【エフェソの信徒への手紙】クリスチャンの戦い【5章解説】#12

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現実の戦い

聖書は二つの重要な記録をもって始まっています。一つは、神が完全な世界を創造し、それをアダムとエバの管理にゆだねられたことです(創1:27、28)。もう一つは、サタンがアダムとエバを神に反逆させ、世界と全人類を罪の呪いのもとに置いたことです(創3章)。聖書はまた、二つの大いなる福音を宣言しています。その一つは、神が御子を、世の罪を負って死ぬために地上に遣わし、それによって堕落した人類を御自分に和解させてくださったことです(Ⅱコリ5:14~18)。キリストの十字架と復活は、罪とサタンが世の終わりにおいて完全に滅ぼされることの保証です。もう一つの福音は、神が聖なる者たちの家郷として新しい天と新しい地を創造してくださることです(ヨハ14:1~3)。

聖書は、先の二つの出来事と後の二つの出来事の間に繰り広げられる、キリストとサタンの大いなる闘争について描写しています。私たちはみな、この闘争にかかわっています。今回は、この戦いに勝利する方法について学びます。

「最後に言う」(エフェソ6:10)

「最後に言う」という言葉をもってパウロは霊的戦いについて勧告を始めます。ここまで彼は、神がキリストによって私たちを罪から贖って下さったこと、聖霊によって私たちに証印を押して下さったこと、私たちを一致の交わりに導き入れて下さったこと、そして私たちを神の家族として下さったことについて説明しました。神は、私たちが古い、罪深い生活を捨て、新しい、変えられた自己を身に着け、聖潔・愛・光・知恵・信心深い人間関係のうちに歩むことによって、「[神の]招きにふさわしく歩」む(エフェ4:1)ように期待しておられます。クリスチャンの生活と歩みは「聖霊に満たされた」ものでなければなりません(エフェ5:18参照)。

しかし、クリスチャンに対抗して働く悪霊がいます。サタンは、ペトロに対してそうしたように、私たちをも支配しようとしています(ルカ22:31)。それゆえパウロは、「最後に言う」、サタンに対する日ごとの戦いに備えなさい、と言うのです。

問1

ルカ22:31を読んでください。イエスはここで、サタンがペトロをふるいにかけることを願った、と言っておられますが、これはどんな意味ですか。サタンが人をふるいにかけるのは何のためですか。

問2

エフェソ6:10の勧告は、どのように戦うよう教えていますか。その御言葉は勝利についてのどんな希望を与えてくれますか。

神はキリストにおいて私たちのために働いておられる、とパウロは言っています。キリストが地上に来られたとき、神とサタンとの宇宙規模の戦いは新たな局面を迎えました。十字架上におけるキリストのサタンに対する勝利は、信じる者たちが神に受け入れられることの基礎となりました。しかし、彼らの天国への旅は始まったばかりです。今後、彼らは多くの戦いを経験しなければなりません。抜け目のない敵と戦わなければなりません。「悪魔の策略に対抗して」戦わなければなりません(エフェ6:11)。「われわれは、神が、み名の栄光のために、神の全能の力を人間の器の努力に結びつけてくださることを、心から確信して期待することができる。われわれは、神の義の武具をまとって、すべての敵に勝利することができるのである」(『国と指導者』上巻82ページ)。

「悪魔の策略」(エフェ6:11)

パウロは霊的戦いを描写するにあたって、まず「悪魔の策略」(エフェ6:11)に気をつけなさいという一般的な警告を与えています。

悪魔の策略とは何でしょうか。悪魔はいつでも、はっきりと悪とわかる方法を用いて信者を攻撃してくるわけではありません。彼のやり方は巧妙で、ときには気高い動機に訴えます。たとえば、エバを誘惑するにあたっては、[神のように善悪を知るものとなるという]高尚な動機に訴えています(創3:1~5)。ユダに対しては、地上にメシアの王国を建設するという熱意に訴えています。

C・S・ルイスはその寓話小説『悪魔の手紙』の中で、悪魔の親玉スクルーティプが聖徒をわなにかける技に熟達していない手下の悪魔に宛てて書いた一連の手紙を紹介しています。たとえば、ヨハネがリウマチで苦しむ母のために祈っているときには、ヨハネが祈りに対する信仰を失うように仕向けてはならない、と助言しています。むしろ、ヨハネが四六時中、母のために祈るように仕向けるべきである、と助言しています。そうすれば、ヨハネは痛む母の関節をマッサージするのを忘れてしまうからです。

また別の手紙では、クリスチャンの心を[解決可能な]現実の、身近な問題からそらせて、[解決不可能な]大きな、手に負えない問題に取り組むようにさせなさい、と助言しています。彼はこの作戦を名づけて、「洪水が起こるたびに信者たちに消火器をもって走り回らせよう作戦」と呼んでいます(128、129ページ、1956年)。

問3

次の聖句の中で、サタンはどのように働いていますか。特に身近に感じるものはありますか。ヨブ2:9、ゼカ3:1、ルカ22:3、黙12:12、マコ4:15、Ⅱペト3:4、Ⅰテサ2:18、Ⅱコリ2:10、11

問4

パウロは私たちの直面する敵について何と言っていますか。私たちの戦いはどのような戦いですか。エフェ6:12

第一に、私たちの主要な敵は「血肉」(エフェ6:12)、つまり人間ではありません。利己心、高慢、自己中心癖、敵意などはみな、クリスチャンが戦わねばならない勢力ですが、これよりも大きな宇宙的な勢力が私たちと神との関係を断ち切るために働いています。

第二に、私たちの敵は「支配と権威、暗闇の世界の支配者」と描写されています(エフェ6:12)。それらは「悪の司令部からの霊的代理者」です(12節、フィリップス訳)。この描写は驚くべきものですが、現実のものです。それは神に対する私たちの忠誠心を失わせようとする、超自然的、宇宙的、悪魔的な勢力を表しています。私たちはだれの側に立つべきでしょうか。サタンの側でしょうか。神の側でしょうか。これがクリスチャンの戦い、キリストとサタンとの大闘争の焦点です。

サタンは私たちの敵です。残忍で、恐るべき敵であるサタンは邪悪な戦士であって、「ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(Ⅰペト5:8)。彼は告発する者(黙12:10)、偽り者、人殺し(ヨハ8:44)です。彼は初めから罪を犯しており(Ⅰヨハ3:8)、主の道をゆがめ(使徒13:10)、「全人類を惑わ」し(黙12:9)、神の残りの教会に戦いを挑み(黙12:17)、聖なる者たちを迫害し(黙2:10)、光の天使を装い(Ⅱコリ11:14)、世の終わりになると、最後の戦いにおいて神に敵対する者たちを率いて、神の支配を覆そうとします(Ⅱテサ2:4~10)。クリスチャンは、この超自然的な存在者、また堕落した天使からなる彼の軍勢と絶えず戦っているのです。「すべての魂において、二つの勢力が勝利を求めて激しく戦っている。不信仰はサタンに率いられて、私たちを力の源である神から切り離すためにその勢力を結集している。信仰は、私たちの信仰の創始者であり完成者であるキリストに率いられて、その勢力を結集している。天の宇宙の目には、時々刻々と戦いが進展している。これは直接的な戦いであって、最大の関心事は、だれが勝利を収めるか、である」(エレン・G・ホワイト『神の息子・娘たち』328ページ)。

「その偉大な力によって強くなりなさい」(エフェ6:10)

クリスチャンの戦いを描写する「格闘」(エフェ6:12、新改訳)という言葉は、二つのことを暗示します。一つは、それが相撲のように一対一の戦いであるということです。もう一つは、敵が相撲の相手のように目に見える直接的な反対者であるということです。この敵は巧妙かつ大胆であって、キリストを信じ、キリストに忠実に従っている者たちをだまそうとします。この戦いに勝利するか否かは、クリスチャンの生活と信仰の基礎である以下の三つの原則に従うか否かにかかっています。(1)「強く」なる(10節)。(2)「神の武具を身に着け」る(11節)。(3)「立つ」(11、13、14節)。今日は、第一の原則について考えます。

問5

「強くなりなさい」という表現は、ほとんどの場合は、肉体的な戦いであれ霊的な戦いであれ、恐れることなく敵に当たりなさいという神の招きを意味しています。つまり、神は「あなたの力はわたしから来る。だから、強くありなさい。恐れてはならない」と言っておられるのです。次の聖句はさまざまな状況においてどんな確信を与えてくれますか。それらの勧告をあなた自身の状況に当てはめてみてください。ヨシュ10:25、イザ35:4、ダニ10:19、Iコリ16:13

パウロは、「主に依り頼み……強くなりなさい」と勧めています(エフェ6:10)。神の永遠の敵に対抗できるのは、神の側に立つことによってのみです。「武力によらず、権力によらずただわが霊によって、と万軍の主は言われる」(ゼカ4:6)。人間の力がいかに偉大で、純粋で、道徳的に優れていても、霊的な悪の勢力には対抗できません。それに対抗できるのは霊的な勢力だけです。聖霊を通して神から与えられる力以外に、悪魔に対抗できる力はありません。イエスは言われます。「わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハ15:5)。パウロは言います。「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」(Ⅰコリ15:57)。神の恵みは私たちに十分です(Ⅱコリ12:9)。

パウロはさらに「その偉大な力によって強くなりなさい」と勧めています。主の力は「その偉大な力」(エフェ6:10)から出るからです。その力とは、キリストの復活において現された神の力です。私たちが「天にいる悪の諸霊」(エフェ6:12)と戦うのはこの復活の力によってです。

「身に着けて、立ちなさい」(エフェソ6:11)

パウロは続いて、信者に「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」と勧告しています(エフェ6:11)。

私たちは自分自身のうちに悪魔に対抗する意志の力も忍耐力も持っていません。私たちは生まれながらにして罪人です(ロマ3:23)。罪は私たちを神から引き離し(イザ59:2)、罪の奴隷とし(ヨハ8:34、ロマ6:16)、私たちの心と良心を堕落させました(Ⅱコリ3:14、Ⅱテモ3:13)。

問6

次の聖句は何を教えていますか。私たちはサタンと罪に対するこの戦いにどんな態度で臨むべきですか。マタ16:24、ルカ13:24、使徒14:22、フィリ4:1、Ⅱテモ2:3、ヤコ5:10、11、Iペト4:1

キリストは十字架上でサタンに勝利し、信仰によって彼を贖い主として受け入れる者たちにその勝利を与えてくださいます。しかし、私たちの新しい人生に戦いがないわけではありません。オランダの新約学者ヘルマン・リデルボスは次のように言っています。サタンの勢力は「、たとえキリストによって大いに弱体化したとはいえ、無害になったわけではない。しかし、彼らと十分に戦うことができるように、教会は神からの武具を与えられている。これらの武具で完全に武装しているので、教会は立ち続けることができる」(『パウロ神学の概要』392ページ、1975年)。

私たちはこの武具を身に着けて、神によって「暗闇の世界の支配者」との戦いに送り出されます(エフェ6:12)。この武具は偽りに満ちたサタンの策略に十分対応できるものです。サタンはずる賢い敵であって、正々堂々とは戦いません。彼は蛇の姿をとって口をきくことから(創3章)、光の天使を装うことまで(Ⅱコリ11:14)、あらゆる策略を用いてきます。それゆえにパウロは、「身に着けて、立ちなさい」と勧告しているのです。

「身に着けなさい」とは、自分のうちにないものを身に着けるようにという命令です。自分のうちにあるものでは、敵に対抗するには全く不十分です。この勧告はまた、永続性を暗示します。クリスチャンは「神の武具」(エフェ6:11)なしには一瞬も生きることができません。それは頭から足指まで、心の思いから行いまで、全体を覆うものでなければなりません。エフェソ6:11~14において4回、パウロは信者に「立つ」ように勧めています。しっかりと地を踏みしめ、敵に抵抗し、目を覚まして警戒し、決して屈服しないように勧めています。勝利は私たちのものです。

まとめ

宇宙規模の戦い

「神の御言葉の中には、この世界の人間を動かし、支配しようとする二つの相反する勢力が描かれている。これらの勢力は絶えず人間に働きかけている。神に支配されている者たち、天使によって動かされている者たちは、目に見えない闇の勢力の巧妙な働きを見抜くことができる。天の勢力と一つになりたいと思う者たちは、真剣になって神の御心を行わなければならない。いかなる点においても、サタンとその天使たちに妥協してはならない」(『SDA聖書注解』第6巻1119ページ、エレン・G・ホワイト注)。

一生続く戦い

「敵は魂を混乱させるためにあらゆる議論、あらゆる偽りを用いる。いのちの冠を獲得するためには、熱心な、たゆむことのない努力を傾けなければならない。贖い主によって勝利し、凱歌を奏でるまでは、武具を脱いだり、戦場を離れたりしてはならない。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスに目を向け続ける限り、私たちは安全である。しかし、私たちは地上のものではなく、天上のものに愛情を注がなければならない。信仰によって、高く、さらに高く、キリストの恵みに到達しなければならない。キリストの比類ない愛を日ごとに瞑想することによって、ますます彼の輝かしい姿に成長しなければならない」(エレン・G・ホワイト『今日のいのち』105ページ)。

私たちの敵は悪魔である、と教えられています。彼は強力な存在です。神の次に賢く力強いのは彼でしょう。悪魔に勝つ方法は、一つしかありません。「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」(6:10)。サタンに簡単に負ける方法があります。それは、一人で戦うことです。どんなに頑張っても、私たちは自分の力でサタンに勝つことはできません。キリストと共に働きたいと思う者が第一に学ばなくてはならない教訓は、自分に頼らない、ということです。一方、サタンは自分に頼ります。彼が絶対に言うことのない言葉があります。それは「主よ、助けてください」です。彼は決して神様に助けを求めません。彼は信頼することを知りませんから、すべてを自分でしようとするのです。なんと愚かなことでしょう。どんなに彼が努力しても、神様にはかないません。反対に、どんなに弱い者でも、単純にキリストに信頼するなら、その人ほど強い人はいません。神様が味方だからです。

*本記事は、安息日学校ガイド2005年4期『エフェソの信徒への手紙—イエスによる新しい関係の福音書』からの抜粋です。

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