主イエスは友のために命を捨てられる(ヨハネによる福音書18章1節〜19章42節)
ヨハネによる福音書の中では、主イエスの十字架は園で始まり園で終わります(一八ノ一、一九ノ四一)。この、十字架に関係した部分は三部に分けられます。第一部は、裏切りと逮捕と告発を描いている部分(一八ノ一~二七)。真ん中の部分は総督ピラトの面前での裁判に関する部分(一八ノ二九~一九ノ一六)。最後の部分は主の十字架と葬りの描写です(一九ノ一六~四二)。
最後の歩み
重い心で、主イエスに従ってヨハネは二階座敷から階段を下りて行きました。主は、弟子たちと共に過越の祭りの食事を終えたところです。いや、大部分の弟子たちと共にといった方が正確でしょう。ヨハネは少し前にユダがその部屋を出て行くのを見ておりました。そして何らかの理由で、彼は戻って来ないらしいということを知りました。これらのことに戸惑いを覚えていた時、主は弟子たちをシオンの山からオフェル(シオンの山からテオピロンの谷を挟んだ東方に位置し、神殿区域とその南のダビデの町との間の地域一帯の呼称。訳者注)の背を通って行く方向で、丁度神殿の南側を横切る階段へと導いて行かれるのに気づきます。少しの間、下って行く階段の一歩一歩にヨハネは注意しています。「この階段のできは悪いな」。不揃いの階段の状態に改めて思いを馳せ、つぶやきます。
まだ早い夜とはいえ、もうすっかり夜となっております。ペトロとナタナエルが持っていたと思われる松明と、時折家々から漏れ来る光が補助的に道を照らしている他は、ほとんどの階段の道は暗い。エルサレムの高度での三月の夜はまだ寒さを感じます。ヨハネは外套をもう一度しっかりと帯で締めなおします。丘を下って行くにつれ、左手前方にはだんだん家と家との合間に堂々たる神殿の明かりが大きく見え隠れしていきます。家や建物が神殿の光を遮ると、神殿上方の夜空に黄色っぽく輝く光を背景に、歩いている者たちは、あたかも影絵のように見えます。ヨハネにとっては、明日から神殿で執り行われる祭りの行事には、余り興味を感じてない自分があって、これはどうしたことかと思っています。
間もなくシオンの山の下まで下りきって彼らはオフェルの背に向かって、緩やかではありますが登り始めます。左側には神殿に向かって上って行く巨大な大理石の階段が見えてきました。主イエスと弟子たちは幾度か神殿の庭に行くためこの階段を上って行ったものです。しかし今宵、主は神殿には何の興味も示されません。別な方向へとひたすら向かっておられます。間もなく一行は「水の門」から城壁の外に出ました。そこからは、オフェルの馬の背を過ぎてキデロンの谷へと下っていく急峻で曲がりくねった道となっておりました。
キデロンの谷に着いてから、彼ら一行は北方へと道を進みます。再び左側上方に神殿地域があるところを通って行きます。前方、そして右側には、オリブ山があり、神殿地域からの溢れた光を反映して黒ずんで輝いています。エルサレムを周回するのは体調をととのえる上では最良の方法ではありますが、今宵はいつもより幾分ヨハネ自身は足に疲れを感じております。
ゲッセマネの園で、主は再び祈りの時を過ごそうとしておられることがわかってきました。今のこの時、一体主の御心にはどんなことが去来しているのであろうかとヨハネは訝りました。彼らを後に残して去ろうとしていると主が言われた時、一体それは何を意味しているのであろうか。主がしばしば言われた裏切りや御自身の死ということと何か本当に関係があるというのであろうか。ヨハネの心はその夜のキデロンの谷の暗さと同様、暗く重いものでした。
園に着かれると、あたかも入り口を守らせられるごとく、八人の弟子たちをそこに残し、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて、主は園に入られます。更にその三人を残し、主はもう一歩奥に入られて祈り始められます。ヨハネは足の疲れ以上の疲れを全身に覚えました。彼はその場で祈ろうと努めましたが、ほとんどその瞬間、彼の心は朦朧となり、少しだけこの草地で横になりたいと思いました。ほんの二、三分だけ目を閉じるだけでも良い。そうすればもっと、御神に向かって集中できるようになろうと。
衝撃的な物音でヨハネは目が覚めました。どの位の時を経てしまったかは定かではありませんが、すっかり寝込んでしまったようです。瞬間、今自分はどこにいるかもわかりません。だんだんと目が覚めてきて、ああ、あれはユダの声だ! 彼は遂に私たちを見つけたんだ! 良かった! このグループは再び一つになったのだ。
捕縛とアンナスの前での裁判
ヨハネによる福音書一八章一節から二七節では、三つの重要な出来事が描かれております。すなわち、園における主イエスの捕縛、大祭司カイアファの義父アンナスの面前で主が受けられた尋問、そしてペトロが主を三度否んだ出来事です。後者の二つの出来事を描写するにおいて、ヨハネは二つの場所、すなわちペトロがいた庭と、主イエスが尋問されていた場所とを行ったり来たりしております。
ヨハネによる福音書一八章一節から一一節で特筆すべきは、この場面の全てを主が取り仕切っておられたという点でありましょう。それはこれより少し前、主が言っておられたことの成就です。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる」(一〇ノ一八)。確かに主は殺されようとしてはおりましたが、主は詐欺に遭って殺されてゆく被害者であるようには描かれてはおりません。主は全ての出来事を支配しておられます。例えば、もし主が捕縛から逃れようとされたのなら、単純にゲッセマネの園を避けてどこか他の所へ行けば良かったのです。ユダは、主がしばしばその園に行かれるのを知っていたことを、主御自身が一番わかっておられたのですから。しかし、主は、園で何が起ころうとしているかを熟知しておられた上で、弟子たちを伴ってそこに行かれたのです。ヨハネは園での主の御苦しみを一切描写しておりません。主は御自身の感情も完全にコントロールしておられます。それに、主は捕縛の群れがやって来るまで待っておられません。むしろ前に進み出られて、御自身を示され、それは群衆に怖れを感じさせる程でした。主の死は全くの自発のものです。主が許可されなかったなら、彼らは主を捕縛できなかったのです。
このような状況下でのペトロの行動には、真に興味深いものがあります。主が完全に状況を支配しておられたとはいえ、ペトロにとっては、それが全く逆に映りました。それ故剣を抜いたのです。しかし、主は直ぐ、ペトロに剣を鞘に納めるように言われました。ペトロの善意は、御神が意図された道を阻害する可能性がありました。主イエスは十字架を担うところまで行かねばならない。そうでなければ御神の救いの御計画が挫折することになる。ペトロがその場をコントロールしようとした試みは、本当は、コントロールをはずれて物事を押し進めてしまう危険があったのでした。
場所は移り、ゲッセマネの園からアンナスの面前での主のお姿となります。ここでも主は極めて主体的です(一八ノ二〇~二三)。主が御自身の密かな逮捕にも、「わたしは、世に向かって公然と話した。……ひそかに話したことは何もない」と言われ、引き続きなされた尋問にも、「なぜ、わたしを尋問するのか」と抗議しておられます。ユーモアの味付けを感じさせるような言葉すら投げかけておられます。「正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」。主イエスはこの場面では、あの「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」との御教え(マタイ五ノ三九)には従ってはおられません! 主は御自身に敵対する者の権威の乱用に抗議しておられます。明らかに、主イエスのようになることは、虐待されっぱなしになることではないことがわかります。キリスト者たちは、他の人々との関係において生き方の境界線をしっかりと持っていることは大事なことです。他の人々にしたい放題にさせることは、一般的に言って誰の助けにもなりません。謙遜ということと罵られっ放しということとの間には決定的な違いがあります。
大祭司の庭に一人以上の弟子が入って行ったことを告げているのは、ヨハネによる福音書だけです。恐らく門のところにいた女性は、ヨハネ(「もう一人の弟子」一八ノ一五)が主の弟子であることを知っていたと考えられますが、それを問題にしませんでした。ペトロの場合は異なります(主の捕縛されるに際し、大祭司のしもべマルコスの耳を切ったこともあって、彼には恐れの場。訳者注)。主イエスが逮捕される時、ペトロは勇敢に、捕縛に来た群衆の前面に出て行きました。しかし今や、あの勇敢さが、彼に更なる挑戦をつきつけます。そしてこの度、彼はそのテストに失敗しました。哀れな衝動的なペトロ。ある瞬間には、勇敢に過ぎ、次の瞬間には臆病に過ぎる彼!
ピラトの面前での裁判
次の場面では、ピラトが中心人物です(一八ノ二八~一九ノ一六)。歴史的に見ると、この時の彼の政治的立場は、かなり弱い状況にあったようです。宗教上のことでの度重なる無思慮の失政は、繰り返しユダヤ人の宗教指導者たちを怒らせてきておりましたので、従って彼は、ユダヤ人一般からは人気がありませんでしたし、彼らからの直訴もあって、ローマ皇帝の行政府からも総督としての資質に疑問符が投げかけられている状況でした。もう一度、彼とユダヤ人指導者たちとの間に問題が生じれば、その職の解任となるでしょう。それ故、ユダヤ人たちからの脅しには極端に弱い状況下に彼はあったのです。
事をピラトの元に持って行くに当たり、祭司たちは作戦を練り、ローマ人総督が関心を抱くであろう政治上の案件として、告訴することにしました。イエスの王権の主張が皇帝に対する反逆に当たるとして断罪されなければならない。しかし、主イエスの「わたしの国は、この世に属してはいない」との言説から、ピラトは、イエスの王権の主張は決してローマに対する政治闘争や軍事行動を意味するものではないことを明瞭に理解しておりました。従って、ピラトはイエスを釈放する決心をし、しかし同時に、ユダヤ人指導者たちの顔をも立てる解決法として、イエスを無罪放免ではなく、囚人の釈放という形を取ることにするという提案をするのです。
しかし、この提案が拒絶された時、ピラトにとって事は複雑になって行きます。ユダヤ人指導者は、何がなんでも、またどんな犠牲を払ってもイエスを死刑にしてもらいたかったのです。ですから、ピラトは彼らの意見を変えるように説得するか、彼らの怒りに直面してでもイエスを解放するかのどちらかを選択しなければなりません。しかし、後者の選択の場合、自分の政治生命を危うくするので難しい。そこで彼は、正義か自分の利益を大事にするかの板ばさみに当面しました。
それ故、ピラトは、ユダヤ人宗教指導者たちの同情心を掻き立てるため、同属のユダヤ人であるイエスを激しく鞭打って、それから彼らの前面に連れ出して見せ物となるように計ります。しかし、彼らは動じません。それどころか、彼ら宗教指導者たちは、ピラト自身の政治的弱みを知っていて、卑怯な行動に出ます。イエスは彼らの宗教上の律法を破ったので、死刑にされなければならないと彼らは主張します。ピラトは彼らの宗教を汚す者として見られるようにはしたくなかったし、そうすることはまさに彼にとって政治上致命的となります。
ピラトは判決を下さないことは自分の弱さであったことに気づきました。このままでは、自分もイエスも両方とも救うことができない。そこで、まず自分を救い、それからでき得る何かをしようと腹を決めました。ピラトは宗教指導者たちの要求を呑むことにしましたが、それは彼らにとっても多大の犠牲を払うことになったのでしょう。ピラトがイエスを断罪する代わりに、彼らは皇帝に仕えるという公の宣言をなさねばならなかったのです。「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」(一五節)。
先に大祭司カイアファは、国民が救われるためには一人の人間が犠牲にされねばならないと主張しました(一一ノ四八~五二)。ところが今や、一人の人間を葬り去るために国民全体を犠牲にしようとしておりました。宗教指導者たちは、かつてはあれ程憎んでいたローマの皇帝を歓呼して喜びの対象とするほどの熱心さで、主イエスの王性を拒絶したのです。ピラトは未来に至るまで、彼らの誓いを有効ならしめようともくろみました。彼らは最早彼に対して何の力も発揮できなくなるであろう!
この福音書の中でこの時点から、ピラトは確固不動の人となります。主への死刑の宣告は彼を強くしました。
十字架刑それ自体
十字架刑は特にローマ人たちの死刑執行の形でした。ある者たちは十字架に釘打ちされ、他の者たちは縄で結びつけられました。この死刑で肝要なことは、犠牲者たちは息をつくために自分の足で幾分自分の体を持ち上げねばならなかったという点です。疲れきって最早自分を持ち上げることができなくなると窒息で死が訪れるのです。従って、十字架刑による死はゆっくりであり、苦痛そのものでありました。足の骨を折ることは、従って死期を早めましたので、死刑執行人の便宜のためこのようなことも行われました。肉体の拷問の他には、恥辱であり、さらし者にされることであり、家族や友人たちの面前で裸にされ、ぶらさげられたのです。
「新しくなった」ピラトは十字架刑の場で再び攻撃します。主イエスの十字架上にはり付けられた罪状書きの言葉は彼が選んだもので、主の十字架刑をして、パレスチナとユダヤ教に対するローマの優越性の象徴となるように計ったのです。その罪状書きの文言をもって、ユダヤやその指導者たちの優越感に対し、一撃を与えることを意図したのです。そして、その十字架刑をして、この事実の見世物となるようにしたのです。ピラトは確かに事柄を支配していたと感じるに至ったとはいえ、しかし、この部分の聖書の言葉は繰り返し、全てのことは聖書の中で預言されていたことに従って、事が運ばれていたのであることを思い起こさせております(一九ノ二四、二八、三六、三七)。人間が自分の意のままに支配していると感じている時でさえ、実は、御神が支配権を握っておられるのです。主イエスの死は自発の結果であり、目的があり、聖書の御言葉に従ったものであったのです。
十字架は何を成し遂げたのか?
主イエスが十字架上で「成し遂げられた」(一九ノ三〇)と声高く宣言された時、一体何が成し遂げられたのでしょうか。使徒パウロが十字架を他にしては、他のどんな栄光をも拒絶したという時、あの十字架はどのような意味で特別なものであったというのでしょうか(ガラテヤ六ノ一四)。
ヨハネによる福音書で取りわけ強調されていることは、あの十字架は、救世主を示していた聖書の諸々の預言の成就であったという点にあったように思われます。預言されていたことが、詳細にわたって成就したのです。衣服が分けられ、それがくじ引きされたこと(一九ノ二三、二四)、その死後に死体がどのように扱われるかについて(一九ノ三五~三七)などのようにです。十字架の出来事は、私たちの人生で、たとえ悪しきことが起こっているような場合であっても、御神はあらかじめそれら全てを知っておられ、その全てを、十全の御支配の中に置いておられるのであることを明らかにしております。どんなことが起ころうとも、私たちは恐れる必要はないのです。また、御神の律法の求めが十字架上で成就させられたのです。御神が、罪深い人類の代表者としての主イエスに、「罪が支払う報酬は死」(ローマ六ノ二三)であるとして、その罪の報いを科せられた事実程以上に、御自身の救いの御契約に忠実であられることを鮮明に証ししたことはなかったのです。もしも御神の律法が変えられるのであれば、あの十字架なしで人類は救われ得たでしょう。しかし、宇宙の平和と秩序を保ちつつ人類を救済するためには、主の十字架は是非とも必要であったのです(コリント二・五ノ一四、一五)。十字架刑は、主の人性において、人類の罪を断罪した出来事であったのです。そして主の復活は、主イエスが、唯一の救世主であるという話が真実であったことを全人類に証しした出来事であったのです(使徒言行録一三ノ三二、三三、コリント二・五ノ二一)。
このようにして、十字架の出来事は、他の何にも優って人間存在には尊い価値があることを断言しているのです。御神は人間ひとりびとりをどんなにか愛しておられることでしょう。そのひとりびとりのためにその愛する御子、主イエスが身代わりとなって殺されることを良しとされたのです。資格十分な御神の一員として、またこの宇宙の創造者として、主は御自身の内に無限の価値を有しておられます。そしてこのような御方が、私やあなたの身代わりとなって死んでくださったということによって、御神は私たちひとりびとりに、まさにその無限の価値を見ていてくださることを証しされたのでもあります。あなたや私は、御神にとってかけがえのない存在なのです。十字架の内に私たちが有しているその価値は、私たちがたとえどんなことをなそうと、またどんな者になろうとも、変わることのない価値です。私たちは貧しい者たちの内でも最低に貧しい者であるかもしれない。しかし、それにもかかわらず、私たちの価値は十字架において無限のものです。私たちは軽蔑されているかもしれませんし、出会う全ての人々によって斥けられているかもしれません。しかし、なおも私たちの価値は、十字架の贖いにおいて見るように、無限のものなのです。しかも、その無限の価値は永遠に据えられております。もしも、私たちがその人生の最後に、十字架の啓示を否定する選択をするなら、永遠である私たちのその価値は、私たちが存在しないことによって感じられるであろう御神の痛みのその深さによって推し量られるでありましょう。
十字架上で見る私たちの価値を感じる時、私たち自身を評価する価値観は、私たちの成した業績や、あるいは移ろい易い人間関係や評価等によって上がったり下がったりと揺れ動くことはなくなります。あの十字架の光の中で自分自身を見ることができるようになる時、罪に勝利する力を得ます。サタンに打ち勝つ確信を得ます。そして、私共が一体どのような者かを知ることから来る喜びを更に発展させて歩むこととなるのです。「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架の他に、誇るものが決してあってはなりません」とパウロが言うのは驚くには及ばないのです。