【ヘブライ人への手紙】イエスと契約【聖所のテーマ】#7

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この記事のテーマ

【中心思想】

『ヘブライ人への手紙』の重要な主題のひとつは、イエス・キリストによって開始された新しい契約です。

現代社会にあっては、さまざまな関係が契約によって規定されます。それによって、物であれサービスであれ、私たちは公平に利益にあずかることができます。たとえば、水道屋に蛇口の修理を頼むとき、私たちはお互いに契約書を交わします。水道屋は代金を受け取り、私たちは蛇口を修理してもらいます。

しかし、新しい契約はそのようなものではありません。この契約においては、神は私たちを必要とされませんが、私たちは神を必要とします。神は私たちに恵みと憐れみ、罪の赦しを提供されますが、私たちには提供するものが何もありません。神の与えてくださる恵み、憐れみ、赦しに値するものを何一つ持ち合わせていないからです。私たちにできることはただ信仰によってそれを受け入れることだけです。この信仰は愛から出たもので、真心からの服従をもたらします。

今回は、新しい契約について、またこの契約とキリストとの関係、さらにはこの契約と天におけるキリストの働きとの関係について、もう少し詳しく学びます。

契約

古代近東地方では、上位の権力者と下位の人民との関係は契約によって規定されていました(身分が同等の者同士の場合もある)。異教の国々においては、これらの契約はふつう次のような要素を含んでいました。(1)支配者を紹介する前文、(2)それまで契約の当事者間に見られた関係についての歴史的な序文、(3)この契約によって構成される地域社会の状態についての記述、(4)契約の保護と定期的再読について規定した条文、(5)契約に立ち会った神々の一覧表、(6)契約に伴う祝福と呪い。

聖書に記されている契約も、ある程度、上記の典型的な契約と似たところがあります。

次の各聖句は種々の旧約聖書の契約について記しています。それらに共通する要素は何ですか。その本質は何ですか。それらは神と神の民との関係についてどんなことを教えていますか。創6:18、創9:11~13、創15:18、出19:5、エレ31:31~34     

契約は非常に重要なものです。アブラハムの契約の場合は、神の絶えざる臨在についての約束、メシアがすべての民の祝福となられるという約束、それに土地と大いなる国民についての約束が含まれていました。

モーセの契約(シナイの契約)は、先の契約が拡大されたもので、イスラエルのすべての民に向けられていました。イスラエル人をエジプトから解放された後で初めて、神は恵み深くも彼らに御自分の契約を与え、彼らを神御自身の尊い財産、祭司の国、聖なる国民とすると約束されました。

古い契約と新しい契約

ヘブライ8:6~13を読んでください。契約の概念が『ヘブライ人への手紙』の中で初めて紹介されている部分です。著者は新しい契約の必要性に関してどんな理由をあげていますか。

契約は『ヘブライ人への手紙』の中で突然出てくるわけではありません。初めの7章はイエスの祭司職とその正当性について述べていました。それから第8章で、著者は、新しい、さらに優った祭司職と新しい、さらに優った聖所とを必要とする、新しい、さらに優った契約の約束について述べています。もちろん、これはイエスと天におけるイエスの務めをさしています。

ヘブライ13:20と8:6を読んでください。新しい契約を描写するためにどんな形容詞が用いられていますか。その理由は何ですか。

古い契約と新しい契約は対照的に描かれていますが、両者の間にはいくつかの継続した要素が見られます。どちらの契約も当事者は同じです。つまり、神とその民です。どちらの場合も、神が主導しておられます。神だけがお救いになります。どちらの契約にも、約束と義務があります。そして、これは最も重要なことですが、どちらの場合も、神が御自分の民と共におられます。

一方、古い契約と新しい契約の決定的な違いは、新しい契約のもとでは完全な赦しと保証があることです。古い契約が型と影と象徴において示していたものは、イエスにおいて現実に成就しました。新しい契約のもとでは、律法は内在化され、信者はキリストに対する信仰によって、今や心に記された律法に従って生きます。新しい契約は永続的です。それは動物の血によってではなく、イエスの血によって批准されました。

契約と契約に関連した概念

契約は犠牲、祭司職、聖所とどんな関係にありますか。ヘブ9:11~15

神はイスラエルをエジプトから解放した後で、彼らに御自分の契約を与えられます。彼らは、「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」と答えます(出19:8、24:7)。神は約束について説明し、律法をお与えになります。それから、犠牲が献げられ、契約は血によって批准されます(出24:8)。この契約にはまた、聖所の建設、祭司制度の確立、犠牲制度の制定が含まれていました(出25~31章)。このように、契約、犠牲、祭司職、聖所は一つのものです。したがって、新しい契約は、新しい、さらに優れた犠牲と、新しい、さらに優れた祭司職と、新しい、さらに優れた聖所を必要とします。

律法の概念は新しい契約とどんな関係にありますか。ヘブ8:10

『ヘブライ人への手紙』は律法、つまりここで争点となっているモーセの律法が変更される必要のあることを強調しています(ヘブ7:12)。なぜなら、ここで背景となっているのが明らかに、地上の聖所の儀式とその祭司制度だからです。これらはみな、キリストが実現されることの影でした(ヘブ10:1参照)。

一方、十戒は古い契約におけると同様、新しい契約においても有効です。新しい契約のもとでは、律法は廃止されるどころか(Ⅰヨハ5:3)、心に書きつけられたのです(ヘブ8:10)。イエスはその生涯、新しい契約における律法を尊び、冷たい、生命のない規則となっていた律法を、より高い、霊的な次元にまで高められました。神が『ヘブライ人への手紙』の中で語っておられるのは、新しい律法ではなく、律法と福音を中心とした新しい契約です。

契約の祝福

『ヘブライ人への手紙』には、新しい契約にともなう祝福が強調されています。それらは何ですか。ヘブ8:10~12、10:16~18、ヘブ9:14、ヘブ9:12、15、28、ヘブ10:10、14          

新しい契約には「更にまさった約束」が含まれています(ヘブ8:6)。新約聖書の中で『ヘブライ人への手紙』ほど“約束”という言葉を数多く含んでいる書巻はほかにありません。それは私たちにどんな約束を与えているでしょうか。

新しい契約の約束には、神に近づく特権、やましいところのない良心、贖い、罪の赦しが含まれます。これらは、著者が「更にまさった約束」と呼んでいるものです。中でも最もすばらしい約束はエレミヤ書31:34にある最後の約束です――「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」。

「わたしは……再び彼らの罪に心を留めることはない」という言葉を、あなたはどのように理解しますか。主はここで御自分の民にどのような約束を与えておられますか。

「新しい契約の祝福は、不義と罪を赦す憐れみにもとづいている。……心を低くして、自らの罪を告白する者はみな、憐れみと恵みと保証にあずかる。神は罪人に憐れみを示すことによって、義であることをやめられるのであろうか。神は御自分の聖なる律法を汚し、律法の違反を看過されるのであろうか。神は不変である。……さらに優れた契約において、私たちはキリストの血によって罪から清められる(『書簡』276号、1904年)」(『SDA聖書注解』第7巻931ページ、エレン・G・ホワイト注)。

イエスと契約

イエスは契約に関連して何と呼ばれていますか。ヘブ7:22、9:15

イエスは新しい契約の「保証」です。ヘブライ7:22とその文脈は祭司職と契約とを一つに結びつけています。イエスは『ヘブライ人への手紙』の中で3回、「仲介者」、つまり新しい、さらに優った契約の仲介者と呼ばれています(ヘブ8:6、9:15、12:24)。ヘブライ7章はイエスを祭司として描いていますが、同8~10章はイエスを犠牲として描いています。このように、犠牲と契約と仲介者の間には密接な関係があります。

ヘブライ7:22で言われている「保証」とは何を意味しますか。

「保証」という言葉は新約聖書のほかのところには出てきません。「これはパピルス文書において誓約あるいは保釈保証金を意味する言葉として法律文書の中に一般的に見られるものである。

……聖書の言う契約は神の主導によってなされた合意であるから、保証(つまり、イエス)はこの契約が順守されることを保証する。

……仲介者は仲立人であって、その務めは当事者を互いに交流させることにある。神が当事者の一方であり、人間がもう一方である場合には、契約の思想は必然的に不釣合なものとなる。欠陥はつねに人間の側にあるゆえに、仲介者の務めは、人間の前で神のために働くことでもあるが、主として神の前で人間のために働くことである」(ガスリ『ヘブライ人への手紙』165,166,174ページ)。

したがって、重要な点は、神が必ず契約の約束を守ってくださるということです。人間は失敗し、約束を破り、迷います。しかしイエスは契約の条件を必ず守ることを保証されます。

『ヘブライ人への手紙』はまた、良心の呵責に苦しんでいる読者、自分の赦しと救いに確信が持てない読者に助けを与えてくれます。彼らに必要なのは、神がイエス・キリストにおいて成し遂げてくださった恵み深い救いを理解することです。

まとめ

ヘブライ1~7章において、キリストが天使やモーセ、アロンにまさったお方であることを指摘した後で、使徒は、さらに話題を集中的に契約と聖所、犠牲に向けるに当たって、ヘブライ8:1,2でこれまでの彼の議論を要約しています。8章以降で、彼はイエスが成し遂げられたことに焦点を当てています。契約は、私たちを神との特別な関係に導き、私たちの最も深い必要と問題に対する解決を提供します。ここで、他の箇所と同様、あの大いなるテーマ――「さらにまさった」(約束)が現れます。新しい、さらにすぐれた契約は、新しいさらにまさった祭司と聖所と仲介者(仲保者)を必要とします。私たちには、これらすべてが与えられているのです。

次の聖句にもとづいて、契約の思想について学んでください

――マタ26:28、マコ14:24、ルカ1:72、22:20、使徒3:25、7:8。ヨハネは契約について語っていません。黙示録の記者ヨハネは契約の箱にしかふれていません(黙11:19)。

「神の民は『更にまさった契約』の施行によって、キリストの義によって義とされる。契約は一つの協定であって、当事者は自分自身に、また相互に、特定の条件を満たす義務を負う。こうして、人は神との協定に入り、御言葉に明示された条件に従う。彼の行動は、彼がこれらの条件を尊重しているか否かを示す。人は契約を順守される神に従うことによって、すべての物を得る。神の属性は人に分与され、人は憐れみと同情を表すようになる。神の契約は、神の品性が不変であることを私たちに確信させる」(『SDA聖書注解』第7巻932ページ、エレン・G・ホワイト注)。

「エデンであらわされ、シナイで布告され、新しい契約のもとに心にしるされる偉大な愛の律法は働く人間を神のみこころにむすびつけるものである」(『各時代の希望』中巻49ページ)。

ミニガイド

『ヘブライ人への手紙』の中のキリスト(5)――契約の主

もう一度8~10章を精読してください。この手紙の差出人であるパウロが、ユダヤ人クリスチャンに強調していることは、いわば旧約から新約への移行です。契約の主体である神は変わりませんが、内容が更新されたのです。

「神のみ子の死によって、型が本体に合ったの」だと言っているのです(『各時代の希望』下巻280ページ)。

今まで自分たちが寄りかかってきたものが崩れ落ち、それとともに、彼ら自身の信仰もまた、糸の切れた凧のようにさまよっていた、まさに危機的な状況にあったユダヤ人クリスチャンに、パウロは、彼が摂理のうちに習得した最高の知識を駆使して、忍耐強く、切々と、しかも論理的に訴えます。8~10章でパウロが言っていることをまとめると、概略次のようになります。

地上の聖所は、天の聖所の型として作られたものである。

地上の聖所の本体は天にある。

地上の聖所の儀式が象徴していた祭司(大祭司)のつとめは、今や、真の大祭司なるキリストの天の聖所でのつとめに取って代わった。つまり「型」が「本体」に合ったのである。

罪をあがなう唯一のいけにえであるキリストの血により、今や、ゆるしの泉が無限に開かれている。

それゆえ、キリスト以外の罪のためのささげ物は、もはやありえないし、不要である。

これこそ、「新しい契約」の名のもとに、神が与えて下さる恵みである、とパウロは言います。「それで兄弟たち」とパウロが訴える10章19~39節までの箇所は、一連の聖所についての議論の結論部ともいうべきもので、圧巻中の圧巻です。

ここでパウロは、あきらめてはいけない、集会をやめてはならない、一度受けた光を拒んではいけない、信仰を捨ててはならない、と訴えています。今日も、彼の声の反響が聞こえませんか。

*本記事は、安息日学校ガイド2003年3期『聖所のテーマーヘブライ人への手紙』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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