【ガラテヤの信徒への手紙】パウロの権威と福音【1章解説】#2

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ある大学の学生たちが、(人種、性別、社会的地位、宗教などに関係なく)だれもが歓迎される施設をキャンパス内に建てました。数年後、もし彼らがキャンパスに戻ってみたところ、ほかの学生たちがその施設を設計し直していたことがわかったとしたらどうでしょうか。(だれもが一体感を得られるように)特別に広い空間を持っていた大きな部屋は、人種、性別などの入室制限によって、多くの小さな部屋に分けられています。再設計に関わった学生たちは、このような変更をする根拠(権威)は何世紀も前に確立された慣例に由来する、と主張するかもしれません。

ガラテヤの諸教会に手紙を書いたときにパウロが直面していた状況は、これと似ています。信仰のみに基づいて異邦人が入会できるというパウロの考えは、教会員になるには異邦人も割礼を受けなければならない、と主張する偽教師たちの反対に直面していました。

そのような見解は福音の本質そのものに対する攻撃だ、と考えたパウロは、応答せざるをえませんでした。その応答がガラテヤ書なのです。

パウロ—手紙の書き手

IIペトロ3:15、16を読んでください。初代教会のパウロの手紙に対する評価がわかります。ガラテヤの人たちに手紙を書き送ったとき、パウロは文学作品の傑作を生み出そうとしていたのではありません。むしろ、パウロは聖霊の導きの下、彼とガラテヤの信者が巻き込まれた特定の状況に対処していたのです。

ガラテヤ書のような手紙は、使徒としてのパウロの働きの中で重要な役割を果たしました。異邦人世界への宣教師であったパウロは、地中海周辺の各地に多くの教会を設立しました。可能なときはいつでもそれらの教会を訪問しましたが、一つの場所に長くとどまることはできませんでした。その不在を穴埋めするために、パウロはそれらの教会に手紙を書き、指導しました。時間とともに、パウロの手紙の写しはほかの教会でも共有されました(コロ4:16)。パウロの手紙の中には失われたものもありますが、少なくとも新約聖書の中の13の書は、彼の名前を冠しています。ペトロの先の言葉が示すように、ある時点から、パウロが書いたものは聖書とみなされました。このことは、教会史の初期の頃から、彼の働きがどれほど大きな権威を持つようになったのかを示しています。

一時期、あるクリスチャンたちは、パウロの手紙の書式は独特なもの(神の霊感によるみ言葉を含めるために、聖霊によって生み出された特別な書式)だと考えました。この見解は、オックスフォード大学出身の2人の若い研究者、バーナード・グレンフェルとアーサー・ハントの発見によって改められました。彼らはエジプトで、およそ50万点もの古代のパピルスの断片(紀元前後、数百年間にわたって広く使われたパピルス紙に書かれた記録)を発見したのです。彼らは新約聖書の最も古いいくつかの写本とともに、請求書、納税申告書、領収書、個人の手紙などを見つけました。

だれもがとても驚いたことに、パウロの手紙の基本的な書式は、当時のあらゆる手紙の書き手に共通するものだとわかったのです。この書式には、次の4つが含まれていました——①差出人と受取人が述べられている冒頭の挨拶とそれに続く挨拶の言葉、②感謝の言葉、③手紙の本文、④結びの言葉。

要するに、パウロは当時の基本的な書式に従い、当時の人に向かって、彼らが慣れ親しんでいた媒体と文体で語りかけていたのです。

パウロの召し

パウロの書簡は、古代の手紙の基本的な書式に従っていますが、ガラテヤ書には、パウロのほかの書簡には見られない多くの特徴が含まれています。これらの違いに気づくとき、パウロが直面していた状況をさらに理解することができます。

ガラテヤ1:1、2の冒頭の挨拶と、彼がエフェソ1:1、フィリピ1:1、IIテサロニケ1:1で書いていることを比較してください。ガラテヤ書におけるパウロの冒頭の挨拶は、ほかの手紙よりも少し長いばかりでなく、彼の使徒としての権威の根拠についてわざわざ述べています。字義的には、「使徒」という言葉は「派遣された者」「使者」を意味します。厳密に言うと、新約聖書ではイエスの最初の12人の弟子と、復活されたキリストが姿を見せて証人となるように任命した人たちを指します(ガラ1:19、Iコリ15:7)。パウロは、自分もこの選ばれた集団に属すると宣言しているのです。

パウロが、自分の使徒職はいかなる人間に基づくものでもないと強く主張している事実は、彼の使徒としての権威を覆そうとする試みが、ガラテヤの一部の人たちによってなされたことを示しています。なぜでしょうか。すでに触れたように、教会の中には、救いはキリストに対する信仰のみに基づくのであって、律法の行いによるのではないというパウロのメッセージを快く思わない人たちがいたからです。彼らは、パウロの福音が服従を弱体化していると感じました。これらの厄介者たちは狡猾でした。彼らは、パウロの福音メッセージの根拠が彼の使徒としての権威の源に直結していることを知っており(ヨハ3:34)、その権威に対する激しい攻撃をしかけようとしたのです。

彼らは直接、パウロの使徒職を否定しませんでした。単に、それほど重要なものではないと主張したのです。たぶんこう主張したのでしょう——パウロはイエスの最初の弟子たちの1人でないのだから、彼の権威は神からのものではなく、人間から(たぶん、宣教師としてパウロとバルナバを任命したアンティオキアの教会指導者から)のものだと。あるいは、その権威は、初めにパウロにバプテスマを授けたアナニアから与えられたものにすぎない(使徒9:10〜18)。彼らの考えでは、パウロはアンティオキアかダマスコからの使者にすぎず、それ以上ではなかったのです!したがって、パウロの教えは単に彼の意見であって、神の言葉ではないと、彼らは主張しました。パウロは、このような主張がもたらす危険性を認識していたので、直ちに神から与えられた彼の使徒職を擁護したのです。

パウロの福音

パウロは自分の使徒職を擁護することに加えて、ガラテヤ書の冒頭の挨拶において、ほかのことも強調しています(ガラ1:3〜5とエフェ1:2、コロ1:2を比較)。パウロの手紙の特徴の一つは、彼が挨拶において「恵み」と「平和」という言葉を結びつけたことです。これら二つの言葉の組み合わせは、ギリシア語・ヘブライ語の世界における最も特徴的な挨拶を変形させたものです。ギリシア人の書き手が「挨拶」(「カイレイン」)と書く所に、パウロは、ギリシア語の同音語である「恵み」(「カリス」)と書き、これに典型的なヘブライ語の挨拶である「平和」を加えています。これら二つの言葉を結びつけることは、単なる戯れではありません。それどころか、これらの言葉は、彼の福音メッセージを説明しているのです(実際、パウロは新約聖書のほかの記者よりも、頻繁にこれら二つの言葉を用いています)。この恵みと平和はパウロからではなく、父なる神と主なるイエス・キリストからもたらされるのです。

問1

ガラテヤ1:1〜6の中にパウロは福音のどのような側面を含めていますか。

冒頭の挨拶の中で福音の性質を詳しく述べるスペースはほとんどありませんが、パウロはわずか数節の中に福音の本質を巧みに記しています。福音に属する中心的な真理とは何でしょうか。パウロによれば、それは私たちが律法を順守することではありません(パウロの敵が言い広めていた主張はそれでした)。そうではなく、福音は、キリストが十字架の死によって私たちのために成し遂げてくださったこと、死者の中から復活されたことに、全面的にかかっているのです。キリストの死と復活は、私たちが決して自力ではできないことを成し遂げました。罪と死の力を打ち破り、多くの人を恐れと束縛の中に閉じ込めている悪の力からキリストに従う人々を解放したのです。

パウロは、神がキリストによって私たちに与えてくださった恵みと平和というすばらしい知らせに思いを馳せながら、5節に見られる頌栄を自ずと唱えています。

ほかの福音はない

通常、パウロの手紙で冒頭の挨拶のあとに続くものとガラテヤ書は違っています(ガラ1:6とロマ1:8、Iコリ1:4、フィリ1:3、Iテサ1:2を比較)。パウロは諸教会への手紙の中で、あらゆる種類の現地の課題や問題に対処しますが、それでも冒頭の挨拶のあとには、読者の信仰に対する神への感謝や祈りの言葉を続けるようにしていました。パウロは、さまざまな問題行動と格闘していたコリントの信徒への手紙の中でさえそうしています(Iコリ1:4、5:1と比較)。しかし、ガラテヤの状況は非常にひどかったため、パウロは感謝の言葉を省略し、すぐに問題の要点に入っています。

問2

ガラテヤで起こっていることへの懸念の深さを示すために、パウロはどのような強い言葉を用いていますか(ガラ1:6〜9、5:12)。

パウロは容赦ない言葉をもってガラテヤの信徒を非難しています。簡単に言えば、クリスチャンとしての召しを裏切った、と彼らを非難しています。実際に、6節に出てくる「離れて」という言葉は、軍を脱走することで祖国への忠誠心を捨てた兵士たちを説明するためにしばしば用いられました。霊的に言えば、パウロは、ガラテヤの人たちが神に背を向けている裏切り者だと述べているのです。

どのようにして彼らは神を見捨てていたのでしょうか。ほかの福音に乗り換えることによってです。パウロは、福音がいくつもあると言っているのでありません。キリストに対する信仰だけでは不十分だと教えることによって(使徒15:1〜5)、あたかも別の福音があるかのように教会の中で行動している者たちがいる、と言っているのです。パウロは、このような福音の歪曲に憤慨し、ほかの福音を唱える者は神に呪われるように、と願っています(ガラ1:8)。パウロはこの点を強調するために、基本的に同じことを二度述べています(同1:9)。

パウロの福音の起源

問3

ガラテヤの騒ぎを起こす人たちは、パウロの福音はほかの人たちの承認を得たいという欲求に駆られたものだ、と主張していました。もし彼が単に人間的な承認を求めていたのだとしたら、手紙はどのように異なったものになっていたでしょうか(ガラ1:6〜9、11〜24)。

なぜパウロは異邦人改宗者に割礼を受けることを要求しなかったのでしょうか。パウロの敵は、パウロがいかなる代償を払ってでも改宗者を得たかったからだ、と主張しました。たぶん彼らはこう考えたのでしょう——パウロは、異邦人が割礼に難色を示すとわかっていたので、それを要求しなかったのだ、と。パウロは人に取り入ろうとしている、と。そのような主張に応じて、パウロは8節、9節で書いたばかりの強い言葉を敵にぶつけています。もし彼が承認だけを求めていたのなら、確実に別の答え方をしたはずです。

パウロは人に取り入ろうとしながらキリストの弟子であることはできないと言いました。パウロは11節と12節で、彼の福音と権威を神から直接受けたと述べたあと、13〜24節で主張しました。パウロの回心前(13、14節)、回心(15、16節)、その後(16〜24節)の状況に関する自伝的な説明をしています。パウロの主張は、これらの出来事にまつわるいずれの状況も、神以外のだれかから彼の福音を受けたとはまったく主張しがたいものだ、ということです。パウロは、だれかが彼の召しを疑問視することによって彼のメッセージを軽んじるのを見過ごそうとはしません。パウロは、何が彼に起こり、何を教えるために彼が召されたのかを知っており、どんな犠牲を払おうとも、それを実行しようとしているのです。

さらなる研究

「ほとんどすべての教会に、生まれながらのユダヤ人である教会員が何人かいた。ユダヤ人教師たちは彼らにすぐ接触できたので、彼らを通して教会の中に足がかりを得た。聖書に基づく議論によって、パウロが教える教理を覆すことはできなかったので、彼らはパウロの影響力を削ぎ、彼の権威を弱めるための最も悪質な手段に訴えた。パウロはイエスの弟子でなかったし、イエスからの任命を受けていないのに、ペトロ、ヤコブ、そのほかの弟子たちが保持してきた教理とは正反対の教理をおこがましくも教えてきたと、彼らは宣言したのである。……

これらの教会をすぐにでも破壊する恐れのある悪を目にしたとき、パウロの魂はかき乱された。彼は速やかにガラテヤの人たちに手紙を書き送って、彼らの偽りの理論を暴露し、信仰から離れた者たちを非常に厳しく非難した」(『パウロ略伝』188、189ページ、英文)。

まとめ

ガラテヤの偽教師たちは、パウロの使徒職と福音メッセージが神から与えられたものではないと主張することによって、彼の伝道の働きを台なしにしようとしました。パウロはガラテヤ書の冒頭の数節の中で、これらの非難のいずれにも立ち向かっています。彼は、救いの道は一つしかないと大胆に宣言し、彼の回心にまつわる出来事が、彼の召しと福音が神からしか与えられえないことをいかに示しているかを説明します。

*本記事は、安息日学校ガイド2017年3期『ガラテヤの信徒への手紙における福音』からの抜粋です。

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