【エフェソの信徒への手紙】エフェソ教会【解説】#1

目次

この記事のテーマ

幸いなことに、エフェソの教会はパウロの奉仕にあずかりました。パウロがあなたの教会の牧師であると想像してみてください。何と幸いなことでしょう。

エフェソの教会はパウロを必要としていました。この教会には多くの敵がいました。その中には野獣のように凶暴なものもいました(Ⅰコリ15:32)。パウロがエフェソの教会と親密にしていたのはそのためです。エフェソにおける彼の働きは長く、困難なものでしたが、ほかの牧師もうらやむほどの満足感をもって、彼はそこを去りました。「わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」(使徒20:27)。

エフェソの教会とかかわった人たちの中には、ほかにもアキラとプリスキラ、アポロ、テモテ、使徒ヨハネがいます。これらはみな、1世紀の中心的な教会の一つであったエフェソの教会を建設するうえで重要な役割を果たした人たちです。今回は、初期キリスト教におけるこの魅力的で、教訓に満ちた時代について学びます。

イエス対アルテミス(使徒19:23~29)

小アジアの西端にあって、エーゲ海に開けたエフェソは1~2世紀に最も繁栄しました。ローマ帝国第4の都市、また小アジアの首都であったエフェソは豊かな富と哲学とローマ法を誇っていました。

この町の最大の魅力は、「アジア州全体、全世界」(使徒19:27)から豊穣の女神として崇められるディアナの神殿があることでした。ギリシア人にはアルテミス、ローマ人にはディアナとして知られるこの女神には、魔術や占星術を行う信奉者の集団が従っていて、町はこの女神を礼拝する人々や旅行者で賑わっていました。大理石で造られ、内側を純金で覆われたその神殿は、周囲が130メートル×70メートルもあり、内陣の中心にアルテミスの像が安置されていました。パウロの時代には、この神殿は世界の七不思議の一つに数えられ、エフェソの交易、産業、経済は、アルテミスを礼拝するために集まって来る多くの人々に依存していました。

パウロは、この豊穣の神を崇める人々であふれる町にやってきて、「手で造ったものなどは神ではない」(使徒19:26)と宣言したのでした。彼のメッセージは人々の価値観に真っ向から挑戦するものでした。

問1

使徒言行録19:23~29を読んでください。エフェソの住民が真理に反対した真の理由は何でしたか。

キリストとアルテミスとの戦いは、キリストとサタンとの戦いと同じくらい古いものです。この戦いは必ずしも、何が善で、何が悪であるか、まただれが幸福をもたらし、だれが不幸をもたらすかをめぐるものではありません。この戦いは、永遠のものに対する一時的なもの、霊的なものに対する感覚的なもの、罪からの救いに対する人生の快楽をめぐるものです。

エフェソにおいて、パウロと銀細工師のデメトリオが、宗教の名において戦っています。ここで忘れてはならない重要な問題は、私たちも至るところにある「エフェソ」と戦っているということです。これには、自分の心も含まれます。

アキラとプリスキラ

パウロの最初のエフェソ訪問は短期間のものでした。彼は第二次宣教旅行の終わりに、コリントからアンティオキアに帰る途中、エルサレムに向かう前に、エフェソに立ち寄っています。パウロはコリントにいたとき、アキラとプリスキラに会っています。3人には多くの共通点がありました。彼らはイエスをメシアとして受け入れたユダヤ人でした。パウロは伝道のため、夫妻は仕事のためにあちこちを旅行していました。夫妻はローマから、パウロは多くの町々から追い出された避難民でした。それに、彼らはみなテント造りを職業としていました。

必要によって鍛えられ、イエスへの愛によって新たに生まれ、福音宣教を使命としていた3人は一致協力して働きました。コリントで伝道した後、彼らはエフェソに向かいます(使徒18:19)。そこで、パウロは(いつものように)会堂に入り、ユダヤ人に最初の説教をしています。聴衆は彼の説教に心を打たれ、もっと滞在するように頼みますが、パウロは「神の御心ならば、また戻って来ます」(21節)と言って、断ります。エフェソが重要な伝道の中心になりそうだと考えた使徒パウロは、そこにアキラとプリスキラを残していきます。2人の忠実な信徒はエフェソの教会を組織する上で重要な役割を果たしました。後に、エフェソから『コリントの信徒への手紙Ⅰ』を書いたとき(紀元57年ごろ)、パウロはアキラとプリスキラ(プリスカ)および彼らの家の教会からの挨拶をコリントの教会に送っています(Ⅰコリ16:19)。これらの信徒夫妻とエフェソの教会は信徒伝道、特にチーム伝道に関して有意義な模範を私たちに残しています。

問2

使徒言行録18:2、3、18、19、ローマ16:3、4、Iコリント16:19を読んでください。これらの聖句からクリスチャンの生活と働きに欠かせないどんな特徴について学ぶことができますか。

アキラとプリスキラはエフェソの教会にとってだけでなく、初期の宣教運動にとっても祝福となりました。彼らがアポロを完全な真理の知識に導き(使徒18:26)、その結果、初代教会はこの雄弁で、学識豊かで、恐れを知らない伝道者を得たからです。

エフェソでのアポロ(使徒18:24~28)

問3

ここに、ギリシアの神と同じ名前を持つユダヤ人が出てきます。このことは何を暗示しますか。ダニ1:7参照

パウロがエフェソで本格的な伝道を始める前から、ローマ帝国第2の都市であるアレクサンドリア出身の雄弁家アポロはそこで伝道していました。ギリシア文化の中心地で育った彼は、哲学と修辞学に精通し、聖書もよく知っていました(使徒18:24)。しかし、確信の伴わない知識は意味がありません。また、伝える熱意の伴わない確信も意味がありません。

問4

使徒言行録18:24~28を読んでください。アポロを力強い伝道者としたものは何でしたか。

アキラとプリスキラはアポロの説教に一つの弱点を発見しました。アポロはイエスのバプテスマでなく、「ヨハネのバプテスマしか」(使徒18:25)知りませんでした。バプテスマのヨハネ自身、その違いを知っていました。一方は水によるバプテスマであり、もう一方は「聖霊と火」(マタ3:11)によるバプテスマでした。バプテスマの儀式にあずかるだけでは不十分です。儀式には救いの力はありません。儀式は、より深いもの、より大いなるものの象徴に過ぎません。ヨハネは罪の悔い改めについて語っていますが、それは第1段階に過ぎません。福音は私たちに悔い改めて、イエス、つまりイエスの死と復活を信じるように、そして聖霊のバプテスマによって造り変えられるように求めています。アポロはこのことを知りませんでした。そこで、アキラとプリスキラは、「彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」のでした(使徒18:26)。

このように、エフェソの教会は聖書を擁護する素晴らしい学者を迎えたばかりでなく、この学者が真のキリストの弟子となる道を備えたのでした。

エフェソでのパウロ(使徒19:1―20)

第3次宣教旅行の折、パウロは約束どおりエフェソに戻り(使徒18:21)、そこに約3年滞在して伝道し、教会を強化しました。「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」(使徒19:10)。「ユダヤ人であれギリシア人であれ」という言葉に注目してください。エフェソの教会には、さまざまな人がいました。『エフェソの信徒への手紙』が一致と関係の喜びと祝いをテーマにしているのはそのためです。

エフェソにおけるパウロの働きは順調でした。すでにそこにいた何人かの信徒が完全な真理に導かれていました。アポロの場合と同様、これらの信徒はヨハネのバプテスマしか知らず、イエスのバプテスマのことも、「聖霊があるかどうか」(使徒19:2)さえも知りませんでした。偉大な教師パウロはすぐに彼らに真理を教え、彼らは喜んで受け入れました。

問5

しかしながら、パウロの働きは反対に直面します。どんなに偉大な伝道者でも、すべての人には受け入れられないのです。彼はどのように反対に対処しましたか。そうしたのはなぜですか。

一部のかたくなな人々を除いて(使徒19:9)、アジア州の人々は、ギリシア人もユダヤ人も、みな主の言葉を聞きました。パウロは2年間にわたって毎日教え、論じ、神は彼を通して「目覚ましい奇跡」(11節)を行われました。

パウロの伝道といやしの働きは驚くべき結果をもたらしました。多くの人が信じ、罪を告白し、それまで行っていた魔術や呪術をやめました。オカルト社会は崩壊し、何億円もの価値のある魔術の書物が焼き捨てられました(使徒19:18、19)。「このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった(」20節)。ところが、「主イエスの名」が「大いにあがめられる」(17節)ようになると、人々の間に、「偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、……この女神の御威光さえも失われてしまう」(27節)という恐れが生じます。

パウロの徹底した宣教(使徒20:17~38)

使徒パウロはエフェソで3年働いた後、マケドニア、ギリシア、トロアスで伝道し、それからエルサレムに帰ろうと考えました。パウロは別れの挨拶をするためにエフェソ教会の長老たちをエフェソから約50キロ離れたミレトスに呼び寄せます。パウロが組織し、訪問した教会の中でも、エフェソの教会は最も親しみ深く、特別な教会でした。彼がこの教会に対して抱いていた深い愛と献身の情は、使徒言行録20:18~35にある告別説教の中によく表されています。

問6

以下にまとめられたパウロの宣教の働きから、あなたはどんな点に感動し、また何を学びますか。それはあなたの信仰生活をどのように強め、高めてくれますか。

  1. パウロは自分の教えを自ら実践していました(使徒20:18)。
  2. 彼は心からの誠意をもって働きました(19節)。
  3. 彼は公的にも私的にも真理を語りました(20節)。
  4. 彼はユダヤ人にもギリシア人にも、イエスに対する信仰という共通のメッセージを説きました(21節)。
  5. 彼は自分のことよりも宣教を優先しました(24~26節)。
  6. 彼は神の勧告を余すところなく伝えました(27節)。
  7. 彼は伝道の責任を委任し、伝道に伴う危険について警告しました(28~31節)。
  8. 彼は教会がキリスト御自身の血によって贖われたことを信じていました(28節)。
  9. 彼は自活の重要性を認めていました(33~35節)。

パウロは有能な長老たちに管理をゆだねて、エフェソの教会を離れます(使徒20:17)。彼はまたテモテを伝道者に任命し、エフェソの信徒に「異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと」教えるように命じます(Ⅰテモ1:3、4)。

エフェソの教会はまた、愛された弟子ヨハネの奉仕と勧告を受ける特権にあずかりました(『各時代の希望』上巻232ページ参照)。老齢の弟子ヨハネの存在そのものが、エフェソの教会にとって大きな力と喜びの源となったはずです。

まとめ

「アポロは彼ら[アキラとプリスキラ]の教えを通して聖書をはっきりと理解し、キリスト教会の最も有能な擁護者のひとりとなった。こうして、練達した学者であり優れた雄弁家であるアポロは、テント造りを職業とするクリスチャン夫婦の教えから、より完全に主の道について学んだのであった」(『SDA聖書注解』第6巻1063ページ、エレン・G・ホワイト注)。

「今日の降神術の霊媒、透視者、占い師たちは、異教の時代の魔術師たちに当たる。……われわれの目からおおいが取り去られるならば、悪天使たちが人類を欺き滅ぼすために、あらゆる手段を用いているのが見えるであろう」(『患難から栄光へ』上巻313ページ)。

パウロは、エフェソの教会を離れる時、「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」と告げました(使徒20:32)。パウロはそれまでに、神の「恵みの言葉」をありのまま伝えていました。宣教者の役割は、それ以上でもそれ以下でもありません。受け入れるか受け入れないかは聞く人の責任です。そのことを知っていたパウロは、「だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません」(20:26)と言うことができました。しかし彼は、エフェソのクリスチャンたちを見捨てたわけではありません。人々も涙を流していますが、使徒自身、愛する聖徒たちとの別れはつらかったと思います。その時、彼は、人々を神にゆだねました。彼は、イエスの次のような声を聞いたことでしょう。「パウロよ、あなたは、もうこれ以上エフェソの聖徒たちと共にいることはできない。彼らのことは、わたしに任せなさい。わたしは世の終りまでいつも彼らと共にいる。安心して行くがよい」。パウロはその言葉に感謝し、「主よ、彼らをよろしくお願い致します!」と応えたのです。

*本記事は、安息日学校ガイド2005年4期『エフェソの信徒への手紙—イエスによる新しい関係の福音書』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次