イザヤ書における神と救い【イザヤ書解説ー悲しみの人#1】

目次

序章ーイザヤ書について、はじめに

「イザヤ書」という言葉を聞くと多くの人々は、胸にしっかりと焼きついているあのヘンデルのメサイアの歌詞を直ちに思い出すことでしょう。「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」(Wonderful Counselor, the Mighty God, the Everlasting Father, the Prince of Peace)。他の人々は、イザヤ書と言えばメシアなるイエスの来臨を度々預言している、聖書の中の一つの書物であると考えます。メシアはひとりのおとめから生まれた「苦難の僕」、「悲しみの人」です。キリストご自身もイザヤ書の聖句に言及し、ナザレの会堂でご自身の働きを宣言するためにその聖句の一つを用いられました(ルカ四ノ一六~二一)。フィリポはイザヤ五三ノ七、八を用いて、エチオピアの宦官に「イエスについて福音を」告げ知らせました(使徒言行録八ノ二六~三九)。新約聖書は一貫してイザヤ書からの引用や暗示を与えています。

またある人々は、イザヤ書を終末時代に起こる諸事件の筋書きの源泉だとみなします。イザヤ書は、主がいかにして国々の神となり、地上に神の王国を樹立なさるかについて多くの箇所で述べています。そこには平和と安全がとこしえに支配する回復された地上の姿が描かれています。

しかしそればかりではありません。イザヤ書には善と悪との争闘の物語が描かれています。イザヤ書は、この世界でわれわれが目撃する戦いは、超自然の世界でのより大きな争闘の反映であることを啓示しています。この戦いは宇宙の中心である天で始まり、古代近東地域の地政学的な要所に位置する小国、ユダにまで及んでいます。ユダとアッシリア及び他の国々との戦いは宇宙大の重要性を持っています。人間の王たちが戦いに出て、世界を悲しみの渦中に投げ込む時、彼らの行動は、実は、目に見えない二つの王国間の争闘を映し出しているのです。万国の神が、自分の王国を地上に樹立した一人の宇宙の横領者と戦われるのです。しかしそこまでは物語ってはいない後代の預言者たちのメッセージと比較して、イザヤ書におけるこの戦いは驚くほど平和裡に終結する筋書きです。

イザヤ書全体を通じて、より大きな世界――宇宙的で、超自然的な――がこの世界の中に絶えず突入しようと狙っています。預言者の言葉は彼の時空を超えようと懸命です。それは彼と同時代の状況ばかりでなく、それ以上のことを指しています。時にはわれわれは、彼が地上のことを念頭に置いているのか、それとも超自然的な事柄を念頭に置いているのかはっきりとは分からない場合もあります。イザヤ書では常にわれわれの現実の表面がはぎ取られて、その彼方にあるより大きな現実がその姿を現します。われわれは最初見た時は普通の人間や地上の事柄のように思えても、より詳しく調べるともっと巨大で重要な意味を持つ事柄であることが分かるような人物や事件に絶えず遭遇します。

これが原因で解釈者たちは、例えばイザヤ一四章のバビロンの王とは一体誰のことであるかとか、しばしば登場する「僕」は単純に神の民を指すのか、それともそれ以上の何者か――恐らく神的な存在でさえあるのか、といった問題をめぐって苦悩するのです。

「悲しみの人」とは誰か、彼は何を成し遂げるのか? われわれがこの書を読み続けていくと、性質上全地球的な用語で描写されている特定の国々に対する審判と出会い、またその人物を通して悪魔的な閃光がひらめいている一人の暴君に対する嘲笑の言葉を耳にします。新約聖書になって初めて霊感はこの世界を覆っているカーテンの幾つかを取り除き、この戦いに関係する人々が誰であるのか、また彼らの戦いの性質などをより明らかに示します。イザヤ書は恐らく旧約聖書の全巻の中で、神と悪の勢力との間の争闘における神の役割について最も多く描写している書物だと思われます。黙示録は、地上及び宇宙におけるこの戦いについてのイザヤの描写を、暗示の豊かな源泉として度々用いています。その実例として以下の聖句をあげることができます。イザヤ八ノ七と黙示録一七ノ一五、イザヤ一三ノ二一と黙示録一八ノ二、イザヤ四七章と黙示録一八章、イザヤ六〇、六五章と黙示録二一章とに描かれている一連の出来事の類似、更にイザヤ五五ノ一と黙示録二二ノ一七などです。

イザヤは、創造者また国々の支配者としての主の役割を特に強調しています。イザヤ書は、神の創造の力こそ神が唯一の真の神である最大の証拠であり、神と偶像とを区別する基本的相違点であるとみなしています(イザヤ四〇ノ二六、二八、四二ノ五、四四ノ二四、四五ノ一二、一八、四八ノ一三、五一ノ一六)。リチャード・バーウカムはユダヤ教は次のことを信じていたと指摘しています。「イスラエルの神のみが礼拝を受けるに相応しいお方である。なぜなら彼のみが万物の創造者であり、万物の支配者であるからだ」。1新約聖書の著者たちが、イザヤ書から受けた神のみ姿としてのイエスを描いたように、初代のキリスト教徒たちは、万物の創造者であり、支配者であるキリストもまた疑いもなく神であることを理解し始めました。2イザヤ書の研究によって彼らは、イエスが一体どなたであるかをより完全に把握することができました。イザヤ書のイエスに対する証言は、ただ「苦難の僕」や「インマヌエル」――「神は我々と共におられる」――という名の幼子についてだけでなく、それらよりはるかに多くのものについてなされているのです。

イザヤの人物像

旧約聖書全体を通じても言えることですが、聖書はイザヤという人物についての伝記風の情報は、さほど多く与えてはいません。ダビデやモーセ、それに創世記に登場する父祖たちのような人物、その他エリヤ、エリシャ、ヒゼキヤなど数人の人を除いて、聖書の中のほとんどの人々はわずかの期間登場し、そして姿を消しています。イザヤも例外ではありません。

アモツの子である預言者イザヤは、少なくともおおよそ紀元前七五〇年から紀元前七〇〇年にかけて、エルサレムに住み、そこで働きました。イザヤという名前には「エホバは救い(である)」という意味があります。イザヤ書によれば、彼は四人の王たち――ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ――のもとで働き、王たちと親密な関係を持っていました。彼がこれらの王たちにいつでも会えたことから、イザヤは王家の一員であり、ウジヤ王の従兄弟でさえあったかもしれないと伝説は提言しています。しかしこの説と同時に、古代近東地域では預言者たちが王や王宮に出入りし、神殿での礼拝のような宗教活動に従事することはごく普通に行われていたことであったとも言われています。古代の人々は、預言者たちは神々によって選ばれたのだと考えており、この事実が彼らに特権を与えていました。このような訳で、イザヤが王の注目を惹くために必ずしも王家の出である必要はなかったのです。

預言者としてイザヤは、ユダの様々な状況と関わらなければなりませんでした。それは我々が今日の新聞の見出しに見るのと同じように複雑な問題でした。聖書の多くの読者たちは、ソロモンの死後統一国家が分裂してからは、ユダとイスラエルは共に絶えまなく衰退に向かって進んだと考えます。しかし考古学や他の証拠が示していることは、二つの王国は少なくとも部分的には周囲の国々の政治的状況いかんによって、様々な浮き沈みを経験したということです。エジプト及びアッシリアの影響が徐々に弱くなっていった期間、ユダもイスラエルも共にかなり強力になることができました。これらの期間の一つがイザヤの青年時代に起こりました。ウジヤ王はユダを商業的にも軍事的にも強力な国家に造り上げました。彼は国中に膨大な要塞を建設し、強力な常備軍を持ち、紅海に面した港を築き、貿易を拡大し、アンモン人からの貢ぎ物を受け、ペリシテ人やアラビヤ人に対する戦いに勝利を収めました。こうしてユダはソロモンの時代以来見なかった繁栄と国力を持つに至ったのでした。

しかし新しい富はそれ自体の問題をもたらしました。それは宗教の形骸化を招いたばかりでなく、経済的圧制と貪欲に導きました。繁栄によってますます物質中心主義に心が奪われていきました。旧約聖書時代の人々は、このような繁栄を神が承認なさったことのしるしだと考えていましたので、ユダの多くの人々は神が確かに彼らの側においでになると思っていたことでしょう。こうして彼らは自分たちの行動を容認したのでした。

ウジヤ王は五二年間統治しました。しかし彼の息子、ヨタムの治世になった頃、アッシリアがこの地域における支配力を回復し始めました。ティグラト・ピレセル(紀元前七四五~七二七年まで統治)は西方に軍隊を送り、ユダの近くの数多くの地域を征服しました。後述しますが、アッシリアの領土拡大に抵抗して、ヨタムの子、アハズの時代にシロ――エフライム戦争(紀元前七三四年)と一般的に呼ばれている戦争が起こります。ヒゼキヤが王位に就いた頃ユダは衰退し、増大するアッシリアの危機に直面したのでした。センナケリブがエルサレム自体を攻撃した時最大の脅威が訪れました。これらの出来事については後にもっと詳しく探ります。

イザヤ八ノ三は、イザヤが同じ預言者として既に召されていた一人の女性と結婚したことについて述べています。彼には二人の息子が与えられ、二人には共に象徴的な名前が付けられました(イザヤ七ノ一~一七、八ノ一~四)。イザヤ二〇章で神は預言者に、通常身に着けている粗布と履物という預言者の服装の代わりに、腰布だけを纏ってエルサレムの町を歩き回るようにと命じられました。これはエルサレムの指導者たちがとっていた親エジプト政策に対し抗議するためでした。加えてイザヤはセンナケリブからのエルサレム救出に関して預言しました(イザヤ三六、三七章、列王記下一八ノ一三~一九ノ三七参照)。イザヤはまたヒゼキヤの死に至る病とその癒し(イザヤ三八章、列王記下二〇ノ一~一一参照)を告げ、反逆的な王、メロダク・バルアダンが遣わした外交使節団に対するヒゼキヤの態度への主の不興をヒゼキヤに伝えました(イザヤ三九章、列王記下二〇ノ一二~一九参照)。

三九章以降にはイザヤ自身に関する言及はもはやなされていません。それらの箇所では、未来に起こるバビロンからの脅威及び平和と繁栄の一つの王国が樹立されるという神の約束の二つが強調されています。主は最後には全地の国々を含む一つの王国を樹立なさいます。

ヒゼキヤの時代以降のイザヤの生涯については伝説だけが残されています。少なくとも紀元二世紀には、ヒゼキヤの子マナセ王は、神とエルサレムについてイザヤが告げた言葉が律法に違反するものだとみなし、イザヤを殉教の死に追いやったと広く信じられていました。聖書外典の「イザヤの昇天」やミシュナ(ユダヤ教の律法集〔訳者註〕)には、イザヤがマナセの時代に亡くなったとされており、ある人々はヘブライ一一ノ三七にある「のこぎりで引かれ」た信仰の勇者は預言者イザヤの最期を描いたものだと考えています。

イザヤ書について

文体やその他の要素から推して現代のほとんどの学者たちは、イザヤ書は二つまたはそれ以上の別個の資料の合本であるとみなしています。このような学者たちは、一~三九章が一人の著者(しばしば「第一イザヤ」、もしくは「エルサレムのイザヤ」と呼ばれている)によるものであり、残りの章は第二、または第三の著者によるもので、後にかなりの年月が過ぎて後、彼らの作品が合本されたとの結論を出しています。最終的に一人の編集者(学者たちによって「修正編集者」という言葉で呼ばれている)が脈絡を合わせたと考えられています。

しかしこの考えは学問的推測の一つに過ぎません。この書物のある部分が、それまで別個の資料として存在していたものだという物理的な証拠は何一つありません。イザヤ書は死海写本の蒐集家たちにとっては馴染み深い書の一つでした。考古学者たちはクムラン周辺の洞窟の中で、二一の全巻もしくは一部の写本を発見しました。それらの中には紀元前一二五年頃に写された皮の巻物(1QIsaa)も含まれています。詩編(三七の写本)及び申命記(三〇の写本)が最も多く発見されました。3巻物で使われている聖句は、今日我々が「マソラテキスト」として理解しているものと基本的には同じ聖句です(「マソラ」とは七~一〇世紀にかけて活躍した聖書学者〔マソラ学者〕たちの手になる旧約聖書ヘブライ語校訂本――Random House English-Japanese Dictionary――訳者註)。興味深いことに死海写本のイザヤ書には、三九章と四〇章との間には何の区切りもありません。不思議なことに区切りらしき唯一のものは、三三章と三四章の間にしか出てきません。4

イザヤ書が元は別個の資料からの合本であると信じている人々でさえ、この書が無計画に配列されたものではなく、実に注意深く構成されているものであることを認めています。W・H・ブラウンリーは、現代西洋の著者ではなく古代近東の著者の観点からイザヤ書の構成を研究した結果、古代の著者たちは彼らの著書をしばしば二分割して組み立てたその理由は、恐らく一つの巻物にまとめて書き写すことが困難であったからであろうと指摘しました。5従ってイザヤ書は、三三章ごとにまとめられた二つの書の合本であったかもしれません。しかし例えそうであったとしても、二巻は注意深く組み立てられていて、以下の図表に見られるように互いに調和があるように並記されています。6

主題前半後半
破壊と回復1~5章34、35章
伝記風な資料6~8章36~40章
神の祝福と審判の代理者9~12章41~45章
外国の権力に対する神託  13~23章 46~48章
全世界の贖いとイスラエルの救い24~27章49~55章
倫理的説教28~31章56~59章
王国の回復32、33章60~66章

一般的な主題の他に、具体的な用語もイザヤ書の二つの部分を互いに結んでいます。この書の全体は非常に注意深く構成されているのです。例えば、「イスラエルの聖なる方」という称号は、一~三九章には一二回、四〇~四六章には一四回出てきますが、旧約聖書の他の箇所全体でもわずか六回しか出てきません。イザヤ書の二つの部分で使われている少なくとも二五のヘブライ語は、他の預言書には一度も出てきません。イザヤが用いている用語、例えば刑罰の象徴としての「火」(イザヤ一ノ三一、一〇ノ一七、二六ノ一一、三三ノ一一~一四、三四ノ九、一〇、六六ノ二四)、「ヤコブ イスラエルの力ある方」という神の称号(一ノ二四、四九ノ二六、六〇ノ一六)、エルサレムの「聖なる山」についての言及(二ノ二~四、一一ノ九、二七ノ一三、五六ノ七、五七ノ一三、六五ノ二五、六六ノ二〇)、更に、エルサレムへの広い道(一一ノ一六、四〇ノ三、四、五七ノ一四、六二ノ一〇)などはこの書を互いに一つに結び付けています。イザヤ書の前半も後半も共にイスラエルのことを「盲人」(二九ノ一八、三五ノ五、四二ノ一六~一八)、「耳の聞こえない者」(二九ノ一八、三五ノ五、四二ノ一八、四三ノ八)、「主を捨てる者」(一ノ二八、六五ノ一一)、「主に贖われた人々」(三五ノ一〇、五一ノ一一)、及び「わたしの手の業」(二九ノ二三、六〇ノ二一)などの言葉で描いています。

デレク・キドナーは、この書の前半が後半の主題によって進展することをいかに期待しているかについて次のように述べています。「歴史における神の主権(四〇~六六章の主要テーマ)は、三七ノ二六のセンナケリブのことで(紀元前七〇一年)表現されている。それは後半の章でも同じ調子、同じ言葉で表現されている。すなわち、「お前は聞いたことがないのか」(四六ノ一二参照)、「わたしは今実現させた」(四八ノ三参照)などである。二二ノ一一にもこの主題に関する同じ用語が書かれている。「より大いなる帰還」に関しては、三五章は四〇~六六章の最高の弁説と似通っているばかりでなく……、ほとんど各節ごとに一~三九章で使われている特別な慣用句が見られる。窮極の平和についての幻が描かれている一一ノ六~九と六五ノ二五とは別個に語られたとは到底考えられない」。7

このような研究の結果、イザヤ書が別個の資料から成り立っていると信じている多くの学者たちでさえ、この書が全体的に注意深く整えられた書物であるものとして研究されなければならないという結論を出しました。例えば、ブリヴァード・S・チャイルズは、イザヤ書が幾つかの別個の資料に由来しているという考えを受け入れているにも関わらず、この考えに固執することによって、「イスラエルに対する神の計画に関して、最終的に示された首尾一貫した証言としての聖書の正典の権威を認めなくなる」と述べています。8

現在聖書の中にある書が、我々が学ばなければならない遺された唯一のイザヤ書であるので(たとえそれがどのようにして書かれたものであったとしても)、本書ではそのことを念頭に置いて、学んで行きたいと思います。

イザヤ書の神学

イザヤ書を最初瞥見したときは、互いに無関係な資料のパッチワークのように思えるかもしれません。しかしイザヤ書は全体を通じて、神に背いている神の民(一ノ二)を必ず罰せられる「イスラエルの聖なる方」(一ノ四、五ノ一九)を強調しています。イザヤ書はイスラエルを、荒れ果てたぶどう園(五ノ一~七)として描いています。正義を捨ててしまった彼らは(五ノ七、一〇ノ一、二)、霊的な盲人であり、耳の聞こえない者(六ノ九、一〇、四二ノ七)です。聖書は、神が彼らの上にもたらされる神の審判を、「主の日」と呼んでいます。しかしそれを受けるのは彼らだけではありません。イスラエルは既に裁きの恐怖を味わっていましたが(五ノ三〇、四二ノ二五)、他の国々も非常に強烈な恐怖に遭遇するでしょう(二、一一、一七、二〇)。

神はご自身の民を必ず罰せられますが、その目的は彼らを贖うためなのです(四一ノ一四、一六)。神は彼らを憐れみ(一四ノ一、二)、彼らを「新しい出エジプト」の経験に導かれます(四三ノ二、一六~一九、五二ノ一〇~一二)。大いなる愛によって神は彼らを贖い(三五ノ九、四一ノ一四)、救われます(四三ノ三、四九ノ八)。平和と安全のメシア時代が始まると、国々はイスラエルを家郷に導きます(一一ノ六~九)。ダビデの子孫の一人の王がその国を治めます(九ノ六、三二ノ一)。イザヤ四二~五二章で神は彼を「わたしの僕」と呼ばれ、正義の王の苦難が救いに導きます。「僕」はイスラエルを贖われるばかりでなく、「諸国の光」(四二ノ六)となられます。それによってかつては裁きに遭っていた国々も(一三~二三章)、救いを見いだします(五五ノ四、五)。反逆していた王たちはもはや神の民を圧迫しません(一一ノ一四、四五ノ一四)。それどころか国々の住民たちはエルサレムに群がり集まって来ます(二ノ二~四)。イスラエルも(四一ノ八、九、四二ノ一)、異邦人たちも(五四ノ一七)共に「メシアである僕」となるお方の僕たちとなります。こうしてエルサレムは「主の都」(六〇ノ一四)の栄誉を遂に得ます。

文学的特徴

文学的観点から見ると、イザヤ書は旧約聖書中恐らく最も洗練された書物だと言えます。最も多くの語呂が使われています。エゼキエル書には一五三五種類の言葉が使われ、エレミヤ書は一六五三種類、詩編は二一七〇種類です。ところがイザヤ書には二一八六種類の言葉が使われています。この書物は散文(そのほとんどが三六~三九章)と詩とで成り立っています。詩には、託宣(例えばイザヤ一三~二三章)、知恵の詩(二八ノ二三~二九、三二ノ五~八も参照)、賛美の歌(一二章、三八ノ一〇~二〇)、執り成しと嘆き(六三ノ七~六四ノ一一)、及び黙示的資料(二四~二七章)などの形態が含まれています。聖書の著者たちは、広範囲な文学的手法を用いて、著者たちの技能や創造性を表示しました。イザヤは特に擬人法を好みました。彼は、「月は辱められ、太陽は恥じる」(二四ノ二三)、「荒れ地よ、喜び踊れ」(三五ノ一)、「山々も、森とその木々も歓声をあげよ」(四四ノ二三)、「野の木々も、手をたたく」(五五ノ一二)などと表現しています。彼は警句や比喩を好み、特に後者には洪水、嵐、激しい音などが含まれています(一ノ一三、五ノ一八、二二、八ノ八、一〇ノ二二、二八ノ一七、二〇、三〇ノ二八、三〇)。

イザヤが用いた他の文学的手法には、対句法(反対の事柄を対比させる)と頭韻法(一ノ一八、三ノ二四、一七ノ一〇、一二)、誇張法と譬え話(二ノ七、五ノ一~七、二八ノ二三~二九)、言葉の遊び(五ノ七、七ノ九)、修辞疑問や対話(六ノ八、一〇ノ八~一一)などが含まれます。イザヤ一四ノ四~二三及び三七ノ二二~二九にある「嘲りの歌」やイザヤ四四ノ九~二〇の「風刺」はその他の文学的手法の実例です。イザヤの文学的技法は翻訳文にさえ表されているために、イザヤ書が聖書の中で最も美しい書物の一つとなっています。イザヤ書は偉大な主題を偉大な文学の形で表現している書物です。

預言者とは何か

イザヤは預言者でした。「預言者」という言葉を聞くとほとんどの人は、未来を予言する人のことだと考えます。しかしそれは預言者の役割のほんの小さな部分に過ぎません。預言者の主要な役割は、神の民の良心としての働きでした。宇宙の主は、神の民が道を逸れる時彼らを導き、彼らがさまよい出た時に彼らを元の道に連れ戻すために預言者たちを遣わしました。

イザヤを含む預言者たちのメッセージを学ぶと分かることですが、反逆や背教の結果並びに、彼らがもし神への忠誠の道に立ち帰るならば神の民のために神が何をなさろうと計画しておられるかということ以外には、預言者たちは未来については、比較的に非常にわずかしか語ってはいないのです。その代わりに、彼らは、王や庶民のいかんを問わず、聴衆や読者たちに対し、正義を行い、他人にやさしくし、愛と正義をもって他人と関わるようにと訴えています。預言者たちは、未来におけるメシアの到来や世の終わりについてよりも、富んだ人々の不正な商取り引きに対する抗議により多くの時間をかけたのかもしれません。

すべての国々に向かって語る

紙面が限られているために、我々はすべての聖句、すべての主題について調べることはできません。ある区分は通り越さなければなりません。しかしその途中で触れる一つの主題があります。それは、イザヤが自分の民ばかりでなく、周囲の異邦人たちの事柄にも及んでいる点です。神はその預言者を通し、他の国々も理解できるようにお語りになりました。彼は、選ばれた少数の者にしか分からないような象徴や、神の民に限定された言語ではなく、イザヤの時代に広がっていた概念や表現を用いました。それらの中にはイスラエル以外の文化からのものさえありました。もしイスラエルとユダの主が、万国の神となるのであれば、世界の他の国々も彼らに対する神の計画について理解する必要があったのです。

彼らに伝えられた思想が、国々の民の心に応答を促した時、彼らもまた神がご自身の民に約束された多くの事柄を求めるはずでした。即ち、平和で義が住む王国、苦難と病の終結、回復された世界などです。しかし聖書が一つの概念や表現を用いる時、それによってすべてが詳細に与えられる訳ではありません。多くの場合主が訂正なさったり、時にはある概念がぶつかりあうことさえあります。しかしこのような暗示は、神もしくは預言者がより大きな真理を伝える糸口になるのです。

われわれも今日同じことをしています。例えば、人が死んでも直ちに天国に行くとは信じていない人々でも、他の概念を聴衆に理解させるための説教の一つの例話として、天国の門の側に立っている聖ペトロ(原文ではSaint Peter)についての物語を使うこともあるでしょう。

今日クリスチャンは、しばしば我々の周囲の世界に伝わっていない表現や概念を用いて、話したり書いたりしています。我々は神が聖書のご自身の預言者たちを用いて語られた方法から、大切な事柄を学ぶことができるのではないでしょうか。

しかしイザヤ書から我々が得ることができる最も大切なメッセージは、万国の神の良い知らせと、神が特に「悲しみの人」という不思議なお方を通して全人類に対して実現したいと願っておられることです。

参考文献

1.        Richard Bauckham,”God Crucified: Monotheism and Christology in the New Testament” (Grand Rapids: William B.Eerdmans Pub.Co., 1998), p.11.

2.        同p.25-76

3.        The Dead Sea Scrolls Bible: The Oldest Known Bible Translated for the First Time into English, translated and with commentary by Martin Abegg, Jr., Peter Flint, and Eugene Ulrick (San Francisco: Harper San Francisco, 1999).

4.        G.L.Robinson and R.K.Harrison,”Isaiah”, International Standard Bible Encyclopedia」 (Grand Rapid: William B.Eerdmans.1982) vol.2, p.900

5.        同

6.        イザヤ書の統一性について更に詳しくは、Robinson and Harrison, p.896-902参照。

7.        Derek Kidner,”Isaiah”, New Bible Commentary, 21st Century edition, G.J.Wenham, J.A.Motyer, D.A.Carson, R.T.France, ed. (Leicester, Eng, : Inter-Varsity Press, 1994), p.631

8.        Brevard S.Childs, “Isaiah”, (Louisville: Westminster John Knox Press, 2001), p.4

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