ペンテコステ(五旬祭)【使徒言行録―福音の勝利】#2

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「ペンテコステ(五旬祭)」は、ユダヤ人の「七週祭」(出34:22)に相当するギリシア語「ペンテーコステー」に由来するもので、「新穀の献げ物」(民28:26)をささげる祭りとも呼ばれます。「ペンテーコステー」は「50番目」を意味し、この言葉が用いられる理由は、五旬祭が過越祭の翌日に大麦の束〔初穂〕をささげてから50日目に祝われたという事実によります。それは喜びと感謝の日、イスラエルの人々が「小麦の収穫の初穂」(出34:22)を主の前に携えて来る日でした。

やがてこの祭りは、キリスト教会の最初の霊的収穫にふさわしい象徴となりました。その日に、かつてないほど多くの聖霊が注がれ、わずか1日で3000人もの人がバプテスマを受けたからです(使徒2:41)。イエスの昇天と天においてイエスが高められたことに続くこの“霊”の注ぎは、突然の超自然的な出来事であり、それによって使徒たちは、無学で無名のガリラヤ人から、この世を変える確信と勇気にあふれた男たちへと、変えられたのでした。

五旬祭は、しばしば教会の誕生日と呼ばれます。そのとき、キリストに従う者たちが、ユダヤ人であれ、(のちには)異邦人であれ、地上における神の新しい共同体として正式に承認されたからです。

“霊”の到来

イエスの命令に従い、信者たちはエルサレムで約束の“霊”を待ちました。彼らは熱心に祈り、心から悔い改め、賛美しながら待ったのです。その日が来たとき、彼らは「一つになって集まって」(使徒2:1)いました。たぶん、使徒言行録1章の同じ家の上の部屋でしょう。しかし間もなく、彼らはもっと公の場に出て行くことになります(同2:6〜13)。

使徒言行録2:1〜3を読んでください。“霊”の注ぎの光景は強烈なものでした。突然、激しい嵐のとどろきのような音が天から聞こえてきてその場を満たし、次には炎の舌のようなものがあらわれて、そこにいた人々の上にとどまったのです。

聖書では、「神の顕現」、つまり神が姿をあらわされることに、火や風がしばしば伴います(例えば、出3:2、19:18、申4:15)。加えて、火や風は神の“霊”をあらわすためにも用いられます(ヨハ3:8、マタ3:11)。五旬祭の場合、そのような現象の正確な意味がどうであれ、それらは、約束された霊”の注ぎという特異な瞬間が救済史の中に入り込んだしるしでした。

“霊”は常に働いてこられました。旧約聖書の時代、神の民に対するその影響力は、しばしば目立つ形であらわれましたが、決して満ちあふれるほどではありませんでした。「父祖の時代には聖霊の感化はしばしば著しく現されたが、決して満ちあふれるほどではなかった。今、救い主のみ言葉に従って、弟子たちはこの賜物を懇願し、天においてはキリストがそのとりなしをしておられた。主はその民にみ霊を注ぐことができるように、み霊の賜物をお求めになったのである」(『希望への光』1369ページ、『患難から栄光へ』上巻31ページ)。

バプテスマのヨハネは、メシアの到来に伴う“霊”によるバプテスマを予告し(ルカ3:16参照、使徒11:16と比較)、イエス御自身もこのことを何度か口になさいました(ルカ24:49、使徒1:8)。この注ぎは、神の前におけるイエスの最初の執り成しの業だったのでしょう(ヨハ14:16、26、15:26)。五旬祭で、その約束は成就しました。

五旬祭での“霊”によるバプテスマは、十字架におけるイエスの勝利と天でイエスが高められたことに関係する特別な出来事でしたが、“霊”に満たされることは、信者たちの人生の中で継続的に繰り返される体験です(使徒4:8、31、11:24、13:9、52、エフェ5:18)。

異言の賜物

使徒言行録2:4において、“霊”の賜物は異言を語ることを通してあらわされました。しかしこの賜物は、“霊”のさまざまなあらわれ方の一つにすぎません(使徒10:45、46、19:6)。ほかには、未来を予告すること(同11:28)、幻を見ること(同7:55)、霊感によって語ること(同2:8、28:25、26)、いやすこと(同3:6、12、5:12、16)、奉仕の資質(同6:3、5)などもあります。

五旬祭で異言の賜物が生じたのは、それが“霊”を与えられたことの典型的な証拠だとか、最も重要な証拠だからというわけではありません。それがあらわれたのは、教会の世界宣教を始めるためでした。つまり、使徒言行録1:8で与えられた使命には、異言の賜物が必要だったということです。使徒たちが文化的壁を乗り越え、地の果てまで福音を伝えねばならないとしたら、彼らは、彼らが語るべきことを聞く必要のある人々の言語で語る必要があったでしょう。

使徒言行録2:5〜12を読んでください。五旬祭で使徒たちが語ったのは、既存の外国語でした。西暦1世紀には、800万人から1000万人のユダヤ人が世界中におり、そのうちの(多くて)6割がユダヤの国外に住んでいたと推定されています。しかし、祭りのためにエルサレムにいた多くの人は外国出身者で、当時、ユダヤ出身のユダヤ人の言語であったアラム語を話せませんでした。

五旬祭での改宗者のほとんどが、さまざまな国から来たユダヤ人であり、彼らが自分たちの母語で福音を聞くことができたということは、疑いの余地がありません。使徒たちが、未知の恍惚状態の言語ではなく、既存の外国語で語ったことは、「ディアレクトス」(使徒2:6、8、「故郷の言葉」)というギリシア語によって明らかです。それは国語や方言を意味します(同21:40、22:2、26:14と比較)。つまり明らかに、彼らはこういったさまざまな言語を話していました。奇跡は、無学なガリラヤ人たちが、数時間前まで知らなかった言語を今や話すことができたことでした。その光景を目撃したものの、その言語をよく知らなかった地元のユダヤ人たちにとって唯一可能な説明は、使徒たちが酒に酔って、意味不明で奇妙な音を発しているというものでした。「しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた」(使徒2:13)。

ペトロの説教

酒に酔っているという非難は、何が起こっているのかを説明する機会をペトロに与えました。その演説の中で使徒ペトロは、まず聖書を指し示し、“霊”の注ぎを預言の成就として説明しました(使徒2:16〜21)。

使徒言行録2:17とヨエル3:1(口語訳2:28)を読んでください。ヨエルの預言は、未来の救いの時代に関するものでした(ヨエ3:5〔口語訳2:32〕)。その時代は、自然界のいくつかのしるしと“霊”の豊かな注ぎによって特徴づけられるのです(同3:1〜4〔口語訳2:28〜31〕)。そのような預言に照らして五旬祭の出来事を解釈することによって、ペトロはその瞬間の歴史的関連性を強調しようとしました。しかし、彼の引用の仕方には、重要な違いが一つありました。大まかに未来を指す「その後」(同3:1〔口語訳2:28〕)というヨエルの導入の言葉の代わりに、ペトロは「終わりの時に」(使徒2:17)と言っています。それは、壮大な救済劇の最終幕が始まったばかりであることを示唆していました。言うまでもなく、これは終末の出来事に関する詳しい描写ではありませんが、初代教会を際立たせた強い切迫感の証拠です。彼らは、終わりがいつ来るのかを知りませんでしたが、それが遠くないと確信していたのです。

問1

使徒言行録2:22〜32を読んでください。ペトロが示した福音の主要な点は何でしたか。

ペトロは五旬祭の預言的重要性を強調したあと、イエスの生涯と死と復活という最近の出来事に注意を向けました。しかし、特に強調したのは復活でした。なぜなら、それが福音の物語において決定的な要素を代表していたからです。ペトロにとって、復活こそがイエスの正当性を裏づける究極のものだったので(使徒2:22、27)、彼は復活の意味について主張するために聖書を引用しました。

イエスはメシアであられたがゆえに、死によって拘束されませんでした。それゆえ、ペトロや新約聖書のすべての著者にとって、イエスの復活は、イエスがメシアであることの有力な証拠であっただけでなく、キリスト教の救済のメッセージ全体に対する有力な証拠にもなっていたのです。

イエスの高挙(高められること)

「それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです」(使徒2:33)。

ペトロは演説の第三部で、最初に人々の注目を引いていた異言の問題に戻りました。朝の9時では奇妙であったように(使徒2:15)、信者たちは酒に酔っているのではなく、異言を語っていました。天から聖霊が降り注がれたからです。

問2

使徒言行録2:33〜36を読んでください。神の右にイエスが高められたことと、“霊”が降り注がれたことの間には、どのようなつながりがありますか。

神の右側は、権威の場所です(詩編110:1〜3)。聖書に基づいたペトロの主張は、イエスが天においてそのような場所に昇られたがゆえに、“霊”がイエスの弟子たちに注がれたのだ、というものでした。高挙は、イエスがかつて持っておられなかった地位を彼に与えたのではありません(ヨハ1:1〜3、17:5)。そうではなく、高挙は、主としての、またメシアとしてのイエスの大権を、神が承認されたことをあらわしていたのです(使徒2:36)。

この出来事は、実のところ聖書の中の最も重要な主題の一つ、つまり善と悪との宇宙規模の戦いという主題を私たちに突きつけます。肝心なのは、もしイエスが高挙されなければ、“霊”はあふれるほど注がれなかったし(ヨハ7:39)、もしイエスが十字架で勝利されていなかったら、イエスは高挙されなかったであろうという点です(同17:4、5)。言い換えれば、イエスの高挙は、“霊”がもたらされる条件でした。なぜなら高挙は、この世の支配権を奪った者の打倒を含む(同12:31)、イエスが十字架で成し遂げられたことへの神の承認をあらわしていたからです。

この世に罪が侵入したことは、神に影を投じました。イエスの死は、人間を贖うためだけでなく、神の正当性を証明し、サタンが詐欺師であることを暴くために必要でした。イエスの働きにおいて、救いの時代は既に始まっていました(ルカ4:18〜21)。イエスが悪霊を追い出し、罪を赦されたとき、彼はサタンの捕虜を解放しておられました。しかし、そうすることの完全な権限をイエスに与えるのは十字架でした。それゆえ、キリストの自己犠牲が天において承認されたとき、サタンは決定的な一撃を受け、“霊”はキリストの来臨に人々を備えさせるために、注ぎ出されることになっていたのです。

初穂

ペトロの言葉は、聴衆の胸に突き刺さりました。彼らの中には、数週間前にイエスを十字架につけることを求めた者たちがいたかもしれません(ルカ23:13〜25)。しかし今や、ナザレのイエスが確かに神の定められたメシアであったと納得し、彼らは悲しみのあまりに叫びました。「わたしたちはどうしたらよいのですか」(使徒2:37)と。

問3

使徒言行録2:38を読んでください。赦されるための二つの基本的な要件は何ですか。

悔い改めとは、単なる悲しみの気持ちや嘆きではなく、人生における根本的な方向転換、罪に背を向けることを意味します(使徒3:19、26:20)。信仰とともに、真の悔い改めは神からの賜物ですが、あらゆる賜物と同様、それは拒絶することができます(同5:31〜33、26:19〜21、ロマ2:4)。

バプテスマのヨハネの時代から、悔い改めはバプテスマと関連づけられていました(マコ1:4)。言い換えれば、バプテスマは悔い改めの表現、つまり罪を洗い流し、聖霊によって道徳的に再生することを象徴する儀式になっていたのです(使徒2:38、22:16参照、テト3:5〜7と比較)。

問4

使徒言行録2:38、39を読んでください。悔い改めてバプテスマを受ける者たちには、どのような特別の約束が与えられていますか。

五旬祭において、人々は罪の赦しだけでなく、人間的成長、教会における奉仕、とりわけ宣教のために“霊”の満たしを得ました。恐らくこれは、あらゆる祝福の中で最大の祝福でしょう。なぜなら、教会が存在するおもな理由は、福音の良き知らせを伝えることだからです(Iペト2:9)。それゆえ、この時点からのち、彼らは、教会が召された宣教を可能にする救いの確信と聖霊の力を持ったことでしょう。

さらなる研究

五旬祭での聖霊の注ぎは、天で何が起こったのかということと、この世の罪のためのキリストの犠牲を父なる神がいかに受け入れられたのかということに関する重大な真実を明らかにしました。聖霊の注ぎはまた、私たちのために天でなされるキリストの働きが、地上における彼の犠牲に基づいて、今や始まったことをも示しました。これらの驚くべき出来事は、天と地が、私たちの理解できない形でつながっているというすばらしい真理のさらなるあらわれなのです。

「キリストの昇天は、主に従う者たちが約束の祝福を受けることのしるしであった。彼らは、仕事にとりかかる前にこれを待たなければならなかった。キリストは天の門の中に入って行かれて、天使たちのさんびのうちに王座につかれた。この儀式が終わるとすぐ、聖霊は豊かな流れとなって弟子たちの上にくだり、キリストは永遠の昔から父と共に持っておられた栄光をお受けになった。ペンテコステの聖霊降下は、あがない主の就任式が完了したことを知らせる天からの通報であった。主は、その約束に従って、ご自分が祭司、また王として、天と地のすべての権威を引き継ぎ、神の民の上に立つ油そそがれた者となられたしるしとして、弟子たちに天から聖霊を送られたのであった」(『希望への光』1370ページ、『患難から栄光へ』上巻32、34ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

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