最後の旅【マルコ—マルコの見たイエス】#8

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エルサレムへ

マルコはここまで数章にわたって、イエスの目当てのない長旅について記してきました。彼はいよいよ、ガリラヤから南に向かうイエスの旅について語ります。「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた」(マルコ10:32)。

これは驚くべき光景です。イエスが先頭に立ち、その後を不安げな弟子たちと群衆が続きます。最後の、重要な諸事件が始まろうとしていました。

今回は、イエスの地上生涯における最後の(約)7日について学びます。マルコによる福音書は16章のうちの実に6章を、この短い期間に当てています。同様に、マタイは28章のうちの7章を、ルカは24章のうちの6章を、ヨハネは21章のうちの10章をそれにあてています。なぜでしょうか。イエスの死と復活が、その生涯と教えに劣らず重要だったからです。

愚かな願い(マルコ10:32―45)

問1

今日の聖句全体を読んでください(特に35節に注目)。イエスの奇跡を目撃してきたゼベダイの子らが、このように要求したのは無理からぬことでした。どのようなことを考えていたのでしょうか。私たちの熱心な祈りが祈った通りにかなえられないことがあるのはなぜですか。

人間として、私たちはこの世界を自分自身の非常に狭い視点から見ています。私たちは自分に与えられた光や真理、情報を、いわば自分自身や、堕落したこの世界の狭い限定された視点というフィルターを通して見ています。したがって、私たちの捧げる祈りは、自分では祝福になると思っていても、より広い視点から見れば、そうではないことがたびたびあります。

問2

ヤコブとヨハネの願いは、彼らが自分たちの願いの意味を全く理解していなかったことを明らかにしています。なぜですか。

問3

マルコ10:42~45にあるキリストの応答は、ヤコブとヨハネの願いの愚かさをどのように暴露していますか。

弟子たちは、これほど長くイエスと一緒にいたにもかかわらず、重要な霊的事実を理解していませんでした。マルコ10:42~45にあるキリストの言葉は、指導力、権力、成功の意味に関して全く異なった見方を示しています。私たちの物の見方が歪んでいることを表すよい実例です。私たちも、自分では祝福になることのために祈っているつもりでも、結局は、ヤコブとヨハネのように、何も知らないで祈っている場合がよくあります。

盲人バルティマイ(マルコ10:46~52)

イエスはエルサレムへの途上にありました。エリコは都に入る前に通過する最後の町でした。イエスの心は来る数日間に起こるであろう出来事でいっぱいだったはずです。彼は御自分の生涯における最後の週、また世界の運命と大争闘の結末を永遠に決定するお働きの最終段階を迎えていました。このように、さまざまな思いで頭が一杯という状況にあって、イエスはなお一人の盲目の物乞いを助けようとされます。

問4

イエスと出会い、いやされたバルティマイはどうしましたか(マルコ10:46~52)。この出来事はキリストの救いの力を体験した人の生き方についてどんなことを象徴していますか。

聖書は何度も、主を知らない者を、暗闇の中を歩く者にたとえています(ヨハ8:12、使徒26:18、エフェ5:8、コロ1:13、Iテサ5:5、Iペト2:9、Iヨハ1:6、2:11)。闇の特徴は、光がないことです。闇の中を歩く者はつまずき、手探りし、倒れます。たとえ歩いていても、自分の向かっている方角を知りません。

しかし、光であるイエスに来るとき、これらは一変します。「わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(Iヨハ1:5~7)。

闇や光といったたとえは隠喩、つまりそれ以外の何かを描写するための象徴です。闇は霊的無知、すなわち罪、憎しみ、偏見、ねたみ、貪欲などを意味します。暗闇の中を歩く者は神の救いを知らないまま、神と神の愛を理解しないまま生きています。光は、字義的な意味で闇の反対であるように、霊的な意味においても闇の反対です。

勝利の入場(マルコ11:1―11)

イエスは、復活の1週間前の日曜日にエルサレムに入城されました。他教派のクリスチャンはこの日をさまざまな方法で祝います。ある教派はこの日を「パーム・サンデー」(棕櫚の聖日)」と呼び、それにふさわしい賛美歌、聖書朗読、説教をもって祝います。セブンスデー・アドベンチストは典礼用の暦、つまり年間の各安息日に対応する聖句と説教を定めた礼拝用のカレンダー[教会暦]を用いませんが、イエスの生涯、特にその最後の各場面には深い関心を持っています。したがって、イエスの生涯の、最後の日曜日における諸事件は深い瞑想の対象です。

問5

イエスはどのようにして人々の関心を御自分のエルサレム入城に引きつけておられますか(マルコ11:1~11)。そのことには、どんな深い意味がありましたか(ゼカ9:9参照)。

イエスは、以前のように静かにエルサレムに上ることはされず、あえて御自分に注意を引きつけられます。イエスは弟子たちを遣わして子ろばを手に入れさせ、オリーブ山から都に入られました。群衆はこれらの行動を見逃すはずがありません。彼らはイエスが待望のメシアとして行動されるのを待ちわびていたのです。イエスは群衆の期待する政治的な指導者・解放者としては行動されませんが、メシアであることには変わりありませんでした。そこで、イエスは預言者ゼカリヤの預言したとおりにエルサレムに入られました。群衆は熱狂しました。

ホサナ ギリシア語ホーサナ。アラム語ホーシャナーの音訳。『今、救ってください』または『主よ、どうぞ救ってください』の意味。……この表現は、救いがメシアなる王を通してイスラエルに来るようにという、神に対する祈りと考えられる」(『SDA聖書注解』第5巻471ページ)。

これが過越週の始まりでした。しかし、日曜日に“ホサナ!”と叫びながら服を道に敷いた群衆が、金曜日には“十字架につけろ!十字架につけろ!”と叫んでいました。

強盗の巣(マルコ11:12~19)

問6

今日の聖句を、特に旧約聖書からの引用である17節に注意しながら読んでください。神殿は本来、何のためにありましたか。現実にはどうなっていましたか。それは個人としての、また教会としての私たちにどんな重要な教訓を教えていますか。

故意に人々の関心を引きつけるような方法でエルサレムに入城されたイエスは、同じように、入られるとまず初めに宗教指導者たちの怒りを掻き立てるような行動に出られました。イエスは御自分の権威を宗教指導者たちの権威の上におかれて、礼拝行為を取り仕切っていた人々の行いに公然と抗議されました。この宮清めの行為は、あらゆる権威にまさる権威の持ち主であるメシアとしてのイエスの役割を誇示するものでした。

イエスの時代、祭司職と神殿はサドカイ派の人々の手に握られていました。サドカイ派の人々は神殿の儀式を支配することによって莫大な富を得ていました。年に三度、エルサレムに上る巡礼者たちは、自分で犠牲の動物を携えてくることができませんでした。犠牲の動物はエルサレムで買わねばなりませんでした。祭司がこの売買を支配していました。その上、動物は神殿用の通貨によってしか買うことができませんでした。つまり、巡礼者はまず自分のお金を神殿用のお金に替え、それから犠牲の動物を買わねばなりませんでした。両替と動物の売買という二重の取引によって、神殿関係者は甘い汁を吸っていました。

このように、神殿礼拝は腐敗していました。すべての国の人の祈りの家となるべきものが、庶民を食い物にし、宗教指導者を富ませるための金儲けの手段となっていました。イエスが義憤を覚えられたのも無理のないことです。言葉だけでは不十分でした。イエスは動物を追い払い、両替人の台をひっくり返されました。しかし、それによって、イエスの運命は決定的となりました。宗教指導者たちはこれ以上イエスに我慢することができなくなりました。自分たちのいちばん痛いところを突かれたのですから、イエスは、除くまでは収まらない邪魔者です。

いちじくの木を呪う(マルコ11:12~14、20~26参照)

問7

マタイ(21:18~22)とルカ(13:6~9)による福音書でもこの記事を読んでください。命の与え主なるイエスが一本の木を呪われると、木はしおれ、枯れてしまいます。イエスの品性と相容れないことのように思われるこの行為は何を教えているのでしょうか。

イエスは空腹を覚えられます。遠くに葉の茂ったいちじくの木を見ますが、木に実がなっていなかったので失望し、その木を呪われます。すると、いちじくの木はしおれ、枯れてしまいます。福音書の記者たちはイエスの行動を不思議に思っていませんし、それを隠そうともしていません。むしろ、聖霊は彼らを導いて、この記事を福音書に加えておられます。それがイエスに従う者たちにとって、世の終わりに至るまで、きわめて重要な意味を持っていたからです。

最後の1週間におけるイエスの言葉と行いの一つひとつには、深い意味がありました。すでに学んだ通り、イエスは日曜日には劇的な方法でエルサレムに入城し、公然と神殿を清めておられます。この木をのろわれた行為は一般大衆のためではなく、弟子たちを教えるためのものでした。イエスがいちじくの木を呪われたのは月曜日の早朝であったと思われます。その前の晩には重要な出来事が起きていました。マルコはそのことについて記していませんが、ルカの記録を見ると、イエスはエルサレムが外国の軍隊によって包囲され、破壊されるのを予告し、愛する都を眺め、そのためにお泣きになっています(ルカ19:41~44)。その翌朝、イエスはいちじくの木を呪われます。イエスがエルサレムのために泣かれたことと、いちじくの木を呪われたこととの関係は明らかです。

問8

ペトロが枯れたいちじくの木に言及したとき(マルコ11:21)、イエスは何と言われましたか(22~26節)。このイエスの言葉は何を意味していましたか。

ミニガイド

あるときヤコブとヨハネの兄弟がイエス様のところに来て、神の国が実現したあかつきには自分たちを右大臣、左大臣にしてくださいと頼みます(マタイでは母親が頼んでいます。いつの時代でもわが子の立身出世を願う教育ママはいるものですね)。派閥の親分に忠勤を励み、親分が政権についたときは論功行賞として大臣のポストをいただくという政治の構造は今も昔も変わらないようです。これに対してキリストは「あなたがたの間で頭になりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない」と、この世の国と正反対の神の国の原理を示されます。この社会では仕えられる人が偉くて仕える人は劣っているという観念が支配的です。

しかしキリストは社会の一般通念や価値観を根底から覆すようなことを平気で言われるのです。たとえば「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハ12:25)。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタ10:37)。「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である」(ルカ6:25)。「主よ、なんと言うことを」と言いたくなりますが、天の視点から見るならばそれが真実であることがわかります。私たちは愛と奉仕の天国の原理と正反対の自己中心と自己称揚のこの世の原理にどっぷりつかって生きてきたので、キリストのお言葉が非常識に思えるのです。クリスチャン生活というのは「この世の君」の支配原理にすっかり染まっていた私たちが神の国の支配原理に適応していく過程なのです。ヤコブとヨハネはキリストから弟子に召されたとき「すぐ舟と父を置いて」従っていきました。その潔い犠牲的決断は後世のクリスチャンの模範です。それにもかかわらず彼らにはこのような肉の性質がまだ残っていたのでした。ルターによってウィッテンベルク大学の城門に張り出された95か条の提題は宗教改革の火蓋を切って落としましたが、その第1条は「クリスチャンの悔い改めは生涯続くものである」と言うのだそうです。

*本記事は、安息日学校ガイド2005年2期『マルコの見たイエス』からの抜粋です。

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