ペトロの伝道【使徒言行録―福音の勝利】#6

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パウロがタルソスに向けて出発すると、キリスト教会の初期に関するルカの物語の中で、ペトロが再び主役になります。そこに描かれているペトロは、ユダヤと周辺地域をくまなく巡る巡回伝道のようなことをしています。使徒言行録はここで、二つの短い奇跡物語(アイネアのいやしとタビタ〔ドルカス〕の復活)を記しており、そのあとにコルネリウスの物語(使徒10章)が続きます。

異邦人の回心は、使徒教会において最も議論を呼ぶ問題でした。コルネリウスのバプテスマのあとになされた議論は、あらゆる問題を解決するにはほど遠いものでしたが、五旬祭を連想させる“霊”の注ぎは、エルサレムのペトロや兄弟姉妹たちに、福音の祝福はユダヤ人に限られていないことを確信させる助けになりました。その一方で、アンティオキアの教会もすでに異邦人に向けて動き始めていました。

今週の研究には、(今回はヘロデ王の下での)新たな短期間の迫害の始まりと、(パウロによって実行された迫害を免れた)使徒たちに対する新たな迫害の影響も含まれています。

リダとヤッファで

ペトロは、ユダヤの沿海部にあるクリスチャンの共同体を訪問していました。その目的は、たぶん教理的な教えを授けることでしたが(使徒2:42)、神はペトロを力強くお用いになり、彼はイエス御自身がなさったのと同じやり方で奇跡を起こしました。

使徒言行録9:32〜35を読んでください。短い記事であるにもかかわらず、この奇跡は私たちに、イエスがいやされたカファルナウムの中風の男に関する有名な物語(ルカ5:17〜26)を思い起こさせます。床が出てくる細かな点も似ています。しかしもっと重要なのは、アイネアがいやされたことの影響が、リダだけでなく、シャロンの海岸平野にも及んだという点です。奇跡の現実を自ら確認した多くの人が、主に立ち帰りました。

使徒言行録9:36〜43を読んでください。タビタ(「かもしか」を意味するアラム語で、ギリシア語だと「ドルカス」)は、クリスチャンとしての慈善活動のために、近隣でとても愛された信者でした。彼女が生き返った物語も、イエスがなさった奇跡、つまりペトロも目撃したヤイロの娘の復活(ルカ8:41、42、49〜56)に似ています。イエスの例に倣って、ペトロはみんなに部屋から出てもらい(マコ5:40参照)、それからひざまずいて祈ったあと、「タビタ、起きなさい」(使徒9:40)と、その死んだ女性に呼びかけました。

使徒たちは多くの奇跡を起こしましたが(使徒5:12)、実際のところ、それは使徒たちの手を通してなされた神の行為でした。イエス御自身の奇跡と似ていていたのは、今日の私たちを含む教会に、最も重要なのは、だれが道具なのかということではなく、むしろ神に対するその人の服従の度合いなのだ、ということを思い出させるためだったのでしょう(ヨハ14:12参照)。私たちが福音の働きのために神に十分用いていただくとき、すごいことが起こりえます。ペトロはタビタを生き返らせただけでなく、その奇跡はヤッファで多くの回心者をも生み出しました(使徒9:42)。

コルネリウスの家で

ヤッファで、ペトロは革なめし職人のシモンという人の家に滞在しました(使徒9:43)。その頃、ヤッファから40キロほど離れたカイサリアには、1人のローマ人百人隊長が住んでいました。彼と彼の一家は神の敬虔な礼拝者でしたが、まだ正式にはユダヤ教を信奉していませんでした。コルネリウスが依然として割礼を受けていない異邦人だったという意味です。神から与えられた幻の中で、彼はヤッファに使者を送って、ペトロを招待するようにと命じられました(使徒10:1〜8)。

使徒言行録10:9〜16、28、34、35を読んでください。ペトロの幻が食べ物に関するものではなく、人間に関するものであったという点は重要です。確かに、それは昼頃で、ペトロは空腹でしたし、ほふって食べなさい、という声が聞こえました。しかし、神が幻を用いられたのは、清い動物と汚れた動物の区別をなくすためではなく、福音の受容的な性質をペトロに教えるためでした。

その幻は、異邦人に対するペトロの抵抗感を取り除くことを明らかに意図していました。ペトロの見解は、もしコリネリウスの家に入り、彼と交わるなら、自分の身が汚れて、神殿で礼拝したり、神の前に出たりするのにふさわしくなくなってしまうというものでした。ユダヤとその周辺地域の西暦1世紀のユダヤ人は、割礼を受けていない異邦人とは交際しなかったのです。

問題は当時の神学にありました。その神学がイスラエルの民の間から異邦人を締め出したのです。そのような見解は、真の神に関する知識をこの世に届けるという、イスラエルが民族として存在する本質的目的の曲解だったのですが……。

割礼はアブラハムの契約のしるしだったので、割礼を受けていない異邦人は差別され、さげすまれるようになりました。彼らは、割礼を受けてユダヤ人にならなければ、契約の祝福にまったくあずかることができなかったのです。しかしそのような考えは、初期の信者たちが時間をかけて理解していったように、イエスの死という普遍的な視野とは相容れませんでした。

“霊”の賜物

使徒言行録10:44〜48は、初代教会の歴史の中で決定的な瞬間を明らかにしています。福音が使徒の1人によって割礼を受けていない異邦人に伝えられたのは、これが初めてでした。ギリシア語を話す信者たちと違って、使徒やユダヤ出身のほかの信者たちは、教会に異邦人を迎え入れる準備ができていませんでした。イエスはイスラエルのメシアだったので、彼らは、福音は至る所にいるユダヤ人にだけ伝えられるべきだ、と考えました。異邦人はまずユダヤ教に改宗しなければならず、それから〔キリスト教の〕信仰の共同体に受け入れられるのだ、と。言い換えれば、異邦人がクリスチャンになるには、その前にまずユダヤ人にならねばならなかったということです。それこそが、これら初期のユダヤ人信者たちの間で変えられるべき考えでした。

コルネリウスと彼の一家に与えられた異言の賜物は、そのような考えが間違いであり、神は分け隔てなさらず、救いに関して言えば、ユダヤ人も異邦人も神の前では平等であることの明らかな、目に見えるしるしとして加えられたのです。

問1

使徒言行録11:1〜18を読んでください。カイサリアにおけるペトロの体験に、エルサレム教会はどのように反応しましたか。

長年かけて作り上げられた異邦人に対する偏見のために、エルサレムの信者は、割礼を受けていない者たちと食事をしたことについてペトロを非難しました。彼らは、コルネリウスと彼の家族が救われたことよりも、ユダヤ人の儀礼的罪の意識に関心があったようです。彼らは、もし教会がそのような慣例を破ったなら、イスラエルの信仰の否定を意味することになると恐れたのかもしれません。神の愛顧を失い、(同胞のユダヤ人たちから)ステファノの死をもたらしたのと同じ非難を受けることになる、と。

「キリストの教会が、全く新しい方面の働きを開始すべき時がきていた。ユダヤの改宗者たちの多くが異邦人に対して閉ざしていた戸を、今こそ広く開かなければならなかった。そして福音を受け入れた異邦人は、ユダヤ人の弟子とひとしくみなされ、割礼の儀式を守る必要はなかった」(『希望への光』1407ページ、『患難から栄光へ』上巻146ページ)。

あの五旬祭の時と同様、ここでも彼らは、恍惚状態の言語や天の言語ではなく、すでに知られていた言語で話しました。ただし目的は異なります。使徒たちにとって、この賜物は教会の世界宣教のためのものでしたが、コルネリウスにとっては、神の恵みが異邦人の間でも働いていることの証拠だったのです。

アンティオキアの教会

ルカはコルネリウスの回心に動機づけられて、異邦人の間における福音の初期の進展を示すために、ペトロの伝道に関する記事を一時中断します。

使徒言行録11:19〜26を読んでください。使徒言行録11章のこの箇所は、8章におけるパウロの迫害に再び言及しています。このように、ユダヤやそのほかの地域で先に述べた進展が起こっていた一方で、エルサレムを追い出されたギリシア語を話す信者の中には、福音をユダヤの国外へ広めている者たちもいました。

ルカは、シリア州の大都市アンティオキアに特に注目します。その場所で、避難民が同胞のユダヤ人やギリシア語を話す人たちに宣べ伝え始め、多くの人が信仰を受け入れていました。使徒言行録1:8におけるイエスの命令が、ギリシア語を話すこれらのユダヤ人クリスチャンたちによって果たされつつあったのです。彼らは、異邦人への宣教の真の創設者になった人たちでした。

アンティオキアの教会が成功していたので、エルサレムの使徒たちはバルナバを派遣して、状況を把握することにしました。福音を広めるための大きな機会に気づいたバルナバは、タルソスにいたパウロを呼び寄せました。パウロこそが不可欠な助け手になると感じたからです。

バルナバの判断は正解でした。彼とパウロがともに働いた1年の間に、大勢の人々(おもに異邦人)が福音を耳にすることができました。アンティオキアの信者は、イエス・キリストについて語る彼らの情熱のゆえに、初めて「クリスチャン」(使徒11:26)として知られるようになりました。彼らがクリスチャンと「呼ばれるようになった」という事実は、その呼称が教会外の人々によって作られたことを示しています。たぶん、それは一種のあざけりのようなもので、信者たちは自分たちのことを「兄弟たち」(同1:16)とか、「弟子」(同6:1)とか、「聖なる者たち」(同9:13)と好んで呼びました。使徒言行録が書かれた頃までに、「クリスチャン」は一般的な呼称になっており(同26:28参照)、ルカはそれを好ましいと思っているようです。「クリスチャン」は、キリストに従う者、キリストの支持者を意味します。

ヘロデの迫害

再び場面がユダヤに戻ると、ゼベダイの子ヨハネの兄弟だったヤコブ(マコ1:19)がヘロデ王によって処刑されたという記事に、私たちは遭遇します。ヘロデは、ペトロも同様にしたい、と望んでいました。

使徒言行録12:1〜4を読んでください。ここで言及されているヘロデ王はアグリッパ1世(マタ2:1に出てくるヘロデ大王の孫)のことで、彼は西暦40年から44年にかけてユダヤを治めました。彼は見せかけの信心深さのゆえ、ユダヤ人臣下の間で、特にファリサイ派の人々の間で人気がありました。使徒を何人か攻撃してユダヤ人に気に入られようとした彼の試みは、ほかの資料から彼についてわかることとぴったり一致します。

アグリッパの意図を実現することにおいて、ヤコブの処刑は効果的だったので、彼はペトロをも処刑しようと計画しました。ペトロは逮捕され、彼を監視する4人1組の兵士4組に引き渡されました。毎晩の見張りも4人1組でした。ペトロはいつも4人の兵士と一緒におり、両側から2人の兵士と鎖でつながれ、残りの2人は戸口を見張っていました。そのような極端な警戒策が講じられたのは、しばらく前にペトロ(とヨハネ)に起こったことの再発を避けるためでした(使徒5:17〜20)。

問2

使徒言行録12:5〜18を読んでください。兄弟姉妹たちの祈りに応えて、どのようなことが起きましたか。

アグリッパがペトロを裁判にかけて処刑しようと計画していた日の前夜、ペトロは天使によって再び奇跡的に解放されました。

続いて私たちは、アグリッパがカイサリアにおいて死んだという話に出くわします(使徒12:20〜23)。彼の死の原因(腹膜炎、潰瘍、毒物など)を特定する試みがなされてきましたが、ルカは、アグリッパが神の裁きのゆえに死んだ、とはっきり記しています。

さらなる研究

「使徒言行録10章において、天使たちの働きに関するもう一つの例がさらに出てくる。その働きは、結果的にコルネリウスと彼の一家の回心をもたらした。これらの章〔8〜10章〕を読み、注目しよう。これらを読めば、多くの人が想像する以上に、天は、魂を救う働きに携わっているクリスチャンのずっと近くにあることがわかる。私たちはまた、これらの章を通して、神がすべての人に関心を持っておられるという教訓や、私たち1人ひとりが仲間を、地上における神の働きを成し遂げるための主の道具の一つとして扱うべきだという教訓も学ぶべきである」(『SDA聖書注解』第6巻1059ページ、英文)。

「教会が祈るとき、たとえそれによって教会が苦しみや迫害から免れないとしても、神の御業は前進し、神の敵は失敗に終わる。福音が勝利するというルカの信仰はまったく現実的であり、彼は、神の言葉がかせをはめられることはないが、御言葉に仕える者たちが苦しみ、拘束されねばならないことはありうる、と認めている」(I・ホワード・マーシャル『使徒言行録』206、207英文)。

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

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