第二章 「災いだ。わたしは滅ぼされる」
ウジヤの治世は長期にわたりました(彼の治世の一部は父アマツヤ、また息子ヨタムとの共同統治でした)。エドウィン・シーリーは、ウジヤの治世を紀元前七九二年から七四〇年としています。1考古学者たちは、彼の名前をテル・ベイト・マーシムから発掘された紋章に見いだしました。この発見によって、ウジヤが、ユダ族の王たちの中で聖書以外の文書によって証拠立てられた数少ない王の一人であることが確認されました。彼の治世の大半は、アッシリア帝国が内紛のために分裂・弱体化していた時期でした。このような政治権力の真空状態の中で、ユダとイスラエルの勢力が伸張し、領土の拡大が可能となりました。ウジヤは、西はペリシテ人の領地まで、南はアラビアまで支配を拡大しました。彼はエルサレムの防備を固め、ネゲブを含む南部に要塞を築きました。国家の繁栄は彼に常備軍を持つことを可能にしました。
不幸にも、王の成功は彼を混乱させました。多くの周辺国家の支配者たちは、国の神々の筆頭祭司としての役割を果たしました。明らかにウジヤは彼らの慣習に習おうとしたのです。彼は香をたくためにエルサレムの神殿に入りました。しかしそれは、民数記一七ノ五の規定に対する明らかな違反行為でした。アザルヤと他の八〇人の祭司たちが彼の行為に抗議した時、ウジヤは怒り始めました。その瞬間、彼の額には、聖書が一般に重い皮膚病としている病が現れました。その状態がどのようなものであったにせよ、それは彼を儀式的に不浄な者とし、もはや神殿の境内に立ち入ることさえできなくなりました。以後、死ぬまで彼は、隔離されて生活し、彼の息子のヨタムに政治の実権を委譲しなければなりませんでした。
イザヤ一ノ一に記されている書の表題は、イザヤがウジヤの統治の期間にも預言者として王に仕えたことを示唆しています。多分、それは、ヨタムが父の重い皮膚病のゆえに共同統治の責任を負った時期でした(列王記下一五ノ五)。ほとんどの読者は、イザヤは六章の経験までは神の召しを受けなかったと考えます。聖句は、彼の預言者としての働きがその時に始まったと明言していません。しかし、それが彼にとって最初の召命であり再献身の時であったにせよ、あるいは王から民に焦点が移行した時期であったにせよ、2イザヤは時の終わりまで続くメッセージを伝えました。
多くの学者は、ウジヤの死を紀元前七三九年とします。それは古代近東の歴史上、重要な転換点でした。アッシリアは、当時、国家的な繁栄を回復し始めていました。紀元前七四〇~七三八年に、ティグラト・ピレセル三世は、西方に彼の最初の軍事作戦を展開しました。アッシリア人は、一世紀以上にわたって近東を支配しました。この期間に、新アッシリア帝国は北王国と共に、南王国ユダの多くの町を滅ぼしました。
イザヤが主から預言者の召命を受けたのは、このような重要な時だったのです。
高く天にある御座
イザヤは、「高く天にある御座に主が座しておられるのを見た」と宣言します(六ノ一)。しかし、神を「見た」とはどういう意味でしょう。興味深いことに、イザヤが描写している唯一のものは主の衣の裾です。おそらくこれが、目に見えない神性に関して彼が感知したすべてでした(コロサイ一ノ一五、一テモテ一ノ一七、ローマ一ノ二〇参照)。神はご自身を決して直接的にお示しにならず、ご自分の行為や象徴を通して自らを啓示されます。主はモーセにご自分の「後ろ」をお見せになりました(出エジプト三三ノ二〇~二三)。罪深い人間が顔と顔を合わせて神を見、なお生きることはできません(二〇節)。イザヤ六章のこの場面で、神の衣の裾とセラフィムとして知られる天使の存在、また、神殿の振動と煙、これらは神の臨在を示しています。この幻をエルサレム神殿の描写と見る人もいれば、天での出来事と理解する人もいます。あるいは、それは地上の神殿で始まり、その後、天の光景へと移ったとも考えられます。
私たちがイザヤ書全体を通して何度も何度も観察するように、神が送られるメッセージや幻はしばしば古代近東の人々が慣れ親しんだ表象や概念を用いています。神の民もまた、異教徒の間に広く用いられていた多くの物語や概念や象徴を知っていました。神はそれらを用いることによって、異教の文化を伝達することを可能にされました。聖書的な神学に適合するように変えて用いられたのです。ここで「裾」と訳されている言葉は祭司や王など地位の高い人々が着用した衣の裾を表しています。古代近東の壁画や紋章の彫刻はそのような衣が描かれています。足のくるぶし近くの裾は、三~四インチの長さの房の縁取りがなされ、衣の端は刺繍がほどこされていました。イザヤの幻の中で、主の衣の裾が高い御座から垂れ下がっていたことは、主の限りない威厳を象徴していました。
異教徒たちもまた、彼らの神々が彼らの神殿の玉座に座していると考えていました。北方シリアのアイン・ダラの神殿には、三フィートの長さの足跡が三組、前廊の床に並べられた大理石の石板に彫刻されています。それらの足跡は、神殿の中における神の臨在を表しています。石柱には、玉座に座った神の浮彫があって、裾の下の両足の部分だけがそのなごりをとどめています。3イザヤの幻の中で、セラフ(天使)たちは、高い御座のまわりに立って、互いに呼び交わします。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
主の栄光は、地をすべて覆う」(三節)
ここに見られる三重の反復は、神が聖についての究極的な存在であり、聖の源であることを強調しています。ヘブライ語では、最高のものや完全さをあらわす時、同じ言葉を二度繰り返します。しかし旧約聖書では、この箇所だけが、強調のために三度反復しています。それは
「あたかも、神の聖は超絶的で、人間の考えをはるかに超えているので、それを表現するためには、完全以上のものが必要であると言っているかのようである」。4「万軍の」というヘブライ語は、「万軍によって囲まれた」と訳すこともできます。ハーバートは、「栄光」について、
「歴史と自然における神の顕現」5、すなわち、目に見える世界において、神がご自身の被造物のためになさることを意味するとしています。
セラフあるいはセラフィム(天使)は、超自然の生き物ですが、幻は、彼らを預言者が慣れ親しんだ対象として描いているように思われます。多分、周辺の国々によって用いられていた描写に似たものだったでしょう。神は、たといそれが究極的な現実からはかけはなれていたとしても、超自然的な世界の出来事を私たちが理解することのできる何物かに置き換えて示そうと、常に配慮してくださいます。ここまで、幻は神を、地上の王宮にいる王にたとえました。同じ原則がセラフにも当てはまります。聖書は、荒野でイスラエルを疫病で苦しめた蛇をセラフとして言及しています(民数記二一ノ四~九)。他の箇所でイザヤは、飛び回る蛇について述べています(イザヤ一四ノ二九、三〇ノ六)。翼のある蛇の表象は、特にエジプトで一般的で、通常、二つないし四つの翼を持っていました。もう一方で、幻は、セラフィムを人間の形で紹介しています。テル・ハラフから出土した浮彫は、六つの翼を持った人間の形で描かれており、イザヤとほぼ同じ時代のものです。6言葉の意味から言えば、セラフは、光り輝く生き物、多分、きらめく稲妻の翼を持った生き物を示唆しています。7
汚れた唇の者
神の臨在は、神殿を揺り動かし、煙で満たしました。聖書の中で煙と地震は、普通、神の顕現あるいは神の臨在の現れの象徴です(出エジプト一九ノ一八、四〇ノ三四、詩編一〇四ノ三二、一四四ノ五、民数記九ノ一五、一二ノ五、列王記上一九ノ一一も比較参照)。8
セラフとの出会いと力に満ちた神の聖の感覚は、預言者を圧倒しました。聖書時代の人々は、神の栄光を見てなお生きることはできない、と信じていました(創世記三二ノ三〇、出エジプト記一九ノ二一、三三ノ二〇、士師記六ノ二二、二三、一三ノ二二)。幻の中で、セラフさえも、神の臨在の前で顔を覆っています(イザヤ六ノ二)。「災いだ」とイザヤは言います。「わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。9しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た」(六ノ五)。預言者は、罪深い人間と聖なる宇宙の神の間に横たわる深淵と、本質的な違いを強烈に意識しています。イザヤは、堕落した神の民ユダと彼らの反逆の状態を、自分と同一視しています。
ひとりのセラフが祭壇から燃える炭火を取り、イザヤのところに飛んできます。炭火がイザヤの唇に触れたことは、当時の人々が理解できる概念でした。イスラエル以外の国の儀式においてさえ、唇の清めはその人全体の清めの象徴でした。占いの祭司たちは、彼らが神聖な会議に出て目撃したことを報告する前に、そのような清めを受けなければなりませんでした。10
イザヤの唇に炭火を触れさせた後に、セラフは宣言します。「見〇よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」(七節)。ここで「赦された」(英文では「ぬぐい去られた」)と訳され、ある時は、「贖い」を意味するこの動詞は、口の儀式的な汚れを「「取り除く」ことを描写した古代アッカド人の儀式文に出てきます。バビロニア人の霊魂の化身をあらわすテキストは、清めの要素として、しばしば火について語っています。11しかし、ユダの人々は、より完全な意味で象徴を理解していました。なぜなら、聖書で火は「神の活動的で、時には憤激的な聖」をあらわしているからです(創世記三ノ二四、民数記一一ノ一~三、申命記四ノ一二、三三、三六)。12
ここで出てくる祭壇が、香の祭壇か、あるいは犠牲の祭壇かについては、注解者の間で解釈が分かれるところです。モティヤーは後者の立場で、「これは、祭壇から取られた火であって、聖が代償の犠牲の死によって受け入れられ満たされたことを示すものである(レビ記一七ノ一一)。このように燃える炭は、贖い、なだめ、満たし、赦し、清め、和解といった概念を内包しています。13
すでに述べたように、神は常にご自分の聴衆がよく知っている概念や表象や象徴をお用いになります。そして可能な時はいつでも、主はできるだけ広範囲のグループの人々に語りかけることができる手段を選ばれます。ここでの象徴的な行為はまた、大祭司がエルサレム神殿に入るために必要とした犠牲と比較することができます。
今や罪から清められたイザヤは、神の語りかけを聞きます。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」。預言者はただちに答えます。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザヤ六ノ八)。ほかの場所で、神が用いられたのは、超自然的な存在でした(列王記上二二ノ一九~二二)。しかし、神は、ここでは人間を遣わされます。
預言者はぎょっとするようなメッセージを伝えなければなりませんでした(イザヤ六ノ九、一〇)。これはさまざまな意味で、彼を悲しみの預言者にしました。私たちは、通常、イザヤの回復と来るべきメシアの約束の宣言には、本来喜びが伴うと考えがちです。しかし、イスラエルの多くの人々が神のメッセージを拒んだという認識は彼を打ちのめし、彼の心は、ほとんど圧倒的な悲しみで満たされたに違いありません。神が人々に伝えたいと切望されたすべての良い知らせに多くの人々が耳を傾けなかったのですから、どうして悲しまないでいられるでしょう。
チルドスは、イザヤがユダの人々に告げるように与えられた任務について次のように述べています。「『よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな。』そればかりではない。さらにメッセージの伝達者の特別な役割が説明されている。彼は民が目で見、耳で聞き、心で理解することによ〇って実際に悔い改め、救われるのでない限り、彼らの心をかたくなにし、彼らの耳を鈍くし、目を暗くするのであった。預言者は死刑の執行人、また完全な頑迷の引受人にならねばならない。彼の宣言そのものが、イスラエルが立ち返らず、悔い改めないことを保証するのである。14彼らが『悔い改めて15、いやされ』ないかぎり、これらすべてがイスラエルに成就するのであった」(一〇節)。
イザヤのための神の働きが預言者に衝撃を与えただけではありません。それは私たちを当惑させます。全人類を救うためにひとり子を死にわたされた神が(ヨハネ三ノ一六)、どうしてご自分の民の心を故意にかたくなにされることがあるでしょうか。このような概念は、旧約聖書に限られたものではありません。イエスの言葉にも、その反響を見ることができます。主は、ご自分の弟子たちには「神の国の秘密」が与えられているが、外の人々には、すべてがたとえで示されると言われました。それは、「『彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである」(マルコ四ノ一一、一二)。
過激な状況が過激なアプローチを必要としたと考えない限り、これ以上、この問題の探求に時間を割くことはできません。部分的には、現代世界に住む私たちとは異なった考え方のため、あるいは、たといそれが民の多くを除去することになるとしても、問題を明確にしなければならないという神の認識によるものだったのかもしれません。しかし、私たちが見るように、これはイザヤが語った宣言のほんの一部分です。イザヤ書は、たった今、始まったばかりです。
預言者の責任は、人々が神のメッセージを受け入れようと、受け入れまいと、それを伝達することでした。もし、国家が応答しないならば、少なくとも明白な有罪が確定する。しかし、神は彼らが立ち帰る希望を持ち続けられます。最も恐ろしい警告と滅亡の宣告の後でさえ、希望の約束、すなわち救いの約束が与えられるのが、聖書に一貫したパターン(型)と言えるでしょう。イザヤ書のこの箇所においてさえ、最初の暗黒は感謝の歌(一二ノ二、五)と救い(二、三節)に変わります。そして神は、その民のただ中に住まわれます(六節)。
預言者は、なぜ神はそんなにまで怖がらせるのかと尋ねません。その代わりに、彼は尋ねます。「主よ、いつまででしょうか」(六ノ一一)。いつまで神はご自分の民を捨て、御顔をヤコブの家から隠されるのでしょうか(八ノ一七)。それは一時的でしょうか、それとも永久に続くのでしょうか。
主は、「大地が荒廃して崩れ去るときまで」(六ノ一一)、「主が人を遠くへ移されるまで」(一二節)、それは続くとお答えになります。しかし、一三節はかすかな光をもって終わります。原文で解釈の難しい部分の後に、最後は「その切り株とは聖なる種子である」で閉じられます。「木は切り倒されたが、その切り株は残り、切り株の中に、聖なる種子が芽生える神の時を待っている」。16切り株の表象は、イザヤ書全体を通して見られます。
参考文献
1. Edwin Thiele, The Mysterious Numbers of the Hebrew Kings (Grand Rapids: Eerdmans, 1965), p.83-88
2. G.K.Robinson and R.K.Harrison,”Isaiah,” p.885
3. John Monson,”The New Ain Dara Temple,” Biblical Archeology Review, May/June 2000, p.20-35, 67
4. J.A.Motyer, Isaiah: An Indtroduction and Commentary, p.71
5. A.S.Herbert, The Book of the Prophet Isaiah: Chapters 1-39 (Cambridge, Eng.: Cambridge University Press, 1973), p.59
6. J.H.Walton, V.H.Matthews, and M.W.Chavalas, The IVP Bible Background Commentary: Old Testament, p.592
7. O.Kaiser, Isaiah 1-12, p.76
8. 暗黒と地震は、キリストの十字架上の死に伴った現象だった(マタイ27:45~52)。両方共、神の間近な臨在の象徴だったが、イエスは、人類の罪を負う恐れのために、神から見捨てられたとお感じになった(46節)。地震は、キリストの復活の時にも起こった(マタイ28:2)。
9. 唇は、主を讃美し、礼拝するために用いる体の一部分である。
10. Walton, Matthews, and Chavalas, p.592
11. 同
12. Motyer, p.72
13. 同
14. B.S.Childs, Isaiah, p.56
15. この言葉は、ヘブライ語では「文脈の中で二重の意味を持つ。それは『悔い改める』ことを意味するが、同時に、『帰る』とも読める。後者は、特にパレスチナに帰る捕囚に対して適用される」(John D.W.Watts, Isaiah 1-33, p.76)
16. Childs, p.58
*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の書籍編集長ジェラルド・ウィーラー(英Gerald Wheeler)著、2004年3月15日発行『悲しみの人 イザヤ書における神と救い』からの抜粋です。