ヤコブ、イスラエルとなる【創世記―起源と帰属】#11

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この記事のテーマ

メソポタミアにおけるヤコブの20年間の奉仕は嫉妬と争い、策略によって特色づけられていました。二人の姉妹が互いに相手よりも多くの息子を産むことによって夫の愛情を勝ち取ろうとします。義理の息子と義理の父が互いにだまし合っています。ラバンは自分の成功のみを考えています。聖書の物語は神に対する信仰よりも、[相手を陥れるための]毒薬や策略に対する信仰で満ちています。それは何千年経ってもほとんど変わりません。

これらの章は人間の力に信頼することの愚かさを教えている一方で、憐れみと赦し、受容についての神の約束が確かなものであることを教えています(幸いなことに、それは今も同じです)。人間の不信仰、欺き、嫉妬、策略についてのこれらの悲しむべき記録の中にさえ、神の憐れみが働いているのを見ます。それは堕落した人間に対する神の恵みについての驚くべきあかしです。

このことはヤコブの夜の格闘に生き生きと描かれています。ここにもまた、主が真の信仰と悔い改めをもって御自身のもとに来る者たちのそば近くにおられることがはっきりと示されています。ヤボクの渡しで、悔い改めたヤコブはイスラエルとなります。そして、明らかに見込みのない人間に対する神の計画は勝利をおさめます。

家族の悩み

ヤコブとラケル、レアの物語の中には(創29章)、さらなる欺きがあります。人を欺く立場から、欺かれる立場になったヤコブは、このときの体験から重要な教訓を学んだはずです。

モーセの律法は姉の存命中に妹をめとることを禁じていました(レビ18:18)。ヤコブは二人の姉妹をめとっていましたが、それはやがて策略とねたみ、いさかいと悲しみをもたらすことになります。神はこの行為をお許しになりましたが、いつでもそうであるように、それには苦い結果がともないました。

子供が神の恵みを表し、夫の愛情を引きつけると考えられていた社会にあって、神は多くの子供をもってレアを祝福されました。二人の妻、および側女の子供たちにつけられた名前は、出生時におけるレアとラケルの思いを表し、彼女たちの間にあった争いを明らかにしています。それらの名前は、名前に関連したヘブライ語動詞から来ているか、その音に似ています。

問1

創世記30:1~4を読んでください。これと同じ出来事をどこかで見ませんでしたか。子は親の罪を繰り返すとはどんな意味ですか。

問2

創世記30:5~13を読んでください。これらの行為にはどんな罪深い力が働いていましたか。

ラケルもついに妊娠し、ヨセフを産みます(創30:22~24)。結局、ヤコブは4人の女に子供をもうけさせています。このようなわけで、彼は一つの家庭の中で4人の女と生活していました。女たちのある者はほかの者よりも愛され、ある者はほかの者よりも高い「地位」を占めていましたが、全員がヤコブの12人の子供の母親でした。争いや嫉妬、策謀があったとしても不思議ではありません。これらはやがてヤコブの人生に苦い結果をもたらすことになります。神の約束を与えられていたヤコブ(創28:10~22)は、一夫多妻に頼る代わりに神の約束に頼るべきでした。

ヤコブの報酬(創30:25―43)

問3

ヤコブが家族と故郷に帰らせてくれるように頼んだ後、ラバンとヤコブはどんな方法で相手を出し抜こうとしましたか。創30:25~43

新たな労働契約の結果、ヤコブの滞在はさらに6年間延長されました(創31:41)。ヤコブの要求は寛大なように思われます。というのは、「近東地方においては、一般的に、山羊は黒か褐色で、白やぶちのものはまれであった。また、羊は大部分白であって、黒やぶちのものはまれであった」(『SDA聖書注解』第1巻、394ページ)。単色の家畜はみなラバンのもとに残るので、この取引はヤコブの義父にとって有利なように思われました。

問4

ラバンはどのようにして、雑色の特質が単色の家畜に移るのを防ごうとしましたか。創30:35、36

問5

ラバンが家畜の群れを分けたために、[特定の種類だけを繁殖させようとする]ヤコブの選択的繁殖の試みは挫折しました。そこで、ヤコブはどんな古い迷信に頼りましたか。創30:37~43

ラバンもヤコブも、たとえ単色の動物でも劣性の色素遺伝子を持っていて、それが子孫に伝えられることがあることを知らなかったようです。なすすべを知らなかったヤコブは、妊娠中の母親が見る印象的な光景がその子孫の[毛の]模様を特徴づけるという誤った考えに頼ろうとしました。

問6

ヤコブの戦略がすべて成功するように見えた一方で(創30:43)、神は夢の中でどんなメッセージを彼に与えられましたか。創31:10~12

主はヤコブの迷信的な信仰にかかわらず彼を祝福されました(12節)。10~12節の夢は、劣性の雑色遺伝子がどのようにして単色の親によって伝えられたかをヤコブに説明するものだったかもしれません。神はこの機会を奇跡のために用い、ヤコブを祝福されました。それはヤコブの技能や巧妙さのゆえではなく、ラバンの搾取を失敗に終わらせるためのものでした。

ヤコブの脱走(創31章)

問7

創世記31:1~16を読んでください。ヤコブに脱走を決意させたものは何でしたか。

強欲なラバンは自分の娘たちを疎んじ、ヤコブの報酬を10回も変えました。ヤコブはラバンのいない間にメソポタミアを去りました(17~21節)。ラケルが父の家の守り神の像を盗んだことは、その美しい容貌とは裏腹に、心が半分しか回心していなかったことを示しているかもしれません。13年も一緒にいたにもかかわらず、彼女はなお夫の礼拝する神に完全には献身していませんでした(19節)。

問8

 500キロ近くの距離を追いかけてきた後で、ラバンはヤコブにどんな殊勝ぶったことを言いましたか。創31:22~30

ヤコブは自分の無実を確信していたので、自分の持ち物の中に家族の守り神の像を隠している者は死に値すると宣言しています(32節)。そのような刑罰はメソポタミアの法律に適うものでしたが、何年も後のヤコブの息子たちの場合と同様、愚かで性急な決定でした(創44:9)。ラケルの策略は、彼女がラバンの娘であって、その品性を受け継いでいることを示していました(創31:32~35)。ラバンの非難が当たらなかったのを見たヤコブは、義父を厳しく責め、自分の成功が彼の父の神によるものであると言っています(36~42節)。

問9

ラバンに対するヤコブの返答を注意深く読んでください(36~42節)。ヤコブの品性と神の祝福に関してどんなことがわかりますか。

ヤコブ自身は無実であったにもかかわらず、すべての栄光を主に帰しています。このことは、たとえ失敗を犯したにせよ、彼が主、自分のうちに働いておられる主を知っていたことを示しています。数々の失敗にもかかわらず、彼は信仰によって生きようとしていました。私たちもまた、同じ経験、すなわち「イサクの畏れ敬う方」を自分の味方にする必要があります(42節)。

ヤコブとエサウ(創31:2―33、口語訳32:1―32)

ラバンのもとを離れ、久しぶりに一人きりになったとき、二人の天使がヤコブに現れます(創32:2、3)。天使が何と言ったかは書かれていませんが、彼らの出現がヤコブに勇気と確信を与えたことは確かです。次の聖句で、ヤコブが兄エサウに使いの者を遣わす決心をしているのはそのためでしょう。

問10

ヤコブは伝言の中で自分のことを「あなたの僕ヤコブ」と呼んでいます(5節)。彼が兄に対して自分をこのように呼んだのはなぜだと思いますか。創25:23、27:29、37参照

戻ってきた使いの者たちの言葉は不気味です。ヤコブが友好的な言葉を贈ったにもかかわらず、エサウからは何の返答もありませんでした。ただ、エサウは400人の供を連れてこちらに向かっている、というのです。ヤコブが「非常に恐れ、思い悩んだ」(8節)のも無理はありません。

問11

 10~13節の、ヤコブの祈りを読んでください。この祈りの基本的な要素は何ですか。彼は何のために祈っていますか。どんな約束にすがっていますか。主に対する信頼がどのように表されていますか。

ヤコブは、誠意をもって、真心から祈ると同時に、少しばかり外交的手腕と知恵を用いています(14~22節)。彼はこれらの贈り物をもって兄を「なだめ」たいと考えました(21節)。ここに、教訓があります。確かに、私たちは祈り、主に頼る必要がありますが、同時に、その祈りが実現するために、自分にできる範囲のことをすべて、神の御心にかなうことをすべて行う必要があります。

問12

創世記33章を読んでください。兄弟の態度から、以前の二人には見られないどんな変化を読み取ることができますか。

ヤコブの格闘と信仰

問13

創世記32:23~32を読んでください。この記事から、私たち自身の神との「格闘」についてどんな教訓を学ぶことができますか。ホセ12:4参照

エレン・ホワイトは、ヤコブが格闘していたのは「契約の天使」キリストであったと断言しています(『人類のあけぼの』上巻215ページ)。聖書がこの記事の中で二度、その夜、ヤコブに現れたのが神であったと述べているのも不思議ではありません。これもまた、主がどれほど近く、また個人的に御自分の民とかかわってくださるかを例示するものです。

問14

名前が変わったことにはどんな意味がありますか。

自分が超自然の存在者と格闘していることがわかったとき、ヤコブは祝福を求めました(27節)。彼の嘆願と忍耐は名前の変更によって報いられました。彼の名前はもはやヤコブ(「かかとをつかむ」あるいは「出し抜く」、「欺く」)ではなく、イスラエル(「彼は神と闘う」)となるのでした。

問15

 31節(口語訳30節)を読んでください。ヤコブの言葉からどんな意味を引き出すことができますか。それは今日の私たちにどのように当てはまりますか(罪のため、人間は神を見ると死ぬ、と当時は教えられていました)。

長い格闘が終わったとき、ヤコブは、神の顔を見たのに、まだ生きている、と言っています。ある意味で、これと同じ機会がイエスの死を通して全人類に与えられています。イエスは人となられた神であって、その生涯と身代わりの死を通して、天と地を和解してくださいました。イエスとイエスの御業のゆえに、私たちはみな、ある意味で、「神の顔を見て」、生きることができます。ヤコブの過去の罪と同様、私たちの過去の罪も、「焼き尽くす火」(ヘブ12:29)である神の前で私たちを必ず滅ぼすものとはなりません。

まとめ

「ヤコブは、神の指示に従って、パダンアラムを出発したものの、20年前に逃亡者として歩いた道を引き返すのは、なんとなく不安なものであった。彼は、父をあざむいた罪を忘れることができなかった。彼は、自分の長い逃亡生活が、その罪の直接の結果であることを知っていた。彼は、日夜そうしたことを考えて良心に責められ心沈む思いで旅を続けた。生まれ故郷の山々が遠くに見え始めたとき、ヤコブは深い感動をおぼえた。彼の目前に、過去のできごとがはっきりと浮かび上がった。罪の記憶とともに、神の彼に対するあわれみの情と、天の助けと導きの約束が思い出された」(『人類のあけぼの』上巻212ページ)。

「ヤコブは、彼の魂が願い求めた祝福を受けた。彼が人をおしのけ欺いた罪は許された。彼の人生の危機は去った。疑惑、困惑、後悔の念が彼の生涯を苦しいものにしたが、今はすべてが変わった。神との和解による平安は楽しいものであった。ヤコブは、もう兄に会うことを恐れなくなった。彼の罪を許された神は、エサウの心を動かして、ヤコブのけんそんと悔い改めを彼に受け入れさせることができるのであった」(『人類のあけぼの』上巻216ページ)。

繰り返し、人は神の道を捨て、自ら迷って失われてきました。敵の攻撃はなんと激しく執拗なのでしょうか。人は傷つき倒れ、苦しみ地に伏すのです。しかし、どんなに遠く離れようとも、どんなに深く沈もうとも、神はすぐそばに立ってみ手を差し伸べ、共にいてくださるのです。

人の愚かさ、失敗、罪咎を神は赦してくださいます。しかし、人はそのにがい結果を刈り取らねばなりません。ヤコブは生涯、自分の罪の実を刈り取りつつ歩みました。しかしどんな状況にあっても彼は、神の約束に希望を置いて忍耐して待ったのです。神のアブラハム・イサクとの約束の故に、ヤコブは父祖達の信仰の恩恵を受けていたのです。

神と格闘して名が変わり、彼は改めて神が味方であることを知るのです。神に完全に依存した時、恐れは消えて平安が与えられます。最初は姑息にも安全を図って群れの一番後ろを歩いた彼が、今は堂々と群れの先頭を歩いて兄エサウの前に出たのです。

*本記事は、安息日学校ガイド2006年4期『起源と帰属』からの抜粋です。

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