【テサロニケの信徒への手紙1・2】福音と王国【解説】#5

目次

良い知らせ以上のもの

福音は神についての良い知らせですが、同時に特別な権利と名誉をともなった新しい生活への招待です。福音は私たちを罪への服従から光へ、そしてキリストとキリストの民との交わりへ導き入れてくれます。福音は正しく理解するとき、私たちの読む救いについての報告だけでなく、私たちの体験するあがないの行為となります。

アウトライン

1.明示された王国(Ⅰテサ2:12)

2. 区別された王国(マタ4:17,25:31―34)

3. イエスと王国(マタ24 :14)

4. 王国の市民(Iテサ1:4)

5. 王国の拡大(Iテサ1:6,8)

王国の市民

パウロが福音に関連して教えている王国についての真理は私たちの霊的理解にとって重要な意味を持っています。しかし、王国や王国に類した国がほとんど世界に見られなくなったために、今日の人々はキリストの時代の王国についてあまり知りません。王国とは、君主が完全な支配権をもって国民と領土を統治していた国のことで、すべての住民が支配者に服従する軍事国家でした。市民の最大の義務は支配者の栄光と名誉のために働くことでした。

神の御子の王国

パウロは私たちクリスチャンの最大の目標、つまり目に見えない神の王国に入ることについて教えています(Iテサ2:12)。この神の国はいくつかの点において古代の王国に似ています。今回の研究で学ぶように、パウロは目に見える教会の権威に忠実に従っていますが、同時に目に見えない神の王国の市民になるということを重視しています。

現在の霊的王国についてのこの考えは、キリストのみこころに対するパウロの全的献身を理解するうえで欠かすことのできないものです。パウロにとって、王国のモデルは重要なものでした。彼は自分自身をサタンの王国、「やみの力」から救い出され、「〔神の〕愛する御子の支配下」に移された者とみなしていました(コロ1:13)。

明示された王国(Iテサ2:12) 

質問1 
テサロニケ人に与えられた二つの特権のあいだには、どんな関係がありますか。Iテサ2:12 

御国と栄光という順序に注意してください。パウロはここで私たちを将来の御国と栄光に備えさせる現在の御国と栄光について語っています。信じるときに私たちに与えられるキリストの品性の栄光(ヨハ17:22)は、キリストの再臨において確立される栄光の王国に入るための資格です。

質問2 
現在の王国の性質について、ほかにどのように教えられていますか。ヘブ4:14〜16 

御座は王国を表す「恵みの御座」(ヘブ4:16)は、キリストがいま統治しておられる恵みの王国を表しています。「御子については、『神よ、あなたの御座は、世々限りなく続き、あなたの支配のつえは、公平のつえである』……」(ヘブ1:8)。天と地の神の民は現在の神の統治権を認めます(ピリ2:9〜11参照)。

サタンは知っていた

「サタンは預言を通して、救い主が予告されていることを、またその王国が地上の勝利やこの世の名誉・誇りのうちに確立されるものではないことを知っていた。彼〔サタン〕が自分の領土と主張する地上に、天の君が一つの王国を確立されるということが預言されていることを、サタンは知っていた」(『SDA聖書注解」第5巻1079ページ、エレン.G・ホワイト注)。

区別された王国

質問3 
イエスは恵みの王国を何と呼んでおられますか。マタイ4:17、マタイ6:33、ルカ17:20,21

イエスが地上におられたときに確立された恵みの王国(マル1:15)は、彼の教えの中で重要な位置を占めていました。イエスはマタイによる福音書の中だけでも36回、この王国に言及しておられます。そのうちの31回が天国と、5回が神の国と呼ばれています。人の心における神の恵みの働きについて語るとき、イエスは「神の国」「天国」という表現を用いておられます(マタ4:17、マル1:14、15参照)。

質問4 
恵みの王国は、聖書の中でよく用いられているほかのどんな王国と混同されることがありますか。Ⅱテサ1:4、マタ6:10、25:31〜34 

栄光の座とは、主の再臨において確立される永遠の祝福に満ちた国と期間を表しています。この王国はテサロニケ人への第2の手紙1:5〜10において語られているものです。テサロニケ人への第1の手紙2:12の「その栄光」という言葉もこの王国をさしています。しかしながら、将来の栄光の王国に入るためには、現在の恵みの国において忠実な者と認められる必要があります。福音は今、私たちを恵みの王国に入るように招いています。

イエスと王国(マタ24:14)

質問5
キリストの昇天における弟子たちの質問から、彼らもまた二つの王国を混同していたことについてどんなことがわかりますか。使徒1:6 

弟子たちは誤解していた

「彼らは、キリストからゆだねられた使命を宣く伝えたのであるが、彼ら自身その意味を誤って理解していた。彼らの宣言は、ダニエル書9:25に基づいていたが、彼らは、同じ章の次の聖句に、メシヤが断たれるとあるのを見なかった。彼らは、生まれたときから、地上王国の栄光を待望するようにしつけられていたので、預言の明細な点も、キリストの言葉も、理解できなかったのである」(「各時代の大争闘」下巻38ページ)。

質問6
恵みの王国はいつ始まり、いつ確立されましたか。創世3 :15、1ペテ1 :10〜13(ロマ5:17、 18比較)

現在の王国

「恵みの王国は、人類の堕落後直ちに、罪を犯した人類の贖罪の計画がたてられた時に、設立された。それは、その時、神のみ心のうちに、そして神のお約束のもとに存在していた。そして、信仰によって、人々はその国民となることができた。しかしそれは、キリストが亡くなられるまでは、実際に築かれなかった。救い主は、地上の伝道開始後においても、人類の強情さと忘恩にうみ疲れて、カルバリーの犠牲を避けることも可能であった。……しかし、救い主が、その生命をささげ、「すべてが終った』と叫んで息を引き取られた時、續罪の計画の完成が確保された。エデンにおいて、罪を犯した二人に対してなされた救いの約束は、批准された。これまで神の約束によって存在していた恵みの王国が、この時、設立されたのである」(「各時代の大争闘』下巻40、41ページ)。

質問7
イエスはどれほどはっきりと恵みの王国を福音と結びつけられましたか。マタイ24:14、マタイ13:19

福音は、イエスが勝利されたこと、イエスがサタンの王国を侵略されたこと、そしてサタンの敗北の過程が始まったことの宣言です。それは、キリストが決定的な試みに耐えられたこと、キリストの犠牲が父なる神に受け入れられたこと、そして私たちのあがないのために完全な備えがなされたことの厳粛な宣言です (エペ1:7参照)。さらにまた、福音は、恵みの王国が信仰によってこの愛の提供を受け入れるすべての人に与えられることの保証です。マタイ24:14は、恵みの王国に入ることが栄光の王国に入ることの条件であることを示唆しています。

質問8
キリストがマタイ16:18,19およびルカ11:52で述べておられる天国のかぎとは何のことですか。黙示録1:18,3:7、使徒4:12比較

天国に入る権利が与えられる

「天国への『かぎ』はキリストの言葉である。……福音の持つ救いの力は人々を天国に導く唯一のものである。キリストはペテロと弟子たちに対して人々を天国に導く権威と権限をお与えになった。ペテロに天国の『かぎ』を与え、彼を天国に入らせるものは、イエスこそキリストであるという真理についての認識であった。これと同じことが終わりの時代に生きるすべてのキリストの弟子についても言えるのである」(『SDA聖書註解』第五巻432ページ)。

王国の市民( I テサ1 : 4 ) 

質問9 
私たちをやみの王国から光の王国に導き入れようとされる神のみこころを、パウロはどんな意義深い表現を用いて描写していますか。1テサ1:4、2:12、4:3、5:9、2テサ2:13

私たちの救いに対する神の積極的なみこころを知ることは大きな慰めです。神は私たちひとりひとりに対して恵みの王国に入るように招いておられます。神は、「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(Ⅱペテ3:9)。

質問10 
福音宣教に欠かすことのできないどんな働きによって、恵みの王国は人々の心に実現しますか。エペ3:14〜21 

聖霊の働き

信仰によって、キリストが心のうちにお住みになる(エペ3:17)ことによって、神は「御霊により……内なる人」を強くしてくださいます(16節)。キリストと聖霊の結びつきはきわめて強いので、一方の存在は他方の存在を意味するのです。弟子たちに聖霊の賜物を約束するにあたって、イエスは言われました。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない、あなたがたのところに帰って来る」(ヨハ14:18)。キリストが私たちの心に宿るとき、私たちは恵みの王国の一員となり、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、……満たされる」ようになります(エペ3:19)。恵みの王国の市民になることはすばらしい特権です。

質問11 クリスチャンは恵みの王国の市民ですが、同時に目に見えるどんな組織の一員でもありますか。Iテサ1:1、2:14 

恵みの王国に入るためには、まず福音の召しを受け入れなければなりません。しかしながら、この召しにこたえることは組織されたキリストの教会に加わることを要求します。正式に組織された信者の団体に与えられた目的が旧約聖書の時代に明らかにされています。

それはまた新約聖書の時代において明らかに認められています。(マタ16:18、18:15〜20、使徒2:47,15:1―4、1コリ12:28―31、黙示12:1―17参照)。

新約聖書は教会組織の原則に関して権威を与えています。当然のことですが、教会に正式につながっていることは恵みの王国の一員であることの保証とはなりません。私たちが神の民であるか否かは、私たちの生き方、つまり兄弟姉妹との関係や日常のあかしによって証明されます(1ヨハネ2:9―11参照)。

質問12 
王国についての福音を述べ伝えるにあたって(マタイ4:23)、イエスは王国の生活に関するどんな重要な原則を強調されましたか。マタ5:1〜12 

天国の原則に従って生きる

キリストの品性の栄光は彼を信じる人々を通してあらわされます(ヨハ17:22,23)。御霊に満たされた信者はキリストとつながっています。キリストの愛はそのような人の家庭、学校、教会、そしてあらゆる機関にあらわされます(『キリストの実物教訓』275、276ページ参照)。

王国の拡大(Iテサ1:6、 8) 

質問13 
福音の招きを受け入れたとき、テサロニケ人はどんな経験をしましたか。Iテサ1:6 

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる」(ヘブ12:11)。テサロニケの信者は、人々から中傷され、会堂のユダヤ人指導者から軽べつされ、御国につきものの暴力に苦しみましたが(マタ11:11、12)、それにもかかわらず喜んで神のみことばを受け入れました。

質問14 
テサロニケの信者は自分たちの新しい信仰をどういう気持ちで宣べ伝えましたか。Iテサ1:8 

キリストの愛の力は非常に強力なので、彼らはその良い知らせを人々に伝えないではおられませんでした。同じような立場に置かれたなら、私たちも喜んでそうするはずです。キリストの愛をはっきりと理解し、心から受け入れていながら、黙っていることはできません。福音は人を勇気づけ、生気を与え、力づけ、生きかえらせ、服従させます。それは爆発的、拡張的、刷新的な力を持っていて、人を信じさせ、あかしさせます。

すべての人の務め

「すべてのクリスチャンは主の働きにおいてなすべき務めを持っている。私たちは自分自身の楽しみや都合を求めるよりも、キリストの王国の建設を第一の務めとしなければならない」(「教会へのあかし』第5巻182ページ)。

散らされた神の家族

「バビロンを構成する諸教会は、霊的暗黒と神からの離反に陥っているにもかかわらず、その中にはまだ、真のキリスト者が数多くいる」(「各時代の大争闘」下巻92ページ—ヨハ10:16参照)。彼らは、「わたしの民よ。彼女から離れ去って」(黙示18:4)という愛の勧告に従って、残りの民に加わり、再臨される主に会う備えをします。

まとめ

キリストが弟子たちに宣べ伝えるようにお命じになった「御国の福音」は、パウロがテサロニケ人に教えた福音です。私たちが栄光の王国に入る備えとして恵みの王国に入ることができるのは、イエスの犠牲のおかげです。主がおいでになる前に、私たちは言葉とわざにおいて同じ福音を宣べ伝えなければなりません。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年3期『再臨に備えて生きる』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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