イザヤ書における神と救い【イザヤ書解説ー悲しみの人#2】

目次

第四章 生ける主を求める

イザヤを通して与えられた神の預言には、インマヌエル、すなわち「神が我々と共におられる」と名づけられた子供の重要性が、ますます大きくなって行くのをみます。「災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで彼は凝乳と蜂蜜とを食べ物とする」(イザヤ七ノ五)。すなわち、人が道義的判断をなすに十分な成熟した年頃(当時一般には一三歳と考えられていた)になるまでには、このような生き方をするようになるであろうというのです。

凝乳と蜂蜜が語られているのは、それはイスラエルやシリアの運命が究極的にはどのようになるのかを、典型的に象徴している隠喩です。

ここで用いられているヘブル語は、アッシリア語やバビロニア語版の聖書では「ギー」に相当し、これは他の食べ物のように簡単には腐らない精製されたバターのような食べ物を指しています。当時の人々はまだ蜜蜂を飼っていませんでしたので、ここでの蜂蜜とは、野生の蜂の巣から採取されたものか、さもなければ、この用語はデーツか、いちじくから作られたシロップを指すと考えられます。「ギー」または他のどんな蜜であったとしても、容易に腐らずに持ち運べる食べ物でした。それは、農業以外の職で生きなければならない人々の栄養源となるものでした。1北王国やシリアの百姓たちは共に、国が荒廃させられてしまうので、もはや穀物を栽培することができなくなり、このような状態が数年のうちに訪れるであろうというのです。「その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ」(一六、一七節)。

一連の生き生きとしたイメージで預言者イザヤが描写したように、アッシリアは国を蹂躙するでしょう。すなわち野生の蜜蜂はなんの憚りもなく国中いたるとこで巣を作るような状態になります(一八、一九節)。多くの人々が捕囚となってアッシリアに連れ行かれ、髪も髭もそられる屈辱をこうむるようになります(二〇節)。2また、凝乳と蜂蜜が人々の食べ物となるということは、人々が土地を耕せなくなるということを暗示しています(二一、二二節)。3更にぶどう畑や他の農耕地が茨やおどろの地となっていくというのですが、それはその地に住み、耕すに十分な人々が居なくなることを指しています(二三~二五節)。4武器なしでは人々は安全に暮らせないような危険一杯で囲まれた国となっていくということなのです。

アッシリアによる蹂躙は、北王国だけのことを指すと考える註解者たちと、ユダ王国をも含むと考える人たちがいます。イザヤ八章八節では、アッシリアの軍勢がユダ王国に侵攻していることが記されています。しかし一方、紀元前七三四~七三二年におけるティグラト・ピレセルによるシリアやパレスチナ侵攻に際し、南王国であるユダまで侵攻した記録はないのです。それ故ここの聖句は、侵攻の記録があっても紛失しているのかあるいは、その後のサルゴン王かセナケリブ王による侵攻を指しているかのどちらかであると考えられます。

アッシリアによる侵攻のしるしとされた預言者の子

イザヤ八章一、二節では、神は預言者に一つの大きな石版(あるいは円柱筒型の封印か5羊皮紙6かも知れない)を取り、それに「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(分捕りは早く、略奪は速やかに来るの意)と書きなさい」と言われます。その書いたものは一つの公文書です。それから預言者は祭司ウリヤ(多分大祭司)とエベレクヤの息子のベカルヤをそのことの証人として立てます。以前預言者イザヤはアハズ王に彼が願おうと願わないとにかかわらずインマヌエルの誕生にちなんだしるしの証人となるようにと願いました。今やこの同じ預言者は、恐らくアハズ王庁内の人物であった二人の者に新しいしるしの証のための証人となるようにと強いて願い出たのです。これらの二人の人物たちは、書き物は事が起こってからではなく、その出来事以前にあらかじめ書かれたものであることを請合うこととなるのでした。

預言者イザヤは毎日、自分の息子を「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」とその名を呼ぶのです。すなわち、略奪者は来る、アッシリアの王はやってくるであろうということなのですがその通りになったのでした。ティグラト・ピレセル王は、紀元前七三三年にイスラエルに侵攻したのです。王の記録の中で彼は言っています。「ビト・フムリア(イスラエル)……すなわちその全住民とその所有物とを、我はアッシリアに運び去った」。7

書き物を用意した後でイザヤは妻(「女預言者」と言われているが、実際に預言している女性に対しての用語である)に近づくと、「彼女が身ごもって、男の子を産む」のです(三節)。神は書き物に書いたとおりの名をその男の子に名づけるように指示し、次のように言われます。「この子がお父さん、お母さんと言えるようになる前にダマスコからはその富が、サマリアからはその戦利品がアッシリアの王の前に運び去られる」(四節)。子が生まれる前からその子の特殊の名が記録されるということは、演じられた預言の代表例です。その預言はいとも速やかに成就されるのであり、それは、生まれ出る子が最初の言葉を覚え言えるようになる前ですらあるというのです。

ユダの王国はアラムとサマリアが共に攻めて来る危険の前に震えおののいていました。しかしそれはアッシリアの脅威に較べれば取るに足りないと主はイザヤに告げられたのでした。レジンもペカもたとえて言うなら穏やかな川の流れのようなもので、しかしアッシリアの王の勢いは、河(ユーフラテス)の大洪水のように荒れ狂う激流で、南王国を全て洗い流してしまうような存在なのです(六~八節)。全ての王たちは戦いに出ることになり、万人が苦難に遭うこととなるのです。

しかしながらユダ王国は、完全には滅びることはないのです。残れる者がいるのです。一つのグループが神に忠誠を尽くし続けるのです。もう一人の子供が「神が我々と共におられる」と名づけられていました。今や預言者は、その名に刻まれた真理を自分の民と民族とに当てはめます(八節)。あらゆる国々が一丸となって攻め入ろうとします。しかしその企ては失敗します。なぜなら、「神が我々と共におられる」からです(九、一〇節)。そして、もしも救われたければこの「神が我らと共におられる」が人々の合言葉とならなければなりません。否、合言葉以上であって、彼らの人生の土台となっていかねばならないのです。

イザヤ自身について言えば、彼も自分の民族を恐怖に陥れている点を恐れてはならなかったのです。受けている表面の脅しで強迫観念を持つようになってはならなかったのです。「あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを何一つ同盟と呼んではならない」と神はイザヤを戒め、更に「彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない」と言われました(一二節)。預言者が恐れるべき者は、レジンとペカの同盟ではなかったのです。最大の危険はイスラエル民族自体の内に横たわっておりました。その危険をそらす唯一の道は、民族がその神に立ち帰ることであったのです。「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ」(一三節)。彼らが真に恐るべき唯一の存在は神であったのです。「あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主」(一三節)。神を畏れることは実際的で確かな道であり、他の全ての怖れを消えうせさせるのです。

もしも神の民が神に立ち帰るならば、神は聖所となります。しかし、神をしてそうなられるのを拒むなら、主は「つまずきの石 イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩 エルサレムの住民にとっては 仕掛け網となり、罠となられる。多くの者がこれに妨げられ、倒れて打ち砕かれ 罠にかかって捕らえられる」のです(一四、一五節)。神は聖所の岩ともつまずきの岩ともなり得るのです。全ては、人々が神に対しどのように応答するかにかかっています。人々は、「残りの者」すなわちイザヤがその子らに与えた名前の内に内包されている約束を(一八節)受け入れる人々と共に、主を待ち望むことができるし(一七節)、反逆と背教の内に歩み続けその結果の滅びを刈り取ることもできます。後になって新約聖書ではここの部分を主イエスに当てはめています(マタイ二一ノ四四、ルカ二〇ノ一八、ローマ九ノ三二、一ペテロ二ノ八)。

主はイザヤに天来のメッセージの一つを与えられました。一本の巻物を糸で巻いてその結び目を粘土で封印したり、あるいは巻物を壷に入れ、その蓋を封印したりなどして、預言者は自分の弟子たちと教えを共有しようとしたと言っています(一六節)。当時触れられていない封印は、封印されているその文書が原初のものであることを証ししていたように、彼らは真実性を守り証ししようとしたのです。

神よりのメッセージを伝えた後、イザヤは神がその御言葉を成就されるのを待ちました。「見よ、わたしと、主がわたしにゆだねられた子らは、シオンの山に住まわれる万軍の主が与えられたイスラエルのしるしと奇跡である」(一八節)。預言者はかつて神に御自身を証しする者として、自分を送り出してくださるようにと願い出ました(六ノ八)。今や、子らと共に彼は、ユダの人々の間で生ける神の御言葉として立っているのです。彼の子供たちの名前はイスラエル及びダマスコの暗い運命を告げています。それ以上にその名はユダに間もなく訪れようとしている裁きを思い起こさせています。もし悔い改めれば、ユダの人々は生き残る人々に加わることができますし、さもなければ、北王国の人々のように抹殺されてしまうことになるのです。どちらの運命になるかは彼らの選択にかかっていました。

万軍の主はユダにとっての確かさと知識の根源でした。彼らは生ける神の言葉である預言者の言葉にこそ耳を傾けるべきで、死者へ伺いを立てることから来る「さえずるように、ささやくように」語られる言葉であってはならなかったのです(一九、二〇節)。死者を礼拝する祭儀は古代近東地方全般に行きわたっていた慣習で、多くの神の民も長い間この祭儀に引き付けられていました。このような警告が、次々と送り出された預言者によって繰り返されたとする聖書の記録の他、考古学者たちは、死人に献納された石柱や、病気で死んだ先祖に食べ物や飲み物をささげるため、岩の墓に掘られた溝などを数多く発見しています。しかしイザヤは、死んだ者に助けを求めることは、ただ陰鬱と失意のみに導く結果となることを強調したのです(二〇~二二節)。彼らにはわけの分からない言葉ではなく、神の教えが必要だったのです。

アハズ王が建立した新しい祭壇

主は生まれ来る一人の男の子に「神は我らと共にいます」(インマヌエル)と名づけさせ、また他の子に「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」と命名させることによって、もしアハズ王やその民であるユダ王国が神と共にあることを選びさえすれば、御自身も彼らと共に在り続けることを約束されたのです。しかし、王はその預言的しるしの提供を無視しました。彼はティグラト・ピレセルに隷属する者としての道を選択し、ダマスコを攻撃して、ユダへの圧力を解き放ってくれるよう、賄賂を使って頼み込んだのです。アッシリア王はその願いを聞き入れ、ダマスコに攻め入ってレジフを殺し、その住民を捕虜として捕らえ移したのです(列王記下一六ノ七~九)。アッシリアに貢物をささげるため、アハズは主の神殿並びに王宮と高官たちの家の財を略奪せねばならなかったのです(歴代誌下二八ノ二一)。

ダマスコ陥落の後、アハズ王はティグラト・ピレセルへの臣従の証とその戦勝祝いに参列するためダマスコを訪ねました(列王記下一六ノ一〇)。その滞在中彼は、ダマスコの祭壇に引き付けられ、エルサレムの大祭司であるウリヤにそれとそっくりのものを作らせ、それを神殿の青銅の祭壇の側に置くようにさせたと記録されています(一〇~一四節)。考古学的には、アッシリアはその隷属する国に自分たちの主神であるアシュルを礼拝するように強要したという記録は見当りません。

この新しい祭壇で大祭司ウリヤが執り行った儀式は、伝統的なイスラエルのそれでした(一二~一五節)。しかしたとえそれが同じ様であっても、神殿儀式の、ある重要な要素が除かれていたことを暗示しています。アハズ王は非イスラエル的宗教を試みてみたかったのです。王は、バアルの神々の像を鋳て造り、ベン・ヒノムの谷で種々のささげものをし、自分の子供たちに異教の儀式の一つである火の中を通らせ、また「聖なる高台、丘の上、すべての茂った木の下(当時の民衆の豊穣の神を祭る宗教のための場)でいけにえをささげ、香をたいた」のです(歴代誌下二八ノ二~四)。彼はまたダマスコの神々に犠牲をささげましたが、それは、かつてユダ王国を攻めるのにアラム王国を助けたように、この神々はもし彼らを礼拝しておけば自分をも助けてくれるであろうという考えでありました(二三節)。アッシリアはダマスコを滅ぼしたのですが、それは古代近東の世界の考え方によれば、ダマスコはアッシリアの神によって滅ばされたことになるという点をアハズ王は見過ごしていたことになります。その上、アハズ王は結果的には、エルサレムの神殿を閉鎖し、その儀式の祭具を棄却し、一方ではエルサレム中至る所に異教の祭壇や礼拝の場(屋外礼拝所)を設けたのです(二四~二六節)。

アハズ王が遂に死んだとき、ユダの人々は彼を王の墓に葬ることを拒絶したのです(二七節)。

参考文献

1.        キドナーは「凝乳と蜂蜜」は不可解としている。「自然の豊かさを象徴している反面(イザヤ7:22と出エジプト記3:8を参照)、人口が少なくなること(イザヤ7:21b)や、もはや耕作されなくなっていることの象徴でもある(イザヤ7:23~25を参照)」(D.Kidner,”Isaiah,” p.639)。

2.        アッシリア人たちは「理髪人」を神の呼称として用いた。しかし、ここではイスラエルの神が「理髪人」である。ここで用いられているへブライ語は、額だけがそられたことを暗示している。メソポタミアでは、屈従させる折の罰として髪の半分だけをそった(Walton, Matthew, and Chavalas, p.594)。

3.        人が所有している家畜の群れの中の極く小部分であった。他の注解者たちは、この小さな群れを特に豊かであったと解している。それ故、生き残った人々は「凝乳と蜂蜜」で祭りを行うことができた。(例えば、B.S.Child, Isaiah, p.68を参照)

4.        さまよっている牛は作物畑を踏み荒らしてしまうし、放し飼いにされている羊はそれを食い荒らしてしまうであろう。守られていない土地の場合、注意深く耕作された農地でも流失したと同様になり壊滅状態となる。

5.        Walton, Matthew, and Chavalas, pp.594, 595.

6.        D.Kaiser, Isaiah 1-12, p.110.

7.        Ancient Near Eastern Texts, ed.J.B.Pritchard (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1955), p.284.

1 2 3
よかったらシェアしてね!
目次