【テサロニケの信徒への手紙1・2】明らかにされた福音【解説】#4

目次

福音の起源 

セブンスデー・アドベンチストが信じている28項目の信仰の大要は、パウロがテサロニケ人への手紙の中で教えている数数の真理にもとづいています。救いの計画についてのパウロの考えは福音を理解する鍵であり、今日の私たちの伝道の模範です。

アウトライン

1. 福音を強調するパウロ( I テサ1 : 5 、 6 ) 

2.父なる神と福音( I テサ1 : 9 、 1 0 ) 

3.子なる神と福音( I テサ1 : 1 0 ) 

4.聖霊と福音( I テサ1 : 5 ) 

5. 福音と残りの教会(黙示1 4 : 6〜1 2 ) 

福音の中心 

テサロニケ人への第1の手紙はおもに一般的な勧告と感謝の表現からなっています。それはローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙などのような深い神学的内容を持っていません。この手紙はむしろ実際的な信仰について教えています。しかしながら、牧会上の勧告と共に基本的な教理に関する教えも含まれています。これからの数週間、それらの中で重要なものを取り上げて学んでいきます。

今回はまず、パウロの伝道の基礎となっている考え方について学んでみましょう。この考え方はテサロニケの教会ばかりでなく、ほかのすべての教会のための彼の働きの基礎となっているものです。パウロはこの考え方に従って諸教会のために働き、のちに彼らを励ますためにそれを手紙のかたちにまとめました。かれの働きの基本となっている力強い救霊の原則は福音そのものでした。神による劇的な救いを体験したパウロ以上に、長年にわたって預言と象徴において与えられていた真理をより完全なかたちで啓示することのできた人はいませんでした。

福音を強調するパウロ(Iテサ1:5、6) 

質問1 
パウロは手紙の書き出しにおいて「わたしたちの福音」という言葉を用いていますが(Ⅰテサ1:5)、ほかのところでは自分の教えの出所をどのように明示していますか。Ⅰテサ2:2、Ⅰテサ2:8、Ⅰテサ2:9、Ⅰテサ3:2、Ⅰテサ1:8

人類救済の聖なる使命 

長年にわたる伝道活動において、パウロは失われた人類家族のための神の代表者として働いてきました。彼の伝えたメッセージは何だったでしょうか。それは三位一体の神による人類の救いという福音でした。理解をこえた苦しみと犠牲によって、父なる神、子なる神、聖霊なる神は滅びる運命にあった人類の救いのために道を備えてくださいました。罪人は滅びを免れることができました。神は罪と堕落と永遠の死を逃れる道を備えてくださったのです。神が失われた人類のために救いを備えてくださった—これがパウロのメッセージの中心でした。

人間の発明ではない

「福音がテサロニケ人に与えられたものであることを忘れてはならない。そうでなければ、彼らは決してそれを知ることがなかったであろう。それは人間の心から生じたものではない。それは人間の性質的なものでもないし、人間の発明でもない。神は御子をつかわされた。すなわち、御子は歴史の外から歴史の中に入られたのである。彼は宣べ伝えられなければならない」(ロナルド・A・ワード『テサロニケ人への手紙注解』34ページ)。

父なる神と福音(Iテサ1 : 9 、 1 0 ) 

質問2 
父なる神と福音とのかかわりについて、パウロは何と言っていますか。Ⅰテサ1:9、10、Ⅰテサ2:12、Ⅰテサ4:14、Ⅰテサ5:9、Ⅰテサ5:23

天父は御子と共に苦しまれた 

父なる神も救いの計画において積極的な役割を果たされました。神はイエスを地上につかわすことに同意されただけでなく、御子が人類の身代わり・保証となる道を開き、キリストの苦難に満ちた生涯と死を共に味わわれたのでした。(『各時代の希望』下巻183、184ページ参照)。

質問3 
へブル人への手紙には、キリストの働きに対する父なる神の関係がどのように明示されていますか。へブル1:1〜3 

「もし父なる神がこの世に来て、人類が神に信頼することのできるように、自らを低くし、その栄光をおおい、私たちのうちに住んでおられたとしても、キリストの生涯についての歴史は変わってはいなかったであろう。……イエスのすべての行為のうちに、イエスのすべての教えのうちに、私たちは神を見、聞き、認めるべきである。見るもの、聞くものは、結局のところ、父なる神の声であり行為なのである」(『神を知るために』338ページ)。

子なる神と福音(Ⅰテサ1:10)

質問4 
子なる神と福音とのかかわりについて、パウロは何と言っていますか。Iテサ2:15、Iテサ3:12、13、Iテサ4:16、17、Iテサ5:9、10

質問5 
パウロはイエスの生涯のどんな出来事をとくに強調していますか。Iテサ1:10、Ⅰコリ15:3、 4、17 

包括的な福音 

パウロがテサロニケ人に説いた福音は、イエス・キリストの死、よみがえり、再臨を強調しています。これらの真理は福音の中心です。キリストの死は私たちの罪をあがないました。キリストのよみがえりは私たちの罪にゆるしを与え、彼を信じて死んだ者たちの再臨におけるよみがえりを可能としました。

十字架は中心 

「罪のあがないとしてのキリストの犠牲は、ほかのすべての真理の中心となる大いなる真理である。正しく理解し、評価するためには、創世記から黙示録までの聖書のあらゆる真理をカルバリーの十字架から流れ出る光に照らして学ぶ必要がある」(『伝道」190ページ)。

救いに不可欠なキリストのよみがえり 

パウロはコリント人に次のように語っています。「もしキリストがよみがえられなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」( I コリ1 5 : 1 4 ) 。パウロはキリストのよみがえりを、彼が神の御子であることの証拠として提示しています。キリストはご自分の約束の成就として死からよみがえられました(マタ12:40、ヨハ2:19〜21)。重要なことは、彼がご自分の力によってよみがえられたということです。イエスはご自分のいのちについて次のように言われました。「わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある」(ヨハ10 : 18)。キリストのよみがえりの力はその眠っているからだのうちに宿っていました。

「『命を捨てるのは、それを再び得るためである』(ヨハ10:17)と言われたおかたは、死からご自分のうちにあるいのちによみがえられた。人性は死んだが、神性は死ななかった。キリストはその神性において死の束縛を断ち切る力を持っておられた。彼はみこころにかなう者を生き返らせるためのいのちをご自身のうちに持っていると宣言される」(『セレクテッド・メッセージズ』第1巻301ページ)。

「イエスのいのちと知性を構成していたすべてのものは、墓の中の彼の遺体と共に残っていた。彼は完全な存在としてよみがえられた。彼は天からご自分の霊を呼び寄せる必要はなかった」( 『SDA聖書注解』第5巻1151ページ、エレン・G・ホワイト注)。

質問6 
パウロはローマ教会への手紙の中でキリストの福音に対する態度をどのように要約していますか。ローマ1:16

「『それは』という言葉はパウロの大胆さを説明している。キリストの死、埋葬、よみがえり、出現についての良い知らせは、『すべて信じる者に、救を得させる神の力である』。牧師や教師はこのことをつねに心にとめるべきである。重要なのは、伝道者の『すぐれた説教や知恵』でも、『個人的な魅力』でも、『熱心さ』でもあるいはまた聴衆の深い悔い改めや熱心な祈りでもない。重要なのはむしろ、十字架につけられ、死に、葬られ、よみがえられたキリ ストについてのメッセージである。これが、信じるときに『神の力』となるのである」(ウィリアム・R・ニューエル『ローマ人への手紙注解』19ページ)。

聖霊と福音( Iテサ1 : 5 ) 

質問7 
福音の伝達に欠かすことのできない力は何ですか。Iテサ1:5 

聖書は、霊的なことがらは霊的に理解されると教えています(Iコリ2:14参照)。この真理を理解する力は聖霊によって与えられます(Ⅰコリ2:13、ヨハ16:13参照)。聖霊は人間に喜んでその力を与えてくださいます。このことは互いに協力される三位一体の神の愛と力をはっきりとあかししています。

質問8 
聖霊はテサロニケ人の生活にどんな影響を与えましたか。Iテサ1:6 

人生の最高の喜び 

回心の経験ほど人を元気づけ、ふるい立たせ満足させてくれる経験がほかにあるでしょうか。聖霊の導きによって迷いと無知と罪の恐怖から解放され、イエスにある知識と愛と信仰に導かれることは人生の最高の喜びです。私たちがキリストによって愛され、尊ばれ、認められ、あがなわれていること、死のかなたにも希望があること、人生が意味を持つこと、神の原則と約束が真実であること、イエスが永遠に生きておられること、イエスが私のものであるということを知ることは深い満足を与えてくれます。さらに、聖霊の働きによってキリストと交わることは喜びを与えてくれます。

質問9 
聖霊はまた福音の働きに欠かすことのできないどんな実際的なわざをなさいますか。Ⅰテサ4:7、8、Ⅰペテ1:2、22

啓発と喜びを与えるほかに、聖霊は心を清め、つくり変える働きをされます。きよくなることを求めないで知識と幸福を求める人たちがいます。それは聖霊の大切な働きである再生と和解の働きを無視することです。聖霊はテサロニケ人の生活に奇跡的な変化をもたらされましたが、それと同じわざを今日の教会員のためにも喜んでくださいます。

質問10 
聖霊は福音の働きに重要な役割を果たされます。とするなら、教会は何を熱心に求めるべきですか。ゼカ10:1 

「特別の力」を求める「地上の収穫が終わりに近くなると、教会を人の子イエスの来臨に備えるために、霊的な恵みが特別に与えられると約束されている。この聖霊の降下は後の雨にたとえられている。クリスチャンは『春の雨の時』にこの特別の力を収穫の主に求めなければならない。これに応えて『主はいなずまを造り、大雨を人々に賜い』、『豊かに雨を降らせ……秋の雨と春の雨とを降らせられる』」(『患難から栄光へ』上巻51、52ページ)。

福音と残りの教会(黙示1 4 : 6〜1 2 ) 

質問11 
パウロが説いた福音と私たちが今日、説いている福音とを比較してください。黙示14:6 

残りの民の説く福音が永遠の福音と呼ばれる理由 

その神秘が決して尽きず、その美しさが決して失われず、その約束が決して裏切られず、その原則が決して衰えることがないからです。アダムがそれをエデンの門の外で聞いたときと同じように、あるいはモーセがそれをネボ山の上で見、アブラハムがそれをハランで見、弟子たちがパレスチナでそれに触れ、パウロがそれを伝道旅行のときに説いたときと同じように、福音は今日も、明日も、そして時の続くかぎり適切で、魅力的で、救いに欠かせないものです。それが永遠なのは時を超越しているからです。それは永遠の昔に天において生まれ、人類歴史の始まる以前からあり、時間のなくなる永遠にわたって存在します。永遠にわたって、私たちはイエスの足もとで福音について学びます。

質問12 
残りの民の説く福音は、創世記3:15で宣言され、パウロによってテサロニケにおいて説かれたものと同じですが、現代においてとくに強調されるべき点は何ですか。黙示14:6〜12 

現代へのメッセージ

「救いのメッセージは、各時代において宣べ伝えられてきた。しかし、このメッセージは、終末時代においてのみ宣布される福音の一部分である。というのは、その時において初めて、さばきの時が来たということができるからである。預言は、審判が始まるまでに相次いで起こる種々の事件を示している。特にダニエル書がそうである。しかし、ダニエルは、最後の時代に関する預言を、『終わりの時まで』秘し、封じておくように命じられた。この時が来るまで、これらの預言の成就に基づいて審判に関するメッセージを宣布することはできなかった」(『各時代の大争闘』下巻50ページ)。

質問13 
三位一体の神のほかに福音の働きに重要な役割を果たすのはだれですか。ヘブ1:13、14、マル16:15、16

神の助け手

「福音宣布の働きは、天使にゆだねられたのではなく、人間に委託されているのである。天使はこの働きを指導するために用いられ、人間の救いのために大運動の任を負わせられている。しかし、福音の実際の宣教は、地上のキリストのしもべたちによって行なわれるのである」(『各時代の大争闘』上巻400ページ)。

質問14 
神の救いの働きに協力して、私たちはイエスの命じられたどんな使命を遂行すべきですか。マタ28:19 

福音を受け入れる

「クリスチャン生活の始まりとして、父、御子、御霊の三重の名においてバプテスマを受けた者たちは、サタンへの奉仕をやめて、王族の一員、天の王の子らとなったことを公に宣言するのである」(『伝道』307ページ)。

まとめ 

パウロの福音理解によれば、三位一体の神は救いの計画に積極的な役割を果たしておられます。テサロニケ人への第1の手紙に示されているこの考え方は、パウロの信仰を支え、彼の神学を形成し、彼の熱意のみなもととなっていました。パウロにとって、また彼の手紙を最初に読んだ人たちにとってそうであったように、福音を正しく理解するとき、それは現代の私たちにも同じ効果をもたらします。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年3期『再臨に備えて生きる』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次