祈りの7つの鍵

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自分の意志を神にささげる【祈りの7つの鍵】#3

どのようにささげるのか

祈りの生活の7つの鍵、2つめは、「自分自身の意志を神にささげる」です。

ローマ人への手紙8章6節には、次のようにあります。

肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。ローマ人への手紙8章6節(口語訳)

聖書は霊に支配されている思いは、いのちと平安であるといっています。では、どのようにして、聖霊をとおして、キリストにわたしたちの人生を支配していただくようになれるのでしょうか。

「私はどうすれば神に自らをささげることができるでしょう」と、尋ねる人が多くあります。そして、自分を神にささげたいと望んでいながら、道徳的力が弱く、疑惑の奴隷となり、罪の生活の習慣に支配されています。

どんな約束も決心も、砂のなわのように弱く、自分では自分の思想、衝動、愛情を制することができません。こうして約束を破り、誓いを裏切って自分の誠実さに自信が持てなくなり、神は自分を受け入れてくださらないのではないかと思うようになります。

しかし絶望するには及びません。ただ必要なのは、本当の意志の力とは何であるかを知ることです。意志とは人の性質を支配している力、決断力、選択の力です。すべてはただ意志の正しい行動にかかっているのです。神は人間に選択の力をお与えになりました。

つまり、人がそれを用いるようにお与えになったのです。私たちは自分の心を変えたり、また自分で愛情を神にささげることはできません。

けれども、神に仕えようと選ぶことはできます。意志は、神にささげることができます。そうすれば、神は私たちのうちにお働きになって、神の喜ばれるように望み、また行うようにしてくださいます。

こうして性質は全くキリストの霊に支配されるようになり、キリストが愛情の中心となり、思想もまた彼と一致するようになります。

エレン・ホワイト『キリストへの道』献身

毎朝起きて、自分自身を神にささげましょう。そして、「主よ、わたしの意志をささげます」と祈りましょう。

隠れた葛藤

自分自身で克服できない隠れた罪や悪癖、習慣を持っている方はいませんか?

それをすべて祈り委ねるのです。新年の抱負のように自分の意志の力を使って克服または達成しようとしているのなら、失敗してしまいますが、この原則はそれとは異なります。

毎朝、神に自分の意志をささげることに意味があります。わたしたちにできる唯一の選択、それは神に意志をささげ、霊とともに協働し、日ごとにわたしたちの人生にはたきかけることを祈り願うのです。

では、わたしたちが自身の意志を神にささげるということは、どのようなことでしょうか。

もし、わたしが、自分の意志を神にささげたくないという思いを持っていたら、どうなるのでしょうか。または、わたしが間違った動機をもっていたり、自分の罪や悪癖、習慣を愛し、それをやめたくなかったらどうなるのでしょうか?

「祝福の山」からの引用を見てみましょう。

意志が、神の意志の側に置かれなければならない。あなたは、自分の力では、あなたの目的や願望や傾向を、神の意志に従わせることはできない。しかし、もしあなたが、「喜んでそうする者とされることにこころよく同意する」ならば、神はあなたのためにわざをなしとげられ、「神の知恵に逆って立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにして、キリストに服従させ」るのである。

エレン・ホワイト『祝福の山』さばかずに行え

つまり、わたしたちは聖霊の助けなしには自分の意志を神に明け渡すことはできません。だからこそ、わたしたちは神のもとにきて、こう祈りましょう。

「主よどうぞ、あなたに心から意志をささげられるようにして下さい。主よ、わたしはこの罪を愛していますが、それを憎むようにしてください。この悪癖を憎むようにしてください。わたしの心を変えてください。わたしにそう願うことを願わせてください」

もし、あなたが、人生のうちで何か苦しんでいるのなら、それも神に委ねて下さい。

「主よどうぞ、あなたに心から意志をささげられるようにして下さい。わたしにそう願うことを願わせてください」と祈りましょう。

この祈りは、わたしたちの祈りの生活においての基盤となります。わたしたちは時に、本当は心の中でもがいているにも関わらず、「元気です、大丈夫です」と言って、平気を装うことがあります。

神に対しても本心を見せないことだってあるかもしれません。

だからこそ、祈る必要があるのです。

「主よ、これがわたしの苦しみです。これがわたしの問題です。ですから、主よどうぞ、わたしの心からの意志をささげられるようにして下さい。その願いを心のうちに授けて下さい」と。

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