第13章 本当に復活された!(マルコによる福音書15章42節~16章8節)
新しい宗教にとりましては、これほどまでに将来性のない拠りどころをだれも想像はできません。その宗教の創始者は、犯罪者として死刑に処せられてしまいますし、この御方が厳しい試練に遭遇した時、その弟子たちはみなこれを見捨てて逃げてしまい、人間にも、そして神にも見捨てられ、彼は孤独の内に死んでしまいます。御自分のことにつき、たとえどれほど壮大な考えを抱き、そのことを他者に表明して来たにせよ、死んでしまえば、それらは明らかにすべて妄想であったとして、一巻の終わりということになるでありましょう。
ところが、それが終わりとはならなかったのがこの宗教でした。それどころか、こうしたことが、この御方の影響のただの始まりに過ぎなかったのです。この御方の墓から、新しい宗教が芽を吹き出し、それがエルサレムから広がって、北に南に東に西にと、伸展して行ったのです。それは、地上のあらゆる信仰の中で、最も広範囲にそして最も長期にわたる宗教となって行ったのです。何世紀にわたっても、その人の持つ光やその教えはかすむことがなかったのです。王たちや諸王国が出現したりまた消え去ったりいたします。そして種々のイデオロギーが諸国を魅了し花を咲かせ、しかしやがてまた色あせていくのです。技術革新、また、いろいろな発明そして発見もしかり、それが湧き出ては流れ去って行くこととなるでしょう。しかしながら、一方この御方の場合、それは決して色あせることはなかったし、今後ともその光が欠けていくことはないでありましょう。
この御方の御教えの中で、しばしばアッと驚く結末を持つ物語がありました。時々この御方は、オー・ヘンリーの短編の終わり方のように、「先の者は後になり、後の者は先になる」と語られたりして話を閉じたのです。そして御自身に関する物語は、まさにあらゆる時代の中での最大の逆転劇でありました。最後の最後に死なれる御方が、始まりの始めとして現れるというのです。そして、そのようになったのです。「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(フィリピ2の9~11)。
どのようにして、そのようなことが起こったのでしょうか? このような、いかなる小説よりも不可思議な、ナザレ人イエスの物語が生み出されるに当たってはいったい何があったのでしょうか? あまりにも驚嘆すべき事柄なので、そしてあまりにもあり得ないような出来事なので、それは人間の理性や経験の限界をはるかに超えていて、究極的には、あなたはただそれを信じて受けいれるか、あるいはこの世の範疇を超えていることとしてこれを拒絶するかの、どちらかでしかあり得ないようなことなのでした。
主イエスは死からよみがえられました。彼はあの恐怖の金曜日に確かに死なれたのです。ローマ人たちによって死んだと宣言されました。その弟子たちによっても死なれたことが確認されました。しかし、それから3日目の日曜日の朝、この御方は墓を後に残し空にして、復活されたのです。
それは、意識不明からの蘇生ではありませんでした。時折、死んだと宣告され、死んだと思われた人が、息を吹き返すことがあります。たとえば、数時間冷たい水に浸っていた人の意識が戻ったという例がありました。その人は死んではいなかったのです。そのように見えただけであったのです。そして現代の医療の世界では、心臓が止まってしまった人たちが生き返させられるケースがみられます。救急医療のスタッフが、死を逆転させる場合があります。
しかし主イエスの場合は、よみがえられたのです。決して、単なる意識回復ではありません。復活の肉体は、現在の身体とは著しく異なります。復活された主イエスは、その弟子たちと会話なさったり、共に食事されたときは、彼らにはなじみ深い様子でしたが、しかし、復活の主は弟子たちのところに少なくとも2度、突如出現しておられます。いずれの場合も、部屋は完全に内側から施錠されていた状態であったように思われる状況にもかかわらず現れられたのです(ヨハネ20の19、26)。
復活は主イエスの冠たる奇跡です。それは、この御方が主張しておられる御存在、すなわち、神の御子であられることを示します。あの金曜日の恐るべき出来事は、単に正義の滑稽な戯作による卑劣な処刑であった訳ではありませんでした。それどころかあの十字架は、御神が、二人の強盗の間に磔にされたこの「重罪犯人」を承認しておられたことの実証であったのです。そしてこの承認を御神は、「重罪犯人」である彼を死人の中より復活させるという究極的な証拠によって証明されたのです。
この御方の場合を除くすべての人間の物語は、死をもって終わりを迎えます。しかし、この御方にとっては死は終わりではなく、壮大で、アッと言わせるような最終章の、序曲でありました。その死はすべての事柄の偉大な始まりであったのです。
復活ということは、死は、決してわたしどもの人生の最後とはならないのだという希望の始まりです。主イエスと同様、わたしどもも、命によみがえらされるということ、それは決して単なる蘇生ではなく、完全な傷のない個性と、もはや病気にも、老齢にも、そして死に至ることもない身体でもって復活させられる希望です。
それは新しい宗教の始まりでした。アダムのすべての息子や娘に対する希望のメッセージを携えた宗教です。もろもろの教えや日常生活のための道義を具体的に示している宗教でありますが、しかし、その中でもとりわけ、ナザレのイエスを中心においている宗教です。そしてまたそれは、あの金曜日の忌まわしい出来事と、その詳細とを隠ぺいしようとすることなく、むしろこれらの出来事の中で、世界の救いのため、御神はその目的遂行のため、働いておられたことを確証づけようとしている宗教なのです。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(コリント二5の21)。それゆえ、確信をもって未来に大胆に立ち向かう宗教であります。古来の敵すなわち、死と命とを結んでいた鎖を、主イエスが永久に断ち切ってくださったので、その敵はすでに完全に打ち負かされているのですから、わたしたちも主イエスにあって生きることになるのだと大胆に宣言していくそのような宗教が始まったのです。
主イエスの復活なくしては、カルバリーの十字架は、人生にとっては何の意味もなさない終焉となったのです。気力を失った一団の弟子たちは、あたかも沈み行く舟のような状況の中、裏切る者たちのようにして彼らの主を棄て去ったのです。従って主イエスの復活なくしては、希望のメッセージもなかったのです。死は今も依然として支配しています。ですから、主イエスの復活なしでは、キリストの教会も存在しなかったのです。
埋葬
主イエスに関する描写の他の部分と同様、四福音書は、復活に関する記事にしても、それぞれ、詳細においては異なります。しかし基本的な要素については一致しております。マタイだけが、一人の天使が下ってきて、墓の入り口の石を転がしたこと(マタイ28の2~4)と、主が残っていた11人の弟子たちとガリラヤの山の上で会われたこと(16~20節)とを告げております。ルカは、エマオの道で起こった出来事を詳細に伝えております(ルカ24の13~35)。ヨハネによる福音書からは、主がマグダラのマリアに御自身を現されたこと(ヨハネ20の11~18)と、疑うトマスとのやり取り(24~29節)、そして弟子たちが漁を試みていた時の出会いの描写(ヨハネ21の1~24)が見られます。
本章ではマルコによる福音書の記述に焦点を合わせて考えることにいたします。このように他の福音書にもいろいろと興味津々の話が盛られておりますのでマルコだけに限定することはかなり難しいことなのですが、しかし、マルコの語る物語をはっきりと聞き分けるためには、この限定は是非必要なことです。実際にはマルコが述べておりますように、その記述内容は実にすばらしい物語なのです。しかし、後で触れますように、驚くべき要素を宿している内容でもあります。
マルコによる福音書全体を通してそうなのですが、彼は何があったのかを、注釈を加えることなく、報告的に、単純に、しかも率直に出来事を記述しております。彼はその解釈を、読者自身がするようにさせております。書きあらわしたことの重要性は読者自身が把握するようにと意図しております。
まずマルコは、主イエスが「大声を出」されて最後の息を引きとられた(マルコ15の37)後で何があったかを記述しております。その中に新しい人物が登場してまいります。アリマタヤ出身のヨセフです。この人物についてはここの記述以前では何の記録もありませんし、これ以降でも出てきません。彼はスポットライトを浴びて突然登場し、危急時に一つの重要な役割を演じます。
イエスは死なれました。しかし、十字架上に磔にされたままです。ローマ人たちの慣習では、主イエスがそうでありましたように、反乱罪のゆえ十字架刑に処せられた者たちは、強力なローマに公然と反抗しようとする者たちに対する見せしめとして、数日は死んだ後でも腐っていくままそのままに放置されることがしばしばであり、死体の早期の取り降ろしは、ただ総督が許可した場合に限り可能でした。
弟子たちはおろか、主イエスの家族でさえも申し出ておりません。しかし、ヨセフがそれをなしたのです。疑いもなくそのようなヨセフの行動は、ローマの権力者たちからは、犯罪者の仲間内の者としてのレッテルを、またユダヤ人当局者たちからは、イエスの隠れたシンパ(事実、彼は密かなシンパであったのです)として見られ、両方から危険視される可能性がありました。ピラトがヨセフの願いになぜ許可を与えたのか、その理由ははっきりとはわかっておりませんが、ヨセフがユダヤ人の有力者であって力があったのかもしれませんし、あるいはまた、彼にとっては惨めな出来事であった処刑に対するその罪滅ぼし的な気持ちが働いたのかもしれません。
イエスが既に死んでいるとの報告を聞いた時、ピラトは「不思議に思い」とマルコは記しています。そこでローマ総督はすぐ百人隊長を呼んで確かめさせたとあります。十字架刑での死にはしばしば数日かかります。炎天下でのさらし、体液の蒸発、苦痛、そして犠牲者はついに死に至るのです。しかし、イエスはたった6時間足らずで死んだのです。
死が確認された上、下げ渡されたので、「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた」(マルコ15の46)のです。
これらすべての詳細な事柄は、一つのことを強調しております。それは、主イエスが間違いなく死なれたのだということです。ヨセフは「遺体」を引き取りたいと願い出ております。百人隊長もピラトに死を報告しております。それで、死体を葬りのために準備し、それを岩を掘って作っておいた墓に横たえ、それから墓の入り口を重い石を転がしてふさぎます。それから更に、マグダラのマリアやヤコブの母マリア、それにサロメとが、イエスの御身体に塗るために香料を買い求めに行っております(マルコ16の1)。それは保存のためではなく、腐っていくことから来る悪臭を覆うためでありました。ですからその婦人たちは主イエスが死んだと考えていたのです。もう一度息を吹き返す人にそのような香料を塗布することはないからです!
その要点はごく簡単です。そうです。あまりに基本的なことでありましたので、繰り返し強調されねばならなかったのです。主イエスは本当に死なれたのです。ある批評家たちが言うように、主は決して一時失神して、後に墓の涼しいところに置かれて息を吹き返したようなことではありません。その場に臨んでいたすべての人々が、主は死なれたことを証言しております。パウロもその福音の要点を語っているところで、この点を強調しております。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」(コリント一 15の3~5)と。
マルコの記述からもう一つの重要な事実に注目しなければなりません。それは主イエスは秘密裏に葬られたのではなかったという点です。ヨセフはどこに葬られたかを知っております。そして婦人たちはそれを見ていて、日曜日の朝早くそこへやって来ております。(マタイは、イエスの敵が主の死体に何かが起こるかもしれないと感じ取ったので、番兵を置くようにしたという点を付け加えております〔マタイ27の62~66〕)。このようなわけですから、弟子たちが死体を密かに運び出して、秘密裏にそれを葬りなおし、その上でイエスがよみがえったのだという話を作り上げたのであるといった類のいかなる推測も論外として即座に排除することができるのです。
墓は空っぽです!
このようにして日曜日の朝になるのですが、ここからは、マルコが語るそのままの話に耳を傾けてみましょう、
「そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と。』婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(マルコ16の2~8)。
早朝のかすかな光の中で、墓に急ぐ婦人たちが交わす会話をほとんど耳にすることができるような気がいたします。彼らは決して復活した主イエスと再びお目にかかれるであろうかなどということはおろか、安息日の始まる直前まで彼女たちが見ていた同じ場所ではない所に(誰かが何らかの理由で移したためヨセフの墓ではない別な所に)主イエスが横たえられているのを見いだすかもしれないなどとも、みじんも考えてはおりません。
そうではなく、彼らの会話は実際上の心配事についてでした。すなわち、主イエスの死体に香料をふりかけるためにどのようにしたら墓に入れるかという点でした。金曜日の夕方、その墓を離れる直前彼らは、アリマタヤのヨセフが(おそらく僕たちに手伝わせ)、墓の入り口に大きな石を転がしてそれを閉じるのを見ておりました。主の御身体の所に行くためには、まずその墓に行き、それからあの大石、墓の入り口の戸となっている大石、それは婦人たちにはあまりに重くて動かせるものではない程の大石でありましたので、彼らのためにそれを動かしてくれるような誰かを見つけることができるであろうか? という心配事でありました。
わたしはこれらの婦人たちを尊敬してしまいます。彼らはまずガリラヤで、それからエルサレムにおいても、変わらない献身を主イエスに捧げております。ペトロや他の者たちは主イエスを見捨てて逃げましたが、この婦人たちはそうではありませんでした。あの金曜日の長い暗黒の時にも彼らは十字架の上で苦悩されるイエスと共に、側近く立ち、見つめ、言葉を超えた苦しみに泣いていたのです。彼らのしていたことは極めて危険なことでした。ローマの権威者たちは、ローマへの裏切り行為で十字架刑で処刑されている誰かに同情的な者については、簡単に同じ十字架刑に処すことができたからです。しかし、主イエスが大声を出し、最後の息を吐いたときにも、彼らはなおもその場にいたのです。ヨセフが来て十字架から遺体を取り降ろした時も、彼らはついてゆき、彼が布で遺体を包み、墓に横たえ、墓の入り口に石を転がすのをすべて見ていたのです。日差しが伸び、長い影で周りを覆いはじめるようになったときになって、初めて彼らはその場を離れたのです。
しかし、安息日が終わるや否や、すなわち土曜日の夜になって、彼らは遺体に塗る香料を、更に買い求めております。そして今、次の日の最初の光が見え出す頃、彼らは集まり一緒になって、彼らの愛してやまなかった御方への最後の献身の行為を果たすため出発するのです。
他のすべての者たちが主イエスを棄てたかもしれません。しかし彼らはそうではありませんでした。
他のすべての者たちが困惑と疑いの中に投げ出されたかもしれません。しかし彼らはそうではありませんでした。
そして他のすべての者たちが主イエスとの関係を考え直したかもしれません。しかし彼らはそうではありませんでした。
起こったすべての事柄にもかかわらず、そしてそれがたとえどんな犠牲を払うようになろうとも、彼らはかつて主イエスを愛したように、今なお愛したのです。
しかし、彼らはあの大石のことをわずらう必要はなかったのです。彼らが墓に近づいて見ると、彼らはそれが既に転がされているのがわかったのです。驚きと感謝の入り混じった心で、彼らは墓に到着し、その中に入って行きました。しかし、遺体はなかったのです! そして主イエスの遺体ではなく、白い衣に身を包んだ一人の若者が、墓の中の右手に座っているのを見ました。
これはいったいどういうことなのだろうか? といぶかしむ婦人たちに、「驚くことはない」とその天使は言ったのです。そして更に、「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」と。
それから更に続けて彼は、「さあ、行って、弟子たちとペトロとに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」(6、7節)語ったのです。
ガリラヤ! 受難週の木曜日の夜、主イエスが逮捕される前のこと、主は、弟子たちに言っておられました「。わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(マルコ14の28)と。その御言葉は彼らには理解できないことのように思われたのです。今やその若者(天使)は、あのとき主イエスが言われたあの不思議な御言葉を思い出させるようなメッセージを、弟子たちへの伝言としてこの婦人たちに託したのです。
マルコによる福音書16章6節と7節に見るその天使の伝言には、キリスト教の心臓部に横たわっている三つの真理を含んでおります。
第一、それは、主イエスがよみがえっておられるということです。その墓は空っぽでありその遺体はないのです。その御方は確かに墓に横たえられましたが、しかし、その御方は死の川のかなたの世界から戻ってこられたのです。
第二、それは、復活の主とは、御自身がその人たちを最も必要としていた時、その主を棄てたような卑怯未練な者たちを赦されるような御方であられるということです。そしてとりわけペトロに対してです。ペトロは弟子たちの間では指導者的立場を自他共に容認されていた人物でありましたが、その彼がこともあろうに、弟子たちの中で最大のしかも卑怯極まりない失敗をなしてしまって失意の中にいたとき、天使のメッセージの内に加えられた「ペトロ……に告げなさい」とは、驚嘆すべき、配慮に満ちた、あわれみ深い一言です。彼がわたしを見棄てても、わたしは決してペトロを見棄てることはしない。ペトロに、わたしは会いたいと言っていたと伝えてください。ガリラヤに行くようにとお伝えください。そこで会うとの約束をわたしたちはしていたのですから。
筆者はいわばあのペトロです。親愛なる読者の皆さん、おそらくあなたがたもそうではないでしょうか? たとえわたしたちは大いなる信仰告白をいたしましても、しばしば告白した程度には歩まないのです。しかしながら、御神をほめたたえましょう。復活の主イエスは今もなお、御自身に会うようにと、わたしたちを個人的な名でもって語りかけてくださるのです。
第三に、それは、復活の主は他の人々にこの物語を伝えるようにとわたしたちを召しておられるということです。
マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメとは弟子たちとペトロとに、主イエスがよみがえられたという素晴らしいニュースを伝えております。弟子たちとペトロもまた、この主イエスがよみがえられたという素晴らしいニュースを伝えております。そして、これらの時代の信徒たちは皆、その世界に向けて、あの墓は空っぽになったのだ、ナザレのイエスは死からよみがえられたのだ、そしてこの御方はすべての人々に対する希望と赦しと、そしてこの良い知らせを他の人々と分かち合うそのような特権とを提供しておられたのだと宣言したのです。
それからマルコは記録しております。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と。それはすべてあまりにも突然なことで、彼らにとっては身にあまる衝撃であったのです。大石は転がされてあり、遺体はなくなっており、若者がおり、そして彼の告げるあの驚くべきメッセージ。墓への道々、彼らは言葉を交わしながら行きました。しかし今はただ無言で、彼らはそこを急ぎ去り行きます。彼らは皆、畏敬の念に打たれ、狼狽し、恐れ、そして震え上がり、正気を失っていたのです。
マルコによる福音書のこの終わり方は、その始まり方をわたしたちに思い起こさせます。主イエスが教え、そして癒しをなさり始められた時、それに触れた者たちは皆一様に、驚きと驚愕とを感じたのでした。「これはいったいどういうことなのだ」と彼らは問いました(マルコ1の27)。「このようなことは、今まで見たことがない」(同2の12)!
主イエス、この驚嘆を与えられたお方は、最初でも、そして最後の最後にも人々を困惑させておられるのです。
マルコによる福音書の終章
これまでの部分は、確かに、ヨハネ・マルコの手によって書かれたものであると、言い得ると思われます。しかし、その16章9節以降の部分については、疑問点が倍加いたします。
古来の文書の中では、新約聖書はその真実性が最大限に証明されてきているよい実例です。とはいえ、わたしたちは、いわゆる「作家自筆の原稿」すなわち、マルコやマタイ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ペトロ、ヤコブ、ユダによる自筆の原本を持っていないのです。しかし今日わたしたちには、断片だけであれば紀元2世紀に遡ることのできる写本を含め、古来の写本の貴重な収集を有しております。このようなギリシア語原本からの古い写本の他、初代教会時代に他の言語に翻訳されたものや、古い「朗読聖書」(讃美歌の巻末にある交読文のようなもの)も残されております。
このような多数にのぼる古来からの資料は、新約聖書の原典を回復しようとする学者たちの作業に、かなりの高い確実性でそれを可能にするために寄与するところとなっております。聖書記者たちは、手でそれを書き、他の人々はそれを書き写し、書き写しして、15世紀の印刷機の発明までは、ひたすら手書きで他に伝えたのです。
明らかに誤写が入り込んで行きます。つづり字の間違い、脱字、行飛びなど。そしてある場合には、筆記者が正しいと思えなかったり、神学的に疑わしいと考えたような部分をよりわかり易くしようとして、意図的に変更を加えた場合も観察されます。このようなわけで、写本には多くの変化が見られるわけですが、しかしその大多数は、些細な内容です。資料となるものは膨大ですので、通常、学者たちは、写本の内容に違いが生じている場合に、それがどこから始まったのかを遡って調べてみる方法をとっております。ごく少数の例外を除いて、より古い記述の方が原典的には信頼性が高いと考えられております。
さて、マルコによる福音書の場合、その16章8節までは問題とされてはおりません。しかしそれより後の部分についてはかなり不確かです。16章9節から20節の部分は、最古の写本や、信頼度が高いとされているいくつかのギリシア語写本には記述されておりません。初代教会から4世紀にわたる教父たちも、これらの節を、マルコの手になったとはいたしておりません。
一方、初期の写本の中には、この福音書の末尾に付された言葉としてもう一つの文章を見いだすことができます。その文は、マルコによる福音書16章8節の後に挿入されていたものですが、それはこうです。「婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン」
この文はマルコの声のように思われますか? 翻訳文であっても、これらの言葉は少々耳障りな感じがいたします。ギリシャ語の原語で見ますとその違いがもっとわかります。
そこで、マルコによる福音書は主イエスの物語をどのように終えようとしたのでしょうか? わたしたちにははっきりとはわかりかねます。一つの可能性としては、9節から20節の中に出てくる言葉を彼が書いたという考え方です。セブンスデー・アドベンチスト・バイブル・コメンタリーもこの問題を論じており、難しい問題であることを認めつつも、彼らはこれらの節を含めて考える方を選択しております。①
ただし、その考えにはわたしはあまり確信が持てません。写本の観点からもその支持基盤は弱いですし、わたしの判断では、ここの部分は、誰か他の人の手によって書き加えられた何らかの徴を見るように思えてます。すなわち、8節で終えるのはあまりに唐突に過ぎるので、何か「適当な」結文をこの書は必要としていると感じた誰かの、付加文の気配を感じるのです。
その他にもう一つの理由があります。わたしたちが疑問視している結語文の中にだけある言葉なのですが、復活の主イエスによる言葉とされる、次の言葉が見られます。すなわち、「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」(マルコ16の17、18)。
この教えに基づいているとして、あるキリスト教と称する非常に奇妙で異常的行動に走っているグループが派生しております。米国の西ヴァージニアの山中に、現在、イエスの御名の下にあると主張している何人かの人々がいて、彼らは、ガラガラ蛇を何匹か捕まえてきて、礼拝の最中に講壇上でそれらを手渡しするのです。このいかにも怪奇な風習の中で、害を受けないで生き延びる能力があれば、これが真の信仰者の証明となるとしているのです。わたしはこのような奇怪な行為とその背後下にある神学とは互いに相対立していることを見いだしております。それは使徒パウロが毒蛇にかまれても死ななかった経験(使徒言行録28の3~6を参照)からは、はるかに遠いものであることがわかります。パウロの場合は、彼らとは異なり、その行為は決して見世物的ではありませんでしたし、それは、キリスト者として奉仕している最中に、たまたま遭遇した出来事でありました。
それでは、マルコによる福音書の終わり方としてはどんな選択肢が考えられるでしょうか?
1 16節から20節を含めてマルコがすべて書いたとする。これが結局は、終わり方の問題に対する正解であるかもしれません。
2 マルコは8節の後の部分も書いたかもしれないが、それが見失われてしまったとする。その書が終わっていないと感じていて、2世紀の誰かが、9節から20節として知られている部分を書いた。そして更に、2世紀の他の誰かが、上に示した短い方の結語を書いたとする見方で、実際、その後の時代になって他の結語を書こうとした他の試みもあったことがわかっています。
3 マルコは16章8節でその福音書を終わろうと意図していたとする。確かにそのような終わり方は唐突に見えるので、2世紀以来この方、今日まで多くの読者は、マルコはもっと書いていたに違いないと考えるのですが、しかし、ある学者たちは、注意深くマルコによる福音書全体を辿ってみて、マルコならこのような形でその福音書を終えた可能性があると考えるようになってきております。震え上がり正気を失ったあの婦人たちのように、意図的に読者たちをして驚かせ、畏敬の念を抱かせたままに残しておく方法です。
以上の中で、わたしは最後の見方が説得力があると思います。マルコはその出だしから、この本は「神の子イエス・キリスト」についての福音書なのだと告げております。どのようにしたら良い締めくくりとなるのでしょうか? 無駄な言葉が一言もないようなかたちで、事例は結審を迎えようとするのです。そしてその討論のまさに終わりにおいて、読者は主イエスの、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか?」との探る問いに、答えを出すようにと強いられるかたちなのです。
最後の言葉
マルコがどのようにその福音書を終えたかをわたしたちが知ろうと知るまいと、彼が最後に言わんとしていた言葉が変わることはありません。たとえそれが16章8節で終るとしましても、そしてそのような終わり方のほうがむしろ根拠があるとわたしは考えているのですが、マルコが告げていることは、主イエスは裏切られ、死刑の判決を受け、棄てられ、十字架刑で処刑され、殺されて葬られた御方であられること。そのイエスが死からよみがえられることにより、御自身がイスラエルの真のメシアであり神の御子であられると主張しておられた、まさにそのとおりの御方であることを御神により証明されたのだ、という点なのです。
この福音書の記者はその墓は空であったと告げております。そしてその上、主イエス、そのよみがえられた主は、御自身の弟子たちに個人的に関わられることを物語っております。これらのことは、マタイ、ルカ、ヨハネによって語られている復活に関する内容と同様の筋書きです。四福音書すべてが、主の墓は空っぽであったことを告げておりますし、復活された主が一人ではなく何人かの人々と出会っておられたと語り伝えております。
信じているわたしたちは、生ける主という事実に関しては、三つ目の証言をなすことができます。それはおそらく、前述の2番目の証しの延長線上に実際は位置づけることができるのだと思います。それはこういうことです。主が個人的にわたしたちにお目にかかってくださるので、主は、死からよみがえられたのだということをわたしたちは知っているということなのです。たとえマグダラのマリアのように、わたしたちは主を目で見ることはできなくとも、またエマオへの途上のクレオパとその仲間の場合のように、主と対話するようなことができなくても、あるいはまたトマスのように主に直接触れてみなさいと言われることがなくても、わたしたちの主との出会いはまさに現実的で、主との会話も真実そのものなのです。
わたしたちの歩みの中における証しは、主イエスの最初の御弟子たちの経験のまさに反響でもあります。主イエスは生きておられるのです! わたしたちが従っているのは、当の昔に死んでしまっていなくなってしまっているそのような御方にではありません。死なれはいたしましたが、死の囚われの家より、それを突き破って出てこられた御方にこそ従っているのです。主イエスは、今生きておられるのです!
そうです。ガリラヤの男や女たちに同情を示された、その同じ主イエスが、今日あなたがたや、わたしに同情を降り注いでおられるのです。主イエスは生きておられるのです。
あの時、男や女たちに希望や癒しをもたらされた、同じ主イエスがあなたがたやわたしに希望と癒しをもたらしておられるのです。
人々に赦しを与えられ、全人的再生を与えられた、同じ主イエスが、今もなおあなたがたやわたしに赦しを提供し全人的再生を与えておられるのです。主イエスは生きておられるのです!
このような御方こそが主イエスであり、サタンの征服者、死に打ち勝たれた御方なのです。
このような御方こそが主イエスであり、永遠に生きてる御方なのです!
このような御方こそが主イエスであり、神の御子なのです!
参考文献
① The Seventh-day Adventist Bible Commentary vol.5, pp658, 659.
*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の編集長ウィリアム・G・ジョンソン(英William G. Johnsson)著、2005年3月1日発行『マルコーイエス・キリストの福音』からの抜粋です。