神は愛である【ヨハネの手紙解説#5~8】

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霊を確かめる【神は愛である—ヨハネの手紙】#8

クリスチャンはみな、自分の信じていることが真実であるかどうかをはっきりと知る必要があります。神は私たちひとりびとりに対して、自分自身の判断力に従って真理の霊と偽りの霊とを識別するように求めておられます。

サタンによる惑わし

ヨハネは偽りの思想に惑わされている人々に対する深い思いやりをもって書いています。歴史を通じて、神の真理は偽りの教えによって損なわれ、ゆがめられてきました。この偽りの教えには、真理を知っていると主張する人たちによる教えも含まれています。世の終わりが近づくにつれて、サタン自身に先導された偽りの宣伝活動はますます激しくなります。神を誤って伝える人たちによる偽りの教えがいかに広範囲に及ぼうとも、私たちはそれに惑わされてはなりません(Iテモ4:1、2参照)。

大切なことは、私たち自身が真理と虚偽を識別することです。知らない間にサタンの言うままになって、神と神の品性を誤解させることのないように留意すべきです。終わりの時代の戦いは、宗教と世俗との間ばかりでなく、信者と未信者との間にも及ぶものです。黙示録13章には、礼拝を強要する宗教的、政治的な権力がはっきりと描かれています。

今、さまざまな霊を確かめるときに初めて、私たちは真理と正義を確信し、神の力によって、できれば選ばれた人たちをも惑わそうとする(マタ24:24)終わりの時の偽りの力に対抗することができます。

すべてのことを信じるのではなく(ヨハネの手紙一4章1節)

私たちが自分の信じることについて注意深くあるべきなのはなぜですか。

Iヨハ4:1

ヨハネも言っているように、本当は偽り者であるのに、自分が神の代表者、真理と正義の代表者であると主張する人が多いのです。実際の生活におけるあなたの決断について考えてください。あなたはすぐにセールスマンの言葉を信じますか。言われたことは何でも信じますか。それとも、証拠を調べ、事実を確かめ、相手の信頼度を調査しますか。

霊的な世界においても全く同じことが言えます。サタンは私たちをだまそうとしています。大争闘における争点は、だれが真理を語っているのかということにあります。多くの偽りの教師が世に来ています。私たちは何を基準にして信じたらよいのでしょうか。「心にわき上がる情熱」でしょうか。権威ある指導者の言葉でしょうか。それとも、何らかの「予感」でしょうか。そうではありません。聖書はすべての情報源を確かめるように強く勧めています。「神から出た霊かどうかを確かめなさい」(Iヨハ4:1)。「教えと証しの書」(イザ8:20)、つまり先に啓示された真理が私たちの信仰の権威なのです。神は矛盾するお方ではありません、

神は私たちに何を確かめるように求められますか。

I ヨハ4:1、1テサ5:21

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ロマ10:17)。私たちがまず神の言われること、またその理由を理解したうえでなければ、神は私たちに信じるようには求められません。

「神は、私どもに、信仰の基礎をおくに足る証拠を十分与えたもうた上でなければ、信ずるようには求めたまいません。神の存在も、品性も、また、み言葉の真実性もみな、私どもの理性に訴えるあかし、しかも多くのそうしたあかしによって確立されています。けれども、神は、疑う余地を全く取り除きたもうたのではありません。私どもの信仰は、外見的なものの上に築くのではなく、証拠の上に築くのでなければなりません。疑おうと思う者には疑うことができますが、ほんとうに真理を知りたいと求めている人は、信仰の基礎となる十分の証拠を発見することができます」(『キリストへの道」145、146ページ)。

神は語られた言葉の内容を確認するように求められる「預言者や夢占いをする者があなたたちの中に現れ、しるしや奇跡を示して、そのしるしや奇跡が言ったとおり実現したとき、『あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか』と誘われても、その預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない」(申命13:2、3[口語訳、13: 1、2])。

神の霊を知る(ヨハネの手紙一4章2節)

奇跡は、だれかが神を代表していることの確かな証拠と言えますか。あなたの考えを説明してください。

出エ7:11、22

奇跡はよく、聖霊の臨在を示す証拠であると言われます。しかし聖書には、サタンも自分自身のために奇跡を用いると教えられています。ヨハネが聖霊の臨在の証拠としているのは、イエス・キリストが完全な神であり、また完全な人であることを信じる信仰です。ヨハネが特に意を注いだのは、キリストの完全な神性と受肉を否定する、当時の人々の偽りの教えと戦うことでした。同じことが今日も言えます。多くの人々は、イエスが善人であったという説、あるいはイエスがすぐれた哲学者・教師であったという考えを受け入れています。しかし、イエスが神性に満ちあふれた神であること(コロ2:9)、人となられた神であることを信じる者はほとんどいません。ヨハネは福音書の中で同じ主題について述べています。「言は肉となって、わたしたちの間にしばらく宿られた」(ヨハ1:14、ウェイマス訳)。

キリストのすばらしさは、彼が神の真理を生活の中に実践されたことにあります。私たちがキリストを信じるのは、彼の力や地位や奇跡のためばかりではなく、彼が地上の生涯において、またすべての人の罪のための死において、神の完全な品性を実証されたためでもあります。

イエスはしるしや不思議なわざについて何と言われましたか。

ヨハ4:48

ただ奇跡のためにだけ信じる人々は、イエスとイエスの使命を誤解していることになります。それゆえに、人々が疑う者たちを確信させる手段として奇跡を行うように要求したときにも(ヘロデもイエスの裁判において要求した―ルカ23:8)、イエスはそれらをことごとく拒否されました。

今日の教会において、奇跡があまり見られないのはなぜでしょうか。神はしるしや不思議なわざのゆえにではなく、神のゆえに、また真理のゆえに信じるように私たちに望んでおられます。奇跡に頼ることは誤った信仰につながります。奇跡は人々を妨害し、混乱させることがあります。イエスのなさった奇跡は決して人々のためではなく、もっと深い理由のためでした。しかも、イエスは決してご自分を弁護するために奇跡を行われませんでした。

「特別な摂理や奇跡的な顕示が、自分たちの主張する働きや考えの正しいことの証拠であると考えてはならない。もし人々にそのように教えるなら、それらは誤った効果、不健全な感情を生み出すことになる。……聖書は決して奇跡的な顕示によって取って代わられるものではない」(『セレクテッド.メッセージズ』第2巻48ページ―48~53ページ参照)。

反キリストの霊(ヨハネの手紙一4章3節)

私たちはどうしたら反キリストの霊を見分けることができますか。

Iヨハ4:3、2:22、Ⅱヨハ7、マタ24:5、24

「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である」とは言えないのです」(Iコリ12:3)。

神としてのイエスの品位を傷つけるあらゆる思想や行為のうちに、反キリストの霊を見ることができます。反キリストは、人々がイエス・キリストのうちに神を見るのを妨げようとします。彼はさまざまな方法によって人々にイエスの名誉を傷つけさせます。多くの映画、ミュージカル、演劇、書物、記事の中で、イエスは神に似つかわしくない者として描かれています。その名は人をのろうために用いられています。そして、最も有効な手段として、イエスの教えと使命が完全に無視されています。

巧妙なのは、キリスト教の信仰を持つと言いながら、キリストの完全な神性を否定する人たちです。ある神学者たちは、復活後のキリストの出現を作り話・神話であるとみなしています。ある宗派は自分たちの「メシア」を持っていて、神としてのキリストの必要を認めません。これを、どうでもよい問題として片付けることはできません。イエスが神であることを信じるのは、まさに生死にかかわる問題です。だれであろうと、何を信じようと、「イエスはだれであるか」という問いに対する答えは決定的な意味を持ちます。

反キリストとはだれ(何)のことですか。

「反キリスト」という言葉には、二つの意味が含まれています。一つは、キリストに代わる者、キリストに敵対する者、キリストを装う者という意味です。終わりの時になると、ルシファーは「光の天使」(Ⅱコリ11:14、Ⅱテサ2:8~11)として現れ、最後の偽りを提示します。どうしたら真実と偽りとを見分けることができるのでしょうか。直観的に偽物を見分けることができるほどに本物のお金をよく知っている銀行の出納係のように、クリスチャンは、サタンが来て真理と虚偽とをかき混ぜるときにも、「このほとんど圧倒的な惑わし」を拒否することができるほどに、キリストをよく知っている必要があります。

もう一つは、敵対者としてキリストに反対を唱える者という意味です。これは、聖書の中で告発者として描かれているサタンにふさわしい表現です。終わりの時の反キリストは、サタンと協力してキリストに反対する宗教連合を指します(黙示13: 11~17、16: 13、14、17:1~6参照)。

世に打ち勝つ(ヨハネの手紙一4章4節、5節)

「勝利者」となるうえで大切なことは何ですか。それぞれの聖句に関してあなたの考えを書いてください。

1. キリストと一つになる。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハ16:33)
2.イエスを信じる。「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(Iヨハ5:5)。
3.勝利は救いの結果として来る。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」(Iヨハ5 :4)。
4.キリストの約束は勝利する者たちのためにある。(黙示2:7、11、17、26、3:5、12、21)。
5.勝利する者たちには、輝かしい未来がある。「勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる」(黙示21:7)。

私たちは何によって勝利者となりますか。

Iヨハ4:4

私たちは自分自身の力によっては勝利することができません。「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望」(コロ1:27)が、私たちの霊的勝利の源です。キリストとキリストの真理に従うことによって、私たちは惑わしから守られます。「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ロマ12:21)。戦いは権力争いではなく、道徳的、倫理的、霊的正義の戦いです。勝利するのはサタンの偽りではなく、神の大いなる品性の力です。もし神がご自分の力によって征服しようとされたのなら、初めからそうされたはずです。

神が、「武力によらず、権力によらずただわが霊によって」(ゼカ4:6)と言われるのはそのためです。私たちが神によって勝利するのは、聖霊の導きによります。

近代におけるどんな現象が、今日の世界に偽りの霊が存在することを示していますか。

黙示16:13、14

「現代の心霊術は……昔、神が堅く禁じられた魔術と悪霊の礼拝の形を新しくして復活したものに過ぎない。……こうした教師について愛するヨハネは言っている。『偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。御子を否定する者は父を持たず』(ヨハネ第1・2:22、23)。心霊術は、キリストを否定することによって、父とみ子をともに否定する。そして聖書は、それを反キリストのしるしであると言っている」(『人類のあけぼの』下巻371ページ)。

神を中心とする(ヨハネの手紙一4章6節)

ヨハネ1・4:6を私たちに適用する場合、どんなことに注意すべきですか。

この聖句を表面的に、前後関係を無視して適用すると、非常に尊大な印象を与えます。神に属する者は私たちに耳を傾け、神に属さない者は耳を傾けない、となるからです。ある人々は、反対意見を封じ、無条件の服従を要求する手段として、このような極端な一般論を用いてきました。しかし、それはヨハネの意図するところではありません。ヨハネは一貫して、霊感を受けた証拠に基づいて自分の立場の正当性を主張しています。彼は人々に、自分の立場の正当性を過去の啓示や聖書に照らして評価しないままに、ただ従えと言っているのではありません。

ヨハネのこのような立場は、神に信頼していることの結果であり、神が信頼と一貫性、深い思いやりと関心に満ちたお方であることの証拠です。したがって、ヨハネとその教えを拒む者たちは、自分たちが真に神に属する者ではないことを立証しているのです。なぜなら、ヨハネは神についての啓示された真理を提示し続けているにすぎないからです。神と神の啓示された言葉に忠実であるかぎり、私たちもまたヨハネと同じ立場に立つことができます。

真理と正義についての真の基準は何ですか。

ヨハ1:14、14:6、18:37

キリストが真理と正義の源であるということは、すべてのものはキリストのこれらの特性に照らして吟味されるべきであるということです。神は真理ですから、神を拒絶する人たちは明らかに「惑わす霊」(Iヨハ4:6)に従っていることになります。神は真理と正義の律法を啓示しておられるので、私たちは神がそれらの律法に従って働いておられるかどうかを判断することができます。私たちは、神がご自分の律法に従って働いておられること、また神の律法が正しいことを知っています。それゆえに、私たちには真理の霊を見分けることができるという確信があります。私たちが神を知っているからです。

人々が私たちの宣べ伝えることを拒絶しても驚くには当たらないのはなぜですか。

Iヨハ4:6、エレ6:10、Ⅱテモ4:4

霊的な事柄は霊的に理解されます。したがって、霊的な性質を認めない人たちは、霊的な話を無意味としか感じません。私たちは、最も霊的に貧しい人たちでさえ心を引かれるような方法でキリストを宣べ伝えなければなりません。

まとめ

教会は霊を確かめなければなりません。宗教についてさまざまな主張がなされているので、証拠を調べる必要があります。奇跡を信仰の基礎としてはなりません。私たちはイエスによって啓示された真理にかたく立ち、神に対する信仰によって勝利することができます。

*本記事は、ジョナサン・ギャラガー(英:Jonathan Gallagher)著、1997年第2期安息日学校教課『神は愛である ヨハネの手紙Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』からの抜粋です。

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