イザヤ書における神と救い【イザヤ書解説ー悲しみの人#4】

目次

第一一章 神の楽しみ

神はイスラエルの民に対し、彼らをあがない、回復するとの確かな約束をお与えになりました。しかしこの約束とそれに伴う素晴らしい祝福は何もイスラエルの民にのみ限られたものではありません。主はすべての国民がみな神の民となることを望んでおられます。信者たちは、イザヤ五五章をただ信者にのみ語られた言葉としてしばしば読んできました。しかし神はイスラエルの民を一つの特別な働き――世界の国々に神を示す働き――へと導き帰されるのです。神がお与えになられたこの任命を注意深く読むとき、その包括性に気付きます。

パレスチナは水資源が限られていました。ヨルダン川以外には、年間を通じて流れている川は他にほとんどありませんでした。したがって人々は、エルサレムの「ギホンの泉」のような幾つかの泉や、短い雨期に蓄えられる貯水池の水に依存していました。しかし神は、「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい」(イザヤ五五ノ一)と招いておられるのです。収穫から次の収穫までやっとのことで生計を立てている貧困者がほとんどという世界では、金銭を持たない者に対して与えられた「来て、買い求め、食べよ」という招きは想像に絶するものであったに違いありません。

彼らは豊かな糧を「喜ぶ」ことができるのです。預言者はこの「喜び」の思想を次の数章の中で拡大して述べています。しかし神が念頭に置いておられるのは、字義通りの「糧」以上のものです。「なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか」(二節)。主はダビデと結んだ契約を超える「とこしえの契約」を結びたいと磨んでおられるのです(三節、サムエル下七ノ八~一六、二三ノ五、列王記上八ノ二三~二六、詩編八九ノ二七~三七参照のこと)。最初の「ダビデ契約」は、ただダビデとの間で結ばれたものでしたが、今やこの契約がすべての神の民に広く適用されるのです。

ダビデは神の証人でしたが(イザヤ五五ノ三、四)、回復されたイスラエルはダビデよりも更に強力な証人となるのです。「今、あなたは知らなかった国に呼びかける。あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。あなたの神である主 あなたに輝きを与えられる イスラエルの聖なる神のゆえに」(五節)。この言葉はダビデが詩編一八ノ四四、四五で自身に関して述べた「わたしの知らぬ民もわたしに仕え……敵の民は憐れみを乞う」という言葉を反映しています。今や国々は馳せ参じるのです。恐れからではなく、喜びを抱いてやって来るのです。後に続く章に於いて預言者は、知らなかった国々の民が神の民に加わるというこの主題を継続しています。

このような約束は自動的に果たされるものではありません。約束が実現されるには応答が必要です。神の民は主が与えようとし続けておられるうちに主を尋ね求めなければなりません(イザヤ五五ノ六。悪を行なう者は主に立ち帰り、主の豊かな憐れみと赦しを受け入れなければなりません(七節)。十字架で明らかにされた永遠の愛についての新約聖書の教えになじんでいるクリスチャンは、旧約聖書の時代の人々にとって(異文化の現代人にも)神の賜物がいかに度を越した、徹底したものに思えたに違いないことをほとんど理解していません。人生が公平であるためには、悪は必ずその代償を受けねばならないことは人間の正義が当然要求することです。自分の娘を強姦し殺害した人を赦すことなどどうしてできましょうか。大量虐殺やテロ行為をした人々を赦すことができるでしょうか。たとえ彼らがわれわれに赦しを乞うたとしても、彼らに赦しを与えることが果たしてできるでしょうか。彼らは何らかの苦しみを受けるべきだと正義は要求するように思えます。有罪判決を受けた者が赦しを求めたというだけで、刑罰を撤回するような法廷が果たしてあるでしょうか。しかし神はそれがおできになるのです。

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり

わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。

天が地を高く超えているように

わたしの道は、あなたたちの道を

わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている」

(八、九節)。

古代世界の神々は、超能力を持つ人間の域を超えてはいませんでした。彼らは人間と同じような性格や行動を示し、憎悪、残忍、恨み、嫉妬、不誠実など人間と同じ欠点を持っていました。しかし、イスラエルの神は彼らとは全く異なる神でした。イスラエルの神は、「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う」お方でした(出エジプト三四ノ六、七)。

既に繰り返し見て来たように、神は世界のみならず、歴史の創造者でもあられるお方です。雨や雪が大地に命や養分をもたらさないまま、むなしく天に戻ることはないように、神の言葉も、神が望むことを成し遂げるまでは、むなしくは、神のもとに戻らないのです。(興味深いことに、新約聖書では神の救いをもたらすイエスのことを、しばしば「言」として描いています。たとえばヨハネ一ノ一及び黙示録一九ノ一三参照。)しかし、もし神の民が神のもとに立ち帰るならば、その時には彼らは歓声をあげ喜びながら家路につくのです(イザヤ五五ノ一二)。彼らが国に導き帰されるばかりでなく、土地も回復され、茨に代わって糸杉が、おどろに代わってミルトスが生えるのです。

「これは、主に対する記念となり、しるしとなる。

それはとこしえに消し去られることがない」(一三節)。

安息日――神の民のしるし

イザヤ書の後半で安息日について二回論じられています(イザヤ五六ノ二、四、五八ノ一三)。二ケ所とも安息日遵守は神に忠実に従う者にとって、不可欠な生き方として提示されています。安息日と神の民の概念を聖書は多くの方法を用いて、創造という貨幣の裏と表のような密接な関係を持つものとして描いています。つまり一方について言及されている箇所では、しばしばもう一方についても言及されているのです。

創世記は安息日を、すべての民の始まりである、最初の人間の創造と結び付けています(創世記一ノ一~二ノ三)。出エジプト後、神はかつてのヘブライの奴隷たちに、特別な民としての自覚を徐々に教え込む必要がありました。先ず、彼らは荒漠たる荒れ野をさまよっていた時、ナイル河畔で食べなれていたおいしい食物を懐かしく思う誘惑と闘いました。神が彼らを養ってくださるという確信を彼らに与えるために、神は週ごとにマナの奇跡をお始めになりました(出エジプト一六ノ一三~三六)。マナは一週のうち六日間降りました。六日目にはいつもの量の二倍与えられ、安息日には全然降りませんでした。マナの規則に従って安息日を休むことが、神を彼らの主として受け入れ、自分たちが神の民であることを示す信仰のテストとなりました。

次に神はヘブライ人をシナイ山に導かれ、その場所で彼らが「祭司の王国、聖なる国民」(出エジプト一九ノ六)であると宣言なさいました。シナイ山から神は十戒をお語りになりました。十戒の序文として、神は彼らが今やシナイを目の前にする平原に立ち得るのは、ひとえに神が彼らを奴隷の束縛から助け出されたからに他ならない、とお告げになりました。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト二〇ノ二)。彼らはひとえに神の行為のおかげで、紛れもなく自由な国民となり得たのでした。

しかし彼らは他から孤立した民となるべきではありませんでした。神は他の国の人々をも含むようにご計画なさいました。その計画は一緒に住む外国人である寄留者たちに対する特別律法に見ることができます。イスラエルの掟は、寄留者たちに対して安息日の休み(出エジプト二〇ノ一〇、二三ノ一二、申命記五ノ一四)、公平な裁判権(申命記一ノ一六)、逃れの町へ逃れる許可(民数記三五ノ一五、ヨシュア二〇ノ九)及び、七週祭(申命記一六ノ一〇、一一、一三、一四)、贖罪日(レビ記一六ノ二九、三〇)、過越祭(出エジプト一二ノ四八、四九、民数記九ノ一四)を含むイスラエルの宗教的祝祭への参加などを認めました。

イスラエルと同様、寄留者たちも血を食べること(レビ記一七ノ一〇)、主の御名を呪うこと(レビ記二四ノ一六)を避けなければなりませんでした。また彼らは、赤毛の雌牛の灰(民数記一九ノ二~一〇)や他の犠牲の献げ物(レビ記一七ノ八、九、二二ノ一八~二〇、民数記一五ノ一四~一六)などに関する規定を守る必要がありました。彼らは罪の赦しを得ることができました(民数記一五ノ二六~三一)。更に彼らは性的、倫理的純潔についての掟を守らなければなりませんでした(レビ記一八ノ二六)。

彼らのための経済支援も計画されました。落ち穂拾い(レビ記一九ノ一〇、二三ノ二二)もできましたし、三年目毎に納められる収穫物の十分の一(申命記二六ノ一二)や安息の年に畑に生じたもの(レビ記二五ノ六)を受けることができました。

寄留者たちの権利と義務は、イスラエル自身のものを反映しています。神の民が約束の地に入った後に、神が彼らと新たに契約を結んだ時でさえ、寄留者たちは会衆の中に含まれていました(ヨシュア八ノ三〇~三五)。しかし彼らがこのような権利を受けたのは、彼ら自らが契約社会と一体となった時だけでした(出エジプト一二ノ四三~四九)。このような掟は、神の民の一員となりたいと望む人々を、民の中に組み入れる道を備えました。主はかつてアブラハムが多くの国民の祝福となるはずだと言われました。彼の子孫は、アブラハム、イサク、ヤコブの神がすべての国民の神となるまで、世界に向けて証をするはずでした。

第四条の掟は、神が最初の人間を創造されたことを彼らに思い起こさせました(出エジプト二〇ノ一一)。この掟は、荒野のさすらいの期間、神が彼らを御自身の民として形成されるに当たって、しばしば表明された一つの主題でした(出エジプト三一ノ一六、一七)。安息日は彼らが新しい民であることの象徴でした。

安息日は神の民を形成する聖書の物語の中で顕著であるばかりでなく、神の民が破壊や合併、離散の脅威に直面した時にはいつでも表面に現れています。例えば、列王記下一一章には、ユダ王国のアハズヤ王の母であり、イスラエル王国のアハズ王とイゼベルとの娘である女王アタルヤが、彼女の息子の死後、ユダヤ王国をいかに強奪しようとしたかについて記されています。彼女は王族をすべて滅ぼそうとしました。しかしアハズヤの姉妹であるヨシュパは、アハズヤの息子ヨアシュをうまく救い出し、彼を六年の間神殿の中に隠しました。七年目に大祭司ヨヤダは、大胆な行動でアタルヤを権力の座から引き降ろし、代わってヨアシュを王座に就けました。勇敢な行動は安息日に実行されました(列王記下一一ノ五~九)。アタルヤが処刑されて後、ヨヤダは、「主と王と民の間に、主の民となる契約を結び」ました(一七節)。

安息日における警備の交代によってヨヤダは、直接的な嫌疑をかけられることなく、神殿の警備をすべて召集することができました。安息日への言及も、これでおしまいにすることもできました。しかし聖書は何事についてもさほど事細かに述べることはめったにありません。聖書の文体の特徴は簡潔であることであり、著者が重要であると考えたものだけが具体的に述べられているのです。従って、最初は些細なことのように思えることでも、聖書が述べている場合には、それに対して特別な注意を払うべきです。そこに書き残されている理由があるからです。聖書は要点を明らかにするものだけを含んでいるのです。列王記下の著者は、この勇敢な行動を、それがどの日に行われたかについて言及しないまま描くこともできました。しかし、神と民との間に結ばれた契約と並行して安息日について述べることによって、著者は、読者の注意をシナイでの経験に向けようとしているのです。アタルヤの行動によってほとんど破壊されてしまった民が、今や再構築され、神との関係に引き戻されたのです。

アモス八章は、物質中心主義と経済的荒廃が北王国に蔓延していたと報告しています。金もうけを願って商売をするために、彼らは安息日が終わるのを待ち切れない様子でした。聖書は、安息日によって象徴されている、神及び他の人々と互いに結んだイスラエルの契約を、神の民をバラバラに引き裂く自己破壊的な行動と対比しています。

バビロンの軍隊によるエルサレム滅亡の直前に、預言者エレミヤは安息日の順守を強調しました(エレミヤ一七ノ一九~二七)。ユダ王国は一つの国家とし、また一つの民として壊滅の危機に直面していました。もし彼らが安息日を順守しさえすれば、エルサレムはとこしえに人が住む場所となるはずでした(二四~二六節)。しかし彼らは預言者の言葉に耳を傾けることを拒み、「彼らはうなじを固くして、聞き従わず、諭しを受け入れようとしなかった」(二三節)のでした。

安息日への言及は、捕囚の期間とその後に於いてもなされています。安息日についてのイザヤの言及について探る前に、神の民であることの不動の証明と安息日との密接な関係について、引き続き聖書の他の箇所から調べてみましょう。エゼキエル書の中で、神は御自身がイスラエルを捕囚から連れ出し、回復するとの宣言をなさる前に、神の民の歴史を描写なさいました(エゼキエル二〇章)。神は二度にわたり、安息日が神と神の民である彼らとの間のしるしであるとお告げになりました(エゼキエル二〇ノ一二、二〇)。

捕囚の民のある者たちがバビロンから実際に帰還する時、安息日は再び浮上します。ネヘミヤがエルサレムにおける民の宗教生活の旗印を鮮明にしようと回復に着手しているとき、彼は住民たちが周囲の人々と手を組んで、安息日を通常の日と同じ商売の日として働いているのに気付きます(ネヘミヤ一三ノ一五~二二)。聖句には、魚をはじめあらゆる種類の商品を持ち込み、安息日を商売の日としている異民族の名――ティルス人――も具体的に書かれています(一六節)。

この出来事の背景には、エルサレムの民を脅かす異民族の文化との同化という危険が存在していました。異民族が市中や神殿の中にさえ入り込んでいます(一~九節)。大祭司の息子の一人も含め多くの神の民が、異民族の妻と結婚していました(二三~三〇節)。彼らの子供たちはそれぞれの民族の言葉を話し、父の言葉を話すことさえできませんでした。ネヘミヤは、安息日こそ自分たちが神の民であることと、神に忠実であることとを示すしるしである、と強調しました。

神の預言者たちは旧約聖書の中で、神の民を一つに結び付け、彼らのアイデンティティを保つ方法として安息日を強調しました。多くの人々は安息日順守を無視したり、拒否したりしました。ところが捕囚後、ある人々は、もう一方の極端へと移行したのです。彼らは安息日を非常な厳格さで順守し、新約時代となる頃には、イスラエルを他民族から孤立させる障壁となるまでに安息日を変容させていました。イザヤ書全巻を通じ、神は異民族もイスラエルに加えられると約束なさいました。イエスの時代となる頃までに、一部の宗派は安息日を排他主義の象徴としてしまいました。安息日が重荷となってしまったのでした。イエスが安息日に奇跡を行われたのは、異民族が神の民に加わることができないようにしているあらゆる罠を取り除こうとなさったからでした。イザヤ書にあるように神が目指しておられることは、すべての国民を神の民とするということです。

イザヤ書における安息日

イザヤ書にある安息日に関する二つの聖句は、主要な二つの文脈の中で表れてきます。最初は、礼拝、つまり、宇宙の創造者と人類との関係を認め、神の力、自然、及び神の御業に対して人間が応答するという文脈です。次は、回復という文脈です。安息日の聖句は、明らかに四つの区分に分けられているイザヤ書の後半の章にも表れてきます。この部分では全体として、世界的な「安息日の民」(イザヤ五六ノ一~八)がイスラエルの現実の状況(五六ノ九~五七ノ二一)と対比されています。イザヤ五八ノ一~四には、安息日を中心にした生活こそ神の民に対して神が望まれる生き方であるという主題が提示されていますが、民はまだその目標に到達してはいないと、預言者は告白します(五九ノ一~一五)。イザヤ書は理想的な空理空論に安住してはいません。神の崇高な目標が描かれている一方では、それを実現するには先ず、神の民が造り変えられなければならないとも記されています。宇宙を創造できる神は(安息日は創造の記念)、神の民を再創造できる(安息日は再創造の記念でもある)お方なのです。

旧約聖書の預言者たちが主に強調したことは、正義と倫理的人間関係でした。預言者たちは、将来に起ることよりも、われわれが他人に対しいかに振る舞うべきかということの方により大きな関心を抱いていました。彼らは終末の諸事件よりも、経済的、社会的な人間関係についてより多く語りました。イザヤは、「正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し わたしの恵みの業が現れるのは間近い」(イザヤ五六ノ一)と神の民に訴えておられる主からのメッセージを記しています。

神への真の献身には、他の人々に対して正義を行うことが含まれています。正義を行う人々は神の祝福を受けます。特に安息日を尊ぶ人々はそうです(二節)。安息日は神と神の民との間に結ばれた契約の特別な象徴でした(出エジプト三一ノ一三~一七、エレミヤ一七ノ二一~二七、エゼキエル二〇ノ二〇、二一)。安息日を尊ぶことは、神を尊ぶことであり、神がどのようなお方であり、神の民のために神が何をなさってくださったかを認めることに他なりません。安息日の礼拝は、神に対する人間の献身の表明でした。

モティヤーは次のように注解しています。「ある学者たちは、ネヘミヤ一〇ノ三二と一三ノ一五に言及し、この安息日の強調を捕囚後の時代の証拠とみなした。しかしイザヤ一ノ一三とアモス八ノ五は、捕囚以前の時代においてもいかに時間に厳しく安息日順守が行われていたかを示している。エゼキエル二〇ノ一二、二二ノ八、二六は、安息日を汚すことを、捕囚以前の時代での罪として譴責しており、またエレミヤ一七ノ一九~二七は、安息日順守を主に対する服従のテストと位置づけている。イザヤ書も同じ点を指摘している。安息日を受け入れるとは、聖別された一日の原則を組み入れるために、生活のすべてを再構成するということである。安息日はまた御自身の契約の民(出エジプト三一ノ一六)に対してなされた、主の安息に入るようにという主の招きでもある(出エジプト二三ノ一二、三一ノ一七)。主が聖別された民に属しているという、安息日順守以上に明確な証は他にあり得ない」1

預言者は、安息日が信者の生活の中にいかに作用するかについて、二つの具体的な実例をあげています。即ち、異邦人と宦官です。歴史を通じて、一つの団体の外で生まれた者が、その団体によって受け入れられるということは困難なことです。宦官はイスラエルの中で、二流の市民とみなされていました。主の会衆に加わることはできませんでしたし(申命記二三ノ二)、イスラエルの子孫として名前を残すこともできませんでした。しかし、神は次のように宣言なさいます。「主のもとに集って来た異邦人は言うな 主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな 見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」(イザヤ五六ノ三)。

安息日を守り、神がお喜びになることをなす宦官は、実の子らに勝る記念碑が与えられます。主は宦官も異邦人も共に神の聖なる山に導き行かれ、彼らは、「わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なること」(七節)が許されるのです。神は契約社会の中で生まれた民によってささげられた、ある種のいけにえや献げ物は拒まれましたが(イザヤ一ノ一一~一五)、彼らの物はお受けになるのです。彼らは神と直接話すことができるのです(伝道者フィリポはエチオピアの宦官に、特にこの聖句を示したでしょうか?)。

多くのイスラエル人は、周囲の異教徒と同じく、神殿を単に宗教的祭儀を行なう場所としてしか考えていませんでした。しかし神は神殿がすべての民の祈りの場所となるようにと常に望んでおられました。神殿修復の時にそのようになるはずでした。神は捕囚の民を帰還させるばかりでなく、御自身の民に対する計画を遂に実現するはずでした。その共同体は増え続け、遂には全人類を包含するものとなるはずでした。「追い散らされたイスラエルを集める方 主なる神は言われる 既に集められた者に、更に加えて集めよう、と」(イザヤ五六ノ八)。

安息日に関する第二の議論はイザヤ書五八章に出て来ます。そこでは偽わりと真の礼拝に関して論議されています。真の礼拝とは、通常神殿もしくは教会で行なわれていることよりももっと広い概念です。それはわれわれの生き方すべてを包含するものなのです。

神は、イスラエルの背きを告げよ、とイザヤにお命じになられます(イザヤ五八ノ一)。しかし彼らの背きは巧妙なものです。彼らは自分たちが神に全く従っているのだと本当に信じていました。「恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として」(二節)彼らは日々神を尋ね求めるのです。神の民は、彼らが神の道を知ることを「喜び」、神に近づいていると考えます。しかし彼らは自らをたぶらかしているに過ぎません。主は彼らの無意味な宗教生活の一つの実例――断食――を選ばれます。断食は、イスラエルの民以外には、古代近東地域では一般的に行なわれていませんでした。彼らは彼らの宗教的状態について自らをだましていたかもしれませんが、それでも何かが間違っているという思いは持っていました。神は、彼らが神にして欲しいと期待する程、注目してはおられません。「何故あなたはわたしたちの断食を顧みず 苦行しても認めてくださらなかったのか」(三節)。

主はそれに対し、そっけなくお答えになられます。「見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし お前たちのために労する人々を追い使う」と(三節)。彼らの宗教は神殿の中だけのもので、日常生活にまでは及んでいないのです。彼らは宗教的儀式を行なった手で他人の物を奪い取るのです。(経済的搾取は決して新しいものではありません。)真の宗教とは祭儀に終始するものではなく、他人に対してわれわれがいかに振舞うかを問うものなのです(ヤコブ一ノ二七参照)。多くの神の民は忠実に断食をし、一旦礼拝の場所を離れると、人々を虐待する。「お前たちが今しているような断食によっては お前たちの声が天で聞かれることはない」(イザヤ五八ノ四)。

彼らの断食の様子を描いた後で、神は真の断食とは何かについて説明なさいます(六、七、九、一〇節)。真の断食とは苦行することではなく、他人にやさしくすることです。聖書の宗教は、個人よりむしろ社会的関係の方に重点を置きます。主が神の民に望んでおられる断食とは、彼らの中から不義をなくし、虐げられた人を解放し、飢えた人に糧を与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、うわさ話や中傷を止めることです。(ハムラビ法典の条文には、九節にもある「指を指すこと」は、公然たる非難の一部である、としている。)主が望まれる断食は、また同胞に対する責任を回避しません(七節)。もし彼らがこのことをすべて行なうならば、その時神は彼らの願いをお聞きくださるのです(九~一二節)。

イスラエルの断食は主に受け入れられないものでした。なぜなら神の民は自己中心的にそれを行なっていたからです。同じ原則が安息日の掟の背後にも存在しています。彼らが自分勝手な道を歩み、自分の利益を追求し、自分のしたいことをしている限り、安息日を喜びの日と呼ぶことはできません(一三節)。しかしもし彼らが自分に真の喜びをもたらすような方法で安息日を守るならば、それが主を喜びとすることになり、そのとき主が与えようと望まれるものをもって彼らに栄誉と祝福を与えることがおできになるのです(一四節)。神との関係をもっていると考えながら、一方で他者との関係を避けようとする宗教を神は断罪なさるのです。2

「神を利用する手段のためや、秘めた動機を持っていては安息日を順守しているとは言えない。創造における神の威厳に満ちた言葉(出エジプト二〇ノ一一)や救いの言葉(申命記五ノ一五)に人の注意を集中することによって、人はその日を祝うのである。神を喜ぶような礼拝を行なう時はじめて、神の忠実な民による安息日順守が喜びとなるのである。神を喜ぶとは、飢えたものに糧を与え、貧しい人を助けよという要求に忠実に応答することと全く同じことなのである。」3

安息日は、神の民を造り変えるとともに、彼らが世界のすべての民を招き入れるまで拡大するに必要な条件をも備えてくれます。

安息日がイザヤ書の不可欠な部分であるので、安息日について述べているイザヤ書のこれらの章にある聖句を黙示録が暗示的に使用していることから、新約聖書の読者は、たとえ明らかにその出所が述べられていなくても、より大きな文脈を思い起こす必要に気付くのです。言外の意味によって新約聖書の読者は、安息日が旧約聖書の筋書きにおいて果たしたごとく、それが善と悪との最後の宇宙的な大争闘においても一役を担うものであることが分かるのです。こうして黙示録は、安息日が再び確立された神の民を証明する基本的な象徴となるであろうと告げているのです。

参考文献

1.        J.A.Motyer, 「Isaiah: An Introduction and Commentary」pp.350, 351. B.S.Childsのコメントも参考のこと。「捕囚以後の時代において、政治的自治権のない制約の下で、神に対する服従を表現する手段としての安息日順守の重要性が強調されたことは事実である。……これらの命令は、当初のモーセの契約の基礎となっていた神の不変の意思の具体的な表現であり、キリスト教の律法無用論者たちによってしばしば非難されてきたように、狭量な律法主義への転落を意味するものではない」。(B.S.Childs, Isaiah, p.458)

2.        Motyer, p.360 3. Childs, p.481

*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の書籍編集長ジェラルド・ウィーラー(英Gerald Wheeler)著、2004年3月15日発行『悲しみの人 イザヤ書における神と救い』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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