マルコ【イエス・キリストの福音】#3

目次

第8章 メシアの御性質(マルコによる福音書10章32節~11章25節)

不可避的に、そして変更を許されない出来事として、主イエスの歩みは、エルサレムへと導かれて行きます。ガリラヤにおける群集の歓呼、しかし一方では主に疑問の目を向け、これに損失を与えようと企んでいる当局に絶えず付け回されていて、主イエスは、御自身の御働きのクライマックスはユダの地において迎えることになると自覚しておられました。エルサレムが、主を召喚しているのです。

ルカによる福音書を見ると、主イエスは弟子たちに、「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」(ルカ13の33)と言っておられます。マルコによる福音書には同じ言葉は見られませんが、それでも、主イエスは3度、弟子たちを連れ出されて、エルサレムで主の上に何が起ころうとしているのかを、彼らに告げ知らされておられるのを見ます(8の31・9の30、31・10の32~34)。

それぞれの語り告げで、その内容がだんだんと詳細に、そして具体的になっていっております。特に第3番目に語られた時には、決して忘れ得ないような映像の描写を与えておられます。

「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」(マルコ10の32~34)。

主イエスに関する何という描写でしょうか! 主イエスの目は清らかで、そのあごはしっかりと前に向かい、背骨はしゃんとしております。主はどこへ向かっておられるかを認識しておられます。それはエルサレムです!

そして主はそこで何が起ころうとしているかも御存知です。エルサレムは預言者たちを殺すのです! しかし、主は、ちょうどイザヤが預言しておりましたように、断固たる決意でそれに臨もうとしておられるのです。「主なる神が助けてくださるから わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っているわたしが辱められることはない、と」(イザヤ50の7)。

しかしながら、弟子たちは、不吉な予感で満たされております。彼らの混乱した心は、主の言われる意味を、通常把握しきれていないことに、更に輪をかけるように理解し得ないところへと追いやられて行きます。今や彼らは、エルサレムで、それが何かはわからないが、特別に恐るべき何かが起ころうとしているのだということを実感いたします。

ヨルダン渓谷に沿ってユダの地に至るまで、ガリラヤから歩き下ります。彼ら一行はエリコにやってきました。そこは死海に近い所で、海面下約240メートルの地域です。そこから道は山々の間を曲がりくねりながらの急な上り坂となって行きます。その頂上には目指す目的地であるイスラエルの首都エルサレムが横たわっているのですが、そこまでは900メートル以上も上って行かねばなりません。あと約35キロの道のりでした。

詩編には、エルサレムに上って行くときの一連の歌が収録されております(詩編120~134編)。1年に3度、過越祭と五旬節と仮庵祭に、すべてのイスラエル男子は、エルサレムに上り来るようにと定められておりました。そして、彼らは聖都への道を辿り行く時、これらの詩編を歌いながらその歩みを進めたのです。

「エルサレム、都として建てられた町。

そこに、すべては結び合い

そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。

主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め」

(詩編122の3、4)

今日では、車でエルサレムに行くことになるでしょう。そうであっても、その道は急坂で、乾燥していて茶色の丘を縫うようにして車は進みます。時にはベドウィン族のテントを見ます。テントの周りには彼らの家畜が見られます。しかしそれを除いては人の住まいの様子は全く見られません。およそ半分ほど行ったところでしょうか、そこに昔からの宿屋に出くわします。主の時代からのものといわれております。思い出すでしょうか、主が語られた善きサマリア人のお話。一人の旅人が山道で賊に襲われて半死半生のとき、サマリア人が通りかかってこれを助け、道端にあった宿屋に看護を依頼したお話です。そのときの宿のことを思い浮かべます。

それから突然、丘を上りきって、居住地が目に飛び込んで来ます。そしてすぐ前方に聖都を目にします。太陽の光で黄金に輝いている「岩のドーム」が見えます。

主イエスはこの道のりを徒歩で上り行かれたのです。主は歯を食いしばって、断固とした表情で、固い決意でその歩みを進められたのです。弟子たちは、その背後でいぶかしがりながら、ささやき合いながら、従っておりました。

オリーブ山上からエルサレムへは下り道となりますが、そこから彼らはエルサレムの町を見下ろしました。その町は今日ほどには大きくありませんでした。また、当時はいまだ岩のドームもありませんでした。しかしながら、それはなおも美しい都市で、しかも陰謀の渦巻く、宿命的な都でした。巨大な神殿複合体があって、古代世界の不思議と呼ばれたものの一つでもありました。

主イエスと弟子たちの一行は、恐らく金曜日に到着したのです。それは受難週の一週間前の金曜日にです。それからの一週間は、主イエスにとりましても、また弟子たちにとりましても、そしてこの世界にとりましても、決定的な時となるのでした。次の金曜日、あと一週間で、主はローマ人による十字架上に磔刑に処せられ、天と地の間にぶら下げられることとなるのです。

主イエスの人生における最後の一週間は、主の使命の最高潮を迎えるのです。他の福音書記者たちと同様、マルコは、これからの一日一日の出来事を辿っており、主イエスの他の日の出来事に比べ、はるかに多くの紙面をその記述に用いております。マタイ、ルカ、ヨハネと同様、マルコも、わたしたちがその週に何が起こったのかを読み取り、それを熟考するようにと願っております。それを把握できなかった十二弟子のようにはならないようにと願っております。

この一週間の記述に、全16章の内の6章も用いております。11章の中ではその受難週の日曜日に起こった諸事件を取り上げています。これらの出来事は真に興味津々で、驚くべき諸要素を内包しております。

まず主イエスは、勝利のエルサレム入場で、意図して御自身に衆目を集めようとしておられます。それから、主イエスが、力を振るい上げて商人たちや両替人たちを神殿から追い出しております。そしてまた、期待した実がなかったというので、主はいちじくの木を呪われ、その結果その木が枯れてしまうということが起こっております。

これらの中で登場している主は、いったい、本書の最初から親しく示され知らされてきた主イエスと全く同じ御方でありましょうか? わたしたちが知り期待している主イエスとは著しく異なる行為をどうして主はなされたのでしょうか?

勝利のエルサレム入城

日曜日の朝、主イエスは二人の弟子たちを一つの村に(ベタニー、あるいは恐らくベトファゲ)遣わされるのですが、その際、奇妙な命令をされます。「村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れてきなさい」。そしてなおも言われます。「もし、誰かが『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐにここにお返しになります』と言いなさい」(11の2、3)と。

その弟子たちは命ぜられた通りに行きますと、道端に面したある家の入り口に子ロバがつながれているのを見ました。そこでその綱を解いて連れて行こうとしたら、そのあたりに立っていた人々のある者が、何をしているのかと問いますので、主が言われた通りの答え方をします。それから、興奮でゾクゾクしながら、その弟子たちは、主イエスのところに子ろばを引いて帰っていきます。弟子たちが上着を子ろばの背にかけると、主イエスはそれに乗られます。それから一行はオリーブの山からエルサレムの方へと向かって下り始められます。

四福音書ともこの出来事を記述しており、伝えている内容も本質的には全く同じです。道を進み行くに従って、人々がますます一行に加わります。ついには、とんでもない数の群集へと膨れ上がって行きます。人々は自分の上着を道に敷いてゆきます。他の者たちは木々やしゅろの枝を切って持って来て、それらを主イエスの進み行く道に敷きます。

エルサレムに近づくにつれ、群衆は更に増し加わります。そして前に行く者も後ろから来る者たちも共に、「ホサナ」(詩編118の25によれば、「どうか主よ、わたしたちに救いを」の意味のへブライ語)と叫んでいます。

「ホサナ。

主の名によって来られた方に、

祝福があるように。

我らの父ダビデの来るべき国に、

祝福があるように。

いと高きところにホサナ」

(マルコ11の9、10)

およそ600年の間、イスラエルは他国に従属してきた民族です。しかし、やがてダビデのような他の偉大な王が立てられる時が来て、その民族を勝利へと導かれると、預言者たちは預言しておりました。そして、その時が訪れればどのようになるのかは、預言者ゼカリヤは次のように描写しております。

「娘シオンよ、大いに踊れ。

娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、勝利を与えられた者

高ぶることなく、ろばに乗って来る

雌ろばの子であるろばに乗って。

わたしはエフライムから戦車を

エルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ

諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ

大河から地の果てにまで及ぶ」

(ゼカリヤ9の9、10)

今日で言うなら、バグダットからボストンまでとか、北京からブエノス・アイレスまでといったところでしょうか。

このしゅろの日曜日のエルサレムへの勝利の入城ということに関して、最も興味深い点は、このことを主イエス御自身が発議され実行されたということです。主がこれを指揮なさったのです。それまでの主イエスの歩みは、常に控えめな行動でした。極力公にするのを避け、人々の興奮を鎮めようとされたのです。

しかし、主が死なれる一週間前の日曜日は別でした。御自身でそれを正反対にし、ろばの子を引いてこさせ、それに乗られ、エルサレムへと王の道を通って行かれたのです。主イエスを王としてほめ称える群集の歓呼を、その言葉においても彼らの行為においてもそれらを受け入れられたのです。主イエスは、長く人々の待望していたメシアであり、ダビデの子であるという群集の期待感を高揚させたのです。

すべての人々が興奮で我を忘れたようになって行きました。男も女たちも、そして子供たちでさえも。ペトロや弟子たちはどうだったでしょうか? その日は、彼らにとってはまさにそれまでの最大の一日となったのです。

しかし、しゅろの日曜日にホサナ! と叫んだあの同じ群集は、その同じ週の金曜日の朝には、十字架につけよ! 十字架につけよ! と叫ぶようになるのです。その日曜日には群集と共に歓喜した弟子たちは、金曜日には恐れでもってしっぽを巻いて逃げ去るのです。そしてペトロ。彼はもし必要とあらば、主イエスと共に命を賭としても惜しくないとした勇敢な弟子も、一人の女中の質問の前に萎え、そして、彼が主イエスを知っていると言うことさえも3度も否定するようになるのです。

しかし、この日曜日の朝にはいったい何が起こっていたのでしょうか? ガリラヤでのすべての働きの中で、それまではずっと公衆の宣伝を控えておられたのに、なぜその朝、主イエスは、突然御自身の生き方を逆転させられたのでしょうか? あるいは、実際は主イエスがそうなさったのでしょうか?

主イエスのその朝の行動に関するエレン・ホワイトの以下に見る注解は理解の助けとなります。

「イエスは、ご自分の地上生涯において、それまでこのようなデモンストレーションをおゆるしにならなかった。イエスははっきりと結果を予見しておられた。それはイエスを十字架につけることになるのであった。しかしこのように公然とご自身をあがない主として示されることはイエスのみこころであった。イエスは堕落した世に対するご自分の使命の最後の仕上げとなる犠牲に人々の注意を引こうと望まれた。人々は過越節を守るためにエルサレムに集まってきていたが、小羊の本体であられるイエスが、自発的な行為によって、ご自身を供え物として聖別された。これにつづく、すべての時代のキリスト教会は、世の罪のためのイエスの死を、深い思想と研究の主題にすることが必要であった。これに関係のあるひとつひとつの事実が、疑いの余地がないまでに証明されねばならないのであった。だからいますべての人の目をイエスに向ける必要があった。イエスの大いなる犠牲に先立ついろいろな出来事は、人々の注意を犠牲そのものにひきつけるようなものでなければならない。イエスのエルサレム入城に伴うこのようなデモンストレーションのあとで、すべての人々の目は、イエスの最後の場面への急速な進展を追うのであった」①

事実は、メシアに関する預言者ゼカリヤの預言の言葉の成就が主イエスであったということです。主は、イスラエルの真実の正当な王であられ、そしてその支配は、やがて世界の端から端にまで及ぶのです。確かに主イエスは、民衆が待ち望んでいたようなメシアではありませんでしたが、この御方こそは、まぎれもなく御神が定められたメシアであられたのです。

子ろばを求められ、それに乗ってエルサレムに向かわれ、弟子たちや群集の歓呼を、何一つ妨げるようなことはなさらずに受け入れられたその時、御自身はこれは古来からのもろもろの預言の成就であることを、すべての人々が認識するようにと公に宣言しておられたのです。

ガリラヤにおいては、状況はことごとく、できるだけ誤ったメシア像を人々の間にかき立てることのないように注意して歩む必要がありました。主は、御自身が単なる不思議を行う人、悪霊を追い出して旅している人という印象を払拭しようと努めました。確かに主イエスはそのような御業を行われる一方では、主イエスは、そのような人以上の御方であり、神の御子であられたのでした。そして、目の見えない人々が視力を、耳の不自由な人々が聴力を回復していただき、口の利けない人々が喜びを言い表せるようになり、また群集がわずかなパンと魚から満腹にしていただくという、主イエスによる奇跡の経験を重ねて行くに従って、人々が、そのメッセージに一層の関心を抱くようになって行くことこそが意図されていたのでした。しかし今日と同様、当時のガリラヤ人たちのほとんどは、外面以上には主を理解することはできなかったのです。

さて、しゅろの日曜日になって、主イエスは、御自身のお働きの運命を決する最後の週を迎えておりました。エレン・ホワイトが指摘していますように、その時主は、すべての人々に、今から御自身がなそうとしておられる事柄にその焦点を合わせて欲しいと願っておられたのです。そして御自身が何者であるかについて、いささかも疑念が残らないようにしようと意図しておられたのです。後になって、その金曜日とそれに続く日曜日に起こった最高潮に達したそれぞれの出来事の後で、弟子たちとその他の人々は、過去の一つ一つの場面を精査することになるのです。彼らがこの御方の真の御人格と御働きとに開眼していった時、ああ何ということでしょうか! 彼らはいったい主がどのようにして、しかも、それは人々の考えからは全く思いも及ばなかった仕方においてであったのですが、この御方につき聖書が預言していた御言葉を一つひとつ成就していかれたのかを、はっきりと見分けられるようになっていくのです。

清める御方が御自身の神殿に来られる

主イエスのエルサレムへの旅は、まっすぐにその心臓部である神殿へと向かわせます。この地上生涯における最後の週において、主イエスは宗教の中枢にすでに確立されていた権力体制に敢然と戦いを挑み、鞭を振り下ろされたのです。そのような業をなすことによって、主は必然的に反撃を受けることとなり、またその運命を決定づけたのです。

何世紀も経た後であっても、その神殿の大きさや景観は今もなお、エルサレムを訪ねる旅行者たちを引きつけております。旧市街で、そしてその民族の宗教生活において、その神殿がどんなに他を凌駕して支配的に存在していたかを想像してみることができます。主イエスが御存知であった神殿は、その中で赤子の時御自身が捧げられたところであり、12歳の時にはそこで律法学者たちと出会ったところでもありましたし、そしてしゅろの日曜日にはろばの背に乗って入城したところなのですが、それはソロモンの神殿よりもはるかに大きなものでした。ゼルバベルの指導の下でバビロン捕囚より帰還した時に立てた神殿を、ヘロデ大王が移動し、大きく建て増ししており、その改築建造は、主が御働きをしておられていた折にはなおも継続されていたのです。ですから、主イエスに対するユダヤ人たちの応答は、「この神殿は建てるのに四十六年も掛かったのに、あなたは三日で立て直すのか」(ヨハネ2の20)であったのです。

主イエスが、いつ商人や両替人たちを神殿から追い出されたのか、わたしたちには定かではありません。マタイとルカの記述では、エルサレム入城後の日曜日の夕方であったように書かれております(マタイ21の12、13・ルカ19の45、46)。しかし、マルコによる福音書ではそれをその次の日としております。日曜日のことについては、マルコは、「こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた」(11の11)と言っております。

こうしてその次の日に再び神殿を訪れて、主イエスは、これを清められたとマルコによる福音書は述べていますので、出来事の順序に関しては、マルコの説明の方が、より正確に示しているのであろうと思われます。マタイとルカは日曜日のエルサレム入城と月曜日の再訪問とを望遠鏡で見るように重ねたのであろうと考えられます。

ハルタドによりますと、「古代のユダヤの歴史的事実からすると、ある時期には神殿を見下ろすオリーブ山の上に犠牲の動物を購入するための市場があり、それはユダヤの議会(サンヒドリン)の管轄下にありました。紀元30年かその頃になって、大祭司は同じ商いを神殿で執り行えるようにする許可を出したもののように思われます。イエスが抗議していたのはこのことであったように思われます」②

主イエスの行為に関するマルコの描写は、わたしたちの心を奪います。「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった」(15、16節)。

主イエスはただ、動物たちを追い払ったのではありませんでした。すなわち主イエスは商人たちを追い払い、台をひっくり返し、至る所に金銭をジャラジャラと音を立てて撒き散らすようにし、腰掛さえもひっくり返したのです。そして主は、神殿を通って物を持ち運びするのを物理的に阻止されたのです。

主イエスは、映画の主人公のランボーのようになったのでしょうか? 預言者イザヤの言うあの羊飼いにいったい何が起こっていたのでしょうか?

「主は羊飼いとして群れを養い、御腕を持って集め

小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」

(イザヤ40の11)

ガリラヤ地方では、この預言をまさに成就しておられました。しかし、聖書は同時にメシアの別の面を預言しておりました。すなわち、

「見よ、わたしは使者を送る。

彼はわが前に道を備える。

あなたたちが待望している主は

突如、その聖所に来られる。

あなたたちが喜びとしている契約の使者

見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。

だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。

彼の現れるとき、誰が耐えうるか。

彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。

彼は精錬する者、銀を清める者として座し

レビの子らを清め

金や銀のように彼らの汚れを除く」

(マラキ3の1~3)。

主イエスが、商人たちや両替人たちを追い払い、神殿の通行を取り仕切ることをなされたとき、それは、決して御自分の御品性から外れた行為をなされたわけではありませんでした。主イエスこそは神殿の主であられました。そこでの儀式はすべて、主を指し示していたはずでした。そして一方、既成の宗教は神殿を汚し、これを「強盗の巣」にしてしまい、強欲が真の礼拝に取って代わる状況になっておりました。このような時こそが、主イエスが清め主としての役割を担われるその時であったのです。

何たる場面をマルコは描いていることでしょうか! これらの場面で、登場してくる主イエスは、われわれの主に関して描いてきた概念を、根底からひっくり返すほどの主イエス像です。特に三つのうちの最後の二つはそうなのですが。

第一に、柔和で謙遜な、優しい主というイエス像でもって、簡単にもう一つのイエス像を切って捨てることはできません。ここでは、強力な主イエス、憤っておられる主イエス、力を振るっておられる主イエスの像を見ます。この御姿は、昔も今もクリスチャンの思想や芸術の中にはほんのわずかしか見いだされ得ません。

第二に、経済の利欲のために宗教を操ろうとしていることにいたく怒っておられる主イエス像です。主イエスと金銭を愛する心とは混ぜ合わせてはならないし、相容れません。今後とも相容れることはないのです。主イエスの御名を用いて、説教者たちを豊かにするための金銭をアッピールするとき、主は今日どのように感じておられるでしょうか? 我らの「神殿」の中でなされるビンゴやバザーや焼き上げた食物の販売などはどうでしょうか?

主イエスを、正当に理解し得るように注意深くあろうではありませんか。主イエスは今もなお、御自身の宮に来られる清め主であられるのです。

いちじくの木が呪われて枯れる

マルコによる福音書によると、主イエスはベタニアからエルサレムへの途中の道すがら、いちじくの木を呪われました(受難週の月曜朝のことです)。主は空腹でした。明らかに朝食を摂っておられませんでした。葉の茂ったいちじくの木を遠くから見られて、その木に実を探そうとされたのです。春先早くには、葉が出てくる前に、通常はまず青い実が現れるのです。その実は6月頃になって熟します。しかし、今は3月下旬か4月早々ですから、いちじくの実としては季節外れでありました。そうした中で、主が御覧になられたそのいちじくの木は失望を与えたのです。なぜなら、その木はたくさんの葉を生い茂らせていて、しかし実がなかったからです。

「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」(11の14)と主イエスは宣告なさいます。それから主イエスはエルサレムに行かれ、その夕方ベタニアに戻られました。翌朝、主と弟子たちとがエルサレムに再び来られた時、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見ました。ペトロは前の日の朝のことを思い出して、主イエスに言います。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています」(21節)と。

聖書を批判する人たちは、この物語を指差して、主イエスはわれわれとちょうど同じような、平静さを失いやすい人間なのだと言います。彼らは主イエスは、そのとき、ただ失望と腹立たしさから、あのような行為に及んだのだと考えるのです。しかしながら、その前後関係と主イエスのそれより以前の御教えより、注意深くこの事件の部分を読み下してみますと、極めて異なった理解が与えられるのです。

第一に、マルコによる福音書にだけではなくマタイによる福音書の中にもこの物語が見いだされるという点です(マタイ21の18~22)。どちらの記者も何か不快なことを示すためとか、水で薄めるような意図でこれらを記述しているわけではありません。彼らは明らかに、彼らの福音書の中にこの物語を入れる明快な意義を考えて挿入しているのです。

第二に、いちじくの木の呪いは、受難週の最中に起こったことを思い起こさねばならないと思います。この週の間に起こったとされているたとえどんな御業も御言葉も極めて注意深い精査に値します。余分なことは何一つありません。すべてのことが重大な意味を担っているのです。この出来事は群集の目に触れる形で起こったのではありませんでした(弟子たちだけがそれに気づいている形で起こった)ので、明らかに主イエスは、その大事な教訓を弟子たちに汲み取ってもらおうと意図されたと考えられます。

第三に、いちじくの木の呪いは、「旧約聖書の読者たちには馴染み深い『預言的な表示行為』であり、預言者はその行為によって自分のメッセージを象徴的に伝えるのです(たとえば、イザヤ20の1~6・エレミヤ13の1~11・19の1~13・エゼキエル4の1~15)。このようにして、その行為は、単なる短気を起こした怒りの結果の業として捉えられるべきではありません。そうではなく、弟子たちのために(そして読者のためにも)宣言された厳粛な預言の言葉として受け止められるべきなのです」③

第四に、主イエスの行為は、主が働きの初期に語られた、短いが力強いお話である実のならないいちじくの木のたとえ話と直接関係があります(ルカ13の6~9)。毎年ブドウ畑の主人は実を捜し求めてやってきます。しかし失望ばかりです。葉ばかりで実がないのです。そこで、あと1年だけの猶予をそのいちじくの木に与え、そしてもし、それでも実がならなかったならそれを切り倒すようにと、主人は園丁に言うのです。そのいちじくの木はイスラエルを象徴しておりました(イザヤ5の1~7を参照)。そして、そのたとえ話は、その民族に与えられている猶予期間が終わりに近づいていることを指していたのです。受難週になって、運命の砂時計の残りの砂粒が尽きかけることとなったのです。

「キリストのエルサレム訪問の前に語られたいちじくの木の譬は、実のならない木をのろうことによって教えられた教訓と直接に関係があった。譬の中の実のならない木について園丁はこう懇願した、『ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』(ルカ一三の八、九)。実をむすばない木にもっと手入れを施すことになった。これにあらゆる利点を与えることになった。しかしそれでも実がならなかったら、どんなこともそれを破滅から救うことはできない。この譬の中には、園丁の働きの結果は予告されなかった。それはキリストがこのことばを語られた人々の態度にかかっていた。彼らは実のならない木によって象徴されていた。彼らの運命を決定するのは彼ら自身であった。天の神がお与えになることのできるあらゆる利点が彼らに与えられたが、彼らは増し加えられた祝福から益を受けなかった。その結果は、実のならないいちじくの木をのろわれたキリストの行為によって示された。彼らは自分自身の破滅を決定したのであった」④

主イエスがいちじくの木を呪われたことに関する二つの詳細な事実が、主が御弟子たちに伝えたかった教訓を物語っております。まず、その木が葉は茂っていたが実がなかったという事実で、それは、その木が実を生らせることはないということを意味していたわけではありません。マルコは「いちじくの季節ではなかった」と指摘していることからしても、主は御自分の空腹を満足させるような熟れた実をそこで見つけ得るとは期待されなかったはずです。問題はその木の見せかけという点なのです。それはちょうど、イスラエルの宗教全体が、神が御自身の民に期待しておられた義の実を結ぶことなく、すべてが見せかけだけであったのと同様です。

それからマルコは、その翌朝、呪われたそのいちじくの木は根元から枯れていたと告げております。このような早々の枯れ方はまさに異常です。朝には葉が青々と茂っていて、しかし翌朝には枯れている、しかも完璧に枯れていたのです。このようにして、自然界に起こった出来事を用いて、今や民族に差し迫っていた御神の審判ということに注意を向けさせる御業となされたのです。

マルコはこの物語を語るに当り、宮清めの出来事を、見せかけだけの木に対する呪いとその木が完全に枯れてしまうこととの真ん中に置いております。マルコは神殿における主イエスの劇的な行為とは別な何か他の御教えや御業を記録していたわけではありません。

いちじくの木で示された預言的な表示行為と神殿の清めとの間の結びつきは、決して偶然の符合ではないのです。もしも、イスラエルが御神を表すことに失敗すれば、その腐敗は民族の礼拝の中枢を襲うのです。神殿行事は、もはや実のない演劇と化します。(祭司たちの側での)金銭に対する愛が、神に対する愛に取って代わり、儀式だけへの用意周到なこだわりが顕著になります。神殿の諸行事は御神の御計画や御心からは遠く離れてしまい、あまりに真の霊性からは遠く破綻した状況に至っておりましたので、そのように儀式を賑々しく行い、また行うようにした人々、すなわち祭司階級の人々は主イエスが御自身の宮に来られたとき、宮の主を認識することができなかったのです。そして実に、単に認め得なかっただけではなく、この御方を殺そうとさえ図っていたのです!

葉、それも豊かな葉、しかし実がなかった! この木は二度と実を結ぶことはないと見られたのです。従って、それは御神の御手によって撃たれ、根元から枯れることとなったのです。

他人に指を指すことはいとも容易であり、そしてそれは誘惑です。メシアに対する盲目的頑固さやその拒絶の姿について、また彼らの壮麗な神殿の儀式や犠牲の無意味さについて、主イエスの時代のユダヤ人指導者たちをわたしたちが非難することはできます。

しかし、翻ってわたしたちは今日どうでしょうか?

わたしはどうでしょうか? わたしの人生に御神はどんな実を見いだせるというのでしょうか? わたしは葉ばかりで、すべては見せかけ? あるいは御神の御栄光となるあの期待されている「いちじくの実」のような実を、わたしは実らせているでしょうか?

参考文献

①        『各時代の希望』下巻、p.5

②        Larry W. Hurtado, Mark: A Good News Commentary(San Francisco: Harper and Row, 1983). p.176

③        Ibid., p.168

④        『各時代の希望』下巻、p.24, 25

*本記事は、レビュー・アンド・ヘラルド出版社の編集長ウィリアム・G・ジョンソン(英William G. Johnsson)著、2005年3月1日発行『マルコーイエス・キリストの福音』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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