【エゼキエル書】指導者に対する神の理想【解説】#6

目次

強力な指導者の必要

たいていの人が強力な指導者にひかれるのはなぜでしょうか。強力な指導力は教会に対して、また教会員の救いに対してどんな影響を持つでしょうか。

アウトライン

  • 偽りの平和の預言者(エゼ13:1~9、17~23、22:25)
  • 指導者に従う(イザ3:12) 
  • 取り繕った惑わし(エゼ13:10~16、22:28)
  • 祭司たちの偽善(エゼ22:26)
  • 王の妥協(エゼ21 :25~27)

指導力は奉仕

米国赤十字社を創設したクララ・バートン(1821~1912)は、南北戦争当時、病弱な女性でした。米国特許庁の事務員をしていた彼女は、毎日、ワシシトンに逃げのびてくる軍隊のあわれな状態と血の戦場で傷つき、死んでいく兵士たちの惨状を見て心が動かされました。これこそ自分のなすべき働きだと、彼女は直感しました。数多くの人間の苦しみが一人の指導者を生み出したのです。

戦場に直接、食料、医薬品を送る許可を取ってから、一人でも多くの人命を救うために、クララは助け手を募りました。それには軍法会議にかけられた囚人さえ含まれていました。仲間たちはわれを忘れて精一杯働く彼女を見て、励まされました。兵士たちは感謝の心から彼女を「戦場の天使」と呼んだほどです。

クララ・バートンは指導者でした。彼女は時の必要を感じとり、それを満たす方法を考え、ともに働いてくれる人々を組織しました。

人気のある働きであろうとなかろうと、必要を見て、それに対処する勇気ある指導者がつねに求められています。これは教会においても言えることです。神はあらゆる方面から、こ自分に心から忠実で、罪に対する義の戦いに霊的勝利をおさめるようにご自分の民を召集する指導者たちを求めておられます。

ユダの指導者たちが献身的な生き方をしていたとき、民は心から主に従いました。しかし、指導者たちが背信したとき、罪が洪水のように押しよせてきました。今回は、エゼキエル書を通して、紀元前6世紀における信じがたい状況、つまりユダの王、祭司、預言者たちの背信について学びます。

偽りの平和の預言者(エゼ13:1―9、17―23、22:25)

質問1

にせ預言者たちはその預言をどこから引き出しましたか。彼らが「きつね」と呼ばれているのはなぜですか。エゼ13:1~4(雅歌215、ルカ13:32比較)

聖書はしばしば、にせ預言者について語っています。にせ預言者は、ほんとうはもともと預言者ではありません。彼は神から預言を与えられたと主張するかもしれませんが、実際には、それは全くの見せかけにすぎません。にせ預言者は「自分の心のままに」語り、「なにも見ないで、自分の霊に従う」のです。神はそのような者たちを「きつね」にたとえられます。それは人をだます、巧妙で、ずる賢い性質を示唆しています。

質問2

これらのにせ預言者たちは、まもなく臨もうとしていた「主の日」からユダを救うことができましたか。ユダの「石がき」は何でしたか。エゼ13:5(マタ21:33比較)

石がきは律法の原則

「この民に神の託宣(たくせん)がゆだねられた。彼らは、真理と正義と純潔という永遠の原則、すなわち、神の律法によってまわりを囲まれていた。これらの諸原則に従順であれば彼らは守られるのであった。従順でさえあれば罪の習慣によってみずからを滅ぼすことがないからである」(『キリストの実物教訓』266ページ)。

にせ預言者たちは国民の霊的幸福に真の関心を示しませんでした。彼らは人々を誼責したり、その頑迷さを正したりしようとはしませんでした。彼らはむしろ、人々が欲することを主の名によって預言しました(エレ5:30、31、23:9~32参照)。

質問3

神はにせ預言者たちの預言や教えをどのようにみなされますか(エゼ13:6~8)。神は彼らの主張をどれほど重大なものとみなされますか(エゼ13:9)。

質問4

にせ預言者たちの「託宣」は何でしたか(エゼ13:10、16)

そのような託宣はエルサレムの住民および捕囚の民にどんな影響を及ぼすものでしたか。にせ預言者たちは「平和」の預言者でした。彼らは大胆にも、バビロンの脅威は2年で取り除かれ、捕囚の民および投獄されていた彼らの王、エホヤキン(エコニヤ)は宮の器とともに帰ってくると預言しました(エレ27:16、17、28:1~11参照)。そのような約束は捕囚の民を動揺させ、エルサレムの住民および捕囚の民が神に対する罪を悔い改めるのを妨げました。エレミヤもエゼキエルも、この平和運動が偽りであることを証明することができませんでした。彼らにできたのは、神がユダを滅ぼされると説くことだけでした。

質問5

にせ預言者らと共に、エレミヤおよびエゼキエルの託宣を拒むように人々に働きかけたのはだれでしたか。エゼ13:17~23

聖書は2カ所において、にせ女預言者に言及していますが、これはそのうちの一つです。もう一人は、ネヘミヤの働きを妨害した女預言者ノアデヤです(ネヘ6:14)。 ある注解者たちは、これらの女たちがエンドルの口寄せのように占い師の働きをしていたと言っています(サム上28:7参照)。 このような人たちが公然とユダで活躍していたという事実そのものが、神に対する侮辱行為であり、ユダの堕落がいかにひどかったかということの証拠でもありました。

「われわれは預言者たちや使徒たちが試した信仰を抱いて、それを強めるようにしなければならない。それは神の約束をしっかりと把握(はあく) して、神がお定めになった時と方法によって救いをお与えになるのを待つ信仰である。預言の確かな言葉は、われわれの主、救い主イエス・キリストが、王の王、主の主として栄光のうちに再臨なさるときに、完全に成就するのである」(『国と指導者』下巻6、7ページ)。

指導者に従う(イザ3: 12)

質問6

偽りの預言者と教師はつねに神の民を悩ましてきました。キリスト教会の状況について、ペテロは何と預言していますか。Ⅱペテ2:1~3

偽りの預言者や教師は、神の民が動揺し、答えを求めている危機のときに出現します。聖書は偽りの指導者の特徴について次のように教えています。

  • 彼らは本物のように見せかける。彼らは誠実さ、信仰、魂に対する深い関心をあらわす。また、「義の奉仕者」として「羊の衣」を着て現れる(Ⅱコリ11:13~15、マタ7: 15)。
  • 彼らは自分で考え出した託宣を述べる。それは真理と虚偽の混じり合ったものであるが、それを見抜くことは困難な場合がある(エゼ13:2、 3参照)。
  • 彼らは自分の必要としていることよりも、自分の耳に聞きよいことを語る(イザ30:10、エゼ13;22参照)。
  • 彼らは報酬目当てに働く(エゼ22:25、ミカ3:11参照)。
  • 表面的には正しく見えても、実際には不道徳な生き方を隠している(エレ29:15、23参照)。
  • 彼らは偽りの教えをいつまでも隠すことができない。悪い木に良い実は実らない。その教えの結果はついには明らかになる(マタ7:15~20参照)。
  • 彼らはある程度、献身した人々を誘惑するのに成功する(マタ24:24参照)。

質問7

私たちはしばしば、信仰に対する攻撃が教会の外の敵からくると考えます。使徒たちは、最大の偽りはどこから生じるといっていますか。使徒行伝20:29~31 (Iテモ4:1、Ⅱペテ2:1比較)

「サタンは神の残りの民を、地上に臨もうとしている広範囲な滅びに巻き込もうとしている。キリストの再臨が近づくにつれて、彼は残りの民を負かすのにやっきになる。新しい光、新しい啓示を受けたと主張する男女が出現するであろう。その目的は昔からの教えに対する信仰を失わせることにある。彼らの教理はみことばの試験に耐えられないものであるが、それでも人々はだまされるであろう」(「教会へのあかし』第5巻295ページ)。

質問8

偽りの預言者や教師を成功させるものは何ですか。エレ5 :30、 31 (Ⅱテモ4:3、 4比較)

だれも従ってこなければ、指導者はもはや指導者ではなくなります。もしユダの一般市民がにせ預言者の偽りの教えを拒み、エレミヤとエゼキエルに聞き従っていたなら、にせ預言者の影響力は消えうせていたことでしょう。にせ預言者をつけあがらせたのはユダの人々自身でした。彼らは自分の「耳に聞きよいこと」を求めました。

使徒パウロも言っているように、終わりの時代になると、古い真理以外の話を聞きたがる者たちが神の民のうちに出てきます(Ⅱテモ4:3参照)。こうした人たちがいるために、偽りの牧師、教師、預言者が教会を荒らす状況がつくり上げられるのです。

取り繕った惑わし(エゼ13:10~16、22:28)

質問9

主は民の背信をどれほど写実的にエゼキエルに示されましたか。にせ預言者たちはどんなことを教えましたか。それはどんな偽りの印象を与えましたか。エゼ13:10、 16

「塀 」(10節)と訳されたヘブル語は、重みに耐える外壁にくらべてもろい内壁をさしています。それはバビロンとの戦いが終わるという、人々の切なる願望を象徴していました。彼らはエジプトと|司盟を結ぶことによって、バビロニア人に勝利し、バビロンによる滅びから免れることを期待しました。そうすれば、先の王を含むすべての捕囚の民がユダの地に帰還することができると考えました。

にせ預言者たちは、この偽りの希望という壁を「練ってないしっくい」をもって塗ったと言われています。このヘブル語は「水しっくい」を意味します。偽りの指導者たちは、人々の偽りの希望という壁の上に「平和」の預言という水しっくいを塗っていたのです。これら偽りの預言者たちが偽りの希望を是認するようなことを言ったために、人々はユダの平和が近いことを以前にもまして強く確信するようになりました。その結果、人々は悔い改めの勧告を拒みます。麺

質問10

水しっくいを塗った壁はどうなると、神は言われましたか。暴風雨とひょうは何を象徴していますか。にせ預言者たちはどうなりますか。エゼ13:11~16

惑わしという水しっくいを塗った壁は宗教界によく見られるものです。真理と虚偽の戦いにおいて、大いなる惑わしが義の勢力に対して悪の勢力を結集する手段として用いられることでしょう。

質問11

どんな二つの虚偽の惑わしがクリスチャンによって受け入れられていますか。創世3:4、出エ20:8~11(ダニ7:25比較)多くのクリスチャンは死を、現在の「涙の谷」よりもはるかにすばらしい別の生の世界と考えています。これは栄光に満ちたキリストの復活の意味をぼやかすものです。広く受け入れられてはいても、霊魂不滅説は聖書の教えではありません( Iテモ6:16、 1コリ15:51~54参照)。

同様にクリスチャンのあいだで広く受け入れられている日曜順守も、聖書の教えではありません。イエスも使徒たちも安息日を守りました。イエスはご自分の死後も安息日を守るように弟子たちに命じておられます(マタ24:20参照)。

終末時代における二つの重大な偽り

「サタンは、霊魂不滅と日曜日の神聖化という重大な誤りを通して、人々を彼の欺瞞のもとに引き入れる。前者は心霊術の基礎を置き、後者はローマとの親交のきずなを作り出す。合衆国の新教徒は、率先して、心霊術と手を結ぶために淵を越えて手を差しのべる。彼らはまた、ローマの権力と握手するために深淵を越えて手を差し出す。この三重の結合による勢力下に、アメリカはローマの例にならって良心の権利をふみにじるのである」(「各時代の大争闘」下巻350ページ)。

祭司たちの偽善(エゼ22:26)

質問12

とりなしの働きのほかに、祭司とレビ人にはどんな重要な働きがゆだねられていましたか。マラ2:7、8(歴代下15:3、17:7~9比較)

祭司とレビ人に与えられた重要な務めの一つに、モーセの律法にもとづいて彼らの宗教の諸真理を人々に教えることがありました。聖所の象徴を通して福音を理解するように、神はご自分の民に望んでおられました(ヘブ4:1、2参照)。

質問13

祭司たちはエゼキエルの時代にはどこまで堕落していましたか。エゼキエル書22:26(歴代下36:14比較)

祭司であったエゼキエルにとって、神殿の祭司たちに対するこの告発を書くことは苦痛だったにちがいありません。書き表された神の啓示の擁護者また解説者である者たち自身が、それを破るという重大な罪を犯していました。

「天の聖所における、人類のためのキリストのとりなしは、キリストの十字架上の死と同様に、救いの計画にとって欠くことのできないものである。……イエスは、父なる神のみ座への道を開かれた。そして、信仰によって彼に来るすべての者の心からの願いは、彼のとりなしによって、神の前にささげられるのである」(「各時代の大争闘』下巻222、223ページ)。

王の妥協(エゼ21 :25~27)

ゼデキヤはユダの20代目、しかも最後の王として11年間、統治しました(紀元前597~586年)。 彼は悪行をなし、真の神をあがめませんでした(列王下24:17~20参照)。

質問14

ネブカデネザルはゼデキヤを王位につけたとき、彼にどんなことを誓わせましたか。それはだれの名においてなされましたか(歴代下36:13)。

神がゼデキヤの違反を重大視されたのはなぜですか(エゼ17:11~19)。ネブカデネザルは異教徒でしたが、イスラエルの神に関するダニエルと彼の三人の仲間によるあかしに深い感銘を受けていました。ゼデキヤにエホバの名において自分に忠誠を誓わせました。ネブカデネザルはダニエルとその友人たちと同様、約束に忠実であると考えたからです。その後のゼデキヤの反逆は異教の王の面前で真の神の品性を汚すものでした。ゼデキヤが約束を破ったことによって、彼の刑罰はより確実なものとなりました。

質問15

誓いを破ったゼデキヤ王はダビデ家の支配にどんな滅びをもたらしましたか。だれがその失墜した王位を回復することになっていましたか。エゼ21:25~27(ルカ1:30~33比較)

まとめ

ユダの指導者たちの霊的、道徳的堕落は国民の堕落をもたらしました。ここに二重の教訓が与えられています。(1)教会役員は一般信徒の模範となるべきです(コリント第1.11:1参照)。(2)他人がどうであれ、信徒はみな神のみことばに忠実であるべきです。イスラエルの指導者だけに背信の責任があったのではありません。喜んで誤った方向に進んでいった人々にも責任があります。すべての教会員が世に神を正しくあかしする責任を負っています。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年2期『雨の中のにじ エゼキエル書』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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