反対の中の勝利
サタンは自らすすんで自分の領域と臣下を放棄することはありません。エデン以来、みことばの宣教は彼の激しい敵意をかきたててきました。しかしながら、神の敵による激しい反対にもかかわらず、神のみことばと神の民は試練に耐え、神は大争闘において勝利をおさめられます。
アウトライン
1. みことばが実を結ぶ(使徒17:4)
2. みことばの宣教は迫害をもたらす(使徒17:5、1テサ2:15,16)
3. 迫害に対する信者の反応(Iテサ1:6、 2:14、2テサ1;4、5)
4. 迫害の真のみなもと
5. 迫害の理由(黙示12:17)
良い知らせと悪い知らせ
テモテはピリピに残って、そこで始まった働きを継続していた一方で、パウロとシラスはテサロニケで忙しく働いていました。ピリピで激しい迫害に会ったあと(使徒16:22〜40)、パウロはテサロニケで平安と休息に満ちたひとときを過ごしたと思われます。しかし、それも長くは続きませんでした。テサロニケにおける働きは良い面と悪い面を持っていました。良い面は、何人かの有力な人々が回心し、教会の創設会員となったことです。悪い面は、大多数の人々がパウロのメッセージを無視したり、拒んだりしたことです。パウロとシラスがカイザル以外の王の扇動的な教えによって「天下をかき回して」いると言って(使徒17:6、7)人々は彼らとヤソンとを訴えました(使徒17:8、9)。
世界の大部分のセブンスデー・アドベンチストは、パウロがピリピやテサロニケなどで経験したほどの敵意に直面してはいませんが、中にはそのような人たちもいます。私たちは不寛容と無理解のうちに生きているこうした信者のために特別な祈りをささげる必要があります。
厳しい状況にあって忠誠を保ったパウロの模範は、福音のために苦しんでいる人たちに励ましを与えてくれます。このことは、将来において同じ試練に会うかもしれない私たちにとっても多くのことを教えてくれるものです。
みことばが実を結ぶ(使徒17:4)
質問1
パウロの働きを最もよく受け入れたのはどんな人たちでしたか。使徒17:4
テサロニケの住民はおもにローマ人、ギリシヤ人、ユダヤ人でした。使徒行伝17:4で最も目立つのがギリシヤ人です。ルカは彼らのことを「信心深い」ギリシヤ人と呼んでいます。それは、自分たちの神話の神々を捨てて唯一のまことの神を受け入れたギリシヤ人たちでした。彼らは1世紀のユダヤ教の律法的要求と割礼を拒否しましたが、旧約聖書を熱心に読み、その真理を信じた人たちでした。このテサロニケにおいて、またパウロが教会を建てたその他の多くの町々において彼の教えを受け入れたのは大部分、このような人たちでした。
質問2
パウロの教えに従った人々はどのようにしてその誠意をあらわしましたか。Iテサ1:9
パウロの時代のテサロニケは偶像礼拝のさかんな町でした。数々の偽りの神々の中でも、とくにゼウス、ヤヌス、ヘラクレスがあがめられていました。しかし、主神はギリシヤの神、ジュピターであって、これはヘラクレスの父であり、生命の創造者と考えられていました。「偶像を捨てて神に立ち帰」ったこれらの人たちはユダヤ人ではなかったので、信仰のない異邦人だったはずです。ルカもパウロもテサロニケでの出来事に関連してローマ人の回心者についてふれていないので、これらの人々はおもにギリシヤ人だったと思われます。
質問3
パウロはユダヤ人のあいだでどんなに成功をおさめましたか。使徒17:1〜4
4節の「ある人たち」と2節の「彼ら」は、ともに1節のユダヤ人をさしています。イエス・キリストの福音はあらゆる偏見と伝統を打破します。教会はユダヤ人に対する態度のゆえにクリスチャンが嫌われているところにおいてさえ、キリストのような愛は障壁を打ち砕く力を持っています。
多くのユダヤ人が回心する
「この世においてなすべき重要な働きがある。主は、異邦人が集められるであろうと宣言された。これは異邦人だけでなくユダヤ人も含むのである。多くのユダヤ人が回心するであろう。彼らを通して神の救いが燃える燈火のように伝えられるのを、私たちは見るであろう。ユダヤ人はどこにでもいる。現代の真理の光が彼らに伝えられなければならない。彼らの多くの者が光に来て、驚くべき力をもって神の律法の不変性を宣言するのである。主なる神は働かれる。神は義のうちに驚くべきことをされるであろう」(「伝道」578ページ)。
質問4
ほかにどんな人々がみことばを受け入れましたか。使徒17:4
パウロのベレヤにおける働きの結果についてのルカの記録(使徒17:12)から推測すると、これらの人たちは経済的、社会的に高い地位のギリシヤ女性、つまり町の指導者たちの妻ではないかと思われます。テサロニケにおいて女性が福音を受け入れた理由として、 二つのことが考えられます。
(1)マケドニヤにおける激しい人の動きと交際。この地方の住民は多忙で、商売上手で、伝統にこだわらない人たちでした。したがって、彼らは田舎の人たちほど社会の習わしに関して保守的ではありませんでした。
(2)キリストにある自由についてのパウロの教え。テサロニケとベレヤの女性たちがパウロに従ったとしても不思議ではありません。パウロの教えは社会的、霊的な自由を強調するものでした。この意味で、パウロの教えは当時の社会に強い影響を与えました。
当時の男と女の立場は今日とかなり違っていました。そのような中で、パウロの説いた福音は女性の地位を高めるものでした。女性のキリストとの霊的結合は男性との結合と同じくらい重要でした。男性はキリストが教会を愛されたように自分の妻を愛するように教えられました(エペ5:25)。これは明らかに、当時の男性の慣習を根底からくつがえすものでした。
みことばの宣教は迫害をもたらす(使徒17:5、 1テサ2:15、16)
質問5
だれがパウロに激しく反対しましたか。使徒17:5
悲しいことですが、神の子らを自認する者たちがしばしば神の御名において互いに迫害し合うことがあります。パウロに対するユダヤ人の敵意は人類の歴史を汚してきた多くの宗教的反目の一例です。その後も、クリスチャンが自分たちと異なる信仰を持つ同じクリスチャンやユダヤ人を迫害するということがありました。いわゆる宗教戦争は最も非難されるべきものです。とりわけ、柔和で謙そんなイエスをあかしする人々に対するねたみの心から引き起こされる迫害ほど悲しいものはありません。
質問6
彼らは、真理についてのあかしをどのようにして沈黙させようとしましたか。使徒17:5〜9
このやり方はよくあるものです。真理に反対する者たちは卑劣な証人の助けを借りようとしました。彼らは群衆を扇動して活動を妨害し、パウロに宿を貸してくれたヤソンらの信者を市当局者の前に引き出し、カイザルにそむいたと言って非難しました。このように暴力に訴えることは、サタンが大争闘においてよく用いる方法です。
質問7
パウロは真理に対するユダヤ人の敵意をどのように表現していますか。Iテサ2:15、16
迫害に対する信者の反応(1テサ1:6、2:14、2テサ1:4、5)
質問8
テサロニケの異邦人信者はほかにだれから苦しめられましたか。1テサ2:14
パウロと信者たちはテサロニケでも安楽に過ごせたわけではありません。不信仰なユダヤ人ばかりでなく異邦人の市民たちも彼らを苦しめたからです。今日のテサロニケ(サロニキ)では、住民のほとんど全員がキリスト教徒なので、非キリスト教徒によって迫害されることはありません。しかし、残念なことに、キリスト教徒同士の争いがときどき問題になっています。
質問9
パウロはのちに、テサロニケの教会が迫害に耐えたことに対してどのような評価を下していますか。Iテサ1:6、2テサ1 :4、5
テサロニケ人は苦難と迫害のもとでも忠実に信仰を守り通しました。このことのゆえに、パウロは何度も彼らを賞賛しています。ユダヤ人から軽べつされ、異邦人からそしられても、彼らは自分たちの新しい信仰を捨てませんでした。パウロはのちに、ベレヤ人は全体的にテサロニケ人よりも熱心であるとほめています(使徒17:11)。しかしながら、テサロニケ人が迫害を耐え忍んだということは、彼らの大部分が素直であって、神のみことばに固く立っていたということです。
迫害の真のみなもと(黙示12:1〜5)
質問10
ヨハネはキリストとサタンとの争闘の始まりと継続をどのように描写していますか。黙示12:1〜5、17
預言者エレミヤは教会を次のように描写しています。「わたしはシオンの娘を美しく繊細な女になぞらえる」(エレ6:2、英語欽定訳)。聖書においては、女はしばしば教会を、龍はサタンを表します。
質問11
黙示録12;5に描かれている男の子はだれを表していますか。
「のちに自分が滅ぼされることのないように、サタンは生まれようとしている子供を滅ぼそうと望む。……しかし、メシヤは神のみもとに、その御座のところに引き上げられた。詩篇2:9から引用された言葉をもって、メシヤは鉄のつえをもってすべての国民を治めるように定められた者として描かれている」(チャールズ・L・レイモン編『インタープリターズ聖書注解』960ページ)。
質問12
サタンはイエスの働きを妨害するために必死になって何をしましたか。マタ2:13、14
生まれたときから死ぬまで、イエスはサタンの悪意に満ちた攻撃の対象でした。サタンのただ一つの目的は、救いの計画を失敗させ天でこうむった不名誉な敗北の仕返しをすることでした。もし神の使いたちがカルバリーのときまでイエスを守っていなかったなら、サタンはいともたやすくイエスのいのちを奪っていたことでしょう。サタンがキリストを負かすために用いた手段は物理的な抑圧だけではありませんでした。彼は絶えまない心理的な戦いによってイエスに勝利しようとしました。サタンのねらいは神の品性を汚すこと、キリストがその民を罪から救うのを阻止することにありました。
「サタンはイエスを打ち負かすために全力を尽くして徹底的に戦った。嵐のように、誘惑が次々とイエスを襲った」(『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』1902年8月27日)。
迫害の理由(黙示12:17)
質問13
イエスが神の御座に「引き上げられた」のち(黙示12:5)、サタンはその怒りをだれに向けましたか。黙示12:13、17
歴史は繰り返される
パウロとテサロニケの信者に加えられた迫害は、程度の差こそあれ、イエスを信じる者ならだれでも加えられる可能性のあるものです。
何年か前、アメリカのある大きな町で、一人の市民が通りを歩いていたときに落ちてきた木の枝でケガをしたという理由で教会を訴えたことがあります。その根拠は何だったでしょうか。木の枝が落ちたのは「神のわざ」によるものだというのです。彼は神を訴えることができないので、神の目に見える代表者である教会を訴えたのでした。もちろん、彼は敗訴しました。サタンも同じです。彼のかしらはすでに砕かれているのです(創世3:15)。しばしのあいだ、彼は神の民を滅ぼそうとします。
質問14
キリスト教のどんな根本的な原則がとくに龍を怒らせますか。ヨハ15:12〜14、エペ5:2
サタンは犠牲を憎む
「キリストに従う者はみな犠牲の冠をかぶるのである。彼らは、かならず利己的な人々から誤解され、サタンの激しい攻撃のまととなる。サタンの王国は、この自己犠牲の原則を滅ぼすために建てられているのであって、彼はどこでもこの原則があらわされると戦うのである」(「各時代の希望」上巻280ページ)
質問15
イエスはとくにどんな見苦しい迫害について警告しておられますか。マタ24:48〜50
失敗にいたる確かな道
「キリストの教会を最も危うくするものは、この世の反対ではない。教会を最も深刻な不幸に陥れるものは、信者たちの心に隠された悪であり、それは最も確実に神のみわざの進展を遅らせる。ねたみ、疑い、あらさがし、悪意ほど霊性を弱めるものはない」(『患難から栄光へ』-下巻252ページ)。
「戦いの武器を自分自身の仲間に向ける代わりに、神と真理の敵に向けなさい」(『セレクテッド・メッセージズ」第3巻18ページ)(この言葉は自分と違う人を迫害することを正当化するものではありません)。
まとめ
パウロがテサロニケで伝道したとき、教えを受け入れる人々とそれに激しく反対する人々がいました。しかし、敵の妨害にもかかわらず、働きは豊かに報いられました。パウロは自分の身を守るためにそこを去らなければなりませんでしたが、その前に、最も戦略的な場所にキリストの十字架をしっかりと立てることができました。
*本記事は、安息日学校ガイド1991年3期『再臨に備えて生きる』からの抜粋です。