第1の弟子、ペテロ【ペトロの手紙1―生ける望み】#1

目次

中心思想

今日の私たちに対してもそうであるように、イエスはペテロと共に働かれました。そして、彼のうちにある良いもの、価値あるものを強め、粗野なもの、有害なものを除去されました。

アウトライン

  • 使徒たちの代弁者(マタ16:13~20)
  • 使徒たちの指導者(使徒1:15~22)
  • ペテロの拒絶(マル14:66~72)
  • ペテロの回復(ヨハ21:15~19)
  • 忠実な羊飼い(使徒9:32~43)

第2の機会を与えられたペテロ

イエスの復活後、ペテロはユダヤ人の国会であるサンヘドリンに呼び出されました。長老たちの中には、ペテロがイエスとの関係を否定したことを覚えている者たちもいました。イエスとその復活の力を宣べ伝えたかどで(使徒4:1~22)、ペテロは投獄され、死刑になる恐れがありました。しかし、その後の彼の行動は全く予想に反したものでした。あのおくびょう者のペテロは力強い主の弁護者となったのです。彼は第2の機会を無駄にはしませんでした。

ペテロは聖霊に満たされて、宮の美しの門にいた足の悪い男をいやされたのはイエスであると断言しました(使徒3:1~10)。彼は国会に対して、イエスに対する彼らの判決が神にそむくものであると言いました。彼らはイエスを死に値する冒とく者であると断定しましたが、神は御子をよみがえらせることによって彼を無実とされました。

私たちがこのシリーズ、学ぼうとしている手紙を書いたこの人—このペテロ—という人はどういう人物だったのでしょうか。このペテロを理解することによって、私たちは彼のメッセージを、そして自分自身をさらによく理解することができます。

使徒たちの代弁者(マタ16:13~20)

使徒の名簿

新約聖書は4か所において使徒の名前をあげています(マタ10:1~4、マル3:13~19、ルカ6:12~16、使徒1:13)。ペテロに関して「まず」という言葉を用いているのはマタイだけです。しかしながら、どの記述においても、ペテロの名前が初めに出てきます。このことは、彼の権威がほかの者たちのそれと同じだったにせよ、彼が使徒たちの中で最も傑出した人物であったことを示しています。

質問1

イエスはだれの上にキリスト教会を建てられましたか。イエスはすべての使徒にどんな権威を与えられましたか。マタ16:13~20(同18:18比較)

マタイ16:13~20にもとづいて、ペテロの権威がほかの使徒たちのそれにまさると主張する人たちがいます。しかし、これは間違いです。ペテロに与えられたかぎは、受け入れる者たちに天国を開くイエスのみことばです(ルカ11:52参照、『各時代の希望』中巻182ページ比較)。キリスト教会の建てられた岩はイエスです(エペ2:20参照、『各時代の希望』中巻183ページ比較)。ペテロはその性格のゆえに仲間たちの指導者となりましたが、より大きな権威を与えられていたわけではありません。「キリストは礎石—堅固な要塞—であり、そのとき彼の教会がその上に建てられつつあった。そして現在にいたるまでなお建てられつつある」(ランドルフ・O・イエガー『ルネッサンス新約聖書」第2巻544ページ)。

質問2

ほかのどんなときにペテロは弟子たちの代弁者となっていますか。マタイ17:1~5、19:27~30、ルカ8:45、12:41、ヨハネ6:67~69

「私たちにとってどんな意味を持つか」マタイ19:27におけるペテロの質問はギリシア語では次のようになっています。「あなたがいま言われたことは私たちにとってどんな意味を持ちますか」。フィリップ訳では、「それは私たちにとってどんな価値がありますか」となっています。このような率直な質問をすることがペテロの特徴でした。彼がしばしば弟子たちの代弁者となっているのは、このような外向的な性格のためでした。

使徒たちの指導者(使徒1:15~22)

ペテロは生まれつき行動と熱意にあふれた人でした。彼が使徒たちの中で初期の指導者としての役割を担うようになったのは、こうした特徴のためだったと思われます。

質問3

ペテロはゲッセマネの園において、どんな指導的な役割を果たしていますか。ヨハ18:10

ペテロは主を守るために率先して戦おうとしますが、イエスご自身によって止められます。イエスがおとなしく捕らえられるのを見た弟子たちは、イエスの行為を理解することができませんでした。イエスを敵の手から救うことができないと見ると、彼らはその場から逃れようとします。ふたたびペテロが指導者となっています。

「憤慨と恐怖のあまり、ペテロはみんな逃げ出そうと言い出した。このさそいに応じて、『弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った』」(『各時代の希望』下巻189ページ)。

初代教会の指導者

イエスの昇天後、ペテロは初代教会の指導者となりました。このことは使徒行伝の初めの章に書かれています。

質問4

ペテロは次の場面においてどんな役割を果たしていますか。使徒1:15~26(ユダの後継者)、使徒2:1~47(五旬節の説教)、使徒3:1~10(足の悪い人のいやし)使徒3:12~26(群衆への説教)、使徒4:1~22(ペテロの弁明)、使徒5:17~42(2回目の弁明)

ペテロの拒絶(マルコ14:66~72)

質問5

イエスがペテロに近づいている信仰の試練について警告されたとき、ペテロは何と答えましたか。ルカ22:33

イエスの言葉に不快感を抱いた自信過剰のペテロは、自分はあくまでも主の側に立つと主張します。「ペテロが牢獄までも死にいたるまでも主について行くと言ったとき、そのことばにうそはなかった。しかし彼は自分自身を知らなかった。彼の心の中には、周囲の事情に扇動されると芽を出す悪の要素がかくれていた。彼がその危険に気づかなければ、それは彼を永遠に滅ぼすものとなるのであった。救い主は彼のうちに、キリストに対する愛さえ圧倒してしまうような自分を愛する思いと自信とがあるのをごらんになった」(『各時代の希望』下巻160ページ)。自信過剰のクリスチャンは容易にサタンのえじきになります。なぜなら、彼は自分自身を正しく理解していないからです。しかし、すすんで自己を捨て、神に信頼する人たちには約束が与えられています。「いかなるサタンの勢力にも、すなおな確信をもって神からくる知恵に信頼する魂を無力にする力はない」(『神の息子・娘たち』91ページ)。

質問6

イエスの裁判において、ペテロはどのように行動しましたか。ルカ22;54、55

ヨハネも法廷に入りましたが、彼はイエスとの関係を隠そうとはしませんでした。彼はイエスをののしっている連中の中にまじらなかったので、疑われることもありませんでした。彼は自分の正体を隠さなかったので、怪しまれるようなことはありませんでした。彼は暴徒から離れたところに退き、しかしできるだけイエスの近くにいたので、主の裁判において起こったすべてのことを見聞きしました。(『各時代の希望』下巻207ページ参照)。

これとは反対に、ペテロは群衆の中に身を隠そうとしました。自分の正体を隠すために無関心の風をよそおい、群衆と一緒になってイエスをからかいました。しかし、それがかえって不自然に見えました。彼はうそをついていたのです。彼のこの行為はサタンの誘惑に身をさらすものでした。

質問7

ペテロはうそをつくことによって自らを危険な立場に置きました。サタンはこの状況をどのように利用しましたか(マル14:66~71)。イエスの応答はペテロにどんな影響を与えましたか(ルカ22:61、62)。

ペテロの回復(ヨハ21:15~19)

ペテロが心から悔い改めたことによって、劇的な変化が生じます。

質問8

ほかの使徒たちが復活された主に会う前に、すでにペテロを受け入れていたことはどこからわかりますか(ヨハ20:1~10)。ペテロはどの時点でイエスのゆるしを確信しましたか(ルカ23:34)。

回復

ペテロは公に、自ら使徒としての資格を失っていました。彼は今、公の告白によってふたたび使徒に復帰しようとしていました。イエスはペテロに三度、ご自身を愛するかとたずねられ(ヨハ21:15~19)、ペテロも三度、主を愛すると答えています。イエスはそのつど、ペテロにご自分の羊を飼いなさいと言っておられます。

質問9

主イエスと使徒たちはどんな関係にありましたか。ヨハ15:14、15

ペテロはこの特別な関係から離れてしまったのでした。イエスがペテロにご自身を愛するか(アガパオ)とたずねられたとき、ペテロは「友」(フィロス)の語源である動詞(フィレオ)をもって答えています。ペテロはこのことによって、自分がイエスを愛していることばかりでなく、イエスを真の、どこまでも忠実な「友」として愛していることを証明したのでした(ヨハ15:14)。

イエスは三度目にペテロにたずねられたとき、動詞を変えられました。「ヨハネの子シモンよ’わたしを愛するか(フィレオ)」(ヨハ21:17)。イエスが同じ質問をされたことに戸惑いながらも、ペテロはここで初めて自分がふたたびイエスの「友」の仲間に受け入れられたことを確信したのでした。

質問10

イエスを愛する者たちはどこまでイエスに従いますか。ヨハ14:15、1ヨハ5:3

ペテロはキリストに心から献身し、そのすべての導きと命令に忠実に従いました。生まれ変わったクリスチャンだけが、主に完全に従った生活をする力を与えられます(Iヨハ5:4、5参照)。

忠実な羊飼い(使徒9:32~43)

一つの場合を除けば(ガラ2:11~14)、ペテロはその後、忠実にイエスに従いました。

質問11

使徒行伝2~5章における力強い説教のほかに、どんなところからペテロが忠実な羊飼いであったことがわかりますか。使徒5:1―16、9:32―43、10:1―48、15:6―11

「ペテロの経験において、キリストのお働きの中に十字架を見たくない時があった。救い主が弟子たちに、ご自身に迫る苦難と死を知らせられたとき、ペテロは『主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません』と叫んだ(マタイ16:22)。キリストと苦しみを共にすることを恐れる自己憐燗(れんびん)の気持ちから、ペテロはとっさにいさめようとした。この弟子にとって、この世のキリストの道が苦悩と屈辱の中にあることは、つらい教えであり、なかなか悟ることのできない教訓であった。しかし彼は、炉の火の真っただ中でこの教訓を学ぶのであった」(『患難から栄光へ』下巻224、225ページ)。

ペテロの最期

「神のみ摂理に導かれて、ペテロは彼の働きをローマで終えることになった。このローマで、ちょうどパウロが最後に逮捕されたころ、ペテロ投獄の命令が、ネロ皇帝から出された。こうして二人の老練な使徒たちは、長い間、遠く離れて働いていたが、この世界の中心都市において、キリストのために最後のあかしをたてることになった。そして、この地に、聖徒や殉教者たちの大きな収穫を生む種として、彼らの血を流すことになった。……かつては十字架を認める準備のできていなかった彼は、今、福音のために命をささげることを喜び、……最後の願いとして、彼は頭を下に向けて十字架に釘づけされるようにと執行人に頼んだ。この願いは聞き入れられて、この方法で偉大な使徒ペテロは死んだ」(『患難から栄光へ』下巻238、240ページ)。

まとめ

自己過信の危険性、反対に会っても忠実であること、危険に直面しても勇気を持つこと、キリストの力に頼ることなど、ペテロの生涯から学ぶことはたくさんあります。しかし、何にもまして学ばなければならないことは、イエスがご自分の弱い子らを愛し、あわれんでくださるということです。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。

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