聖書の教え– tax –
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足の裏で踏むところ
モーセの後を継いだヨシュアを神様は次の様に励ましました。 「あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。・・・」 <旧約聖書・ヨシュア記1章5節> -
神様のバラ園
体には色々なパーツがあり、それぞれの役目があります。目と耳の目的は違いますし、手と足の目的も違います。それぞれのパーツが必要であり、目的が違います。ですから〇〇より〇〇が大切とか、〇〇は〇〇より優れているとか、〇〇は必要でないとかは言えません。全体で一つの体です。 -
知恵者中の知恵
聖書に、知恵者中の知恵者、と記されている4つの小さな存在があります。蟻、岩だぬき、いなご、やもり、です。それらのどこに知恵があるのでしょうか? -
遠回りの成熟
私たちは時に、困難やつまずきによって遠回りを経験する事があります。物事は、なかなか思い通りにいかないものですが、それによって何か良いこともあるのでしょうか。 -
人間の限界
社会は人々の間の公平性を追い求めてきました。また今も追い続けています。しかし、追っても追っても遠のくばかりで実現できません。この世は元々公平には出来ていない、と聖書は主張します。では、どこに希望を持てば納得して幸せに生きていけるのでしょうか。 -
自分発
本田健さんは次のように言っています。「自分が影響を受けた方々は、皆自分発で生きていると感じた。何をするにも彼らは自分の意志を明確にしてからスタートする・・・」 さて、あなたは自分発の生き方をしておられますか? 自分発の生き方を考えてみましょう。 -
産みの苦しみ
稲田牧師はこのように言っています。「家庭での生と死がなくなり、ほとんど私たちの見えない所で生命のドラマが起こっているところに現代の不幸があるのかもしれません」 確かに生命のドラマは私たちの見えない所で起こっていますね。考えさせられる言葉です。 -
父のさとし
子供にとって父の諭は大切な事です。聖書にはこのように書かれています。 子らよ、父の諭しを聞け。分別をわきまえるために、耳を傾けよ。 わたしは幸いを説いているのだ。わたしの教えを捨ててはならない。 <旧約聖書・箴言4章1~2節> -
糊付けされた家族
新約聖書の原典はギリシャ語で書かれています。日本語で「仲間に加わる」という言葉をギリシャ語にすると「糊づけする」とか「一体となる」という意味があるそうです。教会だけではなく、いろいろな集団で「仲間に加わる」という事があります。異なった個性や感性を持った人たちが集まって「糊づけ」されます。そしてそこから何かが生まれていきます。 -
公平性の矛盾
平等と公平は一致しない様です。家族、グループ、職場、社会で、いろいろな問題が起こってきます。これは一体どう考えれば良いのでしょうか?