マルコ【イエス・キリストの福音】#3

目次

第6章 不可思議な救世主(マルコによる福音書7章24節~9章13節)

人々がイエスを、理解したと思ったときにはいつでも、主イエスは、その御言葉、あるいはその行為によって、その人々を驚かせまたショックさえ与えました。

そして、このようなことを主イエスは、今に至ってもなさっておられます。この御方を受け入れるためわたしたちが用意した器では、主にはあまりに小さ過ぎて、きちんとはまるようにお入りいただくことはできませんし、わたしたちの用意した神学の枠組みや精神構造を、主イエスは常に撃ち破ってしまわれます。

19世紀の間中、ヨーロッパ中で最も優れた知性の持ち主たちが、歴史上のイエスとはいったいどのような人であったのかを探って全精力を傾けました。ヨーロッパ啓蒙運動下の合理主義に影響を受け、既成教会の教理の足かせ手かせを退けて、ナザレのイエスの実像を見いだすため彼らはあらゆる努力を傾けたのです。その1世紀にわたる懸命な努力の中で、あのガリラヤ人の自己理解や使命や死を再構築しながら、この御方の心情や動機を探り調べ、その研究成果である一連のイエスの「生涯」と呼ばれている多数の労作が生まれてきました。

もしも1906年にドイツで、それから少し後になってイギリスで出版された、あの一つの偉大な作品が生まれてなかったとしたなら、主イエスに関する学的探求はその後何年続けねばならなかったことであろうかと多くの人が言っております。アルベルト・シュヴァイツアー、この人は神学と医学と音楽の分野で博士号を取得し、しかしその後、ドイツにおける名声を放棄し、赤道直下のアフリカで宣教師として生涯を送った人物ですが、前述の多数の主の「生涯」に関する研究出版物に対し、『イエス伝研究史』①(Quest of the Historical Jesus)という書物で壊滅的な打撃を与える批評文を公にいたしました。ドイツの教授によるものであれ、フランスの学者によるものであれ、一つひとつのイエスの生涯に関する書物を調べると、どの本もすべて論理上の欠陥があるとしました。それはどれも、単にそれぞれの著者の私的イメージを拠り所にしてイエスを飾っているだけであるとしたのです。

シュヴァイツアーは、その大冊の終わりで、彼は、主イエスがいかにして、学者たちによる分析や定義づけからその身を隠しておられるかを示しました。しかし、彼のその研究の結語とした強力な章句において彼と議論していく中で、学問的にではありませんが、主イエスと共29にその御業に参加しつつ、わたしたちは、主イエスがどなたであるかを知り得ることになろうと考えるのです。

マルコによる福音書7章24節から9章13節においては、主イエスが誰であるかについての、弟子ペトロの告白が響きわたっております。「あなたはメシアです」(8の29)。その弟子は主イエスを発見したように見えるのですが、しかしそのすぐ後で、主イエスが鋭く彼を譴責しておられるのをわたしたちは見ます。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(33節)。ですから、ペトロは、主イエスがメシアであると告白したにもかかわらず、その意味がわかっていなかったのです。確かに、主イエスはメシアであられます。しかし、不可思議な救世主なのです。

マルコによる福音書のこの部分には、奇妙と思える二つの奇跡と困惑を覚える二つの言及を見ます。ある人々が主イエスのところに耳が聞こえず舌の回らない一人の男を連れてきて、手を置いて癒してくださるようにと願い出ました。主は彼を群集から連れ出し、彼の両耳に指を差し入れ、それから唾をつけて彼の舌に触れられます。その後、わたしたちはもっと奇妙な奇跡に出会います。他の人々が主イエスのところに目の見えない男を連れて来ます。再び主イエスは彼を群集から連れ出し、そこで主はその目に唾をつけ、御手を置かれます。するとこの時も彼は見えるようになります。しかし、最初はあまりはっきりとは見えません。2度目に主が御手を伸べられて初めてはっきりと見えるようになっております。いかにも不思議なくだりです。これらからどんなことをわたしたちは読み取ったらよいのでしょうか?

ここの部分に見られる、主イエスの語られた御言葉も同様に驚きです。主の足元にひれ伏して悪霊につかれた娘を癒してくださるようにと願った一人の婦人に、主は答えて次のように言っておられます。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(7の27)と。これは、いかにも冷酷で、不快で、無慈悲と響きます。それに、誰がいったい、犬と呼ばれるのを願うでしょうか?

そしてその後、主イエスは群集と弟子たちに言われます。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(8の34)と。この御言葉は弟子たる者の道をはっきりと告げております。しかし、キリスト教のごく初期の時代より、従う者たちに困惑を与え続けてきている言葉づかいがこの中には見られます。いったい主イエスのこの御言葉はどのような意味を有しているのでしょうか?

これら二つの奇妙な奇跡と二つの困惑を与える御言葉とは、本章におけるわたしたちの論議に枠組みを与えるものとなることでしょう。主イエスとその御働きの中に新鮮な洞察を得てゆくとき、これらの事柄に注目することは、豊かな恵みを与えてくれることになるとわたしは思います。主イエスを閉じ込めようとして、わたしたちが用意していたいかにもきれいな枠組みを主が破られて、わたしたちに驚きやショックを与えるような行動をなさったり、また御言葉を出される、そのような主に出会うこととなります。

しかし、これらの奇跡や御言葉を検証する前に、7章24節から9章13節に記録されている主イエスの一連の旅行について見てみたいと思います。この段階での主イエスの御働きにおいて、主がどんな場所を歩き回っておられたのかに注目することは、聖書の記事の背景についての情報をわたしたちに提供してくれることはもちろんのこと、しかし、その情報などよりもっと大事な、主イエスの御働きに関する新しい洞察へとわたしたちを導いてくれることになります。

主イエスの旅

マルコによる福音書では、主イエスの旅路を確定的には辿ることはできません。他の福音書記者同様マルコは、主イエスの御働きの年代記を書いてはおりません。御霊に導かれるままに、ある事柄を入れたり取り除いたりしながら、彼が展開しようとしている主イエス像の構築に従って、いろいろな出来事や御言葉を彼は提示しているのです。ですから、マルコによる福音書7章24節~9章13節に見る主イエスの旅行は、必ずしもこの期間の御働きにおける順序正しい完全な旅行記録ではなく、ただマルコが伝えたいと願っていることに、大事な洞察を提供する役割だけを果たしているわけです。

主イエスは、まず地中海沿岸都市の一つであるティルスの地方に行かれます(7の24)。ガリラヤからは非常に遠隔の地で、異邦人の国です。ここで主は、シリア・フェニキアの婦人の娘を癒されます。

それから、ガリラヤに戻られ、デカポリス地方のの都市を通って南方に旅します(31節)。その地域は、ガリラヤ湖の東と南に至る広い地域です。紀元1世紀頃は、そこには商取引と防衛の同盟を結んでいるの町があり、その人口の大部分が異邦人でした。この地域で主イエスは、舌が回らず耳の聞こえない男性を癒されたのです。

マルコが次に述べている所は、ダルマヌタです(8の10)。それが実際はどこであったかはいまだ特定されてはおりません。しかし、マタイによる福音書の並行記事を見ますと、マガダンとも呼ばれていることがわかります(マタイ15の39)。恐らくそれはガリラヤ湖北西岸のマグダラの町(マグダラのマリヤはこの町の出身?)を指していると考えられております。ダルマヌタには主は舟で渡って行ったとマルコは言っておりますので(8の10)、すぐその前になされた4000人の人々への食事の奇跡は、恐らくはデカポリス地方でなされたと考えられます。

マルコは更にベトサイダに行かれたことを語っております(22節)。そこはガリラヤ湖の北岸の町で、ペトロやアンデレやフィリポの故郷です(ヨハネ1の44)。次に訪れた場所として聖書記者は、フィリポ・カイサリア地方を挙げております(8の27)。この地方も湖の北岸近くに位置していて、その名はテベリウス皇帝とヘロデ・フィリポ(ヘロデ・アンテパスの兄弟)の両者の名にちなんで名づけられました。ヘロデ・フィリポはその地を支配し、拡大し、美化しました。そして、主イエスの時代には、その住民の大部分はユダヤ人以外の人々でした。

主イエスの旅行をこのようにして見てみますと、注目すべき事実が浮かび上がってきます。ほとんどすべての活動が、異邦人の世界がその背景であるという点です。主は、その御働きの対象を選民を超えて広げておられたということです。実に、主イエスの御働きは全人類を包含しているのです。

わたしどもの視点からすればそれは明らかです。キリスト教は、イスラエルの垣根をはるかに越えて広がりゆくのです。ユダヤ人たちよりはるかに多くの、ユダヤ人ではない人々によって、救い主であり主であると、イエスは告白されていくのです。しかし、教会が始まったばかりのころは、そうではありませんでした。すべての使徒たちはユダヤ人でしたし、主イエス御自身もユダヤ人であり、彼らの主たる働きは、ユダヤ民族の間においてでありました。主の十字架・復活・昇天の後も、しばらくはその改信者たちはすべてユダヤ教からの人々であり、そのキリスト者たちは引き続き宮もうでや会堂への出席を続けていたのです。キリスト教はユダヤ教内の一分派として機能していたのです。

実際には、使徒たちが、主イエスは世界宣教の使命を彼らに与えておられたのだということに気づくまでには、数年かかっております。使徒言行録9章までを見てみますと、使徒たちの宣教は、すべてユダヤ人たちにのみ限定されております。10章にいたって初めて、彼らのトンネルを抜ける幻を得るようになります。すなわち、主はペトロに一つの幻を与え、彼を百卒長のコルネリウスのところに送られます。それから主は、後にパウロと改名し異邦人宣教の雄となったタルソスのサウロを立ち上がらせられます。

キリスト教の宣教が広がり行くにつれ、初代教会の中に大いなる緊張感が醸成されていったのをわたしたちは知っております。使徒言行録15章を見ると最初の教会会議が召集され、そこでは、もし教会が異邦人からの改宗者に、ユダヤ教伝統の規則を科す何かがあるとすれば、それは何かということを決めなければならなかったのです。疑いもなく、神の御心を探るこの期間、あらゆる背景下から来ているキリスト者たちは、繰り返し、一つひとつの課題につき、主イエスの御教や事例があるか否かの問いかけをなしたに違いありません。そのような時、マルコによる福音書に記されている内容は、彼らにとっては(その時それが存在していればのことですが)、大いなる助けとなる情報を提供し得たに違いありません。主イエスの御働きの初期に、主は律法学者たちやファリサイ人たちと儀式律法の洗いのことで議論され、それを片方に置かれたことをマルコは記録しております(7の1~23)。そして今やこの聖書記者は、主の御生涯の間中、ユダヤ人のみならず異邦人にも、主イエスはどのように御奉仕なされたのかを示すのです。

このことを覚えると、あの4000人の人々への食事(マルコ8の1~10)に関するある種の困惑を解消する助けをわたしたちに与えてくれます。マルコの記述は四福音書の中で一番短いのですが、しかしあの二つの大いなる食事の記事は詳細にわたってます。すでに5000人に対する主イエスによる食事(6の30~44)が記述されているのに、いったいなぜ同様の4000人に対する食事について書いているのでしょうか? そして弟子たちは、あたかもそのほんの少し前に主イエスがなされた5000人への食事をすっかり忘れてしまっているかのようです。彼らはどのようにしたら4000人の人々に助けを与え得るかを知らないかのようです。しかしそこでの問題は、主イエスが4000人を養えるかどうかではなく(主イエスはすでにその能力を実際に見せておられました)、それをなさるかどうかという点なのです。なぜなら、あの4000人は異邦人だったからです。

キリスト・イエスのご生涯に関する古典的書である、『各時代の希望』の中で、エレン・ホワイトは、そのポイントを強調し、次のように述べております。すなわち、「すると弟子たちはふたたび不信をばくろした。ベッサイダで、彼らの手にあったすこしばかりのものが、キリストによって祝福されたとき、群集に食べさせるのに役立ったのを彼らは見ていた。それなのに彼らは、イエスの力が飢えた群衆のために何倍にもふやしてくださることを信じて、持っているだけのものを全部さし出そうとしなかった。その上、イエスがベッサイダで養われたのはユダヤ人だったが、ここの人たちは異邦人であり、異教徒であった。弟子たちの心の中にはまだ偏見が強かった」②

このようにマルコによる福音書7章、8章を通し、主イエスは異邦人たちが支配的に多く住んでいる地域を旅しておられたのであることをわたしたちは見いだします。主イエスは異邦人たちを癒され、彼らに教えられ、またガリラヤの5000人のユダヤ人たちに対すると同様の方法で、4000人の異邦人の飢えた群集をも養われたのです。ですから、主イエス、すなわち神の御子は、御自身のメッセージと御救いとを人類すべてにもたらしておられるのであるということが、不可避の結論となるのです。

この背景を踏まえますと、マルコによる福音書のこの部分に見いだしていたあの奇妙な二つの奇跡と異常と見える御言葉の背景にあった意味を、よりたやすくわたしたちは把握できるようになります。

奇妙な二つの奇跡

マルコによる福音書だけが、この舌が回らなくて耳の聞こえない男性の癒しと目の見えない人の二段階の回復という、この二つの奇跡を記録しております。主イエスは何倍もの癒しの奇跡を行われていたに違いありません。恐らくは数百に上る可能性があります。しかしマルコは異常とも思える奇妙な二つの奇跡を彼の記述の中に取り上げたいと思ったのです。なぜでしょうか?

両方の癒しは共に唾を用いております。それは、多くの現代の読者たちにとっては、削除してもらいたくなるような、人を驚かせるメシアに関する詳細な側面です。そのようなことをなされた主イエスの御目的は、わたしたちのような西洋的視点でものを見ている者たちには、隠されております。しかし確かなことは、助けを受けた人々にとっては、その行為は重要な意味を持っていたに違いありません。それは主イエスの親近性と関心度の高さとを示していた行為でもありました。古代の人々にとって、ある人の唾は癒しの力を持っていると考えられておりました。しかしある種の類似性があるにせよ、主イエスとその他のしるしを行う人々との間には、著しい違いがあります。主イエスの癒しには、唾、あるいはその他のいかなる媒体にもその力の伝達のための依存ということはないのです。その上、主イエスは、人々の注意を引くためとか評判を得るといったことに関心を持つことはなかったのです。その証拠に、二つの奇妙な奇跡のいずれの場合も、主イエスは彼らを群集から連れ出され、人々が見ていないところで個人的に癒しをなさっておられるからです。

1番目の男性の苦しみを描写するのに、聖書記者マルコはその7章32節で、まれにしか使用されていない言葉を用いて、彼はひどい言語障害を持っていたことを示そうとしております。この用語は新約聖書中ではここだけで用いられているのですが、しかし、主が用いておられた七十人訳聖書中のメシアに関する預言であるイザヤ35章にこの言葉が見いだされます。

「そのとき、見えない人の目が開き

聞こえない人の耳が開く。

そのとき 歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。

口の利けなかった人が喜び歌う。

荒れ野に水が湧きいで

荒れ地に川が流れる」

(イザヤ35の5、6。強調は訳者注)。

この預言は特に、レバノン、カルメル、そしてシャロンの地名を挙げ、その地の人々が、主の栄光を見ること、すなわち、イスラエル以外の他の民族にその祝福が及ぶであろうことを述べています(2節)。

マルコによる福音書7章31~37節に、舌が回らず、しかも耳の聞こえない人の癒しを記述することによって、イザヤ書35章の預言を反響させながら、この福音書記者は、万人のメシアとしての主イエスを、更に強化して提示しております。

しかし、ここの奇跡には、これ以上のことがあります。マルコは、主イエスが唾をその人の舌につけ、それから深いため息をつかれ、あるいはうめかれて、「エッファタ」と言われたと記録しております。それはアラム語で、「開け!」の意味だと言います。主イエスは決してこの哀れな人を癒すことをいやがられたのではありません。確かなことは、霊的に病んでいて、しかも主イエスの救いの御力に抵抗する人々に対して、ため息をつかれたのです。そのような人々の中には、御自身の弟子たちをも含んでいたのです。なぜならまもなく、十二弟子に対する鋭い譴責を見るからです。「まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか」(8の17、18)と。

そして主イエスは今も、人類のその盲目性と聞こうとしない姿にため息をついておられるのです。見えない目に触れて見えるようになさり、そして、聞こえない両耳に触れて聞こえるようになされた御方であっても、その当時、男たちにも女たちにも御自身を受け入れるようにと命じることはできませんでした。そして、今もそうです。主イエスは人間の自由を尊ばれます。この御方がどなたであられるかを見ない盲目のままであることも、そして、この御方の霊的癒しへの招きを聞かない耳の不自由な人であることさえも選択する自由をであります。

この場合と同様の仕方で、二つ目の奇妙な奇跡、すなわち主イエスが2段階で目の見えなかった人を癒された奇跡についても、よりよく理解することができるでしょう。最初の段階で彼は見えるようにはなりましたが、しかし、それは見えるには見えたのですが形がぼんやりしていて、近視のような視力でした。主の御手が2度目に触れられた後になって初めて、彼はすべてのものがはっきりと見えるようになったのです。

この出来事の直後に、マルコは、フィリポ・カイサリア地方におけるペトロの「あなたはメシアです」との、あの「偉大な信仰告白」のことを記述しております(29節)。この言葉自体は天よりの霊感によるもので(マタイ16の17)、素晴らしいものでした。そしてこの告白を耳にしてわたしたちは、今やペトロは、明瞭に主イエスがどなたであられるかを悟るに至っていたのだと結論づけるかもしれません。

しかし、ペトロの実際は、そうではありませんでした。他のすべての弟子たちと同様、なおも彼は、霊的近視眼から来る悩みを味わって行くのです。なぜなら、彼は、主イエスを間違いなくメシアであるとは確信したのですが、そのメシア像を御神の御計画とは似ても似つかない姿で考えていたからです。今なおペトロにとっては、苦しみの人生を歩まれ、宗教指導者たちからは退けられ、その上、殺されてしまうメシア像などは、遠く思いも及ばない考えでした。ですから、この偉大な信仰告白をなした弟子ペトロは、厚顔にも、そのような考え方をしている主イエスをいさめ始めるのです。しかし、矯正されるべきはペトロであり、主ではありませんでした。そして主は、言葉を和らげることなく、彼に語られます。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(8の33)と。

時を経て、しかも、主イエスの十字架と復活の後になって初めて、ペトロ並びに主に従った者たちは、主とはどなたなのかを明晰に見たのです。何年も経って、初代のキリスト者たちへの一つの手紙の中で、ペトロは次のように述べています。「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。……そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(ペトロ一  1の18~2の24)。

困惑を覚えさせられる二つの言及

シリア・フェニキアの婦人、この人はまことに特筆に価するご婦人でした。追い払われてもひるむことなく、耐えて退かなかった人物です。主イエスは、シリア近郊では、できるだけ密かに行動しようと努められました。しかし、彼女は主を見つけ出し、すぐに主の御許に行ったのです。その足元にひざまずいて、自分の娘から悪霊を追い出して下さるようにと叫びながらひたすらに懇願します。

それに対し主イエスは一言も発せられません(マタイ15の23参照)。しかし彼女は動きません。弟子たちは、思いとどまらせて追い払おうとしますがだめです。それで、今度は彼らが主イエスに、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきますので」(同23節)と願うことさえしました。しかし彼女は動こうとはいたしません。

それから主イエスが御言葉を出されるのですが、それは彼女の耳には氷のように冷たく聞こえてきました。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない」と主は彼女に言われます。更に言葉を続けて、「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(7の27)と。

「犬ども!」。なんと無慈悲で軽蔑的な主の応答でしょうか。とりわけ、多くの人々にとって、当時、犬といえば、残飯や汚物をあさる以外の何ものでもないと考えられていた時代を考えますと。そこには人類歴史の幾千の場面で表明されてきた、人種や宗教上の偏見の精神が見られます。一方ではエリート、好意を寄せられている者たちは「子供たち」であり、他方では劣等な者、血筋のよくない者たち、愚かな者たちは「犬ども」なのです。この精神はたくさんの卵を産みました。そして、今なお、それは、憎しみ、偏見、迫害、苦役、殺人を生んで来ております。もし誰かを人間以下とみなすとき、その人を自分の飼っている動物たちよりも、更に悪質に、あたかも獣を扱うように扱っても構わないと考えます。

1880年代から1900年代にかけて、米国では恐るべきリンチ事件が吹き荒れた期間であったのですが、ある夕方のABCのニュース番組の中で、その時代に撮られた嫌悪すべき何枚かの写真が報道されていて、わたしの目を捉えました。一つの写真では、カメラが一群の人々を橋の上から見下ろして写している場面があって、ほとんどが男性ですが、その中には子供たちも女性もいます。彼らは恥じらいも罪の意識もなくカメラに向かってポーズをとっています。彼らの近くには、黒焦げにされた一人の黒人男性が、木にぶら下げられているのが見えます。

次の映像には、その次の日に送られてきた一枚の葉書きが写されていて、それには、「われわれは昨晩、バーベキューの大宴会を持った」と事実そのままに書いてありました。

主イエスはこの種の精神を共有するのでしょうか? 昔も今も、一人の人間を「犬」と呼ぶことは、嘲笑や物笑いの種とすることであります。使徒パウロはフィリピの人々に「あの犬どもに注意しなさい」(フィリピ3の2)と警告を与えました。また聖書の最後の書の最後には、「犬のような者……は都の外にいる」(黙示録22の15)の言葉を見ます。

主イエスはシリア・フェニキアの婦人を「犬ども」の部類にクラス分けしてそのように呼んだのです。しかし、それにもかかわらず、この婦人はあきらめませんでした。そのような一見して人種偏見的な侮べつは、この婦人を押しつぶしても不思議ではなかったのですが、しかし、なおも踏み留まりました。

実は、この婦人の不動の態度は、主イエスのこの女性に対する不可思議な態度を解く別の鍵をわたしたちに与えてくれているのです。もしわたしたちがその場に臨んでいて、主イエスの表情を観察し、主の御言葉の調子に耳を傾けることができたなら、たちどころに主がそこで何をなさろうとしておられたかを把握したに違いありません。表面的には主イエスの御言葉は無情で妥協の余地の全くないような拒絶に見えますが、その御表情は愛をもって語っておられることを示していたに違いありません。その婦人はその御心を見逃しません。すなわち、語っておられる御言葉の内容は無慈悲な拒絶のように見えますが、しかし、主イエスは、この婦人を決して見捨ててはおられない。いやむしろ歓迎しておられるのだと。

この出来事には、主イエスと、不動のこの婦人の物語以上のことを内包していることを思いみなければなりません。マタイによる福音書の並行記事の中では、弟子たちがこの物語の一翼を担っていることを示しております。彼らはこの婦人を追い払いたいと願っています。そして、彼らは主イエスに追い払ってくださるようにとお願いしております。それに対し、主イエスは何も語られません。それからあの不可思議な御言葉が発せられるのです。主は、いったい何をなさろうとしておられたのでしょうか? そうです。主は、弟子たちであったならこの婦人にそのように振舞うであろうということを演じて見せておられたのです。「選民」に属する者として生まれ育ったことにより、単純に植えつけられていた憎しみと軽蔑の精神を打ち破るため、主は、弟子たちに彼らの偏見の心がどのようなものであるかを暴露しようと努力されたのです。

主イエスの御働きはまもなく終わるでしょう。そして主はいなくなります。十二弟子は、主があまねく広めていこうと意図された運動の中核を形成していくことになりましょう。まず選民の中心地エルサレムで始まり、しかし、ついにはイスラエルの壁を突き破って、地の果てまでもこの運動は広められていくこととなるのです。

主イエスと不動の婦人の物語の中でマルコは、弟子たちのことは語っておりません。しかし、マルコによる福音書では、この物語が、弟子たちも従っていた異邦人への宣教旅行の7章と8章の部分に属しているということで、言外にではありますが、当然弟子たちをも包含していることになっているのです。

さて、いよいよ、マルコによる福音書のこの部分に見られる2番目の不可思議な主の御言葉について検証してみましょう。主はこう言われました。「それから、群集を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』」(8の34)。

これまでキリスト者たちが何年もの間、そして今もなお教えてきているたいていの解釈は、この聖句の意味は、人生の苦難とか、痛みとか、悲しみとか、難儀なこととか、額に汗して働かねばならない、といったことではないし、これらすべては主の言われた真意ではないということです。主イエスの召しはこれらよりはるかに徹底的で、より高い要求であるということです。

実際には、主が意味されたことの把握はそう難しいわけではありません。意味はわかるのですが、しかしながら、わたしたちはその言葉の意味するところに尻込みするのです。そして、もっと安易な道としての解釈はないだろうかと探るのです。なぜなら、言われていることをそのまま受けることを避けたいからです。

単純に、主イエスのこの御言葉を聞いた時の弟子たちや、彼らを取り囲んでいた群集の位置に自分を置いてみてください(マルコは、主が弟子たちと群集の両方に語られたと言っている)。彼らは、主が言われた意味を厳密に捉え得たのです。すなわち、彼らには周知のことで、十字架にかけられる囚人は、自分が磔になる十字架を背負わされて重い足取りで道を歩んでゆくのです。そのような光景を彼らはよく目にしておりました。反逆の抑止政策として、ローマ当局は十字架刑を行っており、その最大の効果を狙ってそれを見せしめとしていたからです。

従って、マルコによる福音書8章34節では、主イエスは明瞭に、わたしの人生は十字架に磔にされて終わるであろう。そして、もしもあなたがたがわたしの弟子になりたいと思うなら、あなたがたもわたしと同じようにしてその人生を終わることを喜びとしなければならない、と言っておられることなのです。

この困難な聖句が、容赦なく死を指し示しているということは、次の御言葉からも明らかです。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(35節)。主イエスの召命以上に過激な召しはありません!

およそ300年の間、主イエスに従った者たちは、この御言葉の現実を体験しました。キリスト教はローマ帝国の中では何らの法的身分保証がありませんでしたので、イエスの弟子であることを表明したというだけで、彼らは火あぶりの刑で焼き殺されたり、コロッセウムにおいて野獣の真ん中に投げ込まれたりしたのです。それからコンスタンチヌス帝の時代になって、キリスト教が国教とされる時代がやってきて、すべてが変わりました。キリスト者となることは、迫害を受ける少数派ではなく、国家によって保護される立場に立ったのです。今や彼らは教会堂を建てることができるようになり、誰にはばかることもなく、公に礼拝することもできるようになったのです。

良い時代となりました。しかし、失った物も少なくはなかったのです。今やキリスト者として信仰を言い表すことは、容易であるばかりではなく、利益でさえありました。主イエスの宗教は、国の政治に巻き込まれるようになって行きました。キリスト者たちは、自己の宗教を擁護する戦いのために兵器をとるようにもなりました。そしてもちろん、太陽の日、日曜日が礼拝の集いのための公式の日ともなって行ったのです。

しかし、あのガリラヤの人に真実に従うことへの召命は、今なお徹底的な要求事項を伴っております。そして、主イエスに弟子として従い行くということは、今なおわたしどもに対するその究極的な要求事項であるわたしたちの生命そのものという過激な要求が突きつけられているのです。「わたしたちは、自分の命以上に主イエスを愛しているかどうか?」、そして「主イエスに真実を尽くすためには、何であっても、あるいはそれがたとえすべてあっても、放棄することに生きがいを感じているかどうか?」が問われているのです。

これが、この不可思議な救世主からの召命なのです。

参考文献

①        Eine Geschichte der Leben-Jesu Forschung, 1906とその増補改定版であるGeschichte der Leben-Jesu Forschung, 1911がシュヴァイツアーの主著。訳者注。

②        『各時代の希望』中巻、p.166

*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の編集長ウィリアム・G・ジョンソン(英William G. Johnsson)著、2005年3月1日発行『マルコーイエス・キリストの福音』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

1 2 3
よかったらシェアしてね!
目次