滅びと再生【創世記―起源と帰属】#5

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「最近、あの狂信者のノアについて何か聞いたかね」

「信心深いノアのことかい?」

「そう、信心が奴を狂わせたんだ。空から水が降ってくると言っている」

「空から水がね……」

「洪水が起こり、箱舟に乗った者たち以外、みんな滅びるそうだ」

「箱舟だって?」

「水の上に浮くものらしい。それに乗った者だけが生き残るそうだ。洪水は俺たちの罪に対する神の裁きだって。俺たちはそんなに悪者か」

「空から水か……。奴のようにまじめな者がどこで狂ったのかな」

「もともと狂っているからさ。しかも、律法主義者ときている。人間が信仰によってのみ救われることを知らないのだろうか。標準、規則、規律──奴の口から出るのはいつでもそれだ」

「ノアは多少厳格かもしれないが、根は正直で、まじめな男だ」

「それなら、なぜ一度も起こったことのないことを信じろと言うのだ。科学者は、そんなことはありえないと言っている。哲学者は、それは自然の法則に反すると言っている。水は毎朝、地上から霧となって湧き出るものだ。空から降るものではない」

「確かに……」

「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている」

アダムとエバには、カインとアベルの後も子供が生まれました。その中の一人であるセトは(創5:4)、神に忠実な洪水以前の族長たちの先祖となりました。ノアはこの家系に属しています(28、29節)。

問1

創世記6:1~13には、清められていない人間の状態がどのように描かれていますか。それはどんな意味で、私たち自身を含む現代社会に似ていますか。

聖書注解者の中には、「神の子ら」(創6:2)が天使をさすと言う人たちもいますが、聖句の前後関係や内容からすると、セトの子孫をさすことは明らかです。同じ理由で「、人の娘たち」(1節で増えた「人」)はカインの子孫をさしています。信仰の系譜を象徴する「神の子ら」は不信者と結婚することによって、そのような縁組みからくる危険に身をさらしました。

これらの聖句は人類の悪を最上級に強調しています。「すべて」、「いつも」、「ばかり」という言葉に注目してください(5節、口語訳)。「(思い)計る」と訳されているヘブライ語は、先の「形づくる」(創2:7)という動詞から来ていて、ここでは「熟慮」とか「行為」を意味します。旧約聖書においては、心という言葉は感情、意思、理解力の中心である人間の完全な内的生命を描写しています。11~13節にある「堕落」、「不法」という言葉は5節の描写を拡大しています。

問2

創世記6:6、7は、地上の悪に対する神の悲しみをどのように表現していますか。

人間の心を描写した後で、著者は神の御心にある悲しみと苦しみに目を向けます。モーセは人間の読者に理解できる言葉を用いて主を描写しています。神は遠くかけ離れた抽象的思想、あるいは融通のきかない原則のようなものではありません。神は私たちと同じく、意思を持ち、人間の罪や祈り、悲しみに同情されるお方です。[創世記6:5~7の]これらの言葉は、罪の始まりと広がりを説明したり、理解することの難しさを感じさせます。

ノアと恵みの福音(創6:8―22)

創世記6:8を読んでください。ここで、ノアが主の前に「好意」[口語訳では「恵み」]を得ていることに注目してください(聖書の中で初めて「好意」〔恵み〕という言葉が出てきます)。好意とは無価値な罪人に与えられる神の、功績によらない恵みです(ロマ4:14~16、エフェ2:5、8、Ⅱテモ1:9)。

問3

聖書はノアの品性と生活について何と記していますか(創6:9、12、ヘブ11:7、Ⅱペト2:5)。ノアの人物を考慮しても、彼がなお神の恵みを必要としたのはなぜですか。創9:20、21、ロマ3:23、Ⅰヨハ1:8参照

ノアは私たちと同じ罪人でしたが、それでもなお信仰と服従の生涯を送りました。このことは、彼が主の命令に従って箱舟を造ったことのうちに最もよく示されています。

問4

創世記6:22、7:5を読んでください。これらの聖句は信じる者の生き方に現される真の、人を救う信仰(箱舟を造るだけでなく、その中に乗り込むような信仰)についてどんなことを教えていますか。

不法と堕落に満ちた世界にあっても、主は行いによって自分の信仰をはっきりと現したノアという人物を持っておられました。これは、主を愛し、恵み、すなわちイエスに対する信仰によってのみ救いの約束を受け入れるすべての人が銘記すべき重要な問題です。たとえノアが可能なあらゆる信仰を持っていたとしても、もし信仰によって行動し、主の命令に従っていなかったなら、彼も彼の家族もほかの人々と共に洪水によって滅びていたでしょう(ヘブ11:7参照)。これは、救いの唯一の希望であるイエスの義に日ごとに信頼する私たちすべての者にとって、重要な実物教訓です。服従によって現されることのない信仰は真の信仰とは言えません。

洪水(創7:1~16)

問5

「清い動物」、「清くない動物」という表現は、ノアがすでにこのことについて知っていたことについて何を暗示しますか。創7:2、3、8、8:20

レビ記11章や申命記14章ではっきりと区別されるずっと以前から、神は「清い動物」と「清くない動物」を区別しておられました。このことは「、清い動物」と「清くない動物」の区別が昔から、つまりユダヤ国家が確立されるずっと以前からはっきりと知られていたことを暗示します。

問6

創世記7:7~24を読んでください。これらの聖句から、洪水が局地的なものではなく全世界的なものであったことについてどんなことがわかりますか。創7:19をダニ7:27、ヨブ28:24と比較

大洪水は地上を覆い、世界は神によって人の住める所とされる以前の状態に戻りました(創1:2)。例外は箱舟に乗ったノアとその家族だけでした。聖書に繰り返されている次のような表現が世界的な大災害を暗示します。「水は勢力を増し……水はますます勢いを加えて地上にみなぎり……水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った」(創7:18~20)。箱舟に入って助かったノアとその家族とは対照的に、滅ぼされた生き物の範囲の広さもまた、洪水が世界的な規模のものであったことをあかししています。さらに、世界的に見られる洪水伝説や化石の発見も、洪水が世界的規模のものであったことを裏づけています。これらの聖句からはっきりと言えることは、洪水が局地的な出来事ではなく、全世界的な出来事であったということです。この点が重要なのは、多くのクリスチャンが世界的な規模の洪水を否定する一部の科学者の考えに従って、聖書の明らかなあかしに反して、洪水を局地的な出来事と考えているからです。

失われた世代

創世記にあるノアと洪水の記事そのものを読むと、ほかの人に対しては箱舟に入る機会さえ与えられていないことに気づきます。あたかも箱舟がノアとその家族と動物のためだけに造られたかのように思われます(創6:13~22)。新約聖書はいくぶん違ったことを暗示しています(ヘブ11:7、Ⅰペト3:20、Ⅱペト2:5)。エレン・ホワイトはもちろん、箱舟を建造するノアの働きが来るべき出来事に関する世へのあかしであったこと、またノアが「避難所があるうちに救いを求めるように訴えた」ことを明らかにしています(『人類のあけぼの』上巻95ページ)。主がすべての人の救いを望んでおられることを考えると(Ⅰテモ2:3、4)、神が[ノアの時代の]人々に救いの機会を与えておられたことは明らかです。

しかしながら、ノアの家族と動物だけが箱舟に入ったという事実は、その世代の人々の堕落した品性について多くのことを語っています。結局のところ、ノアの側につくことはへりくだって、進んで大多数の人々の中傷に甘んじることでした。不人気になることを意味しました。十分に理解していないことを信じることを意味しました。自分自身に頼らないで、神に頼ることを意味しました。このような特性は堕落した世代にあってはまず期待できないことでした。

問7

ノアの時代にノアの側につくことと、今日、キリストとその戒めの側に立つこととを比較してください。どんな共通点がありますか。

幸いなことに、神はいつでも私たちのために逃れの道、箱舟に入る機会を備えておられます。エルサレムのために涙を流されたイエスはノアを通して民に悔い改めるように訴えられたイエスと同じです。もちろん、今日、最後の裁きによって滅びる前に箱舟に入るように私たちに訴えておられるイエスと同じです(マタ24:38~41参照)。

契約と更新

問8

箱舟から出るとすぐに、ノアは献身と崇敬と感謝の気持ちをどのように表しましたか。創8:20

「ここに後世のすべての人々が学ばなければならない教訓があった。ノアは、荒廃した地上に出てきたが、自分の家の建築にとりかかる前に、神の祭壇を築いた。彼の家畜の群れはわずかで、非常な犠牲を払って育ててきたものであった。しかし、彼は、万物が神のものであることを認めたしるしに、喜んでその一部を主にささげた。同様に、われわれも、神に心からのささげ物をすることを第一の務めとしなければならない」(『人類のあけぼの』上巻106ページ)。

問9

神はノアの献身と礼拝にどのように応えられましたか。神の応答をあなた自身の言葉で言い換えてみてください。神はここで何と言っておられますか。創8:21、22

神の応答は人間の言葉で表現されています。神が世界を滅ぼされたのは、人間が「常に悪いことばかりを心に思い計っている」からでした(創6:5)。洪水後も、人間の悪について同じ思想が繰り返し述べられています。主はここで、人間の本質は洪水によっても改善しそうにないと言っておられるのです。聖句からすると、神が二度と地を滅ぼさないと決められたのはノアのささげた犠牲に対する応答からであったようです。この血の犠牲は約束と結びついています。この新しい約束をもたらすのは明らかに人間の功績ではなく、犠牲に含まれる功績です。神が二度と洪水を起こさないと言われるのは、人間の功績のゆえではありません。ある意味で、これは福音に含まれる同じ原則を反映しています。神が私たちを救われるのは私たち自身のゆえではなく、私たちに対する憐れみと恵みのゆえです。

問10

創世記9:8~19を読んでください。ここにどんなことが約束されていますか。この契約にはだれが含まれていますか。このことから、私たちがイエスにおいて与えられている救いの「新しい契約」の約束についてどんなことがわかりますか。どんな点が似ていて、どんな点が異なっていますか。創9:12を同17:7、詩編105:10、ヘブ13:20と比較

まとめ

「最初、多くの者は、警告を受け入れたように思われた。しかし、彼らは、真に悔い改めて神に立ち帰ったのではなかった。彼らは、罪を捨てようとはしなかったのである。洪水が来るまで、しばらくの間、彼らの信仰は試みられたが、彼らはその試練に耐えられなかった。彼らは、一般の不信仰に負け、ついに、以前の仲間といっしょになって、厳粛な使命を退けた。あるものは、深く感動して、警告の言葉に聞き従おうとした。しかし、あざけり笑うものが多いために、ついに彼らと同調して、恵みの招待を拒み、やがてだれよりも大胆不敵にちょう笑するものになった。というのは、一度光を与えられながら、罪を示す神の霊に逆らったものほど、無謀で、罪の深みに沈むものはないからである。

厳密な意味において、当時の人々は、全部偶像礼拝者であったのではない。神を礼拝すると公言する者が多くいた。彼らの偶像は、神を代表するものであって、人間はそれによって、神に関する明確な観念をいだくことができると彼らは主張した。この種の人々が、率先してノアの説教を拒否した。神を物質的対象によって表そうとすることによって、彼らの思いは暗くなり、神の威光と力とを見ることができなくなった。彼らは、神の品性の神聖さ、また、神の要求の神聖さも不変性も悟らなくなった。罪が一般に広く行われ、罪が罪と思われなくなって、ついに彼らは、神の律法は廃され、罪を罰することは神の品性に反するというようになった。そして、地に神のさばきが行われることを否定した。もし、あの時代の人々が神の律法を守っていたならば、神のしもべの警告が神の声であったことを認めたことであろう。しかし、彼らの心は光を拒んだために暗黒に閉ざされ、ノアの使命は妄想だとほんとうに思い込んだ」(『人類のあけぼの』上巻92、93ページ)。

聖書を否定し、この世に神はいない、この宇宙は偶然にできたとするならば、あるいは今住む世界が何十億年もかかって自然にできたとする学説も、確証や確信のない、曖昧模糊とした人間の思考の産物として考えられるかもしれません。しかし、聖書の神を信じ、そこに述べられている宇宙と人間の起源と帰属を信じる時、我々の周囲の世界の全てが、意味と価値のある確証と、確信のある真実・事実として見えてくるのです。ノアと彼の家族はそれを、箱舟を建造する槌の一振り一振りで証ししたのです。

*本記事は、安息日学校ガイド2006年4期『起源と帰属』からの抜粋です。

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