人間アブラム【創世記―起源と帰属】#7

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この記事のテーマ

前回は、おもにバベルの塔について学びました。堕落した人間は過去の経験から学ぶことがないように思われます。

今回は、希望に満ちたテーマ、セムの子孫について学びます。パウロが「わたしたちすべての父」(ロマ4:16)と呼んでいる族長アブラムはこの家系に属しています。アブラムはキリストを信じるすべての者の父です。このキリストを通して、アブラハムに対してなされた約束が実現しました。キリストによって、私たちは今やアブラハムの子孫、「約束による相続人」です(ガラ3:29)。この約束とは、もはや悪も罪も死も存在しない、ましてやそれらの支配することのない天のカナンのことです。

堕落と洪水、ノアの泥酔とバベルの塔の失敗の後に、主は人類に希望を与えられます。この希望は、偶像崇拝の影響下にあった家族と文化の中に生きながら、まことの神に従っていたアブラムをもって始まります。アブラムはその信仰のゆえに自分自身と家族のために、また全人類のために約束を与えられました。

今回は、アブラムの生涯、すなわち彼の召命、応答、人間性、とりわけ神との関係に目を向けます。彼は、堕落した人間が信仰によって生きること、信仰によって義とされること、その信仰を行いによって表すことが何を意味するかについての偉大な模範です。

アブラムの生い立ち

問1

創世記11:10~32を読んでください(ヨシュ24:2、使徒7:2参照)。これらの聖句の直前にどんな記事がありますか。二つの記事が互いに隣合わせに置かれているのはなぜだと思われますか。これらの記事からアブラムの生い立ちと家族についてどんなことがわかりますか。

年代から考えると、アブラムはテラの息子たちの中で最も年下でしたが、彼が創世記11:26、27で最初に書かれているのは選ばれた家系の先祖であったためと思われます。考古学はアブラムの生きた時代について多くのことを明らかにしていますが、当時の偉大な国々は単に背景の一部になっているにすぎません。焦点は神についての真理と知識を保存しようとした族長やその家族に当てられています。これが創世記の重要な目的です。創世記の物語は、中には浅ましいものもありますが、偶像崇拝や異教信仰、あらゆる種類の迷信で満ちていた世界にあって、神から御自身についての知識を保存するように求められた人たちを中心に描いています。

問2

使徒言行録7:2~4によれば、アブラムの召命はいくつの段階を経てなされていましたか(創12:1を使徒7:4と比較)。彼が直接カナンに行かないで、これらの段階を踏んだのはなぜだと思いますか。

ステファノによれば、神はまずカルデアのウルでアブラムに現れ、それから彼に御自分の示す地に行くように言われました。しかし、アブラムはすぐには行きませんでした。彼はハランに立ち寄り、父テラが死ぬまでそこに滞在しました。アブラムが最終的に約束の地に向かったのは父の死後でした。

召命

問3

神がアブラムにハランを出るように言われたのはどんな理由からでしたか。創12:1~3、ヘブ11:8~10

ここに重要な皮肉が隠されていることに注意してください。神がアブラムに与える祝福の中に、「あなたの名を高める」(創12:2)ことがありました。これをバベルの塔の物語と比較してください。人々が塔を建てようとしたのは「有名になる」ためでした(創11:4)。人間的に考えれば、記念になるような業績を残すことのほうが、自分の家族、民族、文化、肥沃な土地を捨てて「、行き先も知らずに」(ヘブ11:8)出て行くことよりも、「有名になる」機会があるのではないでしょうか。しかし、今日、バベルの塔を建てるために働いた人々の名を知っている人がだれかいるでしょうか。対照的に、アブラムの名は全世界の多くの人に知られています。

問4

このことは自分なりに「有名になろう」としているかもしれない私たちにとってどんな大切な教訓を与えてくれますか。

カナンに行くようにという再度の召命に加えて(使徒7:2を創12:1と比較)、あなたを大いなる国民にするという神からの驚くべき約束がアブラムに与えられました。これは明らかに子供が与えられることを暗示するもので、それまで妻に子供ができなかった彼は(創11:30)、信仰によって受け入れねばならないことでした。しかし、4節にはアブラムのためらいを暗示するものは何ひとつなく、神はアブラムに行くように命じ、約束を与え、アブラムは信仰をもって前進しました(ロマ4:13参照)。

アブラムの信仰

問5

創世記12章を通して読んでください。信仰、試練、品性について教えられることがあれば書き出してください。それらは日ごとの主との歩みにとってどんな助けになりますか。

アブラムは神の召命に従っていたのだから、その道は神の摂理によって備えられていたはずだと、私たちは考えるかもしれません。しかし聖書は、神に忠実であるかぎり試練に遭うことがないとは教えていません。むしろ、その逆です。

カナンに入ってからしばらくすると、アブラムは激しい飢饉のためにエジプトに逃れなければならなくなりました。エジプトはナイル川の洪水によって潤されていました。聖書は、神の命令に従う者たちも信仰の試練に遭うことがあると教えています。

飢饉がアブラムの信仰に及ぼしたかもしれない大きな試練について考えてください。彼は神の召命に従ってカナンにやって来ました。それなのに、飢饉に遭うとはどういうことでしょう。アブラムをカナンから追い出すことになったこの飢饉は、サライとファラオに関することで彼の信仰の足りなさを説明する助けになります。信仰の勇者アブラムも空腹と恐怖のゆえに、いとも簡単に私たちと同じ弱さを持ったひとりの人間になってしまったのでした。彼が半面の真理によって真理を隠そうとしたとき、信仰は恐怖に、恐怖はごまかしに屈服してしまいました。

「主は、摂理のうちに、この試練を与えて、服従、忍耐、信仰などの教訓を教えようとなさった。この教えは、後で苦難に耐えるように召されるすべての人のために記録されることになった。神は、神の子らを彼らの知らない道に導かれるが、神は、神に頼るものを忘れたり、見捨てたりなさらない」(『人類のあけぼの』上巻127ページ)。

アブラムとロト

問6

創世記13:1~13を読んでください。それはアブラムの品性について、また彼が信仰によって生きることの模範とされている理由についてどんなことを教えていますか。聖書はこれと同じ精神を現すことについて何と勧めていますか。フィリ2:4参照

エジプトから戻る途中、アブラムはカナンに築いた2番目の祭壇で主の御名を呼びました(創13:3、4)。神との関係を更新することによって力づけられた彼は、さらなる試練に対処することができました。土地についての約束が再びアブラムから離れて行くように思われました。何らかの決定がなされなければなりませんでした。

エジプトにおけるアブラムの失敗はロトに対して示された彼の高潔な品性によって帳消しにされたようにさえ見えます。ロトはベテルの高地から、エデンの園やメソポタミア平原のようによく潤った、肥沃なヨルダン川流域の低地をながめました。ロトは目先の利益に訴えるものを選びました。彼は自分の選択がどのような結果をもたらすかを考えませんでした。「信仰」と「視覚」をめぐって決定がなされ、その結果、正しい選択をすることの知恵が示されました。主との親密な関係、また信仰によって歩むという強い意思のゆえに、アブラムは目先の、一時的な利益を超えてその向こうに永遠の利益を認めることができました。

問7

創世記13:14~18を読んでください。主はアブラムにどんな約束を与えておられますか。主がアブラムに約束を与えるのをこの時まで待たれたのはなぜだと思いますか(14節参照)。これらの約束を信じるためには、アブラムに大きな信仰が必要でした。それはなぜですか。

メルキゼデクとアブラム

創世記14:1~16は、ソドムとゴモラが略奪されたことについて、またアブラムがロトを含む親族を侵略者の手から解放したことについて詳述しています。このように、信仰の人、まことの神の礼拝者であったアブラムも、戦いの人とならざるをえませんでした。

問8

メルキゼデクの挿話はアブラムの霊的性格にどんな光を投げかけていますか。アブラムの信仰はその行いのうちにどのように明示されていますか。創14:17~24

メルキゼデク(「わが王は正義」の意味)はサレム(エルサレムのこと、詩編76:3参照、口語訳76:2)の王で、いと高き神の祭司でした。アブラムは同じ神を礼拝していました。メルキゼデクは戦いから戻ったアブラムを歓迎し、祝福します。アブラムは王にして祭司であったメルキゼデクに敬意を表して、すべての物の十分の一を贈ります(20節)。このことは、十分の一制度がモーセやユダヤ人のずっと以前から行われていたことを暗示しています。

この大勝利の後で、主はアブラムに現れ、すばらしい約束を与えられます。「わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」(創15:1)。エレン・ホワイトは、アブラムが神の励ましを必要としていたと述べています。最近の彼の勝利が周辺の住民に少なからぬ憤りを生み出していたからです。

問9

アブラムの応答を読んでください(創15:2、3)。彼がこのように答えたのはどんな人間的な理由からでしたか。ふつうに考えると、彼の要求がきわめて合理的なのはなぜですか。

神はそれから(4~6節)、アブラムの子孫が数えきれないようになるという先の約束を繰り返されます(創12:2、13:16)。高齢のアブラムとサライには、子孫についての約束はありえないことに思われましたが、アブラムは神の言葉をそのまま受け入れ、神の力に信頼しました。創世記15:6にある通りです。パウロは後にこの言葉を引用しています(ロマ4:3)。

アブラムは神を信じ、神はそれを彼の義と認められました。このことは神に受け入れられることの意味を理解する上でどんな助けになりますか。

まとめ

自分の子孫が大いなる国民になるという約束を再び神から与えられたとき、アブラムは約束についてのしるし・確証を求めました(創15:7、8)。「主は、当時の人々が厳粛な契約の批准をするのと同じ方法によって、アブラハムと契約を結ぶことに応じられた。アブラハムは、神の指示に従って、3歳の雌牛、雌やぎ、雄羊などを犠牲にし、そのからだを裂いて、少し間を置いて並べた。それに、彼は、山ばとと家ばとのひなを加えたが、これは裂かなかった。こうしておいて、アブラハムは、うやうやしく、犠牲の裂かれたものの間を通り、永遠の服従を厳粛に誓った。彼は、夕暮れ近くまで、犠牲のそばにいて、荒い鳥に汚されたり、食い散らされたりしないように、じっと見守っていた。日暮れに彼は深い眠りにおちた。すると『大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ』(創世記15:12)。そして、神の声が聞こえ、約束の国をすぐ所有することを期待しないように命じ、また、カナンに定住する前に、彼の子孫は苦難に会うことを予告した。ここで、キリストの死という大きな犠牲と栄光の来臨による贖罪の計画が彼に示された。アブラハムは、また、地上がふたたびエデンの美しさに回復されて、永遠の所有として彼に与えられ、約束がついに完全に成就することを示された」(『人類のあけぼの』上巻137、138ページ)。

アブラハムは、ユダヤ教やイスラム教の人々にも、そして我々にも尊敬されている信仰者です。彼が神の言葉を素直に受けとめ、神が言われたように信じて行った故に、神はこれを彼の義と認められました。アブラハムは義人、信仰の父と称されています。

しかし彼が当時第一流の科学者、天文学者でもあったことはあまり知られていません。古代の幾つかの書物には、アブラハムが旅の行く先々で、天文の知識を人々に教え分け与えたと言及されています。特にアブラハムはエジプトの地に飢饉を逃れて移り住んだ時、エジプト人に道徳や真理を諭すと共に、数学や天文学を教え伝え、それがやがてギリシア人へと伝わったといわれます。すると彼は、近代科学の父、いや近代科学の祖父ということになります。アブラハムの信仰は、神の愛に素直に応える所から生まれたものですが、その信仰を力強く支えたのは、神からのもう一つの啓示である自然界の学びであったのでしょう。

*本記事は、安息日学校ガイド2006年4期『起源と帰属』からの抜粋です。

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