【コヘレトの言葉】ソロモン家の興亡【解説】#1

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『リチャード・コーリ』という詩は、ある貧しい人の視点から書かれた富める人についての詩です。この貧しい人は、リチャード・コーリ、そのお金、その顔立ち、そして人々に「彼のようになりたい」と思わせるすべてのものを羨んでいます。しかし、リチャード・コーリがある晩、「帰宅し、自分の頭を弾丸で撃ち抜いた」ときに、その詩は終わっています。

ソロモンは、リチャード・コーリと違って、少なくとも肉体的な自殺はしませんでした。しかし、霊的な意味では、別問題です。ソロモンは、この世が与えうるもののすべて、いや、天が与えうる最上のものまでも与えられていました。「ダビデの子ソロモンは自分の支配を固めた。彼の神、主が共にいて、彼を高め偉大な者とされた」(歴代下1:1)。

いったい、どうしたというのでしょうか。神と親しく歩み、天と地の賜物を豊かに与えられていた者が、これほど苦々しい、拷問のような最期を迎えるとはどうしたことでしょう。現実には、よくあることです。自分がどれほど傑出していようとも、どれほど富んでいようとも、どれほど神と親しく歩んでいようとも、結局のところ、私たちは腐りきった性質を持った、堕落した生き物にすぎません。日ごとに自分自身を神にゆだねていないかぎり(ルカ9:23)、これらの性質によって自らを滅ぼす危険があります。今回、『コヘレトの言葉』そのものを学ぶ前に、ソロモンの「人生」について学びます。それによって、彼が聖霊の導きのもとでこの書巻を書いた理由を知ることができます。

ソロモンの知恵

問1

以下の各聖句は初期のソロモンの性格と品性についてどんなことを明らかにしていますか。列王上5:9~14(口語訳4:29~34)、列王上3:28、列王上10:23、マタ12:42

ソロモンは明らかに並外れた知性と知恵の持ち主でした。もちろん、知性と知恵は同じものではありません。凶悪な人の中にも、すぐれた知性の持ち主がいます。彼らに欠けているのは正しい「知恵」です。

聖書によれば、知恵には少なくとも2種類あります。一つはこの世の知恵で(Iコリ3:19)、もう一つは神から来る知恵です(ヨブ28:28、詩編111:10)。

問2

これら2種類の知恵の違いは何だと思いますか。

ソロモンは明らかに、この世の知恵に加えて、神からの知恵を持っていました。

「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった」(列王上5:9)。

しかしながら、もし「主を畏れることは知恵の初め」であるなら、この「畏れ」から来る知恵と知識は神の実在と力、慈愛を認めることから来るはずです。神はすべての真の知恵の出発点です。この認識にもとづいていない真理は知識ではあっても、知恵ではありません。知性と教養、知力を備えた多くの人々がこの知恵を知らないことは悲しむべきことです。

主と共に歩むソロモン

ソロモンは生まれながらに豊かな知性を備えていました。しかし、それだけでは彼がその治世の初期に現した知恵を説明することはできません。

問3

列王記上3:16~28を読んでください。この物語は「神からの知恵」について何を教えていますか。

ソロモンの知恵、彼の正しい裁きを行う能力は神から来たもの、上からの賜物でした。しかし、これは偶然にして生じたのではありません。ソロモンは主と共に歩みました。彼は神との関係を保ち、信仰と服従によって心を主にささげていました。このような服従によってのみ、主はソロモンにイスラエルの地を正しく裁く知恵をお与えになることができました。

問4

列王記上3:3~14を読んでください。ソロモンの言葉のうちに、神に対するどのような姿勢を認めることができますか。

この出会いのうちに、ソロモンの大いなる成功の重要な要因を認めることができます。9節がすべてを語っています。彼は正しいこと(よい王となるための知恵)を求めたばかりでなく、この世のすべてを思いのままにできる立場にあったにもかかわらず、神の必要を認めています。イスラエルの王ソロモンは、謙虚な嘆願者として神の御前に出ています。ここには、うぬぼれの心が少しも見られません。彼はより大いなる力の必要を感じていました。このような態度を持ち続けるかぎり、主は彼を通して力ある業を成し遂げることがおできになったはずです。

もう一つの点を見逃してはなりません。ソロモンの主との対話の中で、彼の言葉は明らかにその心のあるところを示していました。しかし、言葉だけでは十分ではありません。彼はどのようにして神との信仰の関係を明らかにすべきだったでしょうか。答えは14節にあります。「もしあなたが……わたしの道を歩むなら……」。ここに、信仰と行いが密接な関係にあることを示す典型的な例があります。ソロモンが服従によって信仰を表すかぎり、神はソロモンを通して働き、彼の信仰に報いてくださるのでした。

神殿におけるソロモン

ソロモンに与えられた特権の中で最大のものは、おそらく、天地の創造者なる主(黙10:6)の選ばれた都エルサレム(歴代下6:6)に神殿を建設することでした。ソロモンの父ダビデは自分でこの事業を成し遂げたいと強く望みましたが、この事業は彼の子ソロモンにゆだねられました。

問5

歴代誌下6章にあるソロモンの奉献の祈りを読んでください。この祈りの中で、どんな言葉に特に心を打たれますか。この祈りの中のどんな原則が、個人としての、また集団としての私たちの神との経験に当てはまりますか。

これらの言葉は多くの力強い真理について語っています。たとえば、ソロモンは18節で、王自身、その規模を計り知ることのできない宇宙を創造された神の壮大さと偉大さを認めています。

もう一つ注目したいのは、ソロモンがこの祈りの中で終始、自分の民が常に神に従う必要があることを認めている点です。イスラエルに与えられた特別な契約の祝福はどれ一つとして無条件ではありませんでした。

たぶん、この祈りの中で最も重要な要素は赦しの約束でしょう。たとえイスラエルが罪を犯し、その罪のために罰せられたとしても、神はその「住まい」である天から耳を傾け、「赦して」くださいます。しかし、この赦しはいつでも彼らの告白と悔い改めに関係していました。

問6

歴代誌下6:36にある「罪を犯さない者は一人もいません」という言葉に注目してください。福音との関連において、この聖句をどのように理解しますか。ソロモンは何を言おうとしていたのでしょうか。

ソロモンはこの祈りにおいて、神の愛の赦しとは対照的な人間の弱さを認めました。歴代誌下7:1~3は、神が祈りと共にささげられたソロモンの犠牲を受け入れられたことを示しています。

ソロモンの堕落

「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」(Iコリ10:12)。

主から大いに愛され、豊かな祝福を受けていたソロモンでしたが、次第に道をそれていきます。エレン・ホワイトは次のように記しています。「ソロモンは気がつかないうちに徐々に背信していって、神から遠くさまよい出た。彼はほとんど無意識のうちに、徐々に神の導きと祝福に頼ることをやめて、自分自身の力に頼り始めた。彼はイスラエルを特選の民としたところの神へのゆるがぬ服従をしだいに怠り、ますます熱心に周囲の国々の習慣に同調していった。彼は成功と栄誉ある地位に付随した誘惑に負けて、繁栄の源であられる神を忘れた」(『国と指導者』上巻30ページ)。

問7

ソロモンの道徳的・霊的堕落の原因として、聖書は特にどんなことをあげていますか(列王上11:1~4参照)。彼の行為は特にどんな戒めに反するものでしたか。申17:17参照

ソロモンが多くの妻、それも主を知らない外国の女をめとったこと自体、問題でした。しかし、それ以上の問題は、彼がこの結婚によって主から離れてしまったことでした。ほかのだれよりも彼のそば近くにいた女たちが、彼を主から引き離す結果になりました。列王記上11:4には、ソロモンが「老境に入った」とき、妻たちが王の心を迷わせた、と書かれています。エレン・ホワイトも先に記しているように、ソロモンの背信は突然にして起こったものではありません。それは、大して重大とは思えない一つの違反から始まりました。しかしながら、この「小さな」一歩が大きな背信につながったのでした。

問8

この背信の結果、ソロモンはどうなりましたか。列王上11:4~9

全く驚きです。主から特別に選ばれた者が、異教の神々を礼拝し、仕えるようになるとは。ソロモンに起こったことは私たちにも起こりえます。

ソロモンの晩年

もちろん、主は手をこまぬいて、ソロモンが背信に陥るのを眺めておられたわけではありません。「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられる」(IIペト3:9)神は、御自身のかつての忠実な僕の心に働きかけておられました。

問9

主はソロモンの行為に関連して彼に何と言われましたか。これらの聖句は、私たちの行為が、善かれ悪しかれ、ほかの人に影響を及ぼすことについてどんな原則を教えていますか。ここにはまた、ソロモンに対する神の憐れみがどのように表されていますか。列王上11:11~13参照

問10

ソロモンの罪深い行為の結果として、主は彼にどんな試練をお与えになりましたか。列王上11:14~43

聖書には書かれていませんが、エレン・ホワイトによれば、ソロモンは後に自分の愚かな生き方を悟り、悔い改めました。ソロモンはこの恐ろしい経験から多くのことを学び、後年、「霊感を受けて、後世の人々のために、彼の浪費した年月の記録を残し、警告の教訓を与えている」(『国と指導者』上巻53ページ)。これらの言葉の一部が、今日の『コヘレトの言葉』です。

問11

コヘレト1:1、16、2:4~10を読んでください。これらの聖句は、この書巻の著者がソロモンであることを知る上でどんな助けになりますか。

悲しむべきソロモンの物語から、多くの教訓を学ぶことができます。第1に、どんなに偉大な人間であっても、罪と背信の愚かさを免れることはできません。第2に、当然のことですが、ソロモンの堕落は自分自身だけでなく、ほかの人々にも苦しみをもたらしました。最後に、私たちは『コヘレトの言葉』を学ぶことによって、ソロモンが自らの誤った選択のゆえに遭わねばならなかった苦しみと悲しみを知ることができます。

まとめ

「神に対する献身、高潔さと原則に固く立つこと、神の命令には厳密に服従することなどが、長年にわたって、ソロモンの生涯の特色であった。彼はあらゆる重要な事業を指導し、王国に関係した取り引きを賢く処理した。彼の富と知恵、彼の治世の初期に建設された壮大な建物や公共事業、彼の言葉と行動に現れた活気、敬神深さ、正義、雅量などが、彼の国民の忠誠を得るとともに、多くの国々の王たちの称賛と尊敬とをかち得たのである」(『国と指導者』上巻9ページ)。

「しかし、ソロモンは彼の栄光と力との根源を見失い始めていた。心の傾向が理性よりも優勢になり、自己を過信するようになったとき、彼は主のみこころを自分自身の方法で行おうとした。彼は周囲の国々と政治的、通商的同盟を結ぶことは、これらの国々に真の神の知識を伝えることであると判断した。そして、相次いで、諸国と神聖ではない同盟を結んだ。これらの同盟は異教国の王女との結婚によって固められることがしばしばであった。周りの国民の習慣をとりいれるために主の命令は破棄された」(『国と指導者』上巻29ページ)。

「ソロモンの生涯から学ぶことができる教訓の一つは、神との生きた関係を保ち、高い霊性を持ち続けることがいかに困難であるかということです。『目をさまして祈ることだけが、若い者にも年とった者にも唯一の安全策である』」(『国と指導者』上巻57ページ)とあるように、日々心を低くして主に寄り頼むことが大切です。また、「高い塔の上のようなところに立ち、その地位のゆえに大きな知恵の持ち主であるかのように思われるときに、その人々は大いなる危険にさらされているのである」(同34ページ)とあるように、私たちは、指導者として立てられている人々を熱い祈りをもって支える必要があるのではないでしょうか。

*本記事は、安息日学校ガイド2007年1期『コヘレトの言葉』からの抜粋です。

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