マルコ【イエス・キリストの福音】#5

目次

第12章 カルバリー(マルコによる福音書15章1節~41節)

いつ、そしてどこで造られた道であっても、すべての道は、カルバリーへと通じております。カルバリーは、歴史の焦点です。それ以前にあったすべてのものはそこに向かって収束し、それ以降のすべては、その影の内に存在するのです。使徒が書いておりますように、それは、まさに「各時代の完成」①(ヘブライ9の26)であったのです。

そしてこのことは、あらゆる時代の中での至高の問いを投げかけます。すなわち、「そこで死なれたその人とは、いったいどういう人であったのか?」と。数世紀にわたり、ローマ人たちは、幾千もの人々を十字架刑に処してまいりました。しかし、この場合の十字架刑は、ある点で他と異なっております。その金曜日のこと、すなわちキリスト者たちにとっては受難日であり、他の二人の者たちにとっては悪しき金曜日であったその日、イエスの両脇には磔にされている二人の重罪犯罪人が置かれております。わたしたちには、彼らの名はわかりませんし、彼らに関する過去を示す何らの記録もありません。その劇的な事件が渦巻いているのは、真ん中の十字架、すなわちあの御方の十字架を中心にしてであります。

信仰者たちにとりましては、カルバリーは、各時代の歴史を究極的に理解する鍵を提供してくれております。ナザレのイエスとはいったい誰なのかとか、神とはどのような御方なのかとか、何が善で何が悪かなどの、重大な問いへの解答を与えてくれるのです。

一般の歴史書は、主イエスに関してはほとんど何の情報も提供してくれてはおりません。この御方に関するローマ人著者たちの記録は、イエスという名の一人のユダヤ人がいたこと、そしてポンテオ・ピラトがユダヤの総督であった時、彼が十字架刑に処せられたということだけです。

マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネは、これより、何とはるかに豊かな内容をわたしたちに提供してくれていることでしょうか。それぞれの福音書記者たちにとっては、あの受難日は、各人が展開した主イエスに関する信仰の物語の最高潮を形成している形になっております。彼らはいずれも、受難日の物語を最小限にとどめようとはしておりません。そしてまた、彼らが主と信仰告白をしている御方が、一般の犯罪者として死なれたことに関して、何らの気おくれのかけらも示しておりませんし、あるいは、それが起こったことに関しての言い訳、もしくは説明を加えようとする何らの努力の痕跡も見られないのです。彼らの文の調子は、使徒パウロの次の言葉をあらかじめ示しております。すなわち、「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです」(ガラテヤ6の14)。

四福音書に見る十字架に関する記述は、大局においては一致しておりますが、詳細な点では各書ではそれぞれ変化が見られます。四福音書全体を見てみますと、主イエスは、十字架上で七つの言葉を語っておられます。マルコはその内の一つだけを記録しております。「『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコ15の34)。彼はまた、その言葉の内容が何であったかを言ってはおりませんが、主は息を引きとられる直前、大声を上げられたことを記録しております(37節)。

マルコによる福音書は、四福音書の中で一番最初に書かれたと考えられておりますが、そのカルバリーに関する描写は極めて強力な衝撃を与えています。簡潔で率直で飾り気のない言葉使いで、何がその日に起こったのかをわたしたちに伝えております。解釈を与えることもなく、ただ単純に起こった出来事を述べ、それをどのようにするかは、読者が決定するようにさせております。

その場面には、いろいろな登場人物を配しております。そして、それらの一人ひとりにわたしたちが反応するようにと招いております。まず総督ピラトです。彼はわたしたちと似ている面を持っていた惨めな政治家ですが、奇妙なことに、コプト教会の伝説では聖人とされています。刑罰を免れたバラバや主の十字架を運ばされたキレネ人シモン、主の衣服を分けるのにくじ引きをした兵士たち、それから、すべての推移を見ていて、主イエスがどのように死んで行かれたかのすべてを観察していて、「本当に、この人は神の子だった」(39節)と思わず叫んでしまった百人隊長などです(マルコによる福音書の中では、主イエスを神の子と呼んだのはこのローマの軍人である百人隊長だけで、他は、御神と悪霊だけがそのような呼び方をしているのが記録されております)。

さてここで、わたしたちの目を主イエスだけに向けてみることにいたしましょう。「婦人たちも遠くから見守っていた」(40節)とマルコは言っておりますが、しかし弟子たちはどこに行ったのでしょうか? わたしたちにはわかりません。しかし婦人たちは主の側におりました。彼らは、主イエスが苦しまれ、そして死んでゆかれるのを見ておりました。それから死体が引き降ろされ、ヨセフの墓に横たえられ、そこに大きな石が転がされて封印されるのをも見ておりました。日曜日の早朝になって、彼らは墓が空っぽになっているのを発見するにいたります。そのようなわけで、あの時何が起こっていたのかを理解するため、あの金曜日から主にまつわるすべてを見ていた婦人たちと一緒にわたしたちも行動を共にしてみたいと思います。

彼らは何を見ていたのでしょうか? それらすべては、いったい何を意味していたのでしょうか?

ゴルゴタ

「そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は『されこうべの場所』――に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから兵士たちはイエスを十字架に」(22~24節)つけたのです。

十字架刑を発明したのはローマ人たちではありません。はっきりとはしておりませんが、おそらくフェニキア人たちによるものと考えられております。しかしローマ人たちはこれを採用し、数世紀の間、帝国への反逆抑止の有効な手段として用いていったのです。ローマの規則を徹底させるため数えきれないほど多くの十字架刑を科していったのです。

十字架刑は彼らの目的遂行には理想的な処刑法でした。それは死刑執行に衆目を集めさせるためには、極めて優れた手段でした。彼らは、ローマの勧める平和に敵対する者たちをして、自分が磔になる十字架を刑場までかつがせ行進させるのです。通行人たちはそれを見て震え上がります。刑場自体が公衆にさらされております。あえて、ローマに敵対しようと図る者たちはどのような運命になるのかを広く人々に思い知らせるもくろみです。そして、その死はゆっくりです。その犠牲者は死ぬまで数日間も長引くことがあります。十字架上に釘づけか縛られたままで空中にさらされ、体中の水分が放出し、失われ、ついに解放の時、終焉を迎えるのです。

ローマ帝国は広範囲に十字架刑を用いました。しかし、ローマ市民に用いることはありませんでした。ローマ市民は決してこの刑に処せられたことはなかったのです。皇帝がしばしばこの制限を無視しようとした時には、広範囲にわたる憤りが巻き起こり、決まって暴動が引き起こされました。十字架刑は恥辱と不名誉の象徴でした。特にローマ市民にとってはぞっとするような印象でした。たとえば、使徒パウロはローマ市民権を持っておりましたので、十字架刑に処せられることはなかったのです。彼は剣で殺されたのです。

しかし、ナザレ人イエスは、もちろんローマ市民ではありませんでしたので、十字架刑の可能性があり、そのような処刑を受けられたのです。

「けがれのない神のみ子は、その肉体はむち打ちで裂け、しばしば祝福のうちにさし出されたその手は横木に釘づけられ、愛の奉仕に疲れを知らなかったその足は木にうちつけられ、王の頭はいばらの冠で刺され、ふるえる唇は苦悩の叫びにかたどられて、十字架にかかっておられた。しかもイエスがしのばれたすべてのこと――その頭と手と足から流れた血のしたたり、その肉体を苦しめた苦痛、天父のみ顔が隠されたときにその魂を満たした言いようのない苦悩――それらは人類の子らのひとりびとりに向かって、神のみ子がこの不義の重荷を負うのを承諾されるのはあなたのためであり、死の支配をたちきって、パラダイスの門を開かれるのはあなたのためであると語っている。荒れ狂う波をしずめて、泡立つ大波の上をあるかれたおかた、悪鬼をふるえあがらせ、病気を追い出されたおかた、めくらの目を開き、死人をいのちによみがえらせたおかた――が、いけにえとしてご自分を十字架にささげられる、しかもそれはあなたを愛されるからである。罪を負うおかたであるイエスが、神の正義の怒りをしのび、あなたのために罪そのものとなられる」②

ローマの十字架

「罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった」(マルコ15の26)。

人々は主イエスが死ぬのを見るため集まって来ておりました。漁師たちも商人たちも場所を争い、祭司たちも婦人たちを押しのけて見物しやすい場を確保しようとしております。ある者たちは主イエスをよく知っておりましたし、他の者たちは全く知りません。その人が死ぬというその光景を見るために、人々は集まって来ておりました。処刑が進行する中で、たくさんの人々は笑ったり、冗談を言い合ったりしております。何人かの人々は泣いております。しかし、このような涙している人々はあまり目立たないようにしております。ローマ人たちは犠牲者に同情を示す者たちを直ちに処刑するのが常であったからです。処刑までには、それなりの時間がかかりまし

たし、ある場合には数時間を要しましたので、それを見ている人々は待つ間、草地や岩の上に腰掛けて見物しておりました。

そこには、もちろん兵隊たちもいました。その中のある者は、役割上、立っております。しばらくして、彼らのうちのある者たちはゲームを始めました。彼らにとって処刑は珍しくも何でもありません。それまで何度も同じ光景を見てきました。

しかしこの時の死はこれまでとは異なっておりました。いったいこれらの役割を担っていた兵士たちのうちの誰が、その内の一人が、その日の終わらぬうちに、「本当に、この人は神の子だった」(39節)と宣言すると、知り得たでしょうか? 彼らは、自分たちがしている死刑執行が、新しい宗教の象徴となって行くだろうなどとはどうして気づくことができ得たでしょうか? 知る由もなかった事柄でした。

主イエスが木の上に磔にされ、死に向かって行きつつあるときのこの御方を、群集と共にわたしたちは見ています。わたしたちは思い巡らします。この御方の上に、「いったいどうして、こんなことが起きているのであろうか?」、「こんなとんでもない誤審の結果は止めてしまいたい!」、「こんな悪魔的な裁判の責任はいったい誰にあるのか?」と、わたしたちは思わず叫びたいのです。

主イエスを見ているうち、ゆっくりとその答えが返ってきます。四者だ! その責任者の一人は、もちろん、あのローマ人たちである! 十字架の周りにいる兵士たち、立ち働いている者たち、すべてはローマ人たちである。ローマの役人が死刑の判決を下し、その処刑を命じたのである。彼らこそは、主をローマの十字架上に釘付けにしたのである。

法的には、それはローマの処刑でした。ユダヤ人たちは十字架によって処刑はしません。彼らが死刑に処す時は、石打ちの刑といたします。しかし1世紀のパレスチナは、ローマの支配下にあり、従ってユダヤ人たちには、死刑の宣告を下す権限も死刑執行の権限もなかったのです。「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」(ヨハネ18の31)。

時のローマの総督が死刑の証書にサインをしたのです。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにはあることを知らないのか」(ヨハネ19の10)と、ポンテオ・ピラトは、主イエスに言いました。

ユダヤ人の十字架

「そこで、ピラトは改めて、『それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか』と言った。群集はまた叫んだ。『十字架につけろ。』ピラトは言った。『いったいどんな悪事を働いたと言うのか。』群集はますます激しく、『十字架につけろ』と叫び立てた」(マルコ15の12~14)。

主イエスはローマ人たちの十字架刑で死なれました。しかしこれにはもっと別な要素が内包されております。確かにローマ人たちが主イエスを死刑に処したのです。しかし、彼らがそうしたのは、主イエスの民たちが、そうするようにそそのかしたからです。イエスの十字架は法的処刑以上のことであり、主イエスの民の拒絶の結果招いた処刑でした。

「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった」(ヨハネ1の11 口語訳)のです。ピラトが、イエスの血については自分には責任がないと宣言した時、ユダヤ人の群集は叫んだのです。「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタイ27の25)と。ですから、十字架上に掲げられた「ユダヤ人の王」(マルコ15の26)なる罪状書は、悲哀で脈打っております。

しかし、ユダヤ人たちが、キリストの真の殺害者たちであったと本当に言い切れるのでしょうか? 彼らが主イエスを自分たちの王として認めることを悲劇的に拒絶したのは歴史の事実であります。しかし一方、そのため神は、一つの民族としての彼らを、永遠に神の呪いを受けるようにと断罪されたでありましょうか?

主イエスの十字架に関することで、福音書の記述に戻って注意深くこれを見てみますと、一つの興味深い点が浮かび上がってまいります。わたしたちは次に見られるような文章に気づきます。「祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである」(マタイ21の45、46)。

主イエスの敵たちは、密かにイエスを捕らえる計画を立てておりました。それは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」(マタイ26の5)という理由からでありました。そして、ピラトの前での裁判での嘲りにおいては、「祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した」(マタイ27の20)とあります。

宗教制度の中で高い位置を占めていた指導者たちは、自分たちの要求を支持してくれるようにとユダヤ民衆を説得しなければなりませんでした。従って、もしもわたしたちが、キリスト殺害者たちについて語るとすれば、宗教界の指導者たちであるとその対象を限定せねばならないのであって、一つの民族としてのユダヤ人と言うべきではないと考えるのです。主の弟子たちはこの見方を支持しております。「わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです」(ルカ24の20)と。

主イエスの死は、それゆえ、反ユダヤ主義への神学的根拠とはなり得ません。そしてわたしたちは十字架上での主イエスの祈りを忘れてはなりません。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23の34)。確かに、主のこの祈りが永遠に聞かれないままになるということはあり得ません!

このようにして、死につつある主イエスを見上げながら、わたしたちは草の上に座して、なおも考えております。十字架刑、主イエスの十字架は法的にはローマ人の責任です。しかし、宗教的には、御自身の民の指導者たちによる拒絶という点が重要視されなければなりません。

しかし、わたしたちが引き続き座し、それを見ているとき、わたしたちは、その十字架刑には更に多くのことが内包されていることに気づきます。それは御神による十字架という視点です!

神による十字架

「同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない』」(マルコ15の31)。

主イエスの裁判において、ローマの総督ピラトが自分の権威を誇った時、それに対し主は驚くべき答えをなさいました。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ」(ヨハネ19の11)と。そしてまた、主が捕縛される時のゲッセマネの園でのこと、弟子たちが主を守って戦おうとした時にも、主イエスは、次のような意見を語っておられます。「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」(マタイ26の53)と。

そのような考えは十字架に関するわたしたちの概念を根底から覆します。それは明瞭に、ローマの裁判の誤りを超えていますし、悲劇的なユダヤ人指導者たちの失敗をも超えております。主イエスの死の背後には、何らかの点で、御神が非常に密接に関与されていたのです。

実際、主イエスはその十字架を予期しておられました。それを担われる1ヶ月程前、主はエルサレムにおける死のことを語っておられます。その御働きの間中、全期間を通し、主イエスは、「わたしの時はまだ来ていない」とか、あるいは「イエスの時はまだ来ていなかった」のように、「イエスの時」(ヨハネ7の6、30、8の20)に言及しておられました。変わることなく、主イエスは御自分の人生の最後の出来事に目を見据えておられました。受難週に入ると、主はその終わりには何があるかを知っておられました。「人の子が栄光を受ける時が来た」(ヨハネ12の23)と。そしてそれから、「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(32節)とも言われました。

それゆえ、ある意味では、主イエスを殺害したのは、ローマ人たちでも、ユダヤ人指導者たちでもなかったのです。もしも、御神が許可を与えられなければ、ピラトでも祭司長でも主の上に権力を振るうことはできなかったのです。

何世紀もの期間、ローマ人たちは数えきれないほど多くの十字架を立てて来ました。しかし、この時の十字架だけは、唯一つ特異な立ち方をしていたのです。それは確かにローマの死刑執行でした。しかしそれは、はるかにそれ以上の出来事であったのです。主イエスの死においては、御神がその御計画を実行しておられたのです。「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」(コリント一 15の3)とは、初期のキリスト者たちの確信でありました。主はすべての人のために死を味わわれたのでした。そのように彼らは信じ、それを宣べ伝えたのです(ヘブライ2の9、10)。

わたしたちには、それは聖なる神秘だったのですが、今やなぜに、十字架は神秘に包まれていたのかを理解し始めております。肉体上の苦しみは、それがいかにに過酷なものであっても、主イエスにとっては、それはごく小さな部分であったのです。深刻な精神的、霊的苦悩が、主イエスの全存在を打ちのめしていたのです。わびしさから来る苦悶の叫び、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15の34)は、永遠に無となって行く危機の渕をのぞき見た者だけが叫んでしまう魂の絶叫であったのです。

それですから、十字架刑は聖なる御業でありました。その恐ろしい御苦しみを通し、主イエスは代理的に死なれました。御神が御子を遣わしておられ(ヨハネ3の16)、それは御神の十字架であったのですから、主イエスが御自身の罪のゆえ神の御手によって罰せられていた御姿ではありません。そうではなく、それは十字架刑を通し、御神が、「世を御自分と和解させ」(コリント二 5の19)ておられた御姿なのです。

十字架の主イエスを見上げながら座していると、その解答は、少しずつ、わたしたちのところにもたらされてまいります。これらの解答はわたしたちにショックを与えてきましたが、4番目の責任者は、もっと衝撃的です。わたしたちは、それを聞くに十分な準備ができておりますでしょうか?

わたしの十字架

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」(コリント一 15の3)です。

使徒ペトロは主イエスのことにつき次のように宣言しております。「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった』ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(ペトロ一 2の22~24)。

いったいこれらの言葉のどこに、十字架に関係してローマ人たちが、そしてユダヤ人の指導者たちが問われておりますか? ここにはただ『わたしたちの罪』のみが現されております。

新約聖書のすべては、キリストはわたしたちの罪のために死なれたこと、それは決して御自身の罪の故ではなかったことを教えております。主イエスは、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1の29)であります。主は、信じる者が無償で義とされるために、御神が立てられた罪を償う供え物であります(ローマ3の21~25)。主は、ギリシャ人たちには愚かであり、ユダヤ人たちにはつまずきの石となるが、信じて救われる者たちには神の力となる神の知恵です(コリント一 1の18~25)。主イエスが現れるよりもはるか以前に、預言者イザヤは、苦難の僕としての主イエスを預言しておりました。

「彼が担ったのはわたしたちの病

彼が負ったのはわたしたちの傷みであったのに

わたしたちは思っていた

神の手にかかり、打たれたから

彼は苦しんでいるのだ、と。

彼が刺し貫かれたのは

わたしたちの背きのためであり

彼が打ち砕かれたのは

わたしたちの咎のためであった。

彼の受けた懲らしめによって

わたしたちに平和が与えられ

彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

わたしたちは羊の群れ

道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。

そのわたしたちの罪をすべて

主は彼に負わせられた」(イザヤ53の4~6)。

わたしたちはなおも、ローマ人たちを断罪しますか?

主イエスの処刑の時に見られるような基本的な正義軽視には、確かにわたしたちは、断固として抗議しなければなりません。しかし、わたしたちはその面で自分自身をも断罪するのです。

わたしたちはなおも、ユダヤ人指導者たちをキリストの殺人者と呼びますか? 主イエスを拒絶した彼らの悲劇的な業を、わたしたちは悲しみます。しかしその面でも、わたしたち自身をも断罪しなければなりません。彼らは、わたしたちすべての人たちを代表してはいないでしょうか? わたしたちは、彼らに優った生き方をしてきているわけではありません。その場に在ったなら、わたしども一人びとりも、主を十字架に磔にしたことでしょう。実際、わたしたちは、主イエスを十字架に磔にしたのです! 主はわたしたちの罪のために死なれたのです。

「君もそこにいたのか! 主が十字架につけられた時」の讃美歌は、わたしたちへの挑戦です。そして今や、わたしたちは知りました。確かにわたしたちはそこにいたのです。主イエスの十字架はすべての人の責任です。なぜなら、すべての人は罪人であるからです。

ですから、あれはまた、わたしの十字架なのです! それゆえ、カルバリーの物語は、今日でも絶えず人類の中につきまとっているのです。わたしたちはわたしたち自身を見させられ、そしてわたし自身を見させられるのです。

しかし、キリスト教の持っている良い知らせは、主イエスの十字架刑は、わたしの十字架刑であったという点です。わたしの処刑はもはやないのです。主が受けてくださったからです。その恥辱と不名誉の中で、その屈辱と失意の中で処刑されたのです。このように主が負ってくださったので、十字架をして実に、呪いから祝福へ、闇から光へ、失意から希望へ、そして死から生命の象徴へと、主イエスはこれを変えられたのです。

それではもう一度、誰がキリストを殺したのでしょうか? 聖書の答えは、本当に衝撃です。これに繰り返し答えることは自分としてはショックです。キリストを殺したのはわたしなのです!

しかしそのことは、わたしを失意のままに放置しないのです。なぜなら、十字架は同時に、わたしの救いのための神の御業のクライマックスでもあったからです。主イエスの死を通し、わたしは再生の道を見いだしているからです。

「なぜわたしをお見捨てになったのですか?」

「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコ15の34)。

地上では、十字架の真ん中にいるその人を、人々は口々にののしり、侮辱の限りを尽くしています。そして何人かの女たちは泣き崩れています。他方、天においては、天使たちは歌をやめ、息をひそめております。天父の心は御子の苦悶と共に苦しまれます。天使たちは、失われた世界を取り戻すために注がれる神の御愛の、その度量の広さに、ただ驚嘆して目を凝らして見ております。

昼頃になって、不可思議な暗黒がエルサレムあたりを包みます。それはあたかも自然界が、主の最後の時間に覆いをかけてそれを隠し、その創造主と共に苦悩し、生気を失って行くような様子でした。しばし主は沈黙しておられました。ややあってそれから、主イエスは、あの恐るべき叫びを上げられたのです。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(34節)と。

キリストは失敗する可能性はなかったと考えている人々は、十字架上から発せられたこの苦悶の叫びを深く黙想してみてください。そしてまた、イエスの苦悩は真実ではないとお考えの人々、すなわちイエス・キリストは神であり、すべてのことは勝利に終わることになっていたのだからと考えている人々もまた、主イエスのこの苦悶の叫びを熟考してみてください。それは、神によって見棄てられた者の叫びです。遺棄された状態で、絶望の内にむせび泣きをしている中から、突然爆発的に発せられた叫びです。

悪霊がその魅惑的誘いをもって近づいてきて、罪の楽しみでわたしたちの感覚を興奮させ、一方イエスの道がいかにも厳しくまた無味乾燥のように見えるとき、あの暗黒の中からそれを貫くようにして発せられた、主イエスの苦悶の叫び、激しい泣き叫びを思い起こして見ようではありませんか。永久に、それは、悪がいかに忌まわしいか、そして神の御愛がいかにすばらしいかを、告げているのです。

御父との破られることのない深い交わりを、しかも、途切れることなく持ってこられた主イエス、それが今は、まったく見棄てられてしまったかのように感じられたのです。それはいったいなぜでしょうか?

「われわれの身代りまた保証人としてキリストの上にわれわれ全部の者の不義がおかれた。律法による有罪の宣告からわれわれをあがなわんがために、キリストは、罪人に数えられた。アダムの子孫ひとりびとりの不義がキリストの心に重くのしかかった。罪に対する神の怒り、不義に対する神の不興の恐るべきあらわれが、み子の魂を非常な驚きと恐れで満たした。……

サタンは激しい試みでイエスの心を苦しめた。救い主は墓の入り口から奥を見通すことがおできにならなかった。キリストが征服者として墓から出てこられることや、犠牲が天父に受け入れられることについて望みは与えられなかった。キリストは、罪が神にとって不快なものであるため、ご自分と神との間が永久に隔離されるのではないかと心配された。キリストは、不義の人類のためにあわれみのとりなしがやんだ時に罪人が感じる苦悩を感じられた。キリストが飲まれたさかずきをこんなにもにがいものとし、神の子を悲しませたのは、人類の身代りとしてキリストに神の怒りをもたらしている罪についての観念であった」③

大声を出して

「イエスは大声を出して息を引き取られた」(37節)。

ヨハネの記録から、主の最後の御言葉は、「成し遂げられた」(ヨハネ19の30)であったことがわかります。この最後の御言葉はどのような性質の叫びでしょうか?

それは苦しみからついに解放されたといった意味の叫びでしょうか? それとも、主イエスがわたしたちの救いのために戦われたその戦いで勝利を収められたと宣言した叫びでしょうか?

確実に後者の意味です。

「イエスは、ご自分がするためにおいでになった働きをなしとげ、臨終の息の下から『すべてが終わった』④と叫ばれたときにはじめて息を引きとられた(ヨハネ一九の三〇)。戦いは勝利であった。イエスの右手とその聖なる腕が勝利をもたらしたのであった。征服者として、イエスは、その旗を永遠の高地にうちたてられた。天使たちの間に喜びがなかっただろうか。全天は救い主の勝利に凱歌を上げた。サタンは敗北し、彼の王国が失われたことを知った」⑤

主イエスの十字架上での最後の御言葉は、福音主義のキリスト者たちをして、「キリストの完成なされた御業」を語らしめるところとなりました。他のあるキリスト者たちはこの表現を好みません。なぜなら、この表現は、十字架以後の天の宮におけるキリストの大祭司としての継続的になされてきた御働きを無視してしまう形で用いられ得るからです。しかしながら、次に挙げるいくつかの点で、キリストの別離の際の大声の叫びは、タイミングよくその決定的な瞬間を合図したこととなったのです。

1 十字架上で主イエスは、わたしたちの罪のための完全な究極的犠牲となられた。

あの叫びと共に、エルサレム神殿内の幕が真っ二つに裂けました。古代イスラエルに与えられた犠牲と献げものの制度が終わりとなったのです。繰り返され積み重ねられてきた動物の死はすべて罪の贖いとはなり得ませんでした。それらはただ、神の民に、世の罪を取り除く神の小羊を指し示して(ヨハネ1の29)、御神の救いの計画を教えるためでありました。

主の晩餐にあずかる時、わたしたちは主イエスの死なれたことを記念してこれを覚えるのです。しかしパンやぶどう汁は、キリストの最後の晩餐を思い起こすのを助けるための単なる象徴です。それらは、決してキリストの肉や血そのものではありません。なぜなら主イエスは、完全な犠牲としてただ一度だけ死なれたからです(ヘブライ9の26、28)。

2 十字架は悪魔の性格とその意図とを明らかにした。

十字架は、主イエスを滅ぼすための、サタンの最後で最も強力な武器でありました。彼は、天の尊厳者は決してそのような屈辱の道をお通りになられるようなことはないと考えたのです。しかし、主は、その大いなる愛の御力をはっきりと現され、その道を選ばれたのです。

そしてこの出来事によって、悪魔は自分自身の姿を世にさらけ出したのです。彼は殺人者であり、嘘つきであり、その主張や欺瞞にもかかわらず、自分の目的を果たすためには、どこまで身を落として、あえて事を運ぼうとするのかを見せつけてしまったのです。

3 十字架はわたしたちの救いを確定した。

戦いはなおも続いておりますが、その結論はもはや疑う余地はないのです。キリストが決定的な戦いを勝ち取られたからです。サタンはもはや敗北した敵です。彼は、キリストのかかとを傷つけましたが、カルバリーは彼の頭に致命傷を与えたのです。

御神をほめたたえたいと思います。「成し遂げられた!」は、今なお戦いの内にあるわたしたちに力を与え、主イエスにある永遠の命の保証を確信させてくださるのです。

十字架での赦し

「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」(マルコ15の39)。

彼らは主イエスを磔にいたしました。しかし、人間を解放させる主イエスの御力を抑制することはできませんでした。主イエスは彼の周りの人々に赦しをもたらしました。

その日、主イエスによる救いを見いだした三人の男たちを考えてみてください。キレネ人のシモン、十字架上の犯罪人の一人、そしてローマの百人隊長。

シモンは偶然に主イエスに出会ったように思われます。

主が御自分の十字架を担がされて、ゴルゴタへ向かう途上でした。それを引きずっていて、つまずき、とうとうその重さで押しつぶされ倒れてしまわれたのですが、その時、シモンはたまたま、その場を通りかかったのでした。その光景を見て同情し、ちょっと立ち止まった時、兵隊たちはその重い十字架を運ばせるため彼を徴用したのです。

偶然? いや、御神のなされることはすべて折りにかなって美しいのです。御神は、あの瞬間にシモンをそこに居合わせるようになされたのだと思われます。そして、シモンが、ただ単に、主の重荷を楽にして差し上げたただけではなく、彼自身が信仰者となるように図られたのです。このようにして主は、シモンの重荷を取り除き、むしろ、彼に解放を与えられたのです。

死刑に処せられて死につつあったあの犯罪人の一人は、天国への候補者としては、最もありそうにない存在でした。彼の人生は今や風前の灯で、人生の砂時計の砂も残り後わずかという状況でした。そのようなまぎれもない犯罪者に対し、いったい誰が希望を抱かせるなどということがあるでしょうか?

しかし、御神は別な見方をなされたのです。たとえ、その外見がどれほど見込みのない男、あるいは女であるように見えましても、またどれ程深く罪の深みに沈みこんでいたとしましても、御神は、どんな人をも決して軽々と見捨てるような扱われ方はなさらないのです。もしも、あの十字架上の犯罪者が、受難日の金曜日に救われたというのでしたなら、今日わたしたちが出会うどんな人にも希望があるのです。主イエスの愛の御力は、極限状況にある一人の人間の心に触れ、その過去をすべて帳消しにし、その上に新しい命をもたらされたのです。

側を通り過ぎようとしていた見知らぬ人、激しい死の苦しみの内にあった犯罪人、そしてローマの軍人でさえ、主が死なれたとき、その御赦しをもたらされたのです。

「十字架にかかっている傷つき破れた肉体に、百卒長は神の子の姿をみとめた。彼は信仰を告白しないではいられなかった。こうして、あがない主がご自分の魂の苦しみの結果をみられるという証拠がまた与えられた。キリストが死なれたその日に、お互いにまったく異なった立場の三人、すなわちローマの警備兵を指揮していた者と、救い主の十字架をかついだ者と、キリストのかたわらで十字架上に死んだ者とが信仰を宣言したのであった」⑥

主イエスは今もなお赦しておられます。カルバリーに高く打ち立てられたあの十字架は、その御力を決して失うことはありません。すべての人種の男たち女たちに対し、そして、それがまたどんな状況下にある人たちでありましょうとも、今日もあの十字架は、希望と自由とをもたらすのです。

わたしはその御力を見いだしたでしょうか? わたしは今日、その十字架を会得したことになるでしょうか?

参考文献

①        口語訳も新共同訳も共に、ヘブライ9:26の時に関する語を「世の終わりに」としていますが、原語的には不十分な訳で、「各時代の完成」あるいは「今世の完成」のように訳すべきと考えます。epi sunteleia twn aiwnwn(“the end of the ages”, NIV)。訳者注。

②        『各時代の希望』下巻、p.278

③        『各時代の希望』下巻、p.274, 275

④        新共同訳では、『なし遂げられた』。こちらの訳の方が、原語的にもより正確に真意を伝えていると考えます。訳者注。

⑤        『各時代の希望』下巻、p.282

⑥        『各時代の希望』下巻、p.294

*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の編集長ウィリアム・G・ジョンソン(英William G. Johnsson)著、2005年3月1日発行『マルコーイエス・キリストの福音』からの抜粋です。

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