パウロの第1次伝道旅行【使徒言行録―福音の勝利】#7

目次

この記事のテーマ

間違いなく、福音はユダヤ人だけでなく、異邦人にも伝えられねばなりません。これは、初期のユダヤ人クリスチャンたちが、ゆっくりとではあるものの確実に理解し始めたメッセージでした。

異邦人が大勢信仰に加わったという最初の明白な報告は、アンティオキアと関係しています。言い換えれば、かなりの数のユダヤ人信者もいたにしろ、最初の異邦人教会が設立されたのはアンティオキアであった、ということです(ガラ2:11〜13)。その設立者たちの宣教の熱意と、バルナバとパウロの到着によって与えられた刺激によって、この教会は急成長し、ユダヤ以外で最初の重要なクリスチャンの拠点になりました。実のところ、いくつかの面では、エルサレム教会を上回ってさえいたのです。

使徒たちがまだエルサレムにとどまっていたので、アンティオキアはキリスト教宣教の発祥の地になりました。パウロが地元の信者から初期支援を受けて伝道旅行に出発したのは、3回ともここからでした。キリスト教がキリストの意図しておられたもの、つまり「あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族」(黙14:6)に福音を広める世界宗教になったのは、彼らの献身のお陰だったのです。

サラミスとパフォス

使徒言行録13章で、ルカはパウロの第1次伝道旅行を紹介するために、場面をアンティオキアに戻します。この旅行が13章と14章を占めており、ここから使徒言行録の最後まで、焦点はパウロと彼の異邦人伝道に合わされています。

これは、使徒言行録の中で、一つの教会によって意図的かつ念入りに計画された最初の宣教努力です。しかしルカは、そのような努力が神に源を発するものであって、信者たちの自主性によるものではないことを、注意深く強調しています。しかし肝心なのは、私たちが神に用いていただける場所に自分の身を進んで置くときにのみ、神は働くことがおできになるという点です。

使徒言行録13:1〜12を読んでください。宣教師たちの出発に先立って、執り成しの祈りと断食がしばらくの間なされました。この状況における按手は、基本的に献身の行為、または目前の任務に対して神の恵みにゆだねる行為(使徒14:26)でした。

キプロス島は地中海の北東の隅に位置し、アンティオキアから遠くありません。バルナバがキプロス出身であっただけでなく、福音がすでにこの島にも届いていたので、手始めとしては自然な場所でした。しかし確かに、そこにはなすべきことがまだたくさんありました。

キプロス島に着くとすぐに、バルナバとパウロ—そして、同行していたバルナバの従弟ヨハネ・マルコ—は、サラミスの諸会堂で説教しました(使徒15:39、コロ4:10)。それがパウロのお決まりの行動でした。異邦人たちに宣べ伝える前に、諸会堂でまず説教するのです。ユダヤ人にまず福音を伝えることは当然でした。イエスはイスラエルのメシアだったからです。

サラミスのあと、彼らは西へ移動し、(想像するに)進みながら宣べ伝え、遂に首都のパフォスに至りました。次に物語は、2人の人物を中心に回ります。バルイエスというユダヤ人魔術師(別名エリマ)と、地元のローマ総督セルギウス・パウルスです。物語は、福音がいかに対照的な反響を呼んだかの好例を提供しています。一方では、公然たる反対、他方では、高い地位にある異邦人の忠実な支持。使徒言行録13:12の言葉遣いは、明らかに回心を意味しています。

ピシディア州のアンティオキア(その1)

キプロス島からパウロと同行者は、現代のトルコ南岸にあるパンフィリア州のペルゲに船で渡りました。ピシディア州のアンティオキアに移動する前に、ルカは二つの重要な偶発的変化を報告しています。(これまで、バルナバがいつも最初に挙げられていたのに)パウロが主役になり、ルカはパウロのユダヤ名(サウロ)を使うのをやめ、「パウロ」(使徒13:9)とだけ呼ぶようになるのです。これは、以後、パウロがギリシア・ローマの環境の中にほとんどいるからでしょう。

使徒言行録13:13は、ヨハネ・マルコがエルサレムに帰ってしまったと記録していますが、彼が離脱した理由は、この聖句の中で知らされていません。エレン・ホワイトは、彼らを待ち構える困難のゆえに不安に陥り、落胆した「マルコは恐れてすっかり勇気を失い、先へ進むことを拒み、エルサレムへ引き返したのである」(『希望への光』1420ページ、『患難から栄光へ』上巻181ページ)と記しています。神は、簡単であろう、などと決して約束なさいませんでした。それどころか、パウロは最初から、イエスのための彼の奉仕に多くの苦しみが伴うことを知っていましたが(使徒9:16)、神の力にすっかり頼ることを学び、そこに彼の強さの秘訣があったのです(IIコリ4:7〜10)。

使徒言行録13:38を読んでください。使徒言行録13:16〜41には、新約聖書の中で初めて記録されているパウロの説教が含まれています。言うまでもなく、それは、パウロが行った最初の説教ではありませんし、疑問の余地なく、彼が語ったことの概要を示しているにすぎません。

この説教は、三つの主要な部分に分かれています。まず、神がイスラエルを選ばれたこととダビデが王であったことに関する共通の信仰から始まります(使徒13:17〜23)。この部分は、ユダヤ人の聴衆と接点を築くことを意図したものです。次にパウロの説教は、ダビデの子孫がイスラエルに救いをもたらすという神の約束の成就としてイエスを提示します(同13:24〜37)。結論部分は、イエスによって提供されている救いを拒むことへの警告です(同13:38〜41)。

説教の山場は38節と39節で、そこには義認に関するパウロのメッセージの核が含まれています。赦しと義認は、モーセの律法によってではなく、イエスによってのみ得られます。このメッセージは、律法が破棄された、とは言っていません。それは単に、律法にはユダヤ人がそれに期待するもの、つまり義認を成し遂げる力がないということを強調しているだけです(ロマ10:1〜4)。そのような大きな権限は、イエス・キリストにのみ委ねられているのです(ガラ2:16)。

ピシディア州のアンティオキア(その2)

使徒言行録13:38、39は、律法には義とする力がないという問題を提示しています。この問題は、教理上の重要な考えの一つです。律法の道徳的戒めには拘束力がありますが、それにもかかわらず、律法は義認をもたらすことができません。なぜなら律法は、それを守る者の内に完全な服従を生み出せないからです(使徒15:10、ロマ8:3)。たとえ律法が私たちの内に完全な服従を生み出すことができたとしても、その完全な服従は、過去の罪を贖うことができません(ロマ3:19、ガラ3:10、11)。それゆえ義認は、部分的にさえ、行いによって得ることができないのです。私たちは、イエスの贖いの犠牲(私たちに不相応な賜物)を信じることによってのみ、それを受けることができます(ロマ3:28、ガラ2:16)。クリスチャン生活にとって、服従がいかに重要であろうと、それによって救いを得ることはできません。

使徒言行録13:42〜49を読んでください。手厳しいメッセージの終わり方であったにもかかわらず、会堂にいたほとんどの人の反応は、とても好ましいものでした。しかし次の安息日、状況は激変しました。福音のメッセージを拒絶していた「ユダヤ人」は、ほぼ確実に、会堂の指導者たち、つまり公式なユダヤ教を代表する人たちでした。ルカは、パウロに対する彼らの容赦ない態度をねたみのせいにしています。

古代世界において、ユダヤ教のいくつかの側面は(例えば、一神教、生活スタイル、安息日さえも)、ユダヤ人でない人たちの間で強い魅力となり、彼らの多くが改宗者としてユダヤ教信仰に加わりました。しかし、割礼は大きな妨げでした。野蛮で不快な慣例だ、と思われていたからです。その結果として、多くの異邦人は正式にユダヤ教に改宗することなく、神を礼拝するために会堂へ通いました。このような人たちは「神を畏れる人たち」として知られており、パウロのメッセージに関する知らせを一般大衆に広める手助けをしたのは、アンティオキア会堂の改宗者とともに、神を畏れる人たち(使徒13:16、43)だったのかもしれません。一般大衆は大挙してやって来ました。最初にユダヤ教を信奉しなくても救いを体験できるというのは、間違いなく、多くの人にとってとても魅力的であったはずです。

このことは、ユダヤ人指導者たちのねたみを説明する助けになるかもしれません。いずれにしても、彼らは福音を拒絶することによって、彼ら自身を神の救いから締め出しただけでなく、パウロとバルナバを追い出すことで、2人が全神経を異邦人に向けるようにさせたのです。そして異邦人たちは、自分たちが神の救済計画に含まれることのゆえに、神を賛美し、ほめたたえました。

イコニオン

アンティオキアのユダヤ人指導者たちにそそのかされた地元当局は、パウロとバルナバに対して暴徒たちをあおり立て、2人を町から追い出しました(使徒13:50)が、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていました(同52節)。次に、宣教師たちが向かったのは、イコニオンの町でした。

使徒言行録14:1〜7を読んでください。イコニオンにおいて、パウロとバルナバは、異邦人に向かう前にまずユダヤ人に話をするという慣例を続けました。アンティオキアでのパウロの説教が(使徒13:16〜41)、彼らの伝道においてユダヤ人の優先順位が高いことのおもな理由をいくつか説明しています。イスラエルの選びとそれに伴うさまざまなこと(ロマ3:2、9:4、5)、ダビデの子孫から救い主が生まれるという約束を神が成就されたこと。多くのユダヤ人が福音を拒絶したにもかかわらず、パウロはかなりのユダヤ人が回心するという希望を決して捨てませんでした。

ローマ9〜11章においてパウロは、「イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず」(ロマ9:6)、あるユダヤ人たちが信じるのは、まったく神の恵みによるのだ、と明らかにしています。神は御自分の民を拒絶なさってはおられませんし、「現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています」(同11:5)。パウロは異邦人に福音を宣べ伝え続けましたが、いつの日か、もっと多くのユダヤ人がイエスを信じるようになると信じていました。

「ローマの信徒への手紙9章から11章におけるパウロの議論は、使徒言行録の物語の中で彼が推進する宣教戦略をさらに説明しているとともに、信じようとしないユダヤ人にあかしをすることの神学的重要性をクリスチャンの全世代に突きつけている」(デイビッド・G・ピーターソン『使徒言行録』401ページ、英文)。

ここでの状況は、アンティオキアでの状況とさほど違いませんでした。パウロの福音に対するユダヤ人、異邦人双方の最初の反応は、極めて好意的だったのですが、またもや信じようとしないユダヤ人たち(たぶん、地元のユダヤ人共同体の指導者たち)が異邦人を扇動し、宣教師たちに悪意を抱かせ、人々を分裂させました。敵がパウロとバルナバを襲って私刑にしようとしたので、2人の宣教師はこの町を離れて次の町へ移動することにしました。

リストラとデルベ

パウロとバルナバが次に訪れた場所は、イコニオンから南西に29キロほど離れた辺鄙な村、リストラでした。彼らはそこでしばらく過ごしましたが(使徒14:6、7、15)、ルカは一つの物語とその展開しか報告していません。それは、生まれつきの病気で苦しんでいた足の不自由な(たぶん物乞いの)男をいやした物語です。

使徒言行録14:5〜19を読んでください。群衆は奇跡に強く感銘を受け、パウロとバルナバを神々だと誤って思い込みました。バルナバは、ギリシアの神々の最高神ゼウス、パウロは、ゼウスの従者で代弁者のヘルメスだというのです。実際、人々は彼らにいけにえをささげようとしました。

ラテン詩人オウィディウス(紀元前43年〜紀元17年または18年)は、人間に姿を変えた同じ2人の神〔ゼウスとヘルメス〕が同じ地域(「フリギアの丘陵地」)の町を訪問して、宿泊場所を探したという伝説をかつて記していました。その伝説によると、謙虚な年寄り夫婦が彼らを親切にもてなし、ほかの人たちは無関心だったといいます。正体を隠した訪問者に対する親切ともてなしのゆえに、老夫婦は家を神殿に、自分たちは神官に変えてもらい、一方で町のほかの人たちは、全員滅ぼされたというのです(『変身物語』611〜724ページ、英文参照)。

そのような物語がこの地域には流布していたので、パウロの奇跡に対する人々の反応は、意外なものではありませんでした。またこの物語は、なぜ人々が宣教師たちを、例えば医神アスクレーピオスではなく、あの2人の神々だと思ったかも説明してくれます。しかしパウロとバルナバは、自分たちに対する彼らの誤った礼拝を止めることができました。最後には、アンティオキアとイコニオンからやって来た敵が状況を完全にひっくり返し、パウロは石を投げつけられて、死んだものとみなされたのでした。

問1

使徒言行録14:20〜26を読んでください。パウロとバルナバは、どこで彼らの旅を終えましたか。また帰る途中、彼らはどうしましたか。

さらなる研究

「地上での生涯の間、キリストはユダヤ人を排他性の中から導き出そうとなさった。百人隊長とシリア・フェニキアの女の回心は、承認されたイスラエルの人々以外の直接的な主の働きの例である。今や異邦人たちの間における積極的かつ継続的な働きの時がやって来ていた。彼らの地域全体が福音を喜んで受け入れ、理にかなった福音の光のゆえに神に栄光を帰した。ユダヤ人の不信と悪意は、神の御目的をそらすことができなかった。新しいイスラエルは、古いオリーブの木に接ぎ木されたからである。会堂は使徒たちに扉を閉ざしたが、個人の家々は、彼らが用いるために解放されたし、異邦人の公的な建物もまた、その中で神の言葉を宣べ伝えるために用いられた」(『パウロ略伝』51ページ、英文)。

「パウロとバルナバは、伝道活動の初めから終わりまで、キリストが喜んで犠牲を払い、魂のために忠実に熱心に働かれたその模範に従おうと努めた。彼らは油断なく、熱心で、たゆまず、自分たちの好みや身の安楽などを考えずに、祈りながら、熱意とやむことのない活動とによって、真理の種子をまいた。種子をまくとともに、使徒たちは、福音のがわに立ったすべての人に、測り知れないほど価値のある実際的な教えを与えるよう気をくばった。この熱心な精神と神をおそれる思いは、福音使命の重要さについていつまでも消えることのない印象を、新しい弟子たちの心に植えつけた」(『希望への光』1426ページ、『患難から栄光へ』上巻201ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次