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イエスって神に造られた神の子ども?
解説
「ひとり子」(ヨハネ1:14、1:18、3:16、1ヨハネ4:9)という語は、ギリシャ語のモノゲネスからきたものです。聖書で用いられるモノゲネスは、「唯一の」とか「無類の」を意味しますが、それは、時間的経過の中の出来事としての唯一性や無類性ではなく、特別な関係としてのそれを意味します。
たとえば、イサクはアブラハムの「ひとり子」と呼ばれていますが、彼はアブラハムのひとり子ではありませんでしたし、最初に生れた子でさえもありませんでした(創世記16:16、21:1-21、25:1-6)。イサクは、アブラハムの一族の中で、あらかじめその後継者と定められた唯一無二の子だったのです。
先祖の神、聖なる創造の言であられるイエス・キリストは、受肉されたとき、特別な意味で神の子となられました。彼が「モノゲネス」とお呼ばれになるのはそのためです。かれは、その存在と生命の全局面において、神の唯一の同族であられ、他と比べうるもののない方でした。人類のだれ一人として、これほどの高密度なあり方をしたことはありませんし、神に対してこれほどに特別な関係をもったこともなく、また神のためにこれほどに真実な働きをしたこともありません。結局、「モノゲネス」は、三位の神の父なる神と子なるイエス・キリストの間の関係を示しています。救いの計画とかかわりにおいては、これは神人両性を兼具されるキリストのパーソナリティーに属する関係です[1]。
同じように、キリストが「長子」(ヘブライ(ヘブル)1:6、ローマ8:29、コロサイ1:15,18、黙示録1:5)と呼ばれるとき、その語は、時のある点を指しているのではなく、むしろ、重要性あるいは優先性を強調しています。(ヘブライ12:23参照)。ヘブルの文化では、長子は一族の諸権威を与えられました。同様にキリストは、人々の間の長子として、人間が失ったいっさいの特権を取り戻されました。キリストは、新しいアダム、新しい「長子」、人類の頭となられましたのです。
さらなる解説―キリストは父なる神と同等なのかー
①使徒ヨハネの理解
キリストが父なる神と同等であるということは、新約聖書の中に、多くの方法で説明されています。キリストの弟子であるヨハネが記述した福音書から次のことがわかります。
- 子を敬うことは父を敬うことである(ヨハネ5:23)
- キリストを見ることは父を見ることである(ヨハネ14:7-9)
- キリストを知ることは父を知ることである(ヨハネ14:7)
- キリストを信じることは神を信じることである(ヨハネ12:44)
- キリストは父と同じことをなさる(ヨハネ12:44)
- 父と同じように、子は死人をよみがえらせられる(ヨハネ5:21)
- 父と同様に、子はご自分のうちに生命を保たれる(ヨハネ5:26)
また、ヨハネは次のようにも述べています。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(中略)そして言は肉体となり、私たちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。ヨハネ1:1,14
ここでヨハネは「言」をイエスであるとし、神であったと述べています。黙示録にも「神の言」は登場し(黙示録19:13)、「王の王、主の主」(黙示録19:16)と呼ばれています。
使徒ヨハネは明らかに、イエスを神と理解していました。
②ギリシャ語での理解
七十人訳聖書は、YHWH(エホバ)に無冠詞のキュリオスをあてています。無冠詞のキュリオスは、新約聖書では、非常にしばしば神をさして用いられます。
ローマの信徒への手紙10章9節から13節を原語で見ると次のようにあります。
すなわち、自分の口で、イエスは主<キュリオス>であると告白し、……信じるならあなたは救われる。……「主<キュリオス,YHWH>の御名を呼び求めるものはすべて救われる」と書いてあるからである。ローマ10:9-13
この聖句で引用されているヨエル書2章23節をヘブル語で見るとYHWH(エホバ)とされています(ヨエル2:23)。つまり、ここでパウロはヨエル書2章23節を引用して、キリストが主(エホバ)であると主張しているのです。
[1]聖書翻訳の問題委員会『聖書翻訳の問題』202頁