は、犠牲の動物は神々の食物であり、神殿を神々の住まいとみなしました。彼らは、神々は食物と住居を人間に依存しており、従って人は神々に対して影響力を持っていると考えました。もし神々が人々の欲することをしないならば、礼拝者たちは犠牲の供え物を差し控え、その結果、神々は人間の求めに応じるまでひもじい思いをするのでした。このような考え方が、幾分か、イスラエルとユダの人々の思考に入り込んでいました。神の民は、彼らの犠牲がある程度、主に恩義を負わせることになると考え始めました。しかし、イスラエルの神は、ご自身を養うために人の助けを必要とされません。また主は、主の礼拝者たちが彼らの思い通りにするために、主に賄賂を贈ってほしいとも望まれませんでした。とりわけ、主は人々が彼らの同胞に対する虐待を隠す手段として礼拝を利用することを望まれませんでした。

神がユダの礼拝を拒まれた理由を理解する手がかりがイザヤ一ノ一六、一七に出てきます。

「洗って、清くせよ。

悪い行いをわたしの目の前から取り除け。

悪を行うことをやめ

善を行うことを学び

裁きをどこまでも実行して

搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り

やもめの訴えを弁護せよ」

キドナーは、「これらの厳しい要求が直後に続く不相応な救いの提供に道を備えている」と述べています。6

預言者たちにとって、真の宗教とは倫理的なものであって、単に儀式を正しく執り行うことではありません。異邦人たちでさえ、正義が、文明社会にとって不可欠であることを認めていました。古代近東の人々は、神々が正義を維持する責任を負っていると信じていました。実際、正義は宇宙の構成要素の一部でした。異教社会にあっては、正義は、神々から切り離されたものであり、神々よりも高い力でした。ですから、彼らはそれを支持する以外に選択の余地はなかったのです。

真の宗教

しかしながら、イスラエルとユダの宗教は、神と正義の関係を別の視点から見ました。イスラエル人の世界観は、正義を神ご自身の品性の一部とみなしました。それは単に神が執行しなければならない何かではありませんでした。メソポタミアの人々は、「神々を喜ばせる宗教的な義務があった。これは主として儀式によって遂行され、しかも、社会に動揺を与えない形で遂行された。一方、イスラエル人たちは、神のようになる(信心深く生活する)という霊的な義務を負っていた。これは倫理的な行為と人格の高潔さによって達成された。メソポタミア人たちは、清めは儀式を通して達成されると考えた。一方、イスラエル人の人々は、悔い改めと改革を通してそれを達成しなければならなかった」。7

イスラエルの神にとって、真の宗教とは「善を行うことを学び 裁きをどこまでも実行して 搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り やもめの訴えを弁護する」ことでした(一七節)。孤児とやもめは、個人が拡大家族に属することによってのみ生き延びることができた時代に、彼らを養う生き残りの家族を持たない人々でした。もし誰かが生物学的な家族を持たないなら、地域共同体が彼らの世話をすることが期待されていました(出エジプト記二二ノ二一、申命記一〇ノ一七~一九、一四ノ二八、二九、二四ノ一七~二一)。神は、人々が、いかに宗教的儀式を執り行うかということにのみ関心を払うことをお望みになりませんでした。むしろ、互いの世話をし、神の愛のご性質を反映するこ〇とを願っておられました。聖書の宗教は、私たちが何を考えるかということだけでなく、いかに行動するか、特に、私たちがいかに他者を扱うかということです。このようなわけで、預言者たちは彼らの時間の大半を社会的正義を掲げることに費やしました。なぜならば、社会的正義は、道徳的生活をはかる指標だからです。ワッツが指摘するように、「神に不興をもたらすものは犠牲ではない……。犠牲と祭りによる礼拝に、公正と正義の生き方が伴っていないことが問題なのだ。後者(すなわち正義と公正の欠如)は、前者(礼拝)を無価値なものにする」。8

カイザーは、そのような礼拝行為は、神への侮辱と見ます。「なぜなら、人々の唯一の目的は彼らの全生涯にかかわる神のご要求に反しておのれを隠蔽することだからである」。9続けて彼は指摘します。「犠牲や礼拝や祈りは、人がそれによって聖なる神との出会いを経験する限りにおいて、真の意味を保持することができる。もし人が、神の前における自己保身のためにそれらを利用するならば、その時、それは神への冒涜となる。犠牲は自己義認の手段と化し、祭りの祝いの時は、単なる感情高揚の時となり、祈りは無意味で、偽善的な叫びとなる」。10

神の民は、注意深く礼拝儀式を執り行ってきました。しかし、主が彼らを助けることができる唯一の方法は、彼らが自分の真の状態を見るように彼らを導くことです。「さあ来なさい、論じ合おう」と神は彼らに呼びかけられます(イザヤ一ノ一八、英語訳)。欽定訳聖書で「論じる」と訳された原語の動詞ヤカーは、しばしば、法廷で訴訟の申し立てを提出する場合のような、法的な文脈で出てきます(イザヤ二ノ四参照)。ここで神はご自分の民を神の正義の法廷に呼び出しておられます。カイザーは、神はご自分の自己義認の民をあざ笑っておられるのではない、と指摘しています。強調点は、彼らが清めを必要としていることにあるのではなく、神が実際に、その力を持っておられるということにあります。11

現代の注解者たちは、罪をあらわす色として、赤という色そのものに焦点を合わせます。しかし、それは要点を捕えそこなうことになります。そのような赤色を生じさせる染料は、当時手に入る最も永続的なもので、いったん染色を施すと、それを取り除くことは困難でした。しかし神は、それを完全に白くすることがおできになります。主は、どんな罪のしみも取り除くことがおできになるのです。興味深いことに、神はご自分の民を雪のように、また羊の毛のようにすると言われます。雪や羊の毛は、元々白いので、漂白を必要としません。モティヤーは、「それゆえに、約束は新しい、聖なる民に関するものであって、ただ過去の罪を洗い落とすことではない」と述べています。12イスラエルは、今や新しく造られたものです。

しかしイスラエルは、己の必要のために神に働いていただく決意をしなければなりません。もし神の民が、その決心をするならば、彼らは「大地の実りを食べることができる」のです(イザヤ一ノ一九)。しかし、背き続けるなら、剣による死が待っています(二〇節)。

次にイザヤは、エルサレムの挽歌に主題を移します。神の娘シオンは、かつては義の場所であったのに、遊女になってしまいました(二一節)。かつての純粋な銀は金滓となり(二二節)、町の指導者たちは「謀反人」(英語訳)で、「盗人の仲間」となりました(二三節)。再び神は、預言者を通して、主の民が、無防備のみなしごややもめを保護していないという特定の例を挙げることによって、社会的正義の問題に的をしぼられます。彼らは、賄賂を受け、少数者の利益のために正義を曲げていました。

しかし神は、あきらめません。主ご自身が主導権を取って、悪の町を清めるという決意を遂行されます。主は特に、二つのグループの失敗に焦点を合わされます。参議たちは王を助けて、国家の政策を作成し、実行しました。裁判官たちは、法律を考案し、施行しました。しかし、両者とも、彼らの責任を悪用しました。神は、彼らに代えて、公平と正義を回復する他の人々を立てられます(二六節)。エルサレムは、以前の特質を取り戻します。

カナン人の宗教は、木々や石に神々が宿ると考えました。それで人々は、そのような場所で礼拝したのです。この習慣は、イスラエルの宗教に入り込みました(エレミヤ三ノ六~九)。聖なる木のシンボルが、エルサレム神殿の境内にさえ見られました。ユダの人々は、神殿で正しい犠牲を注意深くささげた後、豊饒宗教の高き所で礼拝したかもしれません。しかし、神がその地を清められた後は、神の民はそうした習慣を大目に見ていた、――いやむしろ、実際にそれらを「喜びとしていた」ことを恥じたことでしょう(二九節)。

イザヤ書は、しばしば、さばきの警告と、神の民が悔い改めて神に立ち帰ることを条件に与えられる約束を交互に描写しています。主はエルサレムのために、素晴らしい未来を提供されます。やがて神が地に平和をもたらされる時、エルサレムは、あらゆる国々からの人々を主にひきつける一大中心となるでしょう(イザヤ二ノ二~四)。しかしイスラエルは、失敗に背を向けなければなりません。さもないと、罪の結果に苦しむことになります(二ノ五~三ノ二六)。放浪の荒野における幕屋から借用した比喩(四ノ二~六)を用いて、エルサレムに与えられる栄光についての別の描写の後に、神は、もうひとつの裁きの光景を示されます(五ノ一~七)。主は、実のならないぶどう畑の比喩を通して、イスラエルに対する言い分を述べられます。それによって主は、主が彼らのためにされたすべてのことを、彼らに思い出させようとされます。

ぶどう畑のたとえ

パレスチナの丘陵斜面の石灰岩層は自然に台地を侵食しています。これを利用して、イスラエルの農夫は、斜面から石を除き、より大きな侵食を防ぎ、乾燥期に水分を保つために、それを擁壁に積み込みます。それから彼らは、擁壁の後ろに土を積み、台地をならします。石の無限の供給は、農夫たちが収穫前にぶどう園を守るために滞在する仮小屋や見張り小屋に必要な材料をもたらしました。他の石は、ぶどう絞り器や貯水池の建設のために用いることができました。

栽培期の間、農夫たちはぶどうの木が雑草で窒息するのを防ぐために、木のまわりを絶えず鍬で耕さなければなりませんでした。昔のイスラエル人たちは、ぶどうをつる棚の上を這わせたり、支えたりしないで、地面に這わせるままにしていたので、雑草の影響を受けやすかったのです。そのような雑草が、地面から湿り気を吸い取り、それが収穫時の実の小つぶと酸っぱさの原因となりました。

神は、ご自分のぶどう園が豊かに実を結ぶために、忠実な世話をされました。しかし、ひどく失望したことは結んだのは野ぶどうだったことです。そのようなぶどうをあらわすヘブライ語は、「いやなにおいのする物」を意味します。悲しみと落胆のうちに、神はエルサレムとユダに対して、ぶどう園とご自分の間を裁くように求められます。主は、「わたしがぶどう畑のためになすべきことで、何かしなかったことがまだあるというのか」とお尋ねになります(四節)。主は、通常の一時しのぎの仮小屋の代わりに、恒久的な見張り小屋を建てるなど並外れた努力を注がれました(二節)。

しかし、ぶどう園は、滅亡にふさわしい実を結びました。主は裁きを期待しておられたのに、見たものは流血だけでした(ヘブライ語で「さばき」はミシュパトで、「流血」はミスパハ。ここには軽妙な言葉のやりとりが見られます)。正義を刈り取る代わりに、主は悩みの叫びを聞かれます(「正義は」はツェダカ、「悩みの叫び」または「叫喚きょうかん」はツェアカです)。 選択の余地は残っていないと感じられた神は、ぶどう園の垣根と保護の壁を取り除き、茨とトゲが生えるままにされます。ぶどう園を耕すことをしないばかりか、主は雲に雨を降らせないように命じられます。神は、この物語の意味を説明されませんが、それは明白です。イスラエルは、豊かな実りを選ぶこともできれば、滅亡を選ぶこともできました。イエスは、この印象的な比喩を悪い農夫のたとえの中で、再度用いておられます(マタイ二一ノ三三~四一)。そしておそらく、主が、ぶどう園の労働者のたとえを語られた時、この比喩が主の霊感の下地になっていたと思われます(マタイ二〇ノ一~一六)。

参考文献

1.        イザヤ書の中での法廷審理に関する箇所は、他に5:1~7、43:8~13、22~28がある。

2.        Otto Kaiser, Isaiah 1-12: A Commentary (Philadelphia: Westminster Press, 1972), p.7

3.        同p.7,8

4.        B.S.Childs, Isaiah, p.17

5.        John D.W.Watts, Isaiah 1-33 , Word Biblical Commentary (Waco, Tex.: Word Books, 1985), vol.24, p.21

6.        D.Kidner,”Isaiah,” p.634

7.        John H.Walton, Victor H.Matthews, and Mark W.Chalavas, The IVP Bible Background Commentary: Old

Testament (Downers Grove, Ill.: InterVarsity Press, 2000), p.585

8.        Watts, p.20

9.        Kaiser, p.16

10.      同

11.      同p.17

12.      J.Alec Motyer, Isaiah: An Introduction and Commentary (Downers Grove, Ill.Inter-Varsity Press, 1999), p.47

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