土曜日を聖日とすることに対する反論
その1 主が復活された週の初めの日(日曜日)がクリスチャンの守るべき聖日である。
- 新約聖書にはクリスチャンは主の復活を記念して週の初めの日に礼拝したことが記されているのではありませんか?
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クリスチャンの守るべき礼拝日が第七日安息日から週の初めの日に変更されたとすればそのような重大な変更は当然聖書に記されているはずだと考えられます。
その例として、よく挙げられる聖書の箇所が3つありますので、それらを聖書から直接吟味してみることが大切です。
- パウロがトロアスに7日間滞在したのち、「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた」(使徒20:7)とありますが、日曜日に人々は聖餐式をし、パウロの説教を聴くために集まっていたのではありませんか?
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これを習慣的な日曜礼拝の証拠とするのはいくつかの理由から難しいようです。まず「ともしびがたくさんともしてあった」(8節)夜の集会についてですが、この集まりがまず何曜日に開かれたかに関して註解書によって意見が分かれています。
著者のルカが日没から日没までを一日とするユダヤ式の日の数え方(創世記1:5,レビ23:32)をしたか、真夜中から真夜中までのローマ式の数え方をしたかによって違ってきます。ユダヤ式によれば初めの日が始まるのは土曜日の日没からですし、ローマ式では日曜日の真夜中になります。
前者であればこの集会は土曜日の夜中から日曜の明け方にかけて、後者なら日曜の夜中から月曜の明け方にかけて開かれたことになります。「パンを裂く」という表現は聖餐式を意味することもありますが、食事の表現としても用いられます(マタイ14:19,15:36,マルコ8:6)。
聖餐式を夜中に行うというのは不自然ですので、翌朝早く船旅に出るパウロとの別れの食事会とするのが妥当でしょう。
夜中まで話が長引き青年の一人が3階の窓から眠り込んで落ちてしまいます。その青年を抱き起こし、「また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した」(使徒20:11)とありますが、不慮の出来事が起きたためかパウロが結局一人で食べたのか、いづれにしてもぶどう酒や祈りといった聖餐式に関連した記述は何もありません。
これは1回限りの特別な集会であり、これをもって習慣的な日曜礼拝の根拠とするのは無理のようです。
- パウロがコリントの教会員に「私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい」(Ⅰコリント16:2)と書きましたが、これは日曜日にコリントの教会員が礼拝献金を捧げていた証拠ではありませんか?
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これはクリスチャンが日曜日に聖日礼拝をしていた聖書的根拠としてよく用いられる聖句です。
パウロが日曜毎に献金を用意し捧げるように勧めているように思えるからです。しかし注意深く聖書を読んでみると、それは新約聖書時代以後に発達した習慣を聖書の中に読み込んでいるに過ぎないことがわかります。
まず第一にこの聖句は週の初めの日が聖なる日だとは何も言っていませんし、教会にその日に献金を携えて出席することも言っていません。パウロは飢饉で苦しむユダヤの弟子たちを助けることを第3次伝道旅行の一つの目的にしていました(使徒11:29,30)。
そこでガラテヤの諸教会に命じたように、コリントの教会員もパウロが到着してから献金を考えるのではなく、収入に応じて、日頃から教会ではなく自宅で「手もと」に蓄えておくように勧めているのです。
週の初めの日が指定されたのは、1週間の生活を始める前に献金を優先的に別にしておいて、使ってしまわないようにするためと思われます。
計画的な献金の勧めの聖句にはふさわしいみ言葉ですが、これを礼拝の日の変更の根拠とするには無理があります。
- 使徒ヨハネはパトモス島において「私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた」(黙示録1:10)と書いていますが、これは主の復活の日曜日のことではないのですか?
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これを日曜日と解釈している註解書が多いのですが、前後関係からそのことを導き出すことはできません。
確かに後世になりますと「主の日」が日曜日を指すようになりますが、黙示録が書かれた1世紀後半はどうであったか確かな証拠はありません。
もしそうであったとすれば、黙示録より後から書かれたと思われるヨハネの福音書が復活の日を、知られていたはずの「主の日」でなく、いつもただ「週の初めの日」としか呼ばないのは解せません。
旧約聖書において「主の日」は終末的な裁きの日を表す表現であるところから(イザヤ2:12,アモス5:18〜20,ヨエル2:11)、ヨハネは未来の「主の日」に移されてそこで幻を示されたという解釈もありますが、10節以降7つの教会について記しているので終末の裁きの「主の日」というより、ただ幻を示された場所(パトモス)と日のことを言っていると解釈するのが妥当でしょう。
もう一つの解釈は、当時のクリスチャンたちが過越と主の復活を年毎に祝っていた(Iコリント5:7,8)そのことを指すのではないかというものです。
初穂が捧げられた日に主が復活された、そのことがIコリント15章20節の「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」という言葉の背景にあると考えられます。今のイースターがその日に該当するという解釈です。
4番目の解釈は、イザヤ58章13節は安息日を「主の聖日」と呼び、キリストご自身も「安息日の主」(マルコ2:28)とご自分を呼ばれたことから、この日は第七日の安息日を指すのだというものです。
『ヨハネの言行録』という外典には「主の日である安息日に」という表現がありますが、結論として黙示録の「主の日」が日曜日を指すと聖書から結論付けるには十分な根拠がないということです。
いずれにしても、この聖句を用いて新約聖書時代に日曜日が聖日として守られていた裏付けとすることはできません。
以上見てきた通り、キリストと使徒たちの言葉から、週の「はじめの日」を聖日とする根拠を見いだすことはできません。