【列王記・歴代誌】ソロモンの知恵ー反逆と改革【2章、3章解説】#2

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この記事のテーマ

【王としてのソロモン】

前回の研究はソロモンの即位をもって終わりましたが、今回の研究は、王位を確かなものとするソロモンをもって始まります。それは必ずしも美しい光景とは限りません。王を持つことを選んだイスラエルは、その後、この不幸な選択の結果に苦しむことになります。イスラエルは選ばれた国民でしたが、その生き方は必ずしも理想的な生き方ではありませんでした(理想的な人生などありません)。ありがたいことに、たとえ途中でどんなに挫折しようとも、神はなお私たちと共に働いてくださいます。

今回の研究は、人間と創造主との間に見られる理想的な関係についての学びです。それは私たちに多くのことを教えてくれます。

死を目前にした父ダビデ王の愛し子ソロモンへのメッセージ、ソロモンが神の祝福を受けるための条件は何でしたか。王座に着く前に新王が果たさなければならなかった仕事、若き王ソロモンが神に求めた最高のもの、信仰者として善と悪とをどのように判断するかなど考察すべき多くの教訓があります。

臨終の訓戒

「死期が近づいたとき、ダビデはこう言って王子ソロモンを戒めた。『わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。あなたは勇ましく雄々しくあれ。あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる』」。(列王上2:1~3)

息子ソロモンに対するダビデの臨終の言葉に注意してください。ダビデの臨終の言葉はこれだけではなかったでしょうが、著者は特にダビデの言葉の一部だけを記しています。要約すると「主に従いなさい」ということでした。ダビデのこの言葉は明らかに、ある意味でイスラエルに対するモーセの遺言(ゆいごん)とも言える申命記から取られたものでした(申命4:40、6:2、17、7:11、12章参照)。

ダビデの祝福の約束は服従を条件としていたことに注意してください(列王上2:3、4参照)。ダビデの息子であるということだけでは不十分であって、昔も今も、血統は何の保証にもなりません。

ダビデの遺言は単なる慰めとお世辞に満ちた忠告ではなく、実践を要求するものでした。もしあなたが繁栄と、神が約束されたこれらのすばらしい祝福とを望むなら、神に従わなければならない。そうでなければ、滅びがあるのみである。このテーマは列王記と歴代誌に繰り返し述べられています。

問1

私たちはもはやヘブライの制度の下にありませんが、服従と報いの原則は私たちにも当てはまります。次の聖句を読み、主と主の戒めに従うことに関して何を教えているか調べてください。マタ7:24~27、マタ13:41、42、コロ3:5、6、Ⅰペト4:14、Ⅰヨハ2:4

アドニヤの再訪(列王上2:13~25)

ソロモン王がアビシャグをアドニヤに与えることを望まなかったので、王の怒りに触れてアドニヤは殺されたと思われがちですが、そうではありませんでした。アドニヤの要求はアビシャグへの愛情から出たものではなく、ソロモンの権力を強奪しようとする新たな計画でした。新しい王が先の王の妾を(めかけ)、また時にはその妻を受け継ぐのが当時のならわしでした。ソロモンはアドニヤの要求の意味を見抜いていました。それは力によって達成できなかったことを宮廷の陰謀(いんぼう)によって手に入れようとする企て(くわだ)でした。

「彼のために王位も願ってはいかがですか」との言葉は、ソロモンがすべてを熟知していたことを示しています。「アドニヤの心にあったのは美しいアビシャグへの愛情ではなく、彼女を得ることによって王国を手に入れることであった。……アビシャグはダビデの最後の妻、あるいは最後の妾とみなされていた。アドニヤがアビシャグを求めることは王位そのものを求めることを意味した」(『SDA聖書注解』2巻733ページ、17節)。

問2

この物語の中で興味深いのは、アドニヤが“すべての人は自分が王になることを期待していたのに、ソロモンが代わりに王となった”と述べている部分です。アドニヤは、ソロモンが王になったことは「主のお計らい」によることを認めました。弟のソロモンが王位についたのは主の導きであったと彼は自ら告白したのです。それにもかかわらず、なぜ彼は王位強奪を考えたのでしょうか。

人間はほかの動物にはない賜物を与えられています。それは理性で、理性は人間を動物と区別する唯一の特徴といわれています。人間はまた感情、欲望、衝動の生き物です。理想は、理性によって感情、欲望、衝動を抑制することですが、現実には難しいところです。アドニヤが良い例です。彼は神がソロモンに王位を与えられたことを認めました。しかも、命が許されたのもソロモンの憐れみのおかげでした。アドニヤの理性は明らかにこう告げたはずです。それでよしとせよ。首をはねられなかっただけでもありがたいと思え。ところが、権力欲、反逆、ねたみ、うぬぼれのゆえに、彼は理性によって示された正しい道を踏みはずしてしまったのでした。

アビアタル、ヨアブ、シムイ(列王上2:26~46)

「こうして王国はソロモンの手によって揺るぎないものとなった」(列王上2:46)。

列王記上2章はこの言葉をもって終わっています。同じ聖句に、かつてダビデ王を呪(のろ)ったシムイ(8節)がソロモンの命令によって滅ぼされ、アドニヤに加担してソロモンに背いたヨアブも打ち殺されています(28~34節)。さらに、祭司アビアタルも謀反(むほん)のかどで追放されています(26、27節)。このように、ソロモンは自分の王座を「揺るぎないもの」とするために、ある程度、思い切った手段を取らざるを得ませんでした。

問3

神がソロモンを王とされたのなら、なぜソロモンは王位を揺るぎないものとするためにこのようなことをする必要があったのでしょうか。なぜ神にすべてをお任せすることができなかったのでしょうか。この物語は信仰と実践のバランスを保つことに関してどんな教訓を与えてくれますか。

「ダビデの公務は終わろうとしていた。彼は自分が間もなく死ぬことを知っていたので、実務的な事柄を未解決のままにして、息子の心を悩ませることのないようにしようとした。彼はまだ身体的、精神的な力が十分にあるうちに、王国の問題を細かい事柄にいたるまで整理し、シムイのことに関してもソロモンに警告することを忘れなかった。ダビデはシムイが王国に悩みをもたらすことを知っていた。シムイは暴力的な気性を持った危険な男で、恐怖によってのみ抑えられていた。彼はその気になれば反乱を引き起こすだろうし、有利な機会があれば、ソロモンの命を奪うこともためらわないであろう」(『預言の霊』第1巻389、390ページ)。

ソロモンの夢(列王上3:5~15)

「ソロモンは答えた。『あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました』」(列王上3:6)。

列王記上3章は列王記の中でも最も美しく、感動的な章です。そこには神に献身した人、自らの価値のなさ、自らの弱さと必要を悟った人の姿が描かれています。ソロモンのこのような態度こそ、彼が大いに神に用いられた秘訣でした。

問4

ソロモンの謙虚さと主に対する信頼は彼のどんな言葉に表されていますか。列王上3:7~9

ソロモンはなぜ、これほど謙遜で、素直な人間になりえたのでしょうか。彼の父は裕福な王で、自分の子どもたちを厳しく育てた人物ではありませんでした。ソロモンの兄弟を見てください。アドニヤは背き、アブサロムは反乱を起こし、アムノンは妹を犯しました。

このような退廃、野望、高慢、権勢欲の中にあって、愛された若者、王位を約束され、やがて王位に就いたソロモンは、すばらしい謙遜と神に対する信頼を表します。彼はどこでそれを学んだのでしょうか。どのようにしてそれを手に入れたのでしょうか。彼は高慢になっても不思議ではありませんでした。どうだ!この若さで王位に就くことができたのも、偉大な王の息子である私の人徳を示すものだ。ソロモンの言葉を、もう一人の王の言葉と比べてください。「こう言った。『なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、このわたしが都として建て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ』」(ダニ4:27)。なんという違いでしょうか!

聞き分ける心(列王上3:10~15)

「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう」(列王上3:9)。

ソロモンは「善と悪を判断する」ことができるように願いました。ソロモンは善悪を判断する力を神に求め、『ヘブライ人への手紙』の著者は(固い食物の聖句引用)、善悪を判断する力が感覚を訓練することによって身につくと述べています。どちらの方法でそれを獲得するにしても(それらは必ずしも対立するものではありません)、善悪を判断する能力は熱心に追い求めるべきものです。

問5

イエスはマタイ6:33で、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」と言っておられます。若いソロモンの願いはどんな点で、イエスのこの教えを反映していますか。

ソロモンは「善と悪」(列王上3:9)を判断する能力を願い求めました。当然ながら、彼は善と悪が実際に存在することを前提としていました。今日の多くの人々は「善」や「悪」といったことは主観的な事柄であって、個人や社会によって違うと考えています。ある国の「善」は別の国では「悪」となり、逆に「悪」が「善」となることさえあります。

20世紀に最も影響力のあった無神論者、ジャン=ポール・サルトルは次のように述べています。「神が存在しないとすると、非常に困る。なぜなら、概念上の天国において価値観を見出だすあらゆる可能性が神と共に消滅するからである。そうなれば、もはや先験的な善も存在し得ない。なぜなら、それについて考える、無限にして完全なる意識というものがなくなるからである」(『実存主義と人間の感情』22ページ、1957年)。神が存在しないというサルトルの前提には同意できないにしても、彼の言っていることは考慮に値します。確かに、神なしでは、絶対的な善と悪は存在し得ません。

まとめ

「ソロモンは、『わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません』と告白したときほどに富み豊かで、賢明で、真に偉大だったことはなかったのである。

今日、責任を負わせられている者は、ソロモンの祈りが教える教訓を学ばなければならない。人の占める地位が高ければ高いほど、背負う責任も大きく、及ぼす影響の範囲も広くなり、神に依存する必要もそれだけ大きいのである。働きの召しとともに、同胞の前で用心深く歩くという召しをも受けていることを、常に記憶していなければならない。彼は学ぶ者の態度で神の前に立たなければならない。地位は品性を清くしない。人間が真に偉大なものとされるのは、神を尊び、神の命令に従うことによってである。……

神が識別力と才能をお与えになった人は、献身を維持している限り、高い地位に対する熱望をあらわしたり、支配したりしようと努めない。人は必要に迫られて責任を負わなければならない。しかし、真の指導者は最高の地位を求めようとはせず、善悪をわきまえる理解力が与えられることを祈り求めるのである」(『国と指導者』上巻6、8ページ)。

ミニガイド

「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6:29)。

サウル、ダビデ、ソロモンの3代を統一王国時代と言います(前1050~931)。サウルの領地はヨルダン周辺に限られていましたが、ダビデは戦って現在のパレスチナ全体を支配し、ソロモンはさらに外交によって周辺諸国との友好関係を築き、安定時代を迎えました。神はアブラハムの末であるこの民族を興し(おこ)、まことの唯一神ヤハウエの教えをもって世界を祝福しようと意図されました。ソロモンは謙虚なスタートで国を統治し、壮麗な神殿を建築して諸国の民の祈りの場所としました。彼の著述した「箴言」「コヘレトの言葉(伝道の書)」「雅歌」また詩編72編などが旧約聖書の知恵文学として認められました。さらにハツォル、メギド、ゲゼルなどの町を築き、その遺蹟が今日、考古学者たちによって研究されています。モリヤの山に建てられた神殿は遠くから美しく望み見ることができました。隣国のエドム、ダマスコを治め、紅海にまで勢力を伸ばしてエツヨン・ゲベルの港を開いて船団を編成し(列王上10:22)、タルシシュ(スペイン)の船団を所有して金銀、財宝、象牙、猿、ヒヒに至るまで諸外国から貢物を献上させた海上交易の記述は(列王上9:26)興味深いものです。神殿の扉、什器、調度品などはすべて純金、また白檀(びゃくだん)、遠くレバノンの杉などをふんだんに配し、見る者の目を見張る豪華さがあふれていました。

「ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し、全世界の人々が、神がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、彼に拝謁(はいえつ)を求めた。彼らは、それぞれ贈り物……を毎年携えて来た」(列王上10:23~26)。ソロモン時代はイスラエルにとって世界宣教の絶好機でした。しかしソロモンはそれ以上の大きな失敗を犯しました。多くの外国王室の女を好んで王妃とし、偶像礼拝を民に蔓延(まんえん)させたこと、神殿建築には7年、自分の王宮建築には13年をかけたこと、このためにイスラエル、非イスラエルの民衆を強制労働に使役したことです。大事な神を度外視して慢心し、豪華虚飾に堕し、自分の欲の満足がすべてに優先しました。前述のような“ソロモンの栄華”も神のみ前には、野の花の美しさに比べてはるかに劣るものでした。

*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。

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