マルコ【イエス・キリストの福音】#4

目次

第9章 神殿にて対峙されるメシア(マルコによる福音書11章27節~12章44節)

11章から13章の中に、マルコは主イエスの最後の御教えを記録しております。ここは二つの部分に分けることができます。すなわち、公衆を対象とした11章27節から12章44節までの部分と、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレに対する個人的御教えの部分である13章1節から37節までの二つの部分です。すでに指摘しましたように、この福音書記者は一般的には、主イエスの御業に焦点を合わせていて、その御教えについてはわずかしか記述しておりませんので、マルコによる福音書におけるこの部分の研究は、特に注意深くなければならないし、しかも徹底的であることが求められていると考えます。本章では主イエスが与えられた公衆への御教えを取り上げてみます。そして個人的御教えについては次章で扱うことにいたします。

11章27節から12章44節までの全体を通じて、主イエスの御教えの背景には常に、敵対、陰謀、そして仕掛けられた罠とがあります。既成の宗教社会の構成分子である大祭司や長老たち、ファリサイ人たち、サドカイ人たち、また律法学者たちなどからの、種々の分子が次々とやってきて主を罠にかける問いかけをいたします。真実に御神を求め、真理を求める質問ではなく、へつらいをほのめかしていた時でさえ、その本音は、敵対する精神と心情からのものでした。

主イエスは泰然自若として、それぞれの戦いに対峙いたしました。彼らの敵意に満ちた問いかけの背後にある動機を暴露しながら、主イエスは彼らのもったいぶった偽善的言葉使いや行為を根源にまで肉薄して切り刻まれます。その戦いでは、一度たりとも防衛的になられることはなく常に支配的です。自分たちで仕掛けた罠に自ら陥ってしまう批評家たちを、主イエスは串刺しにされただけではありません。主はその機会を利用して、批評する者たちのみならず聞いているすべての者たちに、御自身とその使命とに目を向けさせるような、新しい主題を導入されたのです。

主イエスの生前の御働きの最後の週、受難週の恐らくはその火曜日のこと、公衆における御教えの中で、主は常にその背後に神殿ということを念頭に入れておられたのを見ます。マルコは、起こった出来事の重要性もさることながら、それよりも、主イエスが意図しておられた重要性にわたしどもの関心を喚起するような方法でもって、継続的に神殿のことを思い起こさせております。次の例を見てください。すなわち、

マルコ11の11……勝利の入城は単にエルサレムにではなく、その神殿に

マルコ11の15……主は神殿を清められる

マルコ11の27……主の最後の公衆説教は神殿で

マルコ12の35……主は神殿の境内で教える

マルコ12の41……主は神殿の賽銭箱の向かいに座す

マルコ13の1……主は神殿を去られる

神殿に言及されていることの背後にはいったい何があるのでしょうか? メシアは御自身の宮に来られたのですが、しかし、主はそこが敵意に満ちた場であることを見ます。そしてあらゆる陰謀が主を抹殺するため渦巻いている場でありました。神殿は宗教組織の実を結ぶ中心となっているべきでしたが、しかしその中での儀式には霊性がすでに消え去り、御神を喜ばせることより不正な利得の方が大いに大切になっている状況です。メシアが御自身の神殿に来られた時には、それはただ単にメシアが宮におられるということではありませんでした。実にそれは、神殿にて対峙されるメシアとなられたのです。

神殿そのものにとっては、この最後のしかも運命的なその日、そして恵みの最後の日であったその日に、何が生起していたのか、その出来事を、わたしたちは順を追って辿ってみたいと思います。その後マルコは、神殿については2度言及するだけです。一度は、主イエスの受ける裁判の場での偽りの証言の中での言葉、「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました」(マルコ14の58)。それからもう一つは、含蓄のある簡単な言葉で、神殿がその中心であった古い宗教制度の終わりを叙述しております。「しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(マルコ15の37、38)と。

宗教的位階制度からの挑戦

主イエスが神殿に到着するや否や一番最初に、主に挑戦してきたのは、指導者たちのグループです。「イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たち」(11の27)がやって来ました。彼らが挑戦したことは、主がなしておられることの是非ではありません。主の行為の権威を問題としたのです。

「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか」(28節)と。疑いもなく、彼らの心にあったのは、主が宮から商人や両替人たちを追い出した、あの前日の出来事のことです。

指導者たちのこの種の挑戦は、各時代に反響しております。すなわち宗教制度の役人たちが、真理かどうかや正しいかどうかということより、それ以上に、制度それ自体を優先に据えるときにはいつでも起こってきた挑戦です。これは遠く遡って、神がテコアの羊飼いであったアモスを召され、サマリアに行って、ベテルでの子牛礼拝をいさめるようにとのメッセージを与えられたときの旧約聖書の記録にもその例を見ることができます。ベテルの祭司であったアマツヤは、神に召され立てられたその預言者アモスを脅そうとしております。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから」(アモス7の12、13)と。

しかし、アモスは、彼を元の生活の場に戻そうとする脅しによっておじけづくことはありませんでした。同様に、主イエスも手を引くことはありませんでした。権威筋からの質問に、主は逆に問うておられます。「では一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい」(11の29、30)。

それは決して言い逃れ的な応答ではありませんでした。主イエスの質問に対する答えの中に、指導者たちの質問への答えがある形なのです。主イエスとバプテスマのヨハネの両者の背後におられた御方は御神でありました。両者は共に御神の指示で語りました。そして主イエスとヨハネは、ただに神の御心を伝えるメッセンジャーであるばかりではなく、両者は使命において共に関係し合っていて、ヨハネはメシアの先駆者、そして主はそのメシア御自身であられました。それゆえ、マルコによる福音書は主イエスの御働きではなく、洗礼者ヨハネのそれで始めているのです(マルコ1の2~13)。

主イエスはその逆の質問によって、ヨハネに関する、その当時の指導者たちの本当の考えを白状するようにと挑戦したのです。そしてその時点で、その質問は彼らを難しい立場に追い込んだのです。もしも、彼らがヨハネは神からであったと言えば、主イエスをも神からの召しであると認めざるを得なくなるのです。しかし、もし、ヨハネは神からの召しではないと公の場で宣言すれば、どうなるか。その戦いは神殿の庭で戦われていて、衆人監視の中で他の人々が聞いている場でなされていましたので、それはヨハネを預言者と見ている民衆の怒りを招く恐れがあったのです。

もちろん、指導者階級はヨハネも主イエスも退けておりました。自己義認と威厳を誇示する上着を身にまとっている彼らにとっては、その霊的優越性への挑戦には耐えることができません。しかし政略的に、自分たちの確信を公にすることは得策ではないと考えて、主イエスの逆質問への答えを回避し、「分からない」(11の33)と答えたのです。

そこで主は言われます。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」と(33節)。結果的には次のようになるのです。あなたがたは自分たちの答えを持っています。あなたがたはヨハネを受け入れませんでした。従って、今やあなたがたは、わたしをも拒絶するのですと。

「わかりません」。わかるようになるまで、いったいどれほどもっと多くの事実、どれほどもっと多くの奇跡、どれほどもっと多くの御言葉を必要とするのでしょうか? 恐らく彼らを確信させるに十分ということはあり得ないのでしょう。なぜなら、御神に対し彼らはその目を閉じ、その耳をふさいでいるからです。自分自身で織った布で身を包み、真理というよりはむしろ、組織の安全性の中に退却していたのです。

鋭い譬え話

指導者たちは一つの挑戦をもって主イエスと対峙しました。今度は主イエスが彼らの聴いているところで一つの譬えを語られます。群衆はおりましたが(12の12)、すべての人々はその御言葉の鋭い矛先がどこに向いていたかを悟ることができました。すなわちそれは、群集ではなく、むしろ真正面から指導者層にこそ当てられたメッセージであったのです。

主イエスに耳を傾けていた人々は預言者イザヤの中にあるぶどう畑の歌をよく知っておりました。すなわち、

「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために

そのぶどう畑の愛の歌を。

わたしの愛する者は、肥沃な丘に

ぶどう畑を持っていた。

よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。

その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを堀り

良いぶどうが実るのを待った。

しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった」

(イザヤ5の1、2)

主イエスは、このぶどう畑の歌に新しいひねりを与え、語り変えてこれを物語っておられたのでした。イザヤにおいてはその強調点は、イスラエルを象徴していたぶどう畑が実を生み出すことに失敗したという点にありましたが、今やその焦点は、ぶどう畑の小作人、それはイザヤ書にはないのですが、すなわち借地人に移っています。

主イエスの譬えの中では、借地人は無礼に振る舞っております。地主が彼らのところに送った僕たちを、彼らは大変悪しざまに扱い、ある者は打ちたたき、ある者は侮辱し、何人かは殺しさえします。そして、その借地人は地主に収穫を一つも送ってはおりません。

その借地人たちはなぜそのように厚かましく振舞ったのでしょうか? それは、彼らの立場をわきまえなかったからです。彼らは所有者ではなく、単なる借地人でした。彼らは所有権を横取りしたのです。

主イエスの譬えは、宗教指導者たちの心をひどく害しました。そこで彼らは直ちに主イエスを捕縛したかったのです。しかし彼らは群集を恐れました。主イエスの御言葉は要点を突いていたのです。なぜなら、神殿や宗教行事に対する彼らの態度は、まさに借地人たちの態度を反映していたからです。義の実を生産することに失敗していた一方では、彼らは御神こそが神殿における礼拝の対象であり、イスラエルの宗教の目標であることを見失っていたのです。

主イエスの譬え話はその頂点に達します。その所有者には、「愛する息子がいた、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った」(12の6)のです。しかし、その借地人たちは、自己に捕らわれて、真実の事柄に盲目で、敬うどころではなかったのです。それどころか、その息子が来たのを見たとき、相続財産を横取りするための絶好の機会と見たのです。

そこで、「息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった」(8節)のです。物語のレベルでさえ、彼らの応じ方はすさまじいものです。わたしどもの正義感は、借地人たちの不実に憤ります。彼らの自己欺瞞に驚きます。どうしてあのように愚かな行動をしてしまうのかといぶかります。彼らは本当に、人殺しをしてもまんまと逃げおおせると考えることができたのでしょうか?

もしも、借地人たちの行動がわたしたちをこのように驚かせ拒否反応を与えるとするなら、その適応については何と言ったらよいでしょうか? 宗教指導者たちが、神の御子を、ちょうど借地人たちが息子を扱ったようにして、「彼を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった」ということになれば、何たる途方もない愚かさであり、何たる自己欺瞞的な盲目であることでしょうか?

主イエスはこれらの御言葉を火曜日に語られました。三日後には、ときの宗教組織は、まさにそのとおりに、主を捕らえ、そして、エルサレムの町の外で殺したのです。

邪悪な同盟による邪悪な謀

宗教指導者たちは去りました。しかし彼らは謀を継続いたしました。次にマルコは、「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした」(13節)と告げております。

悪の業は、まことに奇妙な仲間作りをします。通常はファリサイ派の人たちとヘロデ派の者たちは、イデオロギー的には両極に位置しており犬猿の仲でありました。しかし、両陣営は共にイエスを憎んでおり、その憎しみという共通の目的の前には、両者の違いは物の数ではないほどであったのです。

彼らは来て、へつらいの言葉遣いでイエスに言いました。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです」(14節)と。

美辞麗句の言葉、しかし不誠実な言葉。その背後には、このようにして油断させておいて、この人が何か不利となるようなことを言うようにさせたいという狙いがありました。それから、全く無害に見えるのですが、しかし作為に満ち満ちていた質問が投げかけられます。「ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」(14節)。

主がどちらに答えられても、彼らが勝利を収めることになるのです。もし主が、「納めるべきではない」と答えられたなら、ヘロデ派の者たちは、ポンテオ・ピラトの元に走って訴え出ることになります。大問題を引き起こすことになります。しかし主がもし、「納めるべきである」と答えられたなら、ファリサイ人たちが彼を断罪することになり、主イエスは憎むべきローマ人の占領に加担しているとして民衆に訴えることになるのです。

ローマ人によって課せられた年毎の税金は、ことの外ユダヤ人たちを怒らせておりました。それがただ単に、ローマ人への彼らの従属性を思い浮かべさせただけではありませんでした。その税金はローマの貨幣で納めなければならなったのですが、一般的貨幣はデナリオン銀貨で、それにはローマ皇帝の肖像が刻まれ、また「神性なるアウグストの子、テベリウス・カエサル、アウグストゥス」、すなわち半神を表徴する印字がありましたので、ユダヤ人にとっては、それは神性冒涜を意味するものでありました。

このような巧妙な装いの下で、困難な状況に主イエスが当面させられたように見えたとき、主は彼らの下心を見抜き、それを切り開くようにして、御自身の敵たちに質問を投げ返して言われます。「なぜ、わたしを試そうとするのか」(15節)。それから主は、デナリオンを持って来て見せるように求められます。主は彼らの憎む肖像が刻まれてある銀貨を持っておりませんでしたが、彼らは持ち歩いていたのです! 何と見せかけだけの敬虔さでしょうか。

こうなると主が彼らを容易にとらえることができるようになります。彼らがそれを持って来ると、主イエスはその銀貨を取り上げて、「これは、だれの肖像と銘か」(16節)と問います。それは、彼らをして自分たちの偽善性を出させるのを余儀なくさせられた瞬間です。「皇帝のものです」と彼らは群集の前できまり悪そうに口ごもりながら答えます。

それから、あの古典的名言が主の御口から発せられます。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(17節)。この言葉によって、主イエスは、国家というものの合法性と、その役割とを確証されたのです。このようにして、主は、当時にあってもまたいつの時代でも、暴力を用いたり、あるいは何らかのその他の手段を用いて、政権を倒したり、神性政治を樹立しようとする者たちから、御自身を分離されたのです。しかし同時に、デナリオン銀貨が示していたような、国家を神聖化するようないかなる運動からも御自身を遠く引き離されたのです。

罠が仕掛けられているもう一つの質問

もう一つの他のグループが主イエスを罠にはめようとして近づいてきました。サドカイ人です。これまでにやって来た批判者たちと同様、どこに触れても滑ってしまいそうな、とっておきの質問を持って彼らはやって来ました。

サドカイ人たちの文書は残されておりませんので、この人々に関して知られていることは限られております。マルコによれば、彼らは死人の復活を否定しています(18節)。またルカによれば、天使や霊の存在も否定していました(使徒言行録23の8)。サドカイ人たちは、「新約聖書の時代における少数派のユダヤ人宗教政治団体で、ユダヤ教一派の中でも、富裕で、貴族的で、リベラルで、世俗的な人たちです。……彼らは、民族の世俗一般のことに深い関心を持っていて、官公吏となることを歓迎し、その人数が持つ力をはるかに超えた影響力を行使していました」①

サドカイ人たちは、いわゆる「律法」、すなわち旧約聖書中の最初の五つの書だけを、霊感を受けた書として受け入れておりました。しかも、大変奇妙に思えるのですが、このような人々が、主イエスの時代、祭司族を形成していたのです。ユダヤ人社会の霊的堕落がどれほど深かったかを伺い見ます! 神殿におけるイスラエル礼拝の指導者層は、この世を超えた世界に心を向けることはなく、今生の事柄のみ以外には関心を抱くことのないような世俗的な人たちでありました。

死者の復活を信じているファリサイ人たちとの議論を楽しむ時にはいつでも、サドカイ人たちは、外典の中にある一つの物語を持ち出しては彼らを困惑させていたのでしたが、それは一人の婦人が七人の兄弟と次々に結婚しなければならなかったという話です。今や彼らはこの話を、主イエスに持ってきます。それは何かを主から学ぼうとしてではなく、主イエスと死後の世界の信仰とをあざ笑うためです。その落とし所はいかにも反論不可のように見えます。「復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです」(23節)。

しかし、主イエスは泰然自若です。そして次のように応答されます。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」(24、25節)。それから主は、死人が復活される聖書的証明として、その顕現の主が、御自身をアブラハムの神、イサクの神、そしてヤコブの神と呼んでおられる出エジプト記3章6節を引用されます。

旧約聖書の中では、特にヨブ記、詩編、イザヤ書、そしてエゼキエル書などのいくつかの書が、死者の復活を暗示しております。しかし、サドカイ人たちは、これらの書を霊感の書としては受け入れておりませんので、主は、彼らが聖書として認めている律法、すなわちモーセ五書の中から引用しておられたと考えられます。このようになさることによって、知られている限りでは、ファリサイ人たちもそれまで決して気づかなかった聖書的証明を、主イエスは提示されたのです。

ルカによる福音書の中の並行記事に、次のような主の御言葉を見いだします。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」(ルカ20の38 口語訳)。すなわち、アブラハム、イサク、ヤコブといったこれらの各時代の義人たちはみな今は墓の中に死んで眠っているとはいえ、彼らはみな神の命に密接に結びつけられております。そしてその命は、神がお定めになっておられる時が訪れると、必然的に墓から呼び覚まされることとなるのです。

そのように、サドカイ人たちは、彼らが誇りをもって選んでいる聖書を理解してはいないし、神の御力、すなわち現在の結婚関係や出産や死の秩序を変え得る御神の御力をも知らないと、主イエスは言われたのです。サドカイ人たちはこの世という測り綱で、未来を計ろうとしておりましたが、そうすることによって神を無視したのです。同じことが、なんと現今でも観察されるのではないでしょうか!

未来の世界の秩序について、エレン・ホワイトは、次のように記しております。「来るべき新世界では結婚したり子供たちが生まれるようなことがあるだろうという人々がおります。しかし、聖書を信じている人々はそのような教理を受け入れることはできません。新世界で子供の生誕があるとする教えは、『確かな預言の言葉』の一部ではありません。キリストの御言葉はあまりにもはっきりとしておりますので、間違って解釈されることはありません。新世界における結婚と出産についての質問については永久に解決済みとされるべきです。死からよみがえった人々も、死を見ないで天に移された人々も、結婚したり、結婚関係に入ることはありません。彼らはみな、神の天使たちのようになるのであり、神の王家の家族の一員となるのです」②

誠実な質問

その日もだんだんと終わりに近づいてきましたが、主はなおも他の質問を受けることになります。それは「律法学者」からのもので、前者の者たちとは異なり、その問いは真実の心からのものでした。この人との会話の締めくくりで、主イエスは彼に、「あなたは、神の国から遠くない」(34節)と言われました。

その質問をもたらした人物は律法の教師の一人でした。このグループの人々は聖書研究に専心生涯を捧げており、彼らの学識に対し高い尊敬を勝ち得ておりました。

「律法学者たちは、律法への献身とユダヤ人社会でのその特別な地位を示すしるしでもあった、裾まで達する白い衣を身にまとっておりました。彼らが近づいて来ると、他のユダヤ人たちは彼らへの尊敬を表して立ち上がり、その律法学者に『主よ』とか『父よ』と呼びかけて挨拶したのです。宴会の席では、律法学者は特別な名誉を示す上席が与えられ、公に認知されました。会堂では、彼らのためには、会衆の方を向いた前方の席が用意されるのが常でした」③

御言葉の研究に献身した人生が、敬神の念を生み出させる結果となっていたと結論づけ得るかもしれません。しかしそれは必ずしもそうではありません。確かに、御言葉は変革を与える力を持っております。しかし、それはただ、聖なる御力の影響に、その心が開かれている場合においてのみ見られることなのです。人がただ、知識を得ることのみに焦点を合わせて聖書を研究するとき、彼らはただ、神の御国からははるかに遠い学者となることとなります。そして、他の人々から学んだことを主張する人々は、神の御心に対し一層強力に敵対するほどに、その心をその人たちと結び付けます。このようなことが主の時代にありましたし、今も同様です。著名な聖書学者たちのうちのある人々は、御言葉の主であられるイエス・キリストに従い行くことをいささかも表明いたしません。

それゆえ、マルコによる福音書及び他の福音書の中には、主イエスに敵対する側と結びついて、結果として主イエスを殺す者たちとなったグループの一つとして律法学者たちが登場しているのを見るのです。主イエスが与えられた最も先鋭な批判は、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」でありました(マタイ23章を参照。特に13、15、23、25、27、29節)。そして主の一般民衆に教えられる最後の日が終わりに近づいて来ていたとき、ここにいたって、主イエスはなおも言われるのです。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂で上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(マルコ12の38~40)と。

一つのグループとして律法学者たちを断罪しているとはいえ、彼らを即座に追い出したりはなさいません。主の耳はどのような人々の言葉にも開かれております。たとえその人がどのようなグループに属しておろうとも、主に聞こうと願っている人々には耳を開いておられます。そうですから、律法学者たちの一人が真心からの質問を持ってこられたとき、主イエスは、その真実の心が神の御心を知りたいと求め、従い行くことを求めていることを賞賛しておられます。

その律法学者の質問は、ユダヤ人たちがしばしば論議してきた事柄でした。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(28節)。ユダヤ人たちは、モーセ五書の中に613の掟を数えており、彼らは明らかに、これらすべてを束ねる、あるいはこれらの中心となるものを捜し求めていたのです。

マルコはこの質問を持ってやって来た律法学者は、主イエスがサドカイ人となしていた議論を熱心に聞いていたことを記しています。そして主が「立派にお答えになったのを見て」、律法の中心となるべきは何かという長いこと論議されてきている問題を問うてみる決心をしたのです。それは主を罠にかけるためではなく、そのお答えを聞きたいというまじめな願いの下にでありました。

主イエスはモーセ五書の中から二つの引用をなさり、答えられました。まず「第一の掟として」は、申命記6章4節と5節、すなわち、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。それから主イエスはレビ記19章18節を引用されました。「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と。

ですから律法の中心は心の中にあるのです。そして、わたしたちが613のすべての掟をいくつかの掟にまとめ縮小することができたとしても、究極的な掟は、更にわたしたちがまとめ得たとする掟のかなたに達します。なぜなら愛が、すべて説明し尽くされるということなどはあり得ないからです。それは主が、山上の垂訓の中で、ファリサイ人たちや律法学者たちの義にまさる義を求められたときに詳細に説明されたことと同様のポイントなのです(マタイ5の20)。

律法学者との論議の中で主が最後に語られた御言葉は、わたしたちにある種の感慨を残しております。「あなたは、神の国から遠くない」(34節)。しかし、「遠くない」とは、なおいまだ外にいるということです。その律法学者はその後全的に心を開くようになり、主イエスに従う者となったのでしょうか? それを知りたいものです!

マルコは今や言います。それから後は「もはや、あえて質問する者はなかった」(34節)と。主イエスは祭司たちも、長老たちも、ファリサイ人たちも、サドカイ人たちも、ヘロデ派の人たちも、そして律法学者たちも、それらすべての人たちを沈黙させられました。

しかし、その日を閉じるにあたりなおもう一つの質問が残されておりました。しかし、この最終質問によって、主イエスは、主客を転倒させられるのです。

最後の質問

主イエスは最後の質問をなさいます。それを通して、主は律法学者たちに挑戦しておられます。そのとき、「大勢の群集は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた」(37節)のです。しかし、その質問には単なる解釈以上のことを内包しております。すなわち、律法学者たちにとっても、群集にとっても、そして今日のわたしたちにとっても、根源的な問いです。

「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。

『主はわたしの主にお告げになった。

「わたしの右の座に着きなさい。

わたしがあなたの敵を

あなたの足もとに屈服させるときまで」と』

このようにダビデ自身が、メシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアはダビデの子なのか」(35~37節)と。

主イエスはここで、詩編110編の一節を引用しておられます。この短い詩編は、旧約聖書の中では最も多く、新約聖書記者によって引用されている聖書箇所です。その4節「あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク(わたしの正しい王)」を、繰り返し引用し用いているヘブライ人への手紙はその代表例です。もしもこの詩編110編4節が、アロンから始まったイスラエルの祭司制度への挑戦であったとするなら、今度は、その一節は、メシアとは誰かについての当時の考えに、疑問を投げかけることになったのです。

ユダヤ人たちは、ダビデ王をまさに卓越した支配者と見なしておりました。彼は周囲のすべての敵を打ち破り、正義と公正とを持って支配したのです。自分たちの独立を喪失した後もダビデの子に対する希望を持ち続けました。それはダビデの系譜から出る新しい王です。王国の黄金時代を再現してくれる王です。この王はキリスト、すなわち、油注がれた御方であり、そしてイスラエルの軍勢を指揮して、憎むべきローマに敵対して勝利へと導かれる御方となるはずなのです。

しかし、主イエスは、詩編110編の一節を精査することによって、メシアをダビデの子と呼ぶだけでは不十分であることを示されたのです。メシアは、ダビデの子孫以上の御方でなければならないのです。その御方はダビデの主であり、古のイスラエルの王よりはるかに偉大であるはずなのです。

この論議を通し、主イエスはもっと大事なその隠されている意味、すなわち主イエス御自身とはいったい誰なのかという課題にこそ、人々の目を向けさせておられたのです。数年の間ガリラヤからの宣教者であり癒し主についての噂やささやきが人々の心を掻き立てて来ました。永年待たれていたメシアが到来されたのであろうか? と。そしてちょうど数日前、主イエスはメシアとしての歓呼で迎えられる中、エルサレムに入城されたのです。

さて今や、主イエスは律法学者と群集に対峙されます。あなたがたはわたしをメシアと言います。しかしあなたがたは、メシアとはどのような御方か気がつきましたか? その御方は、ただ単に、ダビデの子ではなくダビデの主なのですよ! と。

ここにはフィリポ・カイサリアでの出来事の再現を見るのです。「人々は、わたしのことを何者だと言っているか。……それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(8の27、29)。

それは主イエスの最後の問いかけであったのです。各時代にわたり、男女を問わず訪ねられ、立ち去ることをいとわれる御方からの問いかけです。主イエスは行ってしまう御方ではないからです。わたしたちはこの御方を拒むかもしれません。その御顔に唾するかもしれません。この御方に背を向けるかもしれません。しかしそれにもかかわらず、この御方はなおもそこにおられます。

この福音書を書いたマルコ・ヨハネにとっては、そしてすべての新約時代のクリスチャンたちにとっては、その質問に対する答えには、人生を変える決断を必要とするのです。それは事実という基礎の上に建てられた応答であり、しかしそれは事実をはるかに超越して行き、そして、「神の御子イエス・キリスト」(マルコ1の1)との信仰となって行く応答なのです。

愛の賜物

主イエスは長いそして試みの多い一日を終えようとしておられました。保守派からの批判、リベラル派からの批判、政治的批判、これらのすべては、神殿の庭の群衆の前で主に打撃を与えるか、あるいは主に対する来る裁判で有利になる言質を集めようとしてもくろまれたものでした。しかし、主イエスはどのもくろみに対しても、恵みと聖書に結びつける業とをもって対処されました。今や主イエスは神殿を去ろうとしておられるのですが、しかしそのとき、ある者に遭遇いたします。それはその社会で最下層に格付けされている人です。しかし天では高い位置づけが与えられていた人です。

神殿の賽銭箱の傍らに座り、群集が賽銭を入れているのを見ておられたとき、一人の貧しいやもめに目を留められました。人目を避けるようにして、当時の最小単位の通貨であるレプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れたのです。そのやもめは、誰にも気づかれないように、そして誰にも感謝されることもなくその場を去ろうとしておりました。ただし、主イエスだけは知っておられたのです。

「イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである』」(12の43、44)。

注解者や説教家たちは、通常はそのやもめの捧げ物の小ささに焦点を合わせます。しかし、主イエスはその捧げ物をそれとは全く反対の用語で表します。主にとっては、それはまさにすばらしい捧げ物で、莫大で、しかも犠牲的献金です。ほんの僅かではなく、なんと巨額!なのです。

ビル・ゲイツが10億ドルを慈善基金に寄付したとき、マスコミはそれを取り上げて報道しました。彼らはその額の巨大さに論評を加えておりました。そしてそれは、確かにその通りでしょう。しかし、もしビル・ゲイツが10億ドルあるいは100億ドルもしくは200億ドルを捧げたとしても、彼の手元にはなお数十億ドルは残っているでしょう。ほんの億ドルでもあなたは長いこと食べてゆけるのです。

レプトン2枚を入れた後、そのやもめには何も残されていなかったのです。何もです! 銀行にもです。クレジット・カードもありません。ベッドの下にかくしてあるようなへそくりもありません。彼女は、自分の最後のお金を捧げたのです。僅かなお金でしたが、それは大きかったのです。

そしてだれも、彼女の捧げ物がビル・ゲイツの10億ドルより巨大な献げ物であったことに気がつかないのです。

だれもです。そうです、主イエス以外は。
しかし、主は気づいておられました。
そして、主は今も気づいておられるのです。

参考文献

①        Seventh-day Adventist Biblle Dictionary, p.943.

②        Medical Ministry, pp.99, 100.

③        Larry W. Hurtado, Mark: A Good News Commentary(San Francisco: Harper and Row, 1983). p.193

*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の編集長ウィリアム・G・ジョンソン(英William G. Johnsson)著、2005年3月1日発行『マルコーイエス・キリストの福音』からの抜粋です。

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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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