初期の地球【創世記―起源と帰属】#3

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万物の創造について述べた後で、モーセは人間と人間を取り巻く環境について述べています。創世記1章は万物がどのようにして創造されたかについて記していますが、創世記2章は人間が人間たるゆえんについて説明しています。もし創世記2章の情報がなかったなら、創世記3章に記されている神への忠誠の試験も、それに続く堕落も、ほとんど理解できなくなります。

園の木々や動物に囲まれたアダムとエバの親密な世界は、天地創造についての先の壮大な記述を補足しています。創世記2章は聖書の読者を人類の社会的次元へと導き、ある程度、有史前の世界の地理的状況を理解させてくれます。創世記2章はまた、安息日、労働、家庭、結婚といった天来の制度につい

て記しています。これらの制度は堕落以前に人類に与えられたものであって、今日でも人間の生活、行動、幸福の基本となるものです。私たちはエデンからずっと後の時代に生存していますが、回復されたエデンに入ろうとしている私たちにとって、それがなお模範的な原則であることに変わりありません。堕落以前の世界についてのこの聖なる記録は、堕落した世界しか知らない私たちに何を教えているのでしょうか。

今回は、今はもう見ることができなくなってしまった文字通りのパラダイスに目を向けます。

安息日(創2:1~3)

前回は、天地創造の記述が闇から光へ、水だけから地と水へ、大空へ、植物へ、そして最後に人間、男と女へと進展しているのを見ました。これらすべてのものが創造された後で初めて、創世記2:1の言葉が語られます。「天地万物は完成された」。ここに記されているかぎりにおいて、神の創造の御業は完成された業でした。この事実は創世記2:2、3に暗示されています。そこには、神がその仕事を離れて「安息なさった」と記されています。神はお疲れになったのでしょうか。それとも御自分の業が完成したので安息なさったのでしょうか。

問1

創世記2:2、3を読み、次の質問に答えてください。

これらの聖句には、天地創造の業が第6日後も継続したことを暗示するところがどこかありますか。

安息日が天地創造を表象することを考慮するなら、これらの聖句は安息日の普遍性(全人類にとっての意味)についてすでにどんなことを暗示しますか。

創世記2章には安息日という名詞は出てきませんが、安息日という言葉の起源である「安息なさった」という動詞は明らかに安息日を意味しています(出20:8~11参照)。安息日の前に文字通りの6日が来ているように、安息日もまた文字通りの1日であることは確かです。

もう一つ注目すべきことは、神が最初に聖別されたものは時間、つまり第7日だったことです。丘でもなく、川でもなく、宮でもなく、時間の一部を、神は特別に御自分の新しい被造物の中で最初に「聖別」されました。この意味で、安息日は特別なもの、普遍的なもの、場所や地理に制約されないものです。安息日は、住んでいる場所にかかわらず、すべての人が守ることのできるものです。

“ネフェシュ・ハイヤー”

創世記2章では、場面が天地創造からエデンの園に変わります。創世記2章は第2の、異なった天地創造の記述というよりも、むしろ創世記1章を補足するものと言えます。人間は創世記1章ではピラミッドの頂点に立つものですが、創世記2章では円の中心に置かれています。焦点は人間に当てられていて、その他のものはすべて背景に追いやられています。

創世記1章に戻りますが、神が「生き物」を創造されたのは第5日になってからでした。生き物はヘブライ語で“ネフェシュ・ハイヤー”と言います。“ハイヤー”は「命」、“ネフェシュ”は「生物」の意味です。興味深いことに、これと同じ表現が創世記2:7にも出てきます。

問2

創世記2:7を読んでください。この聖句の中で“ネフェシュ・ハイヤー”から訳されている言葉はどれですか。

創造された人間をあらわす「生きる者」(創2:7)という言葉が、魚や鳥、地を這うものと同じ言葉であることを知って、多くの人は驚きます。ほかの生物とは異なり、人間は「神にかたどって」創造されました(創1:27)。しかし、純粋に物理的な意味では、人間は地上のほかの生物と一つに結びついています。このことは、人間も地上のほかの生物と同じく、生存するためにはある種の物質を必要とすることからも明らかです。

問3

創世記2:7に“ネフェシュ”(しばしば「魂」と訳される)という言葉が用いられていることは、魂が不死でないことを理解する上でどんな助けになりますか。エゼ18:4、マタ10:28

聖書は“ネフェシュ”という言葉をさまざまな意味に用いています(たとえば、

「人」、「自己」、「命」、「存在」など)。しかし、この言葉が旧約聖書の中で、一般的に考えられているように、肉体から離れて存在する、別個の、意識を持った、不滅の実体を意味することは決してありません。それは異教ギリシアの思想で、今日のほとんどすべての一神教に入り込んでいます。

エデンの家(創2:8~17)

創世記2:10~14にある細かい地理的な記述からすると、聖書記者の頭の中では、エデンは単なる象徴や比喩でなく実際の場所であったことがわかります。11~14節にある名前のいくつかは、後に洪水以後の土地や川に当てはめられています。しかしながら、洪水が地球の形状に及ぼした変化はあまりにも大きいので、洪水以前の地理を現在の場所や川と結びつけることは不可能です。

問4

創世記2:8~17にあるどんな特徴が、エデンの家が理想郷であったことを暗示していますか(人間の肉体的、精神的、審美的、道徳的必要を満たす環境や配慮に特に注目してください)。

6000年におよぶ罪によって損なわれた今日の世界にもなお、原初の美しさを暗示するものが残っています。それらの痕跡は神の素晴らしい創造力について語りかけています(ヨブ12:7~9、ロマ1:19、20)。しかし、エデンがどのような場所で、どれほど素晴らしい楽園であったかを想像することは困難です。

問5

あなたがこれまでに見たものの中で楽園に最も近いものは何ですか。それはどんな点で楽園に似ていますか。

創世記2:15を読んでください。この地上の楽園で、必要なものをすべて与えられていながら、アダムが園で働く務めを与えられていたことは驚きです。ここで「耕し」と訳されているヘブライ語は「働く」または「仕える」を意味する一般的な言葉です。このように、堕落以前でさえ、人間は何もしないでいるのでなく、働くように定められていたのです。このことからも、労働そのものを悪のように見なすべきでないことがわかります。

アダムと女(創2:18―25)

エデンの園のアダムは、あらゆる動物を支配する権限を与えられ、1本の木を除いて、すべての木から自由に取って食べることができました(創2:16、17参照)。しかし、神はアダムに対してさらなる計画を持っておられました。

問6

神が男に女を与えられたのはどんな目的からでしたか。創2:18、20

女は「彼に合う助ける者」となるのでした(ヘブライ語では「、彼に対する助け手」、

「彼と同等の助け」、「彼の片割れ」を暗示します)。創世記の記述は女に同等の者、片割れ、パートナー、補完者としての価値を与えています。男は女との交わりにおいて完全な満足を見いだし、神のかたちと姿を分かち合うのでした。

問7

創世記1:27、28を読んでください。これらの聖句は、女が地上の生涯において担うべき重要な役割について何と教えていますか。

アダムの肉体的構造を考えるなら、彼は女なしに創世記1:28の命令を果たすことができませんでした。女は男の伴侶、妻、協力者として自然界を支配することになっていましたが、その役割は男と同等でした(創2:24参照)。

問8

エバはどのようにして創造されましたか(創2:21、22)。彼女の創造はほかのすべての生き物の創造とどのように異なっていましたか。

男を含むすべてのものは土の塵から造られましたが、エバは男から造られました。聖書はその違いの意味を説明していませんが、女が男よりも劣るものとして扱われるべきでないことだけははっきりしています。しかし、多くの社会では、女がほとんど奴隷同然に扱われ、尊厳も権利も与えられていません。これは、罪が人類にもたらした結果の一例です。

アダムの妻となるエバ(創2:23、24)

創世記2:23で、アダムは喜びのあまり詩の形式で妻を迎える喜びを表現しています(23節は聖書の中で最初の2行連句になっています)。エバの創造と、それに続くエバとアダムの結婚は大いなる祝福のために計画されたものでした。一人の男と一人の女が基本的な単位である家庭の基礎を築き、そこからすべての人類が生まれ、存続するのでした。これは、「産めよ、増えよ、地に満ち……よ」という祝福の模範となるのでした(創1:28)。

問9

罪はこの理想にどんな影響を与えましたか。今日、その結果としてどんなことが起こっていますか。

問10

聖書は結婚の段階と順序についてどのように教えていますか。創2:24

結婚に対する神の理想がこの聖句に具体的に記されています。ふさわしい時機が来たなら、人は最も近い親族である両親を離れ、自分の妻にこの世の最高の忠誠を尽くすべきです。妻は夫の愛情の中で最高の位置を占めるべきです。神の秩序においては、夫と妻のあいだの肉体的な結合は結婚の後になされるべきです。悲しいことに、「離れて……結ばれ……一体となる」という聖書の順序が逆になっているために、悲劇的な結果が生まれています。

まとめ

「われわれの祖先の家庭は、その子供たちが地に住むためにひろがっていくときの、彼らの家庭の模範とならなければならなかった。神ご自身の手で飾られたその家庭は、豪華な宮殿ではなかった。……神は、アダムを園の中におかれた。

……清い家族の環境は、すべての時代に教訓を教えている。つまり、真の幸福は、誇りとぜいたくにふけることにあるのではなくて創造のみわざによって神と交わることにあるということである。……誇りや野心は、あくことを知らない。しかし、真に賢明なものは、神がすべての人の手のとどくところにおかれた喜びの源泉から、実質的で高尚な楽しみを見いだすのである」(『人類のあけぼの』上巻25ページ)。

「エバは、アダムのわきから取られたあばら骨によって創造された。このことは、彼女がかしらになって彼を支配するのでもなければ、彼よりは劣った者として彼の足下に踏みつけられるものでもなく、同等のものとして、彼のかたわらに立ち、彼に愛され、守られるものであることを示している。男の一部分、彼の骨の骨、彼の肉の肉として、彼女はアダムの第二の自分であった。そしてこの関係には、密接な結合と深い愛情がなければならないことを示された」(『人類のあけぼの』上巻21ページ)。

我々人間がその所属を変えておよそ6000年、積もり重なった罪の呪いは、あの美しく素晴らしかった我々の起源の天や地、そこに棲む生き物、そして我々人間自身をも変えてしまいました。エデンでの祝福の働きが苦しみ汗する労働となり、家族の喜びに産みの苦しみが伴い、やがて人は死に、土に還るのです。

しかし主は闇を破る光となってくださいました。労働は罪への防壁となり、出産は救いとなり、安息日が身体と心と魂の回復の日となったのです。一日を力いっぱい真面目に働き、夕べに心地よい休みに入る。その休みは、充実した喜びであり明日への希望です。安息日はまさに1週間の我々の起源と所属探しの旅の一里塚、歩んだ道への喜びと感謝、明日の道への希望と期待を、神と友と共に語り合う日なのです。なんという幸せ。そう、安息日はハッピー・サバスなのです。

*本記事は、安息日学校ガイド2006年4期『起源と帰属』からの抜粋です。

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