【ガラテヤの信徒への手紙】パウロの牧会的訴え【4章解説】#9

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これまで見てきたように、パウロはガラテヤの人たちに遠回しな言い方をしませんでした。しかし彼の強い言葉は、自ら設立した教会の霊的幸福に対して彼が感じた情熱、霊感による情熱を反映したものにすぎません。ガラテヤ書は、パウロが対処していた神学的問題に加えて、広い意味で、正しい教理がいかに重要であるかも示しています。もし私たちの信じたことがそれほど重要でなく、教理的正しさがそれほど重要でなかったとしたら、なぜパウロは彼の手紙の中でこれほど熱烈であり、強硬なのでしょうか。言うまでもなく、実際のところ、私たちが信じていることは、とりわけ福音に関するあらゆる疑問において、極めて重要だからです。

パウロはガラテヤ4:12〜20において、少なくとも少しは訴え方を変えているものの、彼の演説を続けています。パウロは、ガラテヤの人たちに彼らの誤りを納得させるため、きめ細かく、神学的に難しい議論をこれまでいろいろしてきましたが、今やずっと個人的で牧会的な訴えをします。ガラテヤの人たちに真の関心を持っていなかった偽教師たちとは違い、パウロは迷える群れに対する良き牧者としての純粋な気遣い、心配、希望、愛を示しています。彼は単に神学を正していたのでなく、彼が愛する者たちを助けようとしていたのです。

パウロの心

ガラテヤ4:12〜20を読んでください。パウロの心に重くのしかかっている心配を最初に示しているのは、12節における「兄弟たちよ。お願いする」(口語訳)という個人的な呼びかけです。その直後に、「わたしのようになってください」という訴えが続きます。「お願いする」という言葉の重要性が、残念ながら、いくつかの翻訳では十分に伝えられていません。ギリシア語では「デモマイ」という言葉です。「強く勧める」とか「懇願する」と訳すことができますが、このギリシア語にはもっと強い絶望感が含まれています(IIコリ5:20、8:4、10:2参照)。パウロは心から、「どうかお願いだから!」と言っています。

パウロの心配は、単に神学的な考えや教理的な見解ではありませんでした。彼の心は、彼の働きを通じてキリストを知った人々の人生に深く結びついていました。パウロは自分自身を友人以上のものだと思っていました。彼は霊的父親であり、ガラテヤの人たちは彼の霊的子どもでした。しかし、それもさることながら、パウロは彼らに対する心配を、出産時の母親に伴う不安や苦しみにたとえています(ガラ4:19)。彼は、教会を設立した際の先の「産みの苦しみ」が「安産」には十分なものであったと考えていました。しかし今や、ガラテヤの人たちは真理からさまよい出てしまい、パウロは、彼らの幸福を手に入れるために、あの産みの苦しみを再度味わっていました。

パウロの頭の中には、ガラテヤの人たちのために目標がありました。彼らのための「産みの苦しみ」から、キリストが形づくられるのを見たいと思っていました(ガラ4:19)。最初に、ガラテヤの人たちを子宮の中で形づくられているかのように表現したあと、パウロは今や、あたかも彼ら自身が妊婦であるかのように語ります。「形づくられる」と訳されている言葉は、胎児の発育を指すために医学的に用いられていました。パウロはこの比喩によって、個人として、また教会という集団として、クリスチャンになるとはどういうことかを説明しています。キリストの弟子になるというのは、単に信仰を告白する以上のことでした。それには、キリストの姿へと根本的に変えられることが含まれます。パウロは、「ガラテヤの人たちに小さな変更をいくつか期待していたのではなく、彼らがキリストに見えるほどの変化を期待していたのである」(レオン・モリス『ガラテヤ書』142ページ、英文)。

なることへの挑戦

Iコリント11:1、フィリピ3:17、IIテサロニケ3:7〜9、使徒言行録26:28、29を読んでください。パウロは彼のさまざまな手紙の中で、彼に倣うようにとクリスチャンに何度も勧めています。いずれの場合でも、信者が見習うべき、信頼できる手本として彼自身を示しています。パウロはIIテサロニケ3:7〜9において、テサロニケの信者たちが自分の生活費をいかに稼ぎ、他者の重荷になるべきでないかということの模範として、彼自身を提示しています。Iコリント11:1では、他者の幸福を第一にすることにおいて彼をまねるようにと、コリントの信者に求めています。しかし、ガラテヤの人たちへの心配は、いくらか違うようです。

パウロはガラテヤ4:12において、彼を「まねる」ようにとは求めていません。そうではなく、彼のように「なってください」と求めています。彼は、振る舞うことではなく、なることについて語っています。なぜでしょうか。ガラテヤでの問題は、コリントの教会のように、不道徳な行為や不信心な生き方ではありませんでした。ガラテヤの問題は、キリスト教そのものの本質に根差していました。それは、「言動」に関することというよりも、「なること」に関することでした。パウロは、私のように行動しなさい、とは言わずに、私のようになりなさい、と言っています。ガラテヤ4:12とまったく同じ用語が、使徒言行録26:29におけるヘロデ・アグリッパ二世に対するパウロの訴えの中に出てきます。彼はそこで、「王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」(強調著者)と書いています。言い換えれば、パウロは、クリスチャンとしての彼の経験、キリストの上にだけ置かれた土台、彼の律法の実行ではなく、キリストが彼のために成し遂げられたことへの信仰について述べています。ガラテヤの人たちは、キリストにおける彼らのアイデンティティーよりも彼らの行動に、より大きな価値を置いていました。

パウロはガラテヤの人たちに、いかに彼のようになってほしいと思っているか、具体的には記していませんが、ガラテヤ教会の状況という背景からすると、彼の人生のあらゆる側面や細かい部分を含めた十把ひとからげの表現ではないようです。パウロの関心事はガラテヤの人たちの律法中心の宗教でしたから、彼の頭の中には、すばらしい愛、喜び、自由、そして彼がイエス・キリストの内に見いだした救いの確かさなどがあったに違いありません。キリストという並外れた不思議に照らして、パウロはそれ以外のものを塵あくたとみなすようになっていました(フィリ3:5〜9)。そして、ガラテヤの人たち自身も同様の経験をしてほしいと望んでいました。

私はあなたがたのようになった

Iコリント9:19〜23を読んでください。パウロはこれらの聖句の中で、私たちがガラテヤ4:12の後半における彼の主張をよりよく理解するうえで助けとなることを言っています(使徒17:16〜34、Iコリ8:8〜13、ガラ2:11〜14も参照)。ガラテヤ4:12は少しわかりにくく思えます。パウロがガラテヤの人たちのようにすでになったというのなら、なぜ彼らはパウロのようになるべきなのでしょうか。

昨日の研究で触れたように、パウロは彼らに、救いに必要なのがキリストだけであることを、彼のように完全に信じ、信頼してほしい、と望んでいました。「あなたがたのようになった」というパウロの言葉は、彼がユダヤ人でありながらも、異邦人に福音を伝えるために、「律法を持たない」彼らのようになったことを思い出させるものでした。異邦人世界への偉大な宣教師として、パウロはユダヤ人と異邦人の双方にいかに福音を説くべきかを会得していました。実際、Iコリント9:13〜23によれば、福音は同じでありながら、パウロの方法は、彼が伝道しようとしている人々によって変わりました。

「パウロは、今日、私たちが文脈化と呼ぶもの、つまり福音が語られる人々の全体的背景に訴えかける方法で福音を伝えることの先駆者であった」(ティモシー・ジョージ『新アメリカン・コメンタリー——ガラテヤ書』321ページ、英文)。

Iコリント9:21におけるパウロの言葉は、どこまで福音を文脈化するかには限界があると彼が考えていたことを示しています。例えば、人はユダヤ人や異邦人に異なる方法で自由に伝道できるが、この自由には、クリスチャンが「キリストの律法」の下にいる以上、違法な生き方をする権利は含まれていないと、パウロは言います。文脈化は必ずしも容易ではありませんが、「福音の核心を文化的繭から分離でき、キリストの福音の内容を妥協させずに文脈化できる限りにおいて、私たちもパウロをまねるべきである」(ティモシー・ジョージ同書321、322ページ、英文)。

当時と現在

パウロとガラテヤの信者との関係は、必ずしも、現在のように難しく、堅苦しいものではありませんでした。それどころかパウロは、彼がガラテヤで初めて福音を説いた当時を思い返す際に、彼らがいかに彼を大切に扱ってくれたかを賛辞の言葉で語っています。何が起こったのでしょうか。

ガラテヤで福音を説こうとパウロに決心させたきっかけがありました(ガラ4:13)。ガラテヤで福音を説こうというのは、どうやらパウロが当初から意図していたことではなかったようです。しかし旅の途中で、彼は何らかの病気になり、予想以上に長くガラテヤに滞在することになったか、あるいは療養のためにガラテヤへ行かざるをえなくなったのでしょう。パウロがかかった病気の正確な性質は、謎に包まれています。彼はマラリアに感染したのだろう、と言う人もいれば、(ガラテヤの人たちが自分の目をえぐり出してもパウロに与えようとしたという、彼の言葉を根拠にして)それはたぶん目の病気だろう、と言う人たちもいます。パウロの病気は、彼がIIコリント12:7〜9で述べている「身に〔与えられた〕一つのとげ」と関係していたのかもしれません。

パウロが何で苦しんでいたにせよ、それがガラテヤの人たちにとって試練になったのは楽しいことではなかったと、彼は述べています。しばしば病気が神の不快のしるしとみなされていた世界では(ヨハ9:1、2、ルカ13:1〜4)、パウロの病気は、彼と彼のメッセージを拒絶する理由をガラテヤの人たちに容易に与えたはずです。しかし、彼らはパウロを心から歓迎しました。なぜでしょうか。彼らの心が十字架の説教(ガラ3:1)と聖霊による確信で熱くされていたからです。彼らは態度を変えた理由を、今やどのように説明できるのでしょうか。

パウロが苦しむのを神がお許しになったのには理由があります。パウロは彼自身の問題で苦しんでいたとき、ほかの人たちを助けることができました(ロマ8:28、IIコリ4:7〜12、12:7〜10)。パウロの病気が何であれ、それは確かに深刻なものであり、その問題のゆえに神を非難したり、福音を説くことを諦める理由を彼に与えたりすることもできました。しかし、パウロはいずれもしませんでした。彼はその状況のせいで理性を失うことなく、もっと十分に神に信頼するための機会としてそれを用いました。「幾度となく、神は人生の逆境を——病気、迫害、貧困、自然災害や説明しがたい悲劇さえも——御自分の恵みを示す機会として、また福音を前進させる手段として用いてこられた」(ティモシー・ジョージ『新アメリカン・コメンタリー——ガラテヤ書』323、324ページ、英文)。

真理を語る

ガラテヤ4:16を読んでください。パウロは強い主張をしています(ヨハ3:19、マタ26:64、65、エレ36:17〜23も参照)。「真理を語る」という表現は、とりわけ現代において、しばしば否定的な意味合いを持ちます。それが、いかに不愉快で望まれないものであろうと、事実をだれかに語るという痛烈で禁じ手なしで敵に容赦のない戦術だとみなされるからです。ガラテヤ4:12〜20におけるパウロの言葉や、彼の手紙の中に散在するいくつかの言葉がなければ(ガラ6:9、10参照)、彼は愛をあらわすことよりも福音の真理に関心があるのだと誤って結論づける人がいるかもしれません。しかし私たちがこれまで見てきたように、パウロは、ガラテヤの人たちが「福音の真理」(ガラ2:5、14)を知ることに関心を持っていますが、その関心は、彼らに対するパウロの愛から生じたものです。だれかを叱責しなければならないということ、理由がどうであれ、相手の聞きたがらない真実をはっきり告げなければならないことがいかにつらいかを、個人的に体験したことのない人がいるでしょうか。私たちがそうするのは、その人を大事に思うからであって、傷つけたいからではありません。時として、私たちの言葉の直後に生じるのが、傷であったり、私たちに対する怒りや反感であったとしても……。私たちがとにかくそうするのは、相手の人がどれほど聞きたがらないとしても、それを聞くべきだと、私たちは知っているからです。

問1

パウロはガラテヤ4:17〜20において、彼が対立している人たちについて、何と言っていますか。彼らの神学以外に、パウロはどのようなことを非難していますか。

パウロがガラテヤの人たちの怒りを買う危険を冒して説いた福音とは対照的に、彼の敵は、ガラテヤの人たちに対する愛からではなく、彼ら自身の身勝手な動機から、盛んに彼らの歓心を買おうとしていました。パウロがどういう意味で、彼の敵が「あなたがたを引き離したいのです」と言っているのか、はっきりとはわかりません。しかし、これはたぶん、ガラテヤの人たちがまず割礼を受けるまでは福音の特権から締め出そうとしているということを言っているのでしょう。

さらなる研究

「ガラテヤの諸教会においては、誤りが、公然と、何の仮面もかぶらずに、福音の使命に取って代わりつつあった。信仰の真の土台であるキリストが、事実上捨て去られて、ユダヤ教の古い儀式がこれに代わった。パウロは、ガラテヤの信者たちを襲った危険な影響から彼らを救い出そうとすれば、最も断固たる措置を取り、最も厳しい警告を発しなければならないことを知った。

キリストのすべての伝道者が学ばなければならない重要な教訓は、益を与えようとしている相手の人々の状態に、自分の働きを適合させることである。優しさ、忍耐、決断、堅固さなどはみな必要であるが、これらを正しく識別して用いなければならない。いろいろと異なった環境と状況下におけるさまざまの異なった性質の人々を賢明に扱うことは、神の霊によって照らされ清められた知恵と判断力を必要とする働きである。……

パウロは、かつてその生活に神の力を経験した人々に、福音の真理に対する最初の愛に立ち帰るようにと訴えた。彼は、彼らが、キリストにあって自由な男女になれること、またキリストのあがないの恵みによって、完全に献身する者はみな彼の義の衣を着せられることを、反駁することのできない議論によって、彼らに示した。救いを得たいと願う者は、神の事について、真実で個人的な経験が必要であるというのが、彼の立場であった。

パウロの熱心な嘆願の言葉は、効を奏した。聖霊が、大いなる力をもって働き、誤った道に足をふみ入れた多くの者が、以前の福音の信仰に立ち帰った。その後、彼らは、キリストがお与えになった自由に堅く立った」(『希望への光』1502、1503ページ、『患難から栄光へ』下巻69、70、72、73ページ)。

まとめ

細かい議論や神学的に難しい議論をいろいろしたのちに、今やパウロはガラテヤの人たちに、もっと個人的で情緒的な訴えをします。パウロは、自分の勧告に耳を傾けなさい、と彼らに懇願し、彼らがかつて保っていた良好な関係や、彼が霊的な親として持っている彼らに対する純粋な愛や気遣いを思い出させています。

*本記事は、安息日学校ガイド2017年3期『ガラテヤの信徒への手紙における福音』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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