【テサロニケの信徒への手紙1・2】キリスト再臨の様子と結果【解説】#7

目次

パウロが予告しているのは再臨の様子と結果であって、その時期ではない

パウロはキリスト再臨の時期を指定するようなことは全くしていません。しかし、彼はテサロニケ人への第1の手紙4章において、再臨の様子と結果についてはっきりと教えています。

アウトライン

1. 死んだ義人に起こること( I テサ4 : 1 4〜1 6 ) 

2. 生きている義人に起こること( I テサ4 : 1 7) 

3. 生きている悪人に起こること( I テサ5 : 2、3 ) 

4. 死んだ悪人に起こること(黙示20:5、6)

5. キリスト再臨の様子( I テサ4 : 1 6 ) 

主の日

罪に対するキリストの最終的な攻勢は紀元31年に始まりました。これは、私たちの主がその使命を完了されたときでした。この時はダニエル書9:24〜27で預言されており、キリストの生涯においてはっきりと成就しました。私たちには最終的な勝利の日はわかりませんが、パウロをはじめとする聖書記者の記録の中には、その勝利の日の印象的な光景が描かれています。

テサロニケ人への第1の手紙4:13〜18は最終的勝利の描写以上のもの

それは最終的勝利に関して詳しい情報を提供してくれます。ここに描かれている再臨にはいくつかの面があります。それらは次のようなものです。(1)生きている義人の運命、2)死んだ義人の運命、(3)生きている悪人の運命、(4)死んだ悪人の運命。これら四つの問題が「主の日」、つまりキリストの再臨についてのパウロの描写の中で明らかにされています。死者の状態、死後の生命、人類歴史の終局についてパウロが扱っている問題は、あらゆる宗教の根底にあります。死後の生命を信じない、いわゆる無宗教主義者の信条も、それ自体、一つの教義です。なぜなら、それはすべての宗教的疑問の中で最も重要なもの、つまり神は存在するのか、そして人は死んだらどうなるのかという疑問に答えているからです。今回は、パウロの手紙に述べられたこれらの重要な問題について考えます。

死んだ義人に起こること(Iテサ14:―16) 

質問1 
キリストの再臨は人間に理解できないどんな驚くべき出来事をもって始まりますか。Iテサ4:14〜16 

質問2
再臨においてよみがえる人はどのような人たちですか。黙示6:9〜11 

あとの者が先になる

「神の相続人たちは、屋根裏、あばらや、牢獄、刑場、山々、砂漠、地のほら穴、海の洞窟などから出て来た。彼らは、この地上では、『無一物になり、悩まされ、苦しめられた』。幾百万という人々が、サタンの欺臓的主張に服することを断固として拒んだために、汚名を着せられて墓にくだっていった。彼らは、人間の法廷において、最悪の犯罪人であると宣告された。しかし今、『神はみずから、さばきぬし……である』(詩篇50: 6)。今、地上の判決はくつがえされる。神は、『その民のはずかしめを……除かれる』(イザヤ書25:8)。『彼らは「聖なる民、主にあがなわれた者」ととなえられ』る。主は「灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与え』られる(同62:12、61:3)。彼らは、もはや、弱く、苦しめられ、追い散らされ、圧迫される人々ではない。これからは、彼らはいつまでも主とともにいるのである」(「各時代の大争闘』下巻432ページ)。

質問3
よみがえった義人のからだは以前の状態とどのように異なりますか。ヨハ20:15〜18、ピリ3:20、21 

個性は保たれる

「私たちの個性は、墓に下ったときの分子や組織とは全く同じではないが、よみがえりにおいて保たれる。神の不思議なわざは人間にとっては神秘である。人間の霊、品性は神のもとに返り、そこに保存される。よみがえりにおいて、すべての人にその品性が与えられる。神はその定められた時に死者を呼び出し、ふたたび生命の息を与え、枯れた骨を生かされる。死者は同じからだをもって出て来るが、病気や欠点から解放されている。彼は同じ個性をもって生きるので、友は友を認めることができる。神が死ぬ以前のからだと同じ分子をふたたび与えられることを示すような神の法則は自然界にはない。神はご自分のみこころにかなったからだを死んだ義人に与えられる」( 「SDA聖書注解」第6巻1093ページ、エレン・G ・ホワイト注) 。

質問4 
とりわけキリストのどんな奇跡が死んだ義人のよみがえりを予示していますか。ヨハ11:41〜44 

キリストは神であられたので、彼の生命は借り物ではなく、ほかから与えられたものではありませんでした。彼はいのちの創始者、いのちの源泉であって、この地上に、また全宇宙に生きているすべてのものの起原です。すべてのものはキリストによって造られました。彼は死んだものを再創造する力を持っておられます(ヨハ1:1〜3、コロ1:16、ヨハ11:25参照)。

生きている義人に起こること(Iテサ4:17) 

質問5 
生きている義人はキリストの再臨においてどんな喜ばしい経験をしますか。イザヤ書25:8、9 

生きている義人が再臨において経験する思いは言葉では言い表すことができません。三天使の使命を信じて死んだ聖徒たちはみな、主の再臨を見るために特別によみがえらされます(ダニ12:2、『各時代の大争闘』下巻415ページ参照)。生きている義人は、東の空に現れた小さな雲が次第に輝きを増して天をおおうようになるのを見ます。彼らは目もくらむような栄光の中に王の姿を見ます。

質問6
生きている義人はどんな輝かしい変化を経験しますか。Iテサ4:17、 1コリ15 :51〜54 

永遠に変えられる

「生きている義人たちは、『またたく間に、一瞬にして』変えられる。彼らは、神のみ声によって栄化された。今や彼らは不死の者とされて、よみがえった聖徒たちとともに、空中において主と会うために引き上げられる。天使たちは、『天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集める』。小さい子供たちは、天使たちに抱かれてきて、母親の腕に返される。長く死に別れていた友人たちは再会して、もう永久に別れることなく、喜びの歌をうたいながら、ともに神の都へと上っていく」(『各時代の大争闘』下巻424、425ページ)。

質問7 
キリストの生涯におけるどんな経験が、神の忠実な民の再臨における経験をはっきりと予示していますか。ルカ9:28〜35 

栄光の予示

「このように栄化された人々は、あがなわれた者の王国を代表するひな型であることを弟子たちは見たのである。彼らはイエスが天の光に包まれておられるのを見た。彼らは彼を神の子と認める声が「雲の中から』出るのを聞いた(ルカ9:35)。彼らは、再臨の時に死からよみがえる人々を代表するモーセを見た。そこには、また、地上歴史の最後において、死ぬべき者が死なぬ者に変えられて、死を見ることなく天に移される人々を代表するエリヤが立っていたのである」(『国と指導者』上巻195ページ)。

生きている悪人に起こること(Iテサ5:2,3) 

質問8 
パウロは旧約聖書のどんな言葉を用いてキリストの再臨を表現していますか。Iテサ5:2、アモ5:18〜20 

質問9
新約聖書はこの最高潮の日、また出来事を何と表現していますか。ヨハ6:39,40、ロマ2:5、Ⅰコリ1:7,8、Ⅱペテ2:9,10、Ⅱペテ3:12

質問10 

キリスト再臨において、神の怒りはだれの上に注がれますか。Ⅱテサ1:5〜10 

生きている義人には喜ばしい報いが与えられます。生きている悪人には恐ろしい報復が待っています。「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている」(伝道8:11)。神は正確な記録を取っていて、すべての人を公平に扱われます。主は千年期の終わりに最終的な報いを与えられます(黙示20:7〜9参照)。しかし、生きている悪人は千年期の初めに再臨の栄光によって滅ぼされます(Ⅱテサ2:8参照)。

質問11 
イザヤは怒りの日にくだるさばきをどのように描写していますか。イザ28:21 

神の不思議なわざ

「神は本質的に、あわれみ深く、恵み深く、寛大なおかたである。……ご自分の被造物に苦痛と苦難、刑罰と死を科することは神の品性と相いれないことである。しかし、同時に神は『罰すべき者をば決してゆるさ』ないおかたである(出エ34:7)。神の正義が遅れるように見えることがあるために、人間はそれが決して来ないと考えて(伝道8:11、ゼパ1:12、マラ2:17、3:14)、平気で悪の道に歩もうとする。このように神の忍耐とあわれみを利用しようとする者たちに対して、さばきが必ず来るということがここで警告されているのである。……キリストがご自分の敵を征服するために戦士として来られるとき(黙示19:11〜21)、人々は今までとは全く異なった役割をされるキリストを見ることになる。神の小羊はそのとき『ユダ族のしし」としてお現れになる(黙示5:5、6)」(「SDA聖書注解」第4巻212ページ)。

死んだ悪人に起こること(黙示20: 5、6)

質問12 
死んだ悪人はどうなりますか。黙示20:5、6 

パウロはテサロニケ人への第1の手紙4:13〜18で死んだ悪人にふれていません。これらの聖句は、彼らがキリスト再臨の影響を受けないことを示唆しています。ヨハネによれば、死んだ悪人は千年期の終わりの第2の復活においてよみがえらされ、それから永遠に滅ぼされます(黙示20:9、10参照)。

質問13 
死んだ悪人が千年期が終わるまで生き返らないとするなら、イエスを刺し通した者たちは再臨を見るという黙示録1:7のヨハネの言葉はどういうことを意味しますか。マタ26:64、ダニ12:1、2 

先の者があとになる

イエスは裁判の場で、迫害者たちが彼の再臨を見るであろうと予告されました。「あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」(マタ26:64)。死んだ悪人は千年期の終わるまで生き返ることがないので(黙示20:5)、イエスを罪に定め、十字架にかけた者たちのよみがえりは再臨直前における部分的なよみがえりということになります。ダニエル書12:2には、一部の義人と悪人が再臨においてよみがえると預言されています(「各時代の希望』下巻255、256ページ、『各時代の大争闘」下巻414、415ページ参照)。

質問14 
突然の再臨に対する悪人の応答がどのように描写されていますか。Iテサ5:3、マタ22:12、13、黙示6:14〜17 

キリスト再臨の様子(Iテサ4 :16) 

質問15 
パウロは生きたまま天に移される喜びについて語っていますが、テサロニケ人への第1の手紙4:13〜17の真意はどこにありますか。

再臨の時期を定めることは危険

パウロはテサロニケの信者にキリスト再臨の年や日を告げることができませんでした。彼はその時期を知らなかったのです。私たちもそうです。再臨の時期を計算し、それがこの日にある、この期間にある、この日以前にある、あるいはこの事件の前にあるなどと言う人は、神のみことばに反することをしていることになります。キリスト再臨についての預言の成就につながる出来事はいつでも見られるものなので、初期のクリスチャンが生きて再臨を見たいと望んだのも当然でした。しかしながら、大部分の神の約束は条件つきであり、期待が実現しなければ狂信か失望におちいるだけなので、再臨の時期を計算し、予告することは努めて避けるべきです。

再臨の様子と結果

テサロニケ人への第1の手紙における再臨についてのパウロの教えは、再臨の時期ではなく、その様子と結果を強調しています。それは以下の点について明らかにしています。(1)「すべての人の目……は、彼を仰ぎ見るであろう」とヨハネが約束したように(黙示1:7)、キリストは天から下って来られる。(2)彼は天使の声とラッパの音を合図に再臨され、死者をよみがえらされる。(3)父なる神と聖なる天使たちが彼につき従う。(4)悪人にとってキリストの顔つきは燃える火のようである。(5)彼の再臨は盗人の夜くるときのようである。(6)生きている義人はよみがえった義人と共に雲に包まれて引き上げられ、天使に先導されて天の住居に向かう。

質問16 
私たちの主は何の音を合図に再臨されますか。Iテサ4:16 

地上歴史の終局が宣言されるキリスト再臨についての聖書の描写の中で、これ以上、壮観なものはありません。主ご自身が号令し、天使のかしらが叫び、御使いたちが特別な時のために取っておかれたラッパの音を鳴り響かせる。どれも罪にのろわれたこの地球の終わりを宣言するにふさわしいものです。

パウロはだれが叫ぶのかを明示していませんが、ヨハネ5:18に照らして考えるなら、それはキリストであると思われます。パウロはまた天使のかしらがだれであるかを明言していませんが、新約聖書で言われている天使のかしらはミカエルだけなので(ユダ9)、これもまたイエスであると考えられます。神のラッパはほかのところにも出てきます(Iコリ15 : 52、マタ24 : 31)。それは明らかに天使によって吹き鳴らされます。パウロはこれらの点についてあまり詳しく述べていません。はっきりしていることは、それらがすべて地上歴史の終局を宣言する神の権威と勝利のしるしであるということです。

質問17 
パウロはどんな権威によって、これらの出来事が起こる時期についてではなく、その様子と結果について明らかにしていますか。Iテサ4:15 

主の言葉は最大の保証

パウロは神のみことばに対する信仰をもって迷信と罪に対抗しました。神のみことばは今も、攻撃と防衛のためのクリスチャンの唯一の武器です。みことばは私たちに信仰を与え、力を与え、勝利を与えてくれます。自分の言っていることが真実であることを証明する物的証拠は、パウロにはありませんでした。しかし、彼には成就した預言という、また自分自身や人々がみことばによって変えられたという証拠がありました。彼に確信を与えたのはこのことでした。それゆえに、彼はみことばに心から信頼することができました。

まとめ

罪の持つ本質的な結果のゆえに、再臨は悪人に言い知れぬ苦痛をもたらし、義人にこの上ない喜びと満足をもたらします。あがなわれた者たちにとって最も胸のおどる経験は、キリストにお会いする特権にあずかることです。キリストのラッパと声は義人を呼び集め、栄化します。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年3期『再臨に備えて生きる』からの抜粋です。

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