あなたがたはわたしの証人となる【使徒言行録―福音の勝利】#1

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地上におけるイエスの使命は終わりました。神はすぐに聖霊をお送りになられるでしょう。聖霊は、地の果てまで宣教する弟子たちを力づけ、導き、多くのしるしや不思議な業で彼らの努力を承認してくださるのです。イエスは肉体のまま、永遠に彼らと一緒にいることがおできになりませんでした。世界宣教との関連において、受肉がイエスを身体的に制約していただけでなく、“霊”を迎えるために、彼の昇天と、天においてイエスが高められる必要があったからです。

しかし、イエスが復活なさるまで、弟子たちはこういうことを明確にはわかっていませんでした。彼らは、イエスに従うためにすべてを捨てたとき、イエスがいつの日か、この地からローマ人を追い出し、ダビデの王朝を復興し、イスラエルに過去の栄光を取り戻す政治的解放者になる、と信じていました。別の考えを持つことは、彼らにとってやさしくありませんでした。

これが、使徒言行録1章でイエスが弟子たちに与えられた最後の命令の最大の問題です。このような背景の中で、“霊”の約束が登場します。この章では、イエスが天に戻られた様子や、初代教会がいかに五旬祭に備えたかも説明されています。

イスラエルの回復

旧約聖書には、メシアに関する2種類の預言があります。一つは、永遠に支配するであろう王なるメシアを待望する預言(詩編89:4、5〔口語訳89:3、4〕、36〜38〔口語訳89:35〜37〕、イザ9:5、6〔口語訳9:6、7〕、エゼ37:25、ダニ2:44、7:13、14)。もう一つは、メシアが人々の罪のために死ぬであろうことを予告する預言です(イザ52:13〜53:12、ダニ9:26)。そのような預言は、互いに矛盾していません。それらは、メシアの働きの連続した二つの段階を指摘しているにすぎないのです。つまり、メシアはまず苦しみ、やがて王になるということです(ルカ17:24、25、24:25、26)。

しかし、西暦1世紀のユダヤ人たちのメシア待望には、それが一面的であるという問題がありました。政治的解放をもたらすであろう王なるメシアへの期待が、苦しんで死ぬであろうメシアという考えを覆い隠したのです。

当初、弟子たちも、この王なるメシアへの期待を抱いていました。彼らは、イエスがメシアであると信じ(マタ16:16、20)、彼が王座に着かれるとき、だれがその両脇に座るのだろうかということについて、時折言い争いました(マコ10:35〜37、ルカ9:46)。イエスが、御自分を待ち受ける運命について何度も警告されたにもかかわらず、弟子たちは、彼の言葉の意味がどうしても理解できませんでした。それゆえ、イエスが死なれたとき、彼らは戸惑い、落胆したのです。「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」(ルカ24:21)と、彼ら自身が言っています。

使徒言行録1:6を読むと、弟子たちがまだ理解していなかったと教えています。使徒言行録1:7において、イエスは彼らにお答えになりました。

もしイエスの死が、弟子たちの希望に対する致命的一撃を意味したとしたら、主の復活はその希望をよみがえらせ、かつてないレベルにまで、彼らの政治的期待を高めました。復活を、メシアの王国が最終的に設立されることの明確な兆候と捉えてしまうのは、自然なことのように思えます。

しかしイエスは、弟子たちの質問に対して、直接的に答えませんでした。差し迫った王国に関する弟子たちの質問の裏側にある前提を否定することも、受け入れることもしませんでした。イエスはその問題を放置し、神が行動なさる時や時期は神御自身に属し、人間の知るところではない、と彼らに指摘されました。

弟子たちの宣教

使徒言行録1:8を読んでください。弟子たちの宣教に関して、この聖句には四つの重要な要素が含まれています。

①“霊”の賜物—“霊”は、神の民の間で常に活動しておられました。しかし預言者たちによれば、将来、特別に“霊”が与えられるということでした(イザ44:3、ヨエ3:1、2〔口語訳2:28、29〕)。イエス御自身が“霊”によって油を注がれたように、聖霊は主の公生涯の時代にもすでに働いておられましたが(ルカ4:18〜21)、正式には、キリストが天に上げられてから働きを開始されたのです(ヨハ7:39、使徒2:33)。

②あかしの役割—あかしとは目撃談のことです。弟子たちには、そのようなあかしをする十分な資格がありました(使徒1:21、22、4:20をIヨハ1:1〜3と比較)。そして今や、イエスとの貴重な体験をこの世に伝えるよう任命されたのです。

③宣教の計画—弟子たちは、まずエルサレムで、次にユダヤとサマリアで、そして最終的に地の果てに至るまで、あかしをしなければなりませんでした。それは漸進的な計画だったのです。エルサレムはユダヤ人の宗教生活の中心地、イエスが有罪判決を受け、十字架にかけられた場所であり、ユダヤとサマリアは、イエスも働かれた近隣地域でした。しかし弟子たちは、この場所だけにとどまるべきではありませんでした。彼らの宣教の範囲は、全世界なのです。

④宣教の方向性—旧約聖書の時代、神に引きつけられるのは国々であって(イザ2:1〜5参照)、イスラエルが神を国々へ「お連れ」するわけではありませんでした。(ヨナのような)わずかな例外はあるものの、この原則は変わりません。しかし今や、戦略は変わりました。エルサレムは依然として中心ですが、そこにとどまって根を生やすのではなく、弟子たちは地球の最果てまで出て行くことを期待されたのです。

ルカ24:44〜48を読んでください。復活ののち、弟子たちと過ごした40日の間(使徒1:3)、イエスは神の国に関する多くの真理を彼らに説明なさったに違いありません。使徒言行録1:6の弟子たちの質問が示すように、彼らが理解していないことは、まだたくさんあったでしょうが……。彼らは預言に慣れ親しんでいましたが、今や新しい光で、十字架と空の墓から輝き出る光で、見ることができたのです(使徒3:17〜19参照)。

イエスはまたおいでになる

使徒言行録1:9〜11を読んでください。昇天に関するルカの記事は、かなり簡潔です。イエスは弟子たちとオリーブ山におられ、彼らを祝福しているさなかに(ルカ24:51)、天に上げられました。ルカはここで何があったかを人間の言葉で表現しています。イエスが地上を去るにあたり、ルカは、天に上がっていかれたというしかありませんでした。

イエスの昇天は、神の超自然的行為、聖書の至る所に書かれている多くのことの一つでした。このことは、ルカが「エペールセー」(「上げられた」〔使徒1:9〕)という受動態の動詞を使ってそれを描いていることに暗示されています。この動詞の形は、新約聖書の中ではここでしか使われていませんが、ギリシア語訳旧約聖書(七十人訳)では数か所で用いられており、それらすべてが神の行為を描いているのです。そのことは、神がイエスを死者の中から復活させられた方であったように(使徒2:24、32、ロマ6:4、10:9)、神御自身がイエスを天に上げられた方であったということを示唆しています。

イエスが雲で隠されてしまったあと、ルカは、白い服を着た2人の人が弟子たちのそばに立ったという出来事を(使徒言行録でだけ)報告しています。その描写は、輝く服を着ていた天使たちに関する描写と一致します(使徒10:30、ヨハ20:12)。彼らがやって来たのは、天に昇って行かれたのと同じ有様で、イエスがまたおいでになることを弟子たちに約束するためでした。また、イエスが「彼らが見ているうちに」(使徒1:9)昇って行かれたと伝えているのは、やはり使徒言行録だけです。

このようにして、目に見える昇天が、目に見える再臨の保証になりました。再臨は、「大いなる力と栄光を帯びて」(ルカ21:27)なされますが、やはり雲に囲まれて起こり、「すべての人の目が彼を仰ぎ見る」(黙1:7)と記されているように密かな出来事などではなく、イエスはお独りではありません(ルカ9:26、IIテサ1:7)。再臨の栄光は、昇天の栄光をはるかにしのぐでしょう。

五旬祭に備える

使徒言行録1:7、8の返事の中で、イエスは時や時期に関して何も約束をなさっていません。しかし、彼の言葉の裏に潜む自然な意味は、“霊”がおいでになり、弟子たちが彼らの使命を果たしたなら、主はすぐに戻って来られる、というものでした(マタ24:14も参照)。天使たちの言葉も(使徒1:11)、神の国がいつやって来るのかという質問に答えていませんが、彼らの言葉は、あたかもそれがすぐにやって来るかのように理解できます。なぜ弟子たちが「大喜びでエルサレムに帰(った)」(ルカ24:52)のかを、このことが説明しているようです。思いがけない時にイエスが再臨なさるという約束は、宣教に対するさらなる励ましを弟子たちに与えるはずのものであり、終わりは間近だという意味に受け取られました。使徒言行録におけるさらなる展開は、この考えをはっきり示しています。

使徒言行録1:12〜14を読んでください。オリーブ山から戻ると、弟子たちは二階建ての民家の上の客室(ラテン語で「チェナクルーム」)に集まりました。イエスの母や兄弟たちとともに、何人かの女性も弟子たちと一緒にそこにいました(ルカ8:1〜3、23:49、24:1〜12)。

イエスの兄弟たちとは(マコ6:3)、ヨセフとマリアの間に生まれた弟たちか(マタ1:25、ルカ2:7)、より可能性が高いのは、ヨセフの最初の結婚で生まれた息子たちでした。後者の場合、ヨセフはマリアを妻に迎えたとき、男やもめだったのでしょう。イエスの兄弟たちは、イエスに対していつも懐疑的でしたから(マコ3:21、ヨハ7:5)、彼らが弟子たちと一緒にいたことには驚かされます。しかし、イエスが復活され、ヤコブの前に特別にあらわれたことが(Iコリ15:7)状況を一変させたようです。ヤコブはのちに、クリスチャン共同体の指導者の中で、どうやらペトロの後継者にさえなったようなのです(使徒12:17、15:13、21:18、ガラ2:9、12)。

絶えず祈り(使徒1:14)、絶えず神殿で神をほめたたえ(ルカ24:53)、彼らはみな、間違いなく、告白と悔い改めの時を持って、罪を除くことに没頭しました。たとえ彼らの頭の中では、“霊”の到来のあとに、イエスがすぐに戻って来られるとしても、彼らの霊的態度は、これから起ころうとしていたことと完全に調和していました。聖霊は、祈りの応答としておいでになるからです。

12番目の使徒

初期のクリスチャン共同体は120人ほどでしたが(使徒1:15)、彼らの最初の行政的措置は、イスカリオテのユダの後任を選ぶことでした。

使徒言行録1:21、22を読んでください。ユダの後任に必要なのは、イエスの復活の目撃者であることでした(使徒4:33と比較)。このことが極めて重要なのは、再三再四、復活がイエスのメシアとしての身分とキリスト教信仰全体の真理の有力な証拠とみなされているからです。

しかしその選出は、イエスの公生涯の間ずっと使徒たちに同行していた者たちの中からなされねばなりませんでした。パウロは、地上でのイエスと一緒に過ごしたことがなかったものの、それにもかかわらず、使徒の資格が彼に与えられたのは、ダマスコヘの途上でイエスと出会ったことによって、主の復活のあかしをする資格を得たからでした(Iコリ9:1)。パウロは自分のことを、「月たらずで生まれたようなわたし」(同15:8)と認めていますが、彼がほかの使徒よりも資格のうえで劣っていると考えることは拒否しました(同9:2、ガラ2:6〜9)。従って、厳密かつ権威的な意味においては、十二使徒とパウロだけが「使徒」でした(使徒1:25、26)。しかしこの言葉は、その基本的かつ一般的な意味において、ほかの福音の働き手にも用いられました(同14:4、14、ガラ1:19)。

使徒言行録1:23〜26を読んでください。彼らがマティアを選ぶために用いた方法は、奇妙に思えるかもしれませんが、くじを引くことは、長い歴史を持つ意思決定の方法でした(例えば、レビ16:5〜10、民26:55)。加えて、この選出は、見知らぬ人を選ぶのではなく、同等の資格を持ち、すでに認められていた2人の間でのものでした。信者たちも、その結果が神の御旨を反映することを信じつつ、神に祈りました(箴16:33と比較)。その決定に異議が申し立てられたという証拠はありません。五旬祭以降は、“霊”の直接的な導きのお陰で、くじを引くことはもはや不要になりました(使徒5:3、11:15〜18、13:2、16:6〜9)。

さらなる研究

「五旬祭とパルーシア〔再臨〕の間の期間は、(長かろうが、短かろうが)“霊”の力による教会の世界宣教であふれていなければならない。キリストの弟子たちは、キリストが初臨において成し遂げられたことを伝えるとともに、キリストの再臨に備えて、悔い改め、信じるようにと人々に命じなければならなかった。彼らは、『地の果てに至るまで』(使徒1:8)、そして『世の終わりまで』、キリストのあかし人でなければならなかったのである。……『地の果て』『世の終わり』の両方に至るまで、私たちは勝手にやめることができない」(ジョン・R・W・スコット『使徒言行録のメッセージ—“霊”、教会、この世』44ページ、英文)。

「救い主が弟子たちにお与えになった任務には信者の全部が含まれていた。これには世の終わりにいたるまですべてのキリスト信者が含まれている。救霊の働きが牧師だけに負わされていると考えるのは重大な誤りである。天の霊感を受けた者はすべて福音をのべ伝える責任が負わされる。キリストの生命を受ける者はみな同胞の救いのために働くように任命される。教会はこの働きのために設立されているのであって、聖なる誓約によって教会に加わるものはみなそのことによってキリストと共に働く者となることを誓ったのである」(『希望への光』1110ページ、『各時代の希望』下巻368ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

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『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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